素晴らしいことがあった日の翌日は、寝覚めの一つすらも神に祝福されたように感じるものだ。
 そう。悪いことは続くと言われるように、良いことも続くのである。
<チュウショット文庫「冒険家・モズロー」より>

 純白の絨毯が敷き詰められた部屋に、爽やかな朝日が射し込んでいた。半分開かれたフランス窓からは涼しい風が吹き込み、それを受ける薄紅色のカーテンは踊るように揺れていた。
 部屋にあるものは、天蓋てんがいのついたベッドと置き時計、書棚、それに小さなテーブルと椅子だけだ。だが、その品々は全て職人達の技術の粋がつめこまれ芸術の域にまで昇華した工芸品である。見る目ない者が見れば、ここは殺風景な部屋であろう。だが、見える者には、この部屋は家具の配置を含め部屋そのものが一つの美である。
「データの『回収』はうまくいってる?」
「解析共に良好です。気付かれた様子もありません」
「そう、順調ね。引き続き万全に」
「かしこまりました」
「ああ、ドクトリアル・スーリ社はきつく叱っておいて。バッテスの件がうまくいかない限り、依頼されている認可は出さないって」
 ティディアは朝食をとりながら、執事の『犬』に命じた。そして卓上の宙映画面エア・モニターに表示されている情報に目を通す。
「ハラキリ・ジジ……か」
 それはニトロのボディガードの素性を執事がまとめたレポートだった。
「ハラキリって名前は珍しいわね」
 エッグスタンドの半熟卵の黄身に岩塩を一粒落とし、スプーンですくって口に運ぶ。
「…………なんかどっかで聞いた単語だけど」
「母親が、地球ちたま日本にちほんという地域の文化に傾倒しているようです」
 と、レポートを作成した執事が言った。
「ふーん」
 ティディアの脳裡に一度かすかに触れただけの情報が蘇る。それはまだ全星系連星ユニオリスタとの接触も果たしていない、要観察段階にある知的生命体確認惑星だったはずだ。
「そりゃまた辺境の、極めてローカルな趣味ねぇ」
 彼女は宙映画面エア・モニターの可触領域に指を走らせ、王立図書館の辞書検索機能を呼び出すと、適用範囲を全星系連星ユニオリスタの研究機関提供のデータベースにまで広げて『ハラキリ』と打ち込んだ。しばらくの間を置いて(単語の検索においては、驚くべき所用時間だ)その意味がティディアに知らされる。
「……地球ちたま日本にちほんに住む民族が、謝意を表して腹を切ること? 謝る度に腹を切るなんて、随分お腹が丈夫な民族ねー。一度見てみたいわ」
 焼きたてのクロワッサンをちぎり、芳醇なバターの香りごと頬張る。
「あ」
 ふと目に止めたハラキリの家族構成に、ティディアは目を細めた。
「両親はあのジジ夫婦か。どうりであの家も、あんなに装備が充実してたわけね」
 納得を得た快感に目尻を下げ、ティディアはレポートをテーブルに置いた。
「いい目をしてたな、あのハラキリ君」
 昨夜のケルゲ公園で相対した時、彼が密かに向けてきていた殺気にティディアは気づいていた。
 思い返す彼女の目は輝いていた。強敵が現れたかもしれない、そのことに準備を整える警戒心を超えて、跳ね上がる期待が胸を躍らせていた。
「本当、あなたが出すものは面白いものばかりだわ。ニトロ」
 朝食並ぶ先には写真スタンドが立てられ、そこには制服を着て照れ臭そうに引きつっている少年がいた。両隣には彼の肩に手をかける両親がいる。高校の入学式、校門横の記念撮影サービスエリアで、親にねだられ記念写真を撮る羽目になったニトロがそこにいた。
 愛しげに写真を指で撫でながら、ティディアはブレンドティーをすすった。高貴な香りに心地良くなる。
「全員に気を引き締めるように伝えて。バッテスの二の舞は許されない、と。特に飛び入りには最大限の警戒、絶対に余計な情報を与えないように。目的を見抜かれたらお仕舞いよ」
「は」
 恭しく頭を垂れる執事を横目に見ながらクロワッサンの最後の一口を頬張ると、ティディアは気も腹も満足そうに一息ついた。ティーカップに唇を寄せ、記憶に刻み込んでいる今日のスケジュールを思い返しながら、舌の上にある幸福の余韻を惜しげもなく洗い流す。
「さて、注文していた衣装は?」
「しかと届いています」
「よろしい。たまには支持率稼ぎサービスもしなきゃね」
 ティディアは今日も、人生をこの上なく楽しんでいた。

 どんな残酷な目にあった日も、眠ることによって終りを迎える。そして目が覚めた時、その者を待つものは、整理され晴れ渡った頭脳と、そのために気づく更なる地獄か、あるいは希望に照らし出された活路である。
<チュウショット文庫「冒険家・モズロー」より>

