3.助太刀必要

 もしかすると、これはティディア姫のいたずらかもしれない。ほら、俗に言う『ドッキリ』かも。
 ……というニトロの淡い期待は、その炎に焼き尽くされていた。
「あー、コリャダメダ」
 ホテル・ベラドンナから放り出された後。
 なんとか根性入れて立ち直ったニトロは、帰宅する途中で火災現場に出くわし、その足を止めて野次馬と一緒にそれを見物していた。
「全焼だね、完全に」
 周囲は、大火の唸りが巻き起こす風の唸りに支配されていた。轟々と、轟々と。そこに混ざろうとするのは、消防用ロボット達と、上空を飛ぶ消防飛行車ファイア・エンジンの放水音。そして野次馬のざわめき。不協和この上ない合唱を、ニトロは不思議と心地良く感じていた。
 悟りの境地と言うのだろうか、この心境は。携帯電話から鳴り響く『御自宅エマージェンシーコール』も軽やかな美声のようだ。
 ニトロは自分の言葉に、隣で白い目を向けている初老の男性に訊ねた。少し離れた家に住む男性だった。ニトロは見覚えがあったが、男性は彼を覚えていないようだった。
「爆発? これの原因」
「……ああ、さっきな」
「やっぱりねぇ」
 満足気にうなずく少年の態度に、男性は軽蔑の眼差しを向けた。彼は、近頃の若い者はと、注意の一つでもしてやろうかと口を開いた。だが、言葉を発する前に少年の『気配』に感づいて、ぎょっとした。少年は、絶望に冒された目をしている。明らかに関わり合いにならない方がいい目だ。
「本気なんだなあ」
 男性がそっと去っていくことは気にもとめず、ニトロは真っ赤に燃える自宅を見つめ続けた。完全に諦めがついた。そして、
「よぉく目が醒めたよ」
 あり得ない希望に望みをかけることは、死を意味するということに。
 ニトロは踵を返した。即座にスタートを切って、邪魔な野次馬をかき分けかき分け全速力でこの場から逃げ出す。
 早くこの場を離れねばならない。まだこの辺りに、我家を火に包んだ『追っ手』がいるかもしれない!
「ド畜生!」
 思い切り、毒づく。
「国家権力相手にどう逃げろってんだ!」
 野次馬の群れから脱し、住み慣れた住宅街を駆け抜けながらニトロは体中の細胞を総動員して考えた。
 これからの敵として考えられるもの。
 @警察A軍隊B何か特殊な部隊C殺し屋D……
 どれにも勝てねぇ。
「……助っ人が必要だ」
 ニトロは即座に結論に達した。
 だが……しかし、あのバカ姫に狙われているような者を、好き好んで助けてくれる愚か者がいるだろうか。
「…………いや」
 心当たりがニトロにはあった。奇跡的に、そういう奴が、いた。
「おおっしゃ!」
 是非もなく、彼は決心した。

