敵を味方につける方法は、簡単だ。共通の敵を作り出せば良いのである。
<チュウショット文庫「戦略家・ズトロニックス」より>

 レストランの休憩室を出た先は業務用搬入口だった。誰が怪しむよりも早くそこを走り抜けて脱出を果たした二人は、そこから2ブロックほど先にある大通りに向かって裏路地を走っていた。
 向かう先には、高名なブランド店と新鋭デザイナーの登竜門である貸画廊ギャラリーが軒を連ね、度々テレビで取り上げられドラマや映画の舞台ともなるミッドサファー・ストリートが見える。いつも歩車道ともに混みあい人中ひとなかに紛れて逃げるには最高の場所である。
 背後ではようやっとこちらを不審者と認識したらしい警備ロボットが一体、警告音と共に半球型のボディに埋め込まれた黄色灯を点滅させ、四本の足先の車輪に不快なスリップ音を高らかにまとい、勢いよく搬入口から滑り出てきた。
 そこへ間、髪をいれず躊躇なく、ハラキリがレーザーを撃ち警備ロボットを破壊する。
 しかしニトロは、警備ロボットの追跡などどうでもよかった。機関部を破壊され動力を失いうずくまるロボットにくれる眼もない。まだ現れぬ恐怖にただただ心臓が早鐘を打ち続ける。
「どうするんだ? 逃げられるのか?」
「足がありますから」
「足?」
「こちらです」
 ニトロはハラキリに引っ張られるまま、何の装飾もないビルの非常口に飛び込んだ。どうやらこのビルは、立体駐車場であるようだ。中に入るなり、白色灯の光の中、整然と並んだ車達が彼らを出迎えた。
 今は他に人はいない。人の音もエンジン音もなく、コンクリートが吐き出す湿った冷気の中に、ただ耳障りな静寂がある。
 ニトロには、黙って整列している車が不気味に感じられた。よく車をデフォルメしたキャラクターを見るが、確かに、ヘッドライトが眼に見える。まるでこちらをジっと見つめているようだ。
 ニトロは震えた肩を抑えた。ハラキリに視線を移すと、彼は非常口のすぐ脇に止めてあった黒の普通車に乗り込んでいた。嫌な予感に、ニトロはまた肩を震わせた。
「え〜と」
 とりあえず義務的に助手席に乗り、ニトロはまず確かめた。
「もちろんオート・ドライブだよね」
 A.I.によるオート・ドライブ限定ならば、十歳から免許を取得できる。
「もちろんマニュアルです」
 自分で運転するマニュアル・ドライブ免許は、十八歳以上だ。
「君何歳?」
「今年、十七になりますなー」
折檻せっかんパーンチ」
「そんな!」
 ニトロの右拳が、ハラキリの頬を抉った。
「無免許運転ダぁメ!」
「いやでも、これじゃなきゃ逃げられませんぜ」
「……いやしかし、無免許運転の事故率は……」
「まぁまぁ、一緒にスリルを味わいましょうよ」
「……」
 ニトロは黙した。代わりにシートベルトを締める。
「諦めた。命預ける」
 ハラキリはハンドル脇にある指紋認証キーの穴に人差し指を挿し入れた。コンピューターの起動音が鳴り、次第に、車に命の火が灯っていく。
 ニトロは点灯していく機器類を見て驚いた。
 ダッシュボードには普通では不必要な数の計器があり、中でもセンターパネルはシステムを制御するインターフェイスのようで、簡素化されたキーボードのような入力装置も見られる。
 運転以外の全てはA.I.に制御させている現在、これほど『人間が操作する領域』を用意するのは、よほどのマニアかよほど特殊な使用目的がある者のどちらかだ。
「この車は?」
「父のです。ターゲットを追いかける時のために、ずっとここに置いてあるんですよ」
「ふーん」
 もはや、ジジ家の内情に深入りする気はさらさら無かった。
「指紋照合完了。パスワードヲオ願イシマス」
 スピーカーからのA.I.の人工音声に、ハラキリが応えた。
「ファミリー、フジヤマゲシャ」
「パスワード、音声照合完了。オールクリア。ヨウコソ、ハラキリ。機嫌ハドウダイ?」
「上々だよ『韋駄天いだてん』。これからちょっと面白くな」
「面白くない!」
 ニトロが断言する。
「ドナタ?」
「お客さん」
「オ客サン。ヘェ……ナルホド。了解シタ」
