W-2a へ

2b

「…………本題、って……?」
 ルシュが、小さな声で問うてくる。カザラは片眉を少し跳ね上げ、
「今までのは『はじめに』って所だ。俺達とグゼ、ホロビとの関係は、全てこの上に成り立っているから先に話したんだよ」
 くと、彼女は合点した。そして失笑する。
「どうした?」
「なんだか、カザラが先生みたいに感じちゃって」
 カザラは、ぽかんと目を点にして、ルシュを凝視した。
「何、素っ頓狂な事言ってんだよ」
 気の抜けた声。それと彼の表情が相俟あいまって、ルシュは吹き出した。
「なんだよ」
 いきなり笑われて、カザラがむっとする。
「カザラもそんな顔するんだ」
 ルシュは白い歯を見せる口を手で覆いながら、しかしその目尻は遠慮なく垂れ下げていた。
「かわいいところあるじゃない。もっと、そうしてなよ」
「バカぬかせ」
 カザラが即答すると、二人がそろって笑い出した。
 大声で、腹を抱えて笑っているわけではないが、笑う者を見る者もなごませる、いい笑顔が二つ並んでいる。
「…………」
 その光景を、カザラは少しの驚きをもって見つめていた。ノマが今、こんな風に笑えるとは思っていなかった。ルシュにつられているのだろうが……。
(なるほどな)
 どうして彼女がそうあれたのか。理解すると共に、カザラは自分の心にも赤みが差すのを感じていた。
(全く、不思議な娘だ)
 やや不器用さを残したノマの笑顔に比べて、ルシュは屈託なく笑っている。こんな話の途中、しかも先ほど人殺しを告白し、それを罰する目で見ていた人間を相手に、彼女は無邪気な面を隠そうともしていなかった。
 だが、それが嫌味ではない。心地良かった。
 カザラはまだグラスに残っていた果実酒を飲み干し、いい気分で二人が落ち着くのを待った。至極、近い将来にこの温かい空間を破壊する自分の言葉に、引け目も感じながら。
 ノマは、カザラがどこか浮かない顔をしているのをふと見止めて、気がついた。
 ルシュにつられて笑ってしまっていたが、話している事は、笑って話せるようなものではない。しかし、現在いまここにるのは、和んだ空気。それを壊すのは彼も忍びないのだろう。
 だが、ここに来て彼にそのような気苦労をかけるのは、ノマの本意ではなかった。
「カザラ」
「ん?」
 視線を移した先のノマは、その面から笑顔を消していた。
「聞きたいことがあるんだ」
 場の空気に硬質のものが混じった。ルシュも笑顔を消し、カザラへと向きを正す。
「…………で?」
 カザラはしばし間を置いてから、先を促した。
「グゼとホロビの降臨は、定められた時を経て何度も起こっていた。そうだよね?」
「ああ」
「ということは、さ」
 そこでノマは、一度口をつぐんだ。心の底から吹き上げてきた感情に喉が焼かれているようだった。
「僕達は初めから宿主となるために役をあてられていたの?」
 その声にわずかな怒りを感じ、カザラは反射的にそれ以上の憎悪を見せた。無意識の内か、ノマの感情を呑み込むように、
「そうだ」
 彼の肯定の一言に、ルシュだけでなく、ノマの皮膚にも痺れるような怖気おぞけが走った。自分達に向けられたものではないと解っていても、恐怖を感じるほどの憎悪。それが、彼の一つ瞳にギラギラと煮えたぎっている。
 その姿に、二人はグゼと対峙する彼の姿を思い出していた。
 彼は一つ大きく息を吸い、それを吐き出しながら、ことを紡いだ。
「ノマも俺も、そのためにさらわれていた」
「――――?」
 その時、ノマはカザラが言ったことを理解できなかった。言葉の意味は簡単に理解できる。だが、それがどういうことなのか、それを明確に想像する部位が麻痺し、考えることすらできなかった。
