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「ごちそうさま」
最後に食事を終えたノマを待って、三人そろって挨拶をする。ユリネのいないライベル家の食卓は、その時も違和と不足に彩られていた。
ノマの隣、そこにはカザラがいる。その光景も、ノマの前に座るルシュには見慣れぬ、奇妙なものだ。いつもそこにあった、ノマとユリネが並ぶ姿がやけに懐かしく感じられるのが、不思議で、そして嫌だった。
ルシュは沈黙したまま空いた皿を重ねていき、ふと、ノマが両肘をついて手を組み、目を伏せていることに気がついた。
「どうした?」
カザラも気づいて、訊ねる。
「カザラ、ルーちゃんに全部話そう」
ノマの提言に、驚いたのはルシュであった。予想していなかった展開に戸惑いながらも期待に目が輝く。その逆に、カザラは元より理解していたようにため息をついていた。
「やっぱり聞こえてたか」
「うん。カザラ……だめかな」
「お前の好きなようにすればいい」
「……ありがとう」
「礼を言うようなことじゃないだろ」
嘆息し、カザラは姿勢を正して待っているルシュに目を向けた。
「良かったな」
ルシュが視線を移してくる。彼は腕を組み、
「だが言っておくぞ。この話は、聞いて気持ちのいいものじゃない」
「そう」
彼女は、それだけを返してきた。
ノマは瞼を落とし、カザラは背もたれに寄り掛かった。
「えっと……どこから話せばいいかな」
「…………」
カザラは言葉を選んでいるノマを眺めた。
彼が知っている事は、自分に比べて随分と少ない。それはそれで構わないのだが……少ない情報では、ルシュのノマ達に対する見方に嫌悪を差してしまう恐れがあった。
(端的に言っちまえば、結ばれるために邪魔な人間を焼き討ちにした、ってことになっちまうからな……)
燃え盛る村を眼下に、ノマが口にした問い。
――「…………本当に、よかったのかな」
その表情には、罪悪があった。優しすぎる彼は、自分がどんな仕打ちを受けようと、
(下手すりゃ、許している)
内心嘆息を漏らすカザラの横で、ノマはルシュに訊ねていた。
「ルーちゃんが聞きたいことを言ってくれないかな。僕はそれに答えるから」
「ノマ」
早速口を開こうとしたルシュに先んじて、カザラは彼の名を呼ぶことで二人を制した。
「何?」
訝しげに聞くノマと共に、ルシュも怪訝な眼差しをこちらに向けている。カザラは立ち上がり、椅子を持ち、向かい合うノマとルシュの側面、二人に向けて話し易い場所に移った。
「俺が話すよ」
言いながらどっかと腰かけ、ルシュが持ってきた果実酒で唇を湿らせる。
「ノマにも聞いておいて欲しいからな」
「え?」
眉をひそめるノマに、カザラは言った。
「いつか聞いたろ? お前も。……『何でそこまで憎んでいるのか』って」
「…………うん」
ルシュは、口を挟まずにいた。
「その時俺は、ノマとユリネの幸せをぶち壊すからだって答えた」
「うん」
「まぁ、それも嘘じゃないんだが、理由は他にもあった。気づいてたろ?」
「…………」
ノマは応えない。カザラは微笑み、
「どうもお前とユリネは、俺がこうなったことに、過剰に責任を感じているようだから……それを取り除くいい機会だ」
ノマは神妙な面持ちでこちらを見つめている。
カザラはルシュに視線を移した。
「ルシュは、宗派を持ってるか?」
「え?」
唐突な問いに一瞬惑い、そして答えた。
「宗派って言われると困るけど……皆と同じ。神様は信じてる」
「俺達の村は、『グゼ様』を信仰していた」
その言葉に、ルシュはカザラが本題に入っていることに気づき、身を構えた。
「村は深い森に囲まれた山間にあった。外界につながる道を持たず、山の奥の奥で閉ざされた生活をしていた」
言って、口元を歪める。
「もっとも、外に世界があることを知る奴は、
「? ……どういうこと?」
「信じてたのさ。人の全ては、ここにいると」
「……本気?」