 動き出した車は、ハラキリの手によってスムースに出口のある二階に向かっている。澱みない運転の様子から、彼はかなり手慣れていることが見てとれた。事故の心配は多少は減ったようだ。
 とはいえ。
「行きますよ、ニトロ君」
「あ〜もう、どうにでもして」
 ニトロは姿勢を正し、シートベルトの張り具合を確かめた。
 一度二階に上がった車は、すぐに路上に続くチューブ状の管状通路パイプ・ラインに入った。強化プラスチックの窓壁の向こうには、人が賑わうミッドサファー・ストリートが見えた。
 車道はラッシュアワーに混みあって、ほとんど車は動いていない。たまに高級な飛行車スカイカーが空を行くのを、走行車ランナーのドライバーが羨望と憎憎しさの混ざった眼差しで見上げている。
 ふとニトロは気になって、燃料計を見た。
 燃料計は、タンクに精製フロギストンがフルにあると示していた。動力用バッテリーのメモリの針も上限を示す。逃亡中に燃料切れなんて、洒落にもならないことは避けられそうだ。
 管状通路を下りきって、停止線で車が止まった。この車のタイプは走行車だった。この混みようでは、合流を果たすにもかなりの時間が必要そうだ。また合流したところで、身動きは取れまい。
 この間にも、あの女は近づいてきているのだろう。だというのに、運転席のハラキリは、憎らしいほど余裕に鼻歌なぞを吹かしながら、中央にあるシステム制御盤を操作している。
「なぁ、何してんの?」
「すぐに分かりますよ」
「……」
 ニトロは落ち着かない気を静めようと、景色に目を移した。そして、こちらを驚きの目で見る人々に気づいた。
「ん?」
 歩道にいるほとんどの人が歩みを止め、奇異の目でこちらを、いやこの車を見つめていた。目を輝かせている者もいる。
「『オーバーモード』起動……セーフティ解除……解除完了」
 A.I.が言った。
 奇妙な展開に、ニトロが反応する。
「『オーバーモード』?」
 ニトロの疑問は、至極当然なものであった。ぐいと体が上に押し上げられる感覚にニトロは少し驚きの声を上げ、そしてこの車が陸空両用車だということに気がついた。
 しかし、『オーバーモード』というのが陸空両用車についているとは聞いたことがない。たまに漫画やアニメで『普段封印している能力を解放するモード』をそんな感じの名で搭載したロボットなどが登場してくるが――
「コンディション・オールグリーン。パスワード承認後、操作可能」
「それでは韋駄天、一緒に言おう」
「……漫画やアニメ、なのか?」
 隣のやり取りから湧き起こった想像に連れられて、うめき声が口をつく。それを合図にしたように、嬉しそうに楽しそうに、ハラキリとA.I.が叫んだ。
「死なばもろともどこまでも!」
「イぃヤぁーーーーーーーー!」
 ニトロは、いきなり襲いかかってきたGに悲鳴を上げた。やはりという思いと共に、まさかという思いが一緒になって彼の脳味噌を圧迫してくる。
「うっわーーーーーーーー!」
 高出力のエンジンの駆動が、防音防振動を施された車内に微かに響いてくる。景色は高速で移り変わり、視線の高さはビルの三階に並んでいる。ボンネットの先、目下では、車の屋根が織り上げたカラフルな帯が凄まじい勢いで足下に吸い込まれていく。
 ニトロはシートに押しつけられた頭を引き剥がすことができず、苦悶に歯を食いしばった。
(なぜだ?)
 眼球だけを動かし、時速200kmを超えてなお急加速していく中で平然としているハラキリを恨めしく睨む。
「なぜ、お前は、そう平気な、のか?」
「慣れです」
「慣れるか!」
 ニトロは叫んだ拍子に、サイドミラーに映る恐ろしい光景を見てしまった。信じられない速度でミッドサファー・ストリートをぶっちぎっていくこの車を、一台の装甲飛行車アーマード・スカイカーが同等の速度で追いかけてきている。
 そしてそこには、奴がいた。
「ぎゃあああ! 猫耳つけたメイドさんが、ごっつい銃を持って追って来てるー!」

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