 向かいに座るルシュが、自分とカザラを見回している。困惑の、あるいはどんな顔をすればいいのか判らない表情を浮かべて、その瞳を落ち着かせることもできずに。
 ノマは、力が入らない顎を必死の思いで動かした。
「攫われていた?」
「ああ。俺達の生まれた所は、じゃない」
 カザラは重々しく出生の真実を告げ、天井にをズラした。
「じゃあ、僕達の両親は」
 カザラは何も答えない。
 ノマの思考が氷解を始め、全てが理解されていく。
――「お前の親は、お前の親じゃない。あいつらは、お前を捨てた」
 唐突に、逃亡を持ちかけられた時の言葉を、思い出す。
 ノマは目の前が真っ白になった気がして、双眸を強く閉じた。両手で顔を覆い、その中でゆっくりと瞼を上げる。指の隙間からの光に浮かぶ掌に、両親につながれた手が重なって見えた。
「僕を殺すために、愛してくれていたんだ……」
幻想をまだ持っていたのか? なら、そう考え直したのはいいことだ」
 厳しい口調のカザラの想いは、解っている。そう思っていた方が、確かに、心の根本にこびりつく『罪の意識』は薄れる。だが、『悲しみ』は薄れるどころか、より一層強みを増していった。
(そうか…………)
 両親のことを気にかける自分を、必死に説得するカザラを思い出す。
 色々なことを、彼は言っていた。捨てられたからといって、それでも両親を信じていた息子の心が、できる限り、『両親を捨てて逃げても』そのことで自らを傷つけないようにするために。
 ……その時、カザラは一体どんな気持ちだったのだろう。
 自分が攫われてきた子だと、ノマは知らなかった。しかし彼は知っていた。一体どんな気持ちで、同じ身の上の者を励まし、説得していたのだろうか。
「でも」
 ふいに、ノマは解せない問いを浮かべた。
「なぜ、カザラも?」
 カザラはノマを見つめ返した。
「グゼの宿主は、祝福されていたじゃないか。それなのに、そのために子供がなぜ攫われてくるんだよ。だって、それなら仕官達がこぞって自分の子供を…」
 一抹いちまつの希望を持ったかのように、しだいに早口にまくしたててくるノマに、カザラはうなずきを見せた。うなずいたまま視線を落して、言う。
「何故、ずっと『救世主と悪魔の戦い』に決着が着かなかったと思う?
 祭事は必ずグゼの勝利に終わるというのに」
「…………」
 ノマとルシュは、息を呑んだ。確かに、注意してみると、そこが巨大な矛盾であることに気づく。本当ならそこで終わっているはずなのだ。お伽話も、何もかもが。
 カザラは空になったグラスに反射する灯りを見つめながら、続けた。
「『末裔』の存在理由は、『グゼ様』がいなければ、全く意味を成さなくなる。狂信してるって言ったろ? それは、目的を歪めていやがったってことでもあるんだ」
「歪めて?」
「グゼ本来の意味は、ホロビを消滅させることにある。奴等の目的は、自分達がグゼを信じ、仕え、守り続けることだ。『古からの末裔』であることを誇りにな。
 ……となれば、仕官共の最大の恐怖は、実際のところ、グゼの目的が達せられることだった。歪んでんだよ。もはや、信仰対象よりも、信じ続けることが重要としていやがった」
 ノマは体中を強張らせ、ルシュは呆然と、ただカザラの話を聞き続けた。
「だから邪魔するのさ。最後の最後で」
 カザラは、忌々しげに嘲笑を浮かべていた。
「秘密部隊の任務は二つだった。一つはグゼを助けること。もう一つは、グゼが勝利を収めた時、ホロビを消滅させる前に、グゼを殺すことだ。
 そうすることで、再び転生させて、次の祭事を心待ちに営んでいくことができる。そのために、『グゼ様』の首を落せってな。
