能ある鷹は爪を隠すと言う。しかし、爪を隠したところで、その迫力までは隠し切れないものだ。
<ドントコイ出版「偉人伝2巻:ルゾ財団の黒幕・ポシュメ」より>

 ジジ宅は、仰天する造りだった。
 一辺20m程の敷地のど真ん中に家が建つ以外、綺麗に刈られた芝生しかないという配置も凄いが……。
 なんと、建築素材が木造だった。現在において木造建築物は皆無に等しい。燃えやすい、手入れが必要、他の人工素材に比べて耐久性が圧倒的に悪い(ニトロの家も、ミサイルほどの火力で外壁を破られでもしなければ、火事にはならない素材で造られていた)……デメリットを数え上げればキリが無いが、最大の要因は値段の高さだ。家一件を建てる木材をそろえるだけで、軽く10億リェンはかかるだろう。
 開いた口が塞がらないとはこのことだった。
 自分の手でスライドさせる、紙が貼られた格子扉の玄関。小柄な少女の姿を立体映像ホログラムで現したA.I.が、足首まであるワンピースの裾を広げることもなく粛々しゅくしゅくと先導する姿を見ながら、やたらと急角度の階段をおぼつかない足で上がる。二階で出迎えたのは、見るからに貴重そうな古本が無造作に積まれた板張りの廊下。
 家中がしんとしていて、居るはずのハラキリの存在もここにないように感じられた。
 家族は寝静まっているのだろうとニトロが努めて静かに歩を進めていると、A.I.が半身を振り返し慎ましやかな笑みを浮かべた。
 両親は留守でハラキリ一人だ、と言う。それから壁の一画に埋め込まれている、大きなポスターのようなものの前で止まった。
 戸だった。これも紙製だった。ドアノブは無く、代わりにノブのあるべき位置に指を掛けられる丸い凹みがある。
「まぁ、そのクッションに座ってくつろいで下さい」
 戸をスライドさせて開いた先に、筋肉質の体を藍色の、A.I.と同じ様式の民族衣装に身を包んだハラキリ・ジジはいた。彼は柔和な顔で、突然の夜中の訪問者を快く迎えてくれた。
 彼の促しに、ニトロは茫然としたまま、四角く薄めのクッションに座った。
「何か……すごいね。この家」
「ああ、母の趣味でして。辺境の……太陽系……だったかな? そこの第3惑星地球ちたま日本にちほんとかいう国のものなんですよ」
「へぇ」
 ぽかんと天井を見上げる。
「草が天井に生えてるんだ……」
「タタミというそうです。拙者は、あまり詳しくはないのですが」
「その服は?」
「これはワフクという衣装です」
「へー。じゃあ、さっきのA.I.のも?」
「あれはキモノというらしいです」
「へー」
 腕を組み、椅子に座って笑うハラキリは、短く切られた髪の下で、細い目を柔らかな表情に乗せている。本当にこの少年が『何でも請け負う』のであろうか。
「で? 何用です? こんな夜更けに来るなんて、急用なんでしょう?」
 と、真顔に戻ったハラキリが訪ねてきた。実の所、切り出しにくい話を持ってきたニトロはこれ幸いと喋り出した。
「ハラキリ君に、頼みたいことがあるんだ」
 そう前置きし、今日起こった出来事を話していく。メールのこと、姫との謁見のこと、家のこと、メルトンのこと……話すうちに、興奮か、怒りか、声に熱がこもっていく。ハラキリはそれを、表情を変えずに黙って聞いていた。ニトロはいつの間にか振り上げていた拳を懐に納め、最後に必死さを隠すことなく訴えた。
「だから、助けて欲しいんだ」
「いいですよ」
「え? いいの?」
 交渉困難と思われたプロジェクトは、予想外にあっさりと承諾された。それはもう実につつがなく。その即答に、喜びや驚きよりも拍子抜けてしまったニトロは……ふと閃いて身構えた。
 話がうますぎる。
「そうか、あんたもバカ姫の手下だな?」
「いやまぁ、人間不信になりもするでしょうけど」
 ハラキリは苦笑した。
「安心して下さい。拙者は誓って『バカ姫』と何の関わりも無いですから」
「そんな簡単に、バカ姫と戦うことを請ける人間がいるか?」
 自分で持ってきた依頼を自ら破壊しようという言葉を吐く。ニトロは腰を浮かせてすぐにでも逃げ出せる体勢を作っていた。
 ハラキリが不敵な表情を浮かべた。だがそれは敵に挑むものではなく、自信を誇り見せつけるものであった。
「請けますよ。お代は頂けるんでしょう?」
「え? あー、うん。どれくらい欲しい?」
 軽い調子を崩さないハラキリだが、ニトロは彼が現実的な話を振ってきたことで、ようやく彼に対する信用を心得た。
「そうですね。100億くらい」
「オッケー」
「ええ!?」
 今度はハラキリが驚愕した。100億という数字は冗談であったのだが、しかしニトロはサムアップにウインクまでつけて了解している。それだけあれば一生遊んで暮せる額だ。おいそれと、決して一介の一高校生が払える金額ではないのだが……。
「……まぁ、くれるんなら貰いますけど」
 特に自分に不利益があるわけでもない。ハラキリは細かいことは無視することにした。うなずいて、ニトロに右手を差し出す。
「それじゃあ、契約成立ですね」
「口約束でいいの?」
「契約破ったらエライ目にあってもらいます」
「あ、そう……」
 ハラキリの眼は本気マジであった。ニトロは背筋に、ティディアと出会った時と同じ寒気を感じて息を飲んだ。
「なるほど。どうやら運は俺を見放さないでくれたらしい……」
 つぶやきながら、がっしりとハラキリの手を握る。
「ではこれから君のことを、オヤビンとお呼びします」
「それは嫌だな」
「じゃあ、ご主人様」
「いや、そういうのはどうもくすぐったくて」
「ダンナ?」
「あのだからね?」
「もしや『豚野郎』とかのがお好みで?」
「ニトロと呼べぃ」
 二人は手を離して――笑い合った。
 互いを認め合えるおとこと巡り会えた、なぜかそんな気がしてならない。
「ふむ」
 ふと、考え込むようにうつむいたハラキリがニトロに言った。
「階段降りてすぐ脇にトイレがありますので、用を足してきちゃって下さい」
「え? なんで?」
「ティディア姫は、一日の猶予しかくれなかったんでしょう?」
「そうだけど」
「もう、11時半ですから」
「いや、今日一日って言ってない……」
 ニトロは息を飲んだ。顔が硬直する。
「言ってない、だけか?」
「嘘はついてませんからねぇ」
 ハラキリは窓の外を指差した。
「囲まれていますよ」
「ぇえ!?」
 血相を変えて、ニトロは窓にへばりついた。眼球の血管全て拡張させて、どう見ても閑静でしかない住宅街の風景を凝視する。
「…………いないぞ?」
「簡単に見つかっちゃあ、特殊部隊の意味はないですよ」
「なんであんたは判るのさ」
「? だから頼みに来たんでしょう?」
「……それもそうだ」
 実際のところ、それは何の説明になっていないのだが……まぁ、大事の前の小事である。
「トイレはいいんですか? 逃げてる間はろくに用も足せませんよ」
「あ、そりゃ困る」
 ハラキリの指摘に、ニトロはすたこらとトイレに向かった。

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