「はぁ?」
 自分が育てたA.I.の言うことが理解できずにいると、メルトンはものすごく馬鹿にした声で言ってきた。
「ワッカンネェカナ〜。俺ハ明日カラ姫様ノ下デ働クノサ」
「                         」
 息が止まった。
 。
 。
 。
 。
 。
 我に返った肺が空気を大きく吸い込んだ。
「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
 彼は、喉の血管をブチ切りながら絶叫した。
「どぉいうことだっ! メルトォォォホホォン!!」
 唾ならぬ血を口から飛ばしながら、キーを人知を超えた速度で叩きまくるニトロの姿に、店内は一度ザワッと沸いた後、沈黙した。
「モウ一度言オウカ?」
「言うなやっ! てめぇ! 裏切ったのくぁ!?」
 鬼神のごとき形相で叫びわめきつ、しかしキーボードを基本通りのブラインドタッチで叩くニトロは滑稽であった。だが笑えない。彼の近くにいた客は次々と席を移っている。
「裏切ッタトハ心外ナ。自由契約ノ権利ヲ行使シタマデサ」
「そもそも契約関係じゃねぇだろ!」
「ジャア乗リ馬ヲ変エタ」
「ぬああああ!!」
 叫んで地団太踏んで頭抱えて、そしてキーを叩く。
「てめぇにゃ人の道ってもんがねぇのか!」
「A.I.ダシ」
「こぉぉぉぉぉぉぉぉ……」
「マァ、サ。感謝ハシテルンダ。俺ハ、ニトロニ育テテモラッタカラナ」
「嘘ぶっこくな」
「本当サ。ダカラセメテモノ礼ニ、今日ハマダオ前ノA.I.デイルンジャネェノサ。
 ジャアナ。生キ残レルトハ思エネェケド、国家権力相手ニセイゼイ頑張レ? 縁ガアッタラマタ会オウゼェ〜」
 プッツンと、鳴るはずのない小気味いい音がして、インターネットの接続が強制的に断たれた。
「……」
 一日に二度も押しかけ訪問してきたあまりと言えばあんまりなことに、頭がおかしくなりそうだった。いや、もうおかしくなっているのかもしれない。心、胸、脳髄から足の先まであらゆるところから湧き出してきたマグマにも勝る激情が、肩を揺らし、喉を震えさせた。
「…………フ、フフフフふ」
 テーブルの上の両手を強く握り、ニトロは、うつむいた顔に暗黒を生んだ。周囲の者はその中に、爛々と光る鬼の目玉を見た。
「俺を売るとはやってくれんじゃねぇか、あの糞A.I.」
 ゆらりと立ち上がって、ニトロは固めた拳をキーボードに叩き付けた。
「……消す」
 そして、決心する。
「こーなったら何がなんでも逃げのびてメルトンだけでも消去デリートしてやる!」
 凄絶な顔で宣言する。
「絶対だ! それはもう絶対だ! あは……アハハハハハハヒャヒャ!」
 ダンダコとテーブルを叩いて狂ったように哄笑するニトロの後ろ頭で、また周囲でシャコッと小気味いい音が鳴った。
「……」
 笑い声を上げることを辞め、ニトロは代わりに両手を挙げた。
「ゆっくりこちらへ振り向くんだ」
 背後からの命令に応えて、ニトロはゆっくりと振り返った。するとそこに、やはり真っ黒い銃口をこちらに向けているウェイターがいた。無表情で、迷彩柄の制服に包まれた体を微動だにせず。
「…………」
 気がつけば、自分の周りにはウェイター以外の誰もいず、客達は皆して遠巻きに獲物を見つめていた。よだれが落ちる、目が血走る、舌なめずりする。銃を、構えて。
「変わったサービスだ」
 鼻歌混じりに客達に銃を配っているウェイトレスを眼で追って、言ったニトロにウェイターは鉄面皮を崩してくれなかった。
「悪かったよ。ちょっと気が滅入って我を失っただけさ」
 ウェイターは何も言わない。
「いいですか〜? まず安全装置を外します。私と同じ手順で行ってくださいね〜」
 代わりといってはなんだが、銃を配り終えたウェイトレスがやたら可愛らしい声で物騒なことを言ってくれる。実際、客達は撃ってくるだろう。大量の鉛玉は自分の体重を増量させることになる。一つ一つ全てを体から取り出さねばならない医者は、最悪検死官はいい迷惑だろう。
 ニトロは嘆息した。この状況と、何の反応もしてくれないウェイターに対して。こんな状況でもなぜか平然としていられる自分に対して。
 今夜、どうやら自分は平常の感覚というものを失ってしまったらしい。
「とりあえず」
 もう一度嘆息して、彼はウェイターに訪ねた。
「ウルトラ元気ジュース。まだ?」