 グゼ、ホロビと共に殺されると決まっている宿主に、仕官共が貴重な子孫を差し出すわけがないだろう? 他の『祭事』に子供を使っても、その時ばかりは殺された所で何の問題もない、どっかの赤子を攫ってくるって寸法さ」
 投げ遣りな表情で、しかし険悪な声で、カザラは一つの区切りをつけた。いつの間にか持ち上げ、握り締めていたグラスを置く。気がつけば、海の底のように重苦しい沈黙が、すぐ傍らに鎮座していた。
 ノマは、今に知る事実の数々に、唇を硬く引き結んでいた。驚愕・怒り・悲しみ、そういったものが胸に渦を巻いている。そのどれもが突出することはなく、それらはまとまりのない混濁とした思念となって、彼の中に全ての言葉を埋没させていた。
 ルシュは自ら望んで入り込んだ彼等の過去に、ただ押し黙っていた。聞いたことも、考えたことすらないおぞましい世界に、深い当惑だけが波立っている。少しだけ、この場から逃げ出したい気持ちも現れていた。
 カザラは沈黙――するしかないのであろう二人の様子に、無理もないと心中にこぼしていた。
 これらのことを一つずつ知る度に、肺腑を腐らせる邪悪な念に腹底を嬲られ、何度も何度も嘔吐を繰り返してきた。過去のこととはいえ、そのほぼ全てを一過いっかに聞き続けてきたのだ。精神は相当に参っているだろう。
 と、カザラは、余りに一気に過去を吐き出してしまった失態に今さらながら気づき、ノマの様子をうかがった。
 幸いか、ノマの強靭さ故か、彼の顔にあるのを恐れた不安恐怖はない。
(ノマにとっちゃ、ホロビよりもこっちの方がきついのかもな……)
 安堵の吐息を胸に吐いてから、彼は沈黙を破った。
「バカみてぇだろ?」
 嘲りを口にし、カザラは背もたれに体重を預けた。
「古からの末裔っていう限られた人間のために、どれだけ過ぎたかも分からない村の歴史の中で膨大な数の人間が、汚い芝居のために命を落してきたんだ。
 俺は、それが許せなかった。村そのものも、末裔共も、グゼもホロビも、関係のない人間を飲み込んできた運命も。犠牲になった人達は一体何のために生まれ、死んだっていうんだ。俺も、ノマも、本当なら普通の生活を送っていたはずなのに。
 …………まぁ、それでも、ノマとユリネに会わせてくれたことだけは感謝しているけどな」
 ノマは、複雑な嬉笑を浮かべ返した。
「だからさ、ノマ。これがもう一つの理由だよ。俺はお前達に幸せになって欲しかったから助けた。それは心の底から、嘘じゃない。
 だがそれに加え、復讐もしたんだよ。全てに」
 ルシュは、カザラを困惑の目で見つめていた。ついさっき、彼がユリネの名を口にした時、置き去りのままだった重大な問題に気づいたのだ。
「ねえ」
 カザラが口を閉じるや、彼女はすかさず問うた。
「なんでユリネさんがグゼになっているの?」
 カザラがゆっくりと視線を移してくる。その一つ開く眼が細まり、
「あ。それはね、ルーちゃん」
 と、彼が何かを言おうとした隙間に、ノマが慌てて口を挟んだ。ルシュへと身を乗り出し、次の言葉を言おうと――
「いいんだ、ノマ」
 間、髪入れず、カザラがその口を遮った。
「ごまかさなくていい」
 ノマはそれでも言おうとしていた言葉を、カザラの労るような視線に圧されて喉の奥で噛み潰した。脱力したように椅子に座り直す。
「カザラ……」
「嘘はこっちの専売だ。礼は言うよ……だが横取りは反則だ」
 ノマは眉をひそめ、目尻を下げて嘆息した。カザラは、微笑んでいる。
「カザラ。君は馬鹿だよ」
「ああ。親方くそじじいにもよく言われる」
 なぜか得意気な笑みを浮かべたカザラは、次の一瞬、その表情から完全に感情を消した。
(?)
