隠し扉の中にあった(本当に)狭いトイレで用を済ませたニトロが部屋に戻ると、ニュース番組は『今日の占いコーナー』に差し掛かっていた。この番組の編成は、この後に天気予報、そして為替と株価のコーナーを経て終わる。そうなったらもう8時だ。
「そういえば」
 と、ハラキリが肩越しに顔を向けてきた。
「ニトロ君は100億、本当に払えるんですか? 失礼ながら、君がそんな金持ちには見えないんですけど」
「それは問題ないよ。今の俺に買えないものはないから」
 ニトロは戦闘服の懐から財布を取り出し、その中から一枚のカードを取り出した。あの晩、ティディアが彼に渡したクレジットカードである。
「ほら。バカ姫がよこした軍資……あれ?」
 カードを見せた瞬間、ハラキリが天を仰いだ。まるで嘆くよう、あるいは絶望しているようだった。
「ど、どうしたの?」
 ニトロはおののいていた。ハラキリの様子は、ニトロに猛烈な不安をもたらした。
「なんちゅう物持ってること言わなかったんですか」
 ハラキリが非難の目を向けてきた。むっとして、ニトロは言い返した。
「なんだよ。ただのクレジットカードだろ?」
「『ただの』じゃないです。それはクラウンカードと申しまして、金貨を落としながら歩けるような人間しか持てませんですよ。あいや、そんなことはどうでもいいですね。だからえーと、それ、盗難紛失時のために軍事仕様のSPS空間測位システム受信機が内蔵されとるんですわ」
「……え?」
 半笑いで言うハラキリの言葉に、ニトロは目を点にした。彼と手の中のカードを何度も見比べ、やおらガチガチと歯を鳴らしだす。
「な、何いいい!?」
 その時だった。宙映画面エア・モニターに映る『目覚めなさいアデムメデス』のキャスターが言った。
「それでは次はお天気のコーナーですっ。
 今朝は気象学博士のティディアさんがいらっしゃっています。ホテル・ベラドンナ前の、ティディアさ〜ん」
「は〜〜い」
 ニトロは、ハラキリは、ゆっくりと宙映画面に目をやった。
 晴れ渡る青空が映っていた。抜けるような青空だった。カメラが上空から視線を落としていくと、確かに見覚えのあるホテルがフレームインしてきた。続いて母親譲りの黒紫色の髪を持つ彼女がカメラに入ってくる。
 確かに、自分達が隠れているホテル・ベラドンナが、ホテル・ベラドンナの前にはティディアが。映っている!
 二人はそろって、うめいた。
「うっわー。明らかに限定した支持者狙いのコスチュームだこと」
 メイド服。頭に猫耳。そんな格好のティディアが愛想をふりまいていた。
「今日はいつものコピリンさんに代わって、私ティディアが予報しちゃいまーす」
 ティディアは本当に天気予報を始めた。アイドルがキャスターをしているような調子ではあるが、画面に現れた天気図を使って饒舌に、驚くほど分かりやすく親切に解説をしていく。
 つい呆然と聞き込みそうになったが、はたと我に返ってニトロはハラキリを見た。彼は何やらしきりに感心した様子である。
「うーむ。メイド服は永遠の夢なのだな?」
「いや、何言ってんのさ」
「ところで、獣人ビースターからは抗議とファンレター、どっちが多いですかね。これ」
「そうねぇ……」
 と、ハラキリにつられて考え込みそうになったところで、ニトロは頭を振った。
「じゃなくてヤバイだろ!」
 ニトロが言うと同時に、ハラキリは慣れた手つきで戦闘服の『リラックスモード』を解除し、サイズを体に合わせながら部屋の一角に向かった。彼の様子があまりに落ち着いているものだから、ニトロは危機を共有する相手を失って拍子抜けてしまった。肩から力を落とし、自分も服のサイズを合わせながらとりあえず彼に続く。
 すると、ハラキリが笑顔を見せた。
「そうそう、パニックだけにはならないでくださいね。あ、この際カードは利用しますので持ってきちゃって下さい」
「了解」
 ハラキリの狙いに気づいてニトロは苦笑した。口で言えばいいのにと内心思いもするが、言われればもっと気を急かしてしまっただろう。ハラキリは目の前のスイッチを押し、天井に開いた空洞から降りてくる梯子はしごを変わらぬ調子で眺めている。同年齢の少年だというのに、状況に対する精神構造があまりに自分、いや、『自分たち』とは違う。ニトロは感心し、同時に少し呆れた。
「こちらです」
 ハラキリについて長い梯子を上り、薄暗く狭い通路に出ると、すぐに行き止まりに突き当たった。
「どうするんだ?」
 立ち止まったハラキリの背に声をかけると、彼は静かにと言って壁の一部を手で探った。何かを探り当てるとそれを操作し、すると行く先を阻む壁に小窓が切り出されて光が灯った。薄暗い通路の中に急に現れた強い光に、一瞬目がくらむ。
「……これは?」
 壁に現れたのはモニターだった。そこには部屋が映っている。簡素な部屋だ。ロッカーが並び、簡素なテーブルと椅子がいつくか。正面の奥には小さなテレビが置いてある。その前には白衣を着た男二人がいて、天気予報を伝える女性を食い入るように見つめている。
「壁の向こう、レストランの休憩室です」
 ハラキリを見ると、彼はモニターを現したパネルを素早く操作していた。
「よく部屋の作りを覚えて。覚えましたね? 奥の扉を抜けます」
 ハラキリは早口でまくし立てるとニトロが返事をするよりも先に、二の句を告げた。
「息を止めて拙者についてきてください」
 ニトロは彼の言葉の意味を完全には理解できなかった。だが、とにかく彼についていくしかない。
 ニトロがうなずくや否や、ハラキリはパネルの実行ボタンを押した。空気が鋭く漏れる音がした。一拍置いてモニターが消えると壁が横にスライドした。蛍光灯の光が通路に射し込んでくると同時、ハラキリが休憩室に身を滑り込ませる。ニトロが続くと即座に壁は閉じた。
 休憩室に二人が闖入したことに、テレビの前の二人は気づいていないようだった。それよりも様子が少しおかしい。彫像のように硬直して微動だにしない。
 ハラキリはその横を堂々と走り扉へと向かう。前もって部屋を見ていたから、ニトロは慌てることもなく言われた通り息を止めて彼を追えた。彼が開いた扉を出る寸前に白衣の男達を一瞥すると、彼らは呼吸もしていないように見えた。
 少年二人が部屋を出て扉が閉まってから一秒もしない間をおいて、テレビを見ながら片方の男が言った。
「なぁ今、姫様なんて言った?」
「いやそれが……俺も聞き逃した」
 少しぼうっとした答えに、テレビの中でとても嬉しそうに語るティディアの声が重なった。
「……なので今日は、傘は必要ないよ。ジスカルラは爽快快晴です!
 時に、私の今日の占いは、『勝負事、劇的勝利』でした。あなたはどうでしたか?」
 天気図が消えるとティディアは、よいしょっと、レーザーライフルを取り出した。それを肩に担ぎ、天使も射殺せそうな笑顔を浮かべた。
「私はこれから、占いが当たるかどうか、試してみようと思いまっす。
 それではっ、カメラをスタジオに戻しまーす」

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