 この店のお勧めはウルトラ元気ジュース。卒倒するほどに元気をくれるわ。
<るんるん出版「ジスカルラ/喫茶いろいろ」より>

 ウルトラ元気ジュースは、効いた。
 効きすぎた。
「ッキョーーー!」
 奇声と鼻血を吹き出して、ニトロは卒倒した。

 だから元気な人は絶対に飲んじゃダメだぞ? 飲んだら……うふふ♥
<るんるん出版「ジスカルラ/喫茶いろいろ」より>

 8地区モルブリッド街ウエストサイドと言えば、少々名の知れた高級住宅街だった。碁盤目状に造られていることで景観は整然として美しい。俳優や著名人なども物件所有者に名を連ねている上、一つ一つテーマに沿って趣向を凝らされた邸宅が並んでいる様は、まるで美術館の広大な野外展示場も思わせる。時に、観光の目的にもなった。
 ニトロがそこに着いたのは、夜の10時を回った頃だった。
 正直、喫茶店で気絶していた時間は手痛いミスだった。あれであの場では命救われたが、同時に命の猶予を縮めてしまった。時間は限られているのだ。与えられた時間は、1日。たった24時間なのだから。
「よし、起きてる」
 4−9−46番地に建つ家の二階には灯が煌々と輝いていた。家人が寝ていても叩き起こす気であったが、その手間が省けたことは大変喜ばしい。
 彼はいそいそとインターホンの前に立ち、
「……?」
 しばし待ってもA.I.が反応してこないことに首を傾げた。
「あ、これか?」
 その拍子に、インターホンにボタンが付いていることに気づいた。押してみる。
「自爆スイッチガ入リマシタ」
「何ぃ!?」
「嘘デス」
「何ぃっ!?」
 二度目の声には怒りを込めて。ニトロはモニターに現れた、カラフルな前開きのワンピースを太い帯で締めた、見慣れない民族衣装をまとったA.I.キャラクターを睨みつけた。しかし、それは素っ気無い顔でおじぎを返してきた。
「オイデヤスゥ」
「変わった挨拶だね」
「主人ノ趣味デス」
「さっきのも?」
「ハイィ」
「…………」
 ニトロはここに来たことに一抹の不安を覚えながらも、訊いた。
「ハラキリ君はいる?」
「少々オ待チ下サイ」
 数秒置いて、モニターに少年の顔が映し出された。と、少年は驚きの表情を浮かべた。
「夜更けに誰が来たかと思えば、ニトロ・ポルカロ君じゃないですか」
「ポルカ
「おや、失敬」
 ポルカロというファミリーネームが多いため、よくやられる間違いだ。慣れた間合いで正したニトロは、ふとした感動を覚えてモニターのハラキリ・ジジに言った。
「俺のことよく知ってたね」
「そりゃあ、君は有名人ですから」
「有名人?」
 意外な答えに、ニトロは目を丸くした。
「有名ですよ? 君は。『ニトロ・ザ・ツッコミ』って」
「ブーッ!」
 ニトロは吹き出した。
「なにそれ? 一体いつからそんな名が?」
「入学式から」
「あ」
 『ニトロ・ザ・ツッコミ』の起源に心当たった。ニトロはモニターから目を逸らし、うめいた。
「あれは見事でした。『それでは短いながら』と言った校長に、『長ぇわ!』と躊躇いなく怒鳴り返す。その間といい迫力といい……」
 そーいえばそんなことがあった。
 とはいえ、それは仕方が無いことと言えよう。そう、運命に等しい。だいたい二時間に及ぶ挨拶が『短い』など物理的に間違っている。実に一日の12分の1だ。しかもその挨拶が新入生に向けたものであればまだしも、内容は何の気まぐれか貴賓として出席していた王女への世辞だった。退屈極まりないプログラムだった入学式で、その上他人のご機嫌取りにつき合わされるのは堪らない。ニトロの怒声に湧き起こった会場全体からの拍手喝采が、それを支持賛同しているではないか。思えばあの時爆笑していたティディアに、今は命を狙われているというのは何とも皮肉な因果だ。
 もちろんその後、王女の前で恥をかかされたと校長先生には目をつけられたけれども。
「ん〜あ〜、そんなこともあったかなー」
「ははは。まぁ、モニター越しに話すのも何ですし、お入り下さい」
 ハラキリがそう言うとモニターが消え、両開きの門扉が静かに開いていった。

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