 ルシュの双眸は、その刹那を見逃さなかった。会話の最中に、ほんのわずかな時であるとはいえ、あれほどの無表情を見せるとは、何かカザラの心を大きなモノがかすめたのだろう。そして、こちらに顔を向け直した彼の顔には、明らかな表情が刻まれている。
 そのおもては、ルシュはもう幾度目かに見るものであった。
 奇妙な形に歪む笑顔。何を示しているのか、様々な感情が一様に化した複雑な表情で、カザラは小さく口を動かし、しかしはっきりとした声で言った。
「ルーちゃん。俺はユリネに、グゼを押しつけたんだよ」
「…………」
 カザラの言葉は、今まで彼の口から発せられた意味の中で、何よりも信じられないものであった。
「カザラ、それは君のせいじゃないじゃないか!」
 今度こそ我慢できず、ノマが怒声を上げる。
「ノマさん、どういうことなの?」
 が、それをルシュの静かな声が覆い潰した。
 ノマはまばたきすらせず、ただこちらを見つめてくる彼女に、即座に答えることができなかった。彼女の瞳孔に、今まで見たこともない力を感じたのだ。下手に答えれば、少女は憤怒を躊躇うことなく彼にぶつけるだろう。
「もう十六年前になるのか」
 と、ため息をつきながらのカザラの声に、ルシュは勢いよく振り返った。
「お伽話にあったろう? 美しい輝きの宝玉と、血のように赤い宝玉」
 ルシュはうなずいた。
お祭りの時に、ノマは赤い宝玉をもらい、俺は輝く宝玉をもらった。
 そして俺はその、見たこともないほど美しい宝玉を、幼なじみの女の子に贈ったんだ」
 カザラの顔は、また、あの奇妙な笑みを浮かべている。腕を組み、どこも見ていない瞳をこちらに向けて、
「それが、宿主に『魂』を誘導する証だったのにな」
 ルシュは、全身の血液が凍りつく感覚に心臓を軋ませた。ノマを見る。彼は沈痛な面持ちで目を伏せていた。ルシュの中で、何かが音を立てて崩れ、同時に音を立てて結合した。
「そして、ユリネをグゼにしちまった」
 カザラのその黒い瞳に揺らぎはなく、焦点はいつの間にかルシュに戻っていた。
「その後は、御想像にお任せするよ」
「あ…………」
 何かを言葉にしようと口を開くが、ルシュの喉を越えるのはうめきでしかなかった。胸に溢れる想いをどうにかしようと、何度も唇を動かすが、その試みは全て、彼等の抱える想いに吸いこまれるように消えていってしまう。
 ルシュには、また、うなずくことしかできなかった。
 カザラは少しの微笑みを見せ、目を伏せているノマへ目を転じた。そして果実酒の瓶を手に取り、
「疲れたろう?」
 ノマは、労りの声に目を上げた。
「…………」
 カザラが差し出している瓶の口を見、そして彼の持ち上がった口端を見る。ノマは目尻を下げ、空になって久しいグラスを手に取った。
「そうだね」
「まぁ、一杯やって、今日はゆっくり眠ろうや」
 トクトクと心持ち良い音を奏で、グラスの半分にまで注がれいく果実酒を、ルシュは上目遣いに見つめていた。
 ノマがカザラから瓶を受け取り、注ぎ返す。二人の表情は、旧知の間柄にある穏やかな、友情に満ちたものだ。
 だが、ルシュには二人が作る気持ちの良い光景が、とてつもなく悲しいものに見えていた。
「……どうした」
 と、膝に拳を当てて肩を小さくまとめている少女の様子に気づき、カザラが訝しく言った。
「お前も呑みたいのか?」
 それに、ルシュは即座に言い返した。
「がぶのみしたいけど、遠慮するわ」
 食前に自分が呑めないことを訊いていたでしょ? 本当はそう言いたいのだろうが、別の台詞を言いながらもそれを態度で現してくる少女の器用な愛嬌に、カザラとノマは思わず笑っていた。

W-2a へ   W-3aへ

目次へ