「本当だよ」
あからさまに疑わし気なルシュに、ノマが言う。するとルシュの表情から疑が消え、カザラはそれに微苦笑を漏らした。
「おいおい。信じろよ、俺を」
「だって駆け落ちの話も、名前も、嘘ついてばっかりじゃない」
「この
「…………そうね」
カザラは果実酒を一口飲んだ。
「まぁ、ルシュがそう思うのも無理はないけどな。俺達は本気で自分達の村が人の世の全てだと思っていた。外は魔の世界。人間を殺す瘴気が満ち、恐ろしい魔物が徘徊し、人の身ではけして生きること適わぬ魔界。絶対に足を踏み入れてはならない、と」
「でも、どうしたらそうなるの? だって、その村も初めからそこにあったわけじゃないでしょう?」
「いい質問だな。そう。村を作った人間は、どこからかそこにやって来たわけだ。ってことは、他にも人間がいるって知ってるはず。もしかしたら、初めは村の誰もがそれを知っていたのかもしれない。だがそれは大した問題じゃない。少なくとも、俺達の村は、色々な仕組みで歪められていたからな」
カザラはそこで間を置いて、話を戻した。
「まぁとにかく、そんな村で信じられている『グゼ様』の聖典は、古い古いお
「お伽話?」
おうむ返しに問うてくるルシュ。それにノマが彼女へと目を移し、
「それは僕が話すよ、カザラ」
「ああ、頼む」
カザラが背もたれに体重をかけ、後ろ頭に両手を組んで眼を閉じる。
ノマは真剣にこちらを見つめているルシュに、語った。
「昔……それこそ何千年も前、世界が一つだった時の事。国を作るまでになった人間の中に、悪魔が生まれた。悪魔は人を
その者は悪魔を殺せる力を持ち、その爪に悪魔の毒を打ち消す聖水を宿していた。救世主と悪魔の戦いは、一時に千里を駆け、山を崩し森を薙ぎ倒すほど凄絶を極め……そしてこの戦いは、相打ちという形でその幕を引いた。
けどね、この時問題が起きたんだ。相打ちだったために、救世主は悪魔を完全に消滅させることができなかった。
悪魔は言った。必ず蘇り、人間を滅ぼす。
救世主は言った。ならばいつまでも貴様を追い、必ず消し去ってみせる。
そして、救世主と悪魔の体は光となって消え、その後に美しい輝きを放つ宝玉と、血のように赤い宝玉を残した」
「……でも、それだけで本当に、信じ切れるものなの? たった一つの村が、人の全てなんて」
「この話をした後、話し手はこう続けるんだ。
しかし、その戦いが遺したものは、宝玉だけじゃなかった。悪魔の毒が、世界をすでに侵していた。だけど、悪魔がいなくなったことに浮かれ、救世主への感謝を忘れた世のほとんどの人間は、それに気づかなかった。
でも、救世主に深く感謝し、厚く弔い続けていた数限られた人間は、救世主の遺した宝玉の報せによってその事を知った。そして宝玉の輝きに導かれるまま聖域に辿り着き、生き残った。
私達は、その末裔なんだって。僕達は、物心つく前からそう教えられてきたんだ」
「『お
正直、困惑していた所に言われて、ルシュはカザラへ顔を向けた。彼はこちらにからかうような相貌を見せている。
「そう……ね。でも、そんな話ならわたし達も知っていてもいいのに…………」
問いかけてくるようなルシュの眼差しに、カザラは軽く肩をすくめた。
「どうして外にこんな話がないのか、そこまでは俺も分からない。
俺が知ってるのは、村にあった記録と、口伝からのものだけだしな。
まぁ、おそろしく昔の事だから忘れ去られただけなのかもしれないし、もしかしたら、形を変えてどっかの神話伝承や、魔法使いだの妖精だのが出てくるこっちのお伽話として伝わっているのかもしれない」
「…………」
「納得できないか?」
「ん……ううん。ただ、まだピンとこないのよ。本当にたった一人で人間全部を皆殺しにできるなんて……」
ルシュの感想に、カザラとノマは一瞬目を合わせた。
無理もないと思う。今この村の中で、そんなことが起きかねないでいるなど、実感することすらできないはずだ。
「……参考になるか分からないが」