 朝が来たと起こされても、窓もない部屋ではその実感は得られなかった。ほとんど密閉された四角い空間では、圧迫感しかこの身に降り注いでこない。
 ハラキリが宙映画面エア・モニターに朝のニュース番組『目覚めなさいアデムメデス』を映していなかったら、ニトロは睡魔に負けて今もベッドの中だったろう。キャスターは、昨日未明に見つかった身元不明の遺体のDNAを身分証明情報管理局アイデンティティジェネターの遺伝子情報と照合した結果、身元が判明し遺族にその旨が伝えられたことを報じていた。
「お茶を切らしていまして、非常食とお白湯さゆしか用意できませんが」
 そう言って、ハラキリが部屋の隅にある簡易キッチンから戻ってくる。彼の持つ盆には、スプーンと赤・白・緑・黄のフレークが盛られたアルミプレートとコップが二組乗っている。
「ちょっと考えてみたんだけど」
「ええ」
 折り畳み式のテーブルに盆を置き、ニトロの向かいにハラキリが座る。
「お前役に立ってない」
「ぐはっ!」
 ニトロの言葉は、ハラキリの肺腑を華麗にえぐった。彼は胸を抑え、苦悶の様子でテーブルに顔を埋める。どうやら、自分でも気づいていたようだ。
「確かに逃げることだけには使えたけど? それ以外は駄目駄目じゃん。結局、サイボーグの自爆で昨日はなんとか助かったけどさ。
 ハラキリ、お前本当に俺を助けてくれるのか?」
「いやまぁ、ここまでの話、拙者の活躍が全くなかったことは認めますが」
 なんとか気を立て直し、ハラキリは上体を起こした。
「大丈夫です。100億払う価値はありますよ。後でそれを証明しましょう」
「まぁ、それならいいけど……さ。え? 後で?」
「分かってるでしょう? 『来る』って」
「……ああ、まぁね」
 ハラキリが差し出した朝食を、スプーンで口に運ぶ。非常食というから不味いものを予想していたが、思ったよりも良い味が口の中に広がった。
「へぇ」
「カクトン星の非常食なんです。ここのは下手な料理よりもいけるんですよ」
「へぇー」
 白湯には砂糖が入っていた。ハラキリの心遣いだろう。普段の様子からは意外だが、彼は細やかな心配りを得ている。
「ところでニトロ殿」
「『殿どの』って。いきなり何だよ」
「いや、依頼人に敬意を払うのはブシの勤めです」
「ブシ? 勤め?」
「母の教えなんですよ。まぁ、別に本気で嫌というならやめますが」
「本気でってわけじゃないけど。というか、敬意を払われていた記憶もないし」
「ではこれまで通り『くん』にしときましょう」
「……」
 ニトロはしかめっ面で眉間の皺を指で叩き、気を取り直した。
「何?」
「契約の件なんですけど。昨夜、ばたばたして詳しく決められなかった部分をここで取り決めたいんです」
「ああ、そういうこと。いいよ」
「まず一つ目。この契約は『あなたのボディガード』でよろしいですね?」
「うん」
「契約期間は?」
「そうだな……俺の命の安全が保証されるまで」
「逃亡の計画、あるいは最終目的はありますか?」
「…………いや、無いな」
「では、拙者への依頼に『あなたの命の安全が保証されるための計画立案』を加えますか?」
「料金上がる?」
「いいえ。100億も頂きますし、サービスでつけますよ」
「なら、頼む。ただ刑務所の中で安全……みたいなのはやめてね?」
「了解しました。ですが、他星たこくに移ることは覚悟してください」
「…………」
「殺されるよりはマシかと」
「……分かってる。ちゃんと、覚悟、しておくよ」
「お願いします。
 それでは、拙者への依頼は、『あなたのボディガード』及び『あなたの命の安全が保証されるための計画立案』。契約期間は『あなたの安全が確保された、その瞬間まで』で、よろしいですか?」
「おう」
「そういえば、お話いただいた時メルトン君を消したいとか言ってましたけど、それはどうします? サービスしときますけど」
 ニトロは目を伏した。メルトン自身から裏切りを告白された時は逆上して消してやろうと思いもしたが、平静を取り戻した今となってはそこまではしなくてもいいと思う。なんだかんだあっても愛着はある。許すというまで寛容にはなれないが、いざ消すとなれば自分はきっと躊躇うだろう。
 それに何より、他に気を向けながらバカ姫から逃れられるとは到底思えない。
「いや、それはいいや。腹立たしいけど、やっぱり俺のA.I.だから」
「了解致しました。例によって口約束ですが、たがえたらエライ目にあわせますので、ご了承を」
「お、おう」
 契約の確認がされる間、ニトロはすでに食事を終えていた。相変わらず物騒な言葉を投げてくれたハラキリは、まだゆっくりと食事を続けている。白湯を飲み干し、ニトロは椅子をたった。
「トイレはどこ?」
「そこの壁を押すと入れます。狭いから気をつけて」

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