 人は古きより多くを学ぶ。古きを顧みない者は、つまり学ぶことができない者なのだ。
 そう、私のように。
<前教育大臣アレポス「辞任会見」より>

 木を隠すなら森の中。それは古人の素晴らしい知恵だと、ニトロはジスカルラ一の繁華街の喫茶店にいた。
 夜も深まってきたが喫茶店の窓の外には人波が絶え間なく、店内にも夜遊びをする学生から疲れた顔のサラリーマンまで、人間観察をしているだけでも一夜の暇を潰せるだけの面容が並んでいる。胸中には追っ手が来るかもしれないという恐怖があるが、自分より後に店の扉を開けて入ってくるものは未だなく、今この中にあってそれはいくらかごまかせている。
 ニトロはウェイトレスが運んできた紅茶を飲みながら、ポケットから携帯電話を取り出した。スライド型の、ホンを耳につけるとマイクが口に向くいわゆる電話型のものだ。埋め込み型や、腕時計をはじめネックレスやピアスなどの装身具タイプものが主流の中で、彼は電話然とした形のものが一番「電話している」感があるからと好んだ。その入力端子に、テーブルに内蔵されているコンピューターのケーブルを引き出し接続する。
 貸し出しのイヤホンを付け、テーブルの表面に現れたタッチパネル式のキーボードを叩く。音声入力の方が楽なのだが、声に出すにははばかられる会話をするため、手入力を選んだ。
「こちらは、A.I.緊急避難センターです。あなた様の遺伝子情報を除く身分証明情報アイデンティティのうちいずれかを、次にA.I.様のお名前、認証番号、及びパスワードを御入力下さい」
 イヤホンから聞こえるしっとりとした女性の声は、人工音声と分かっていながらも気を落ち着かせてくれる。彼は携帯電話に記録している個人情報のロックを外して保険番号を、次にメルトンの基礎情報のロックを外して送信した。
「確認されました。接続致します」
「イヤー、ビックリシタゼ」
 聞きなれた声、その第一声にニトロは苦笑した。キーを叩いて言葉を送る。
〔無事なようだな〕
「無事無事。先ニ犯行予告アッタカラ」
 ニトロは飲みかけていた紅茶を吹き出した。
〔犯行予告!?〕
 驚くばかりの問い返しに、メルトンはからかうような調子で答えてきた。
「愛シノ姫様カラナ」
〔……なんで?〕
「伝言ツイデダロ?」
〔伝言?〕
 目を瞬くニトロ。あの女、一体何を考えているのか。
「一日グライハ、準備期間ッテコトデ見逃ストサ」
「見逃すってわりには、派手なことしてくれてんな……」
 つぶやく。
 家を焼かれた怒りは、どういうわけかニトロには無かった。あるのは、恐ろしいことだが慣れにも似た呆れの心。それはただ、理不尽に命がデンジャーな現状以上に怒れることがないというだけなのかもしれないが……。
 ニトロは自嘲気味に鼻を鳴らすと、指を鳴らしてウェイターを呼んだ。
「このウルトラ元気ジュースとかいうの一つ!」
「イエッサー!」
 踵を合わせて敬礼するウェイターにチップを投げる。ニトロがこの店を選んだ理由は、店員全員が武装しているというセキュリティーが売りだからだった。
〔で、調べて欲しいことがあるんだ〕
「仕方ネェナァ」
〔(怒)……ハラキリ・ジジの住所を、学校の名簿から検索してくれ〕
「8地区モルブリッド街ウエストサイド4−9−46」
(8地区モルブリッド……ここから近いな)
 脳裏の地図にここから目的地までの最短のルートを書き込む。幸いにも4946よくしむと憶えやすくてとても不吉な番地だから、携帯電話のメモリーに書き込む必要もないだろう。
「携帯ニ書キ込モウカ?」
 しかし、他からそう問われると人は『念のため』という言葉に心引かれる。
〔あ〜、うん。よろしく〕
「オッケー」
 携帯電話のディスプレイに、メルトンが送ってきた情報が表示される。それをただ眺めながらニトロが気も無く紅茶をすすっていると、メルトンが言った。
「コノ男ニ助ッ人頼ムノカ? 同ジ学生ダロ? 役ニ立ツワケネージャン」
〔いいんだよ。こちとら蟻の力だって借りたいくらいなんだから〕
「フゥン。コイツモ気ノ毒ニナ」
〔気の毒?〕
 顔をしかめる。
〔何が?〕
「ソウダロ? ソノ野郎ハ、コノ件ニ全ク関係ナイノニ、オ前ハ巻キ込ムンダロ?」
 鋭い、研ぎ澄まされた刃のような言葉であった。自分のことに手一杯で、周りのことに考えが届いていなかったことに気づかされ、ニトロは唇を噛んだ。
 …………苦い。
 そもそも、ニトロはハラキリ・ジジという学友と親しいわけではない。クラスも違う。3000人超の高校で、同じ建物で、同じ時間に授業カリキュラムをこなしているだけである。
 さらに本音を言えば、彼が役に立つとまで期待はしていない。ただ自ら危険を呼びこもうとしている人物だ、何かしら役に立つ情報やツテを持っているかもしれない。それくらいの気持ちだった。それくらいの気持ちで、学友をこんな非常識なことに引きこもうとしている自分は、なんと浅ましいのだろう。
「姫様ハ、コノコト知ッテル奴、全員消ス気ダゼ」
 なんと愚かなことを、しようとしていたのだろう。
 いくら学校のホームページのBBSで彼が『殺し屋に狙われる、危ない宗教団体の勧誘に困っている等々の厄介事解決を請け負いますので、そんな時には是非ご一報を』って言ってたからって……言って……そう、言ってた。そう言っていた。
〔万事O.K。問題ない〕
「ウワ、最低ナ奴」
〔何を言う。本人やる気あるんだから、これは正当な依頼になるんだ〕
「論法ソフトニ引ッ掛カッテル」
〔本人やる気あるんだから、依頼して悪いことあるかっ〕
 多少胸腺をひきつらせながら訂正して、ニトロはふと気づいた。
〔バカ姫、このこと知ってる奴全員消すって言ってた?〕
「オウ」
 心臓を撫でるような寒気がニトロを襲った。
〔逃げろメルトン。どこでもいいから逃げろ!〕
「ナンデ?」
〔何でってお前まで消すつもりだぞ! あの女!〕
 両親亡き今、ニトロに身寄りはない。もう両祖父母は他界している。遠縁の親戚はいるが、会ったことはない。それでも彼が寂しさに……この星のどこよりも孤独を感じさせると言われる王都ジスカルラで元気にやれているのは、
「小憎らしいけどな、お前にまで死なれんのは嫌なんだよ!」
 ニトロはキーを叩きながら、我知らず叫んでいた。その声の大きさに驚いた店中の人間が彼に注目するが、彼にとって、それらは取るに足らない。それよりもメルトンが気にかかる。
「だから、逃げろ」
「アア、ソレコソ、ノープロブレムッスヨ。ハハハハ」
「は?」
「俺ネ、明日カラ王城ノ案内ナビゲートシステムノA.I.ヤルコトニナッタノダ」

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