カザラの声は、いつになく素直に響いた。
「世の人のためとして動くなら、ノマは俺が殺している」
その偽らざる言葉に、ルシュは背に冷水を流し込まれたように感じた。彼を見つめ、次いでノマを見る。ノマの表情には、何の反応もなかった。親友の言葉に、驚きも怒りもせず、当然と受け止めている。
「………………続けて」
ややあって、彼女は言った。
「理由はそれだけじゃないんでしょ?」
「ああ。いくら子供の頃からお伽話でそう教え込まれていたからって、それだけで村人全員を一生そう信じこませるのは難しい。そこで出てくるのが、『外は魔の世界』ってことだ」
そこで、カザラはルシュに問いかけた。
「さて、どういうことでしょう」
「……じらさないでよ」
「少し考えりゃ分かるさ」
「…………」
ルシュは顎先に拳を当て、一息ほど黙し、
「証明、する?」
「御名答」
いたずらっぽく笑って、カザラは一つ手を打った。
「その通り、証明してみせたんだ。外に足を踏み出せば、たちまち魔物に喰われると」
「…………殺したってこと?」
「そういうことだ。ごくたまにだが、『外』に興味を抱く奴が出たりすんのさ。そういう奴が外を見てみようと『聖域の境界』に近づく度、秘密部隊が見せしめに殺した。それこそ、魔物の仕業のようにな。たまにこちらから村に侵入してきた魔物に扮したりもして、『魔の世界』を演出して見せることもあった。
同時に、外界につながる道を持たないといっても、それは道が無いだけで本当につながっていないわけじゃない。時折、狩人が村に近づくこともある。それも、始末していた。外にも人間がいると知られるのは、最大の禁だからな」
ふと、ルシュはノマの表情が曇っていることに気づいた。彼女の視線の動きに、カザラもノマへ目を向ける。
「そういや……これもノマには言ってなかったか」
「うん」
彼はカザラを、眉根を寄せ悲しげに見つめた。
「カザラも?」
「ああ」
ルシュは、肯定するカザラと、痛ましそうに見つめるノマとを交互に見て、はっと気がついた。
「それって……」
「そうだよ。俺は人殺しってことだ」
ルシュは、絶句した。ただ、何も口にすることができない。およそ犯罪などとは縁遠いこの村に、しかも手を伸ばせば触れられる目の前に、殺人という大罪を犯したと言う者がいる。
それも――――
「信じられねぇだろ? なんでそこまでして村を隠し、村を最後の聖域にしたがるのか」
少女の双眸が当惑と非難と軽蔑、そして恐れに染まったのを受けながらも、カザラは何の言い訳もせずに話を続けた。
「…………」
よほどの衝撃だったのか、うなずくことしかできないルシュに、彼は微笑みながら言った。
「ずっと語り継がれてきたお伽話は、おそらく事実だろう。だが、外は魔の世界ってのは全くの嘘。
そして、ここが重要なんだが、村人が『古からの末裔』ってのは、まぁ全くの嘘じゃない。確かに、
他の村人は、
「え?」
ノマが、くぐもったうめきを上げる。カザラは彼を一目見、一度、眼を閉じた。
瞼の裏に、炎が見える。村の、終わりの姿が。
「村があるべく全ての理由は、グゼ様を狂信する『末裔』共のため。そのために、村は作られ保たれ続けていた」
「それは……どういうこと?」
少し震えたノマの声に、カザラは目を開いた。
「ノマ。俺達の代で、ついに訪れたグゼ様の降臨な」
「うん」
「それは百十年に一度繰り返され続けた、末裔共のための祭事なんだ」
「えっ……で、でも僕達はそんなこと一度も聞いたことが無いよ!?」
「そうだな」
「だって、グゼとホロビの降臨はとんでもない事件じゃないか! なのになんで伝わってないのさ。村には老人もいた。百十年に一度なら、親に聞いて知っているはずだよ!?」
ノマの絶叫にも近い反論に、カザラは手を差し向けた。
「落ち着けとは言わないが……事実、そうだってことは信じてくれ」
「でも……だってさ」
「誰も覚えてないから、伝えようもなかったんだよ」
「え?」
先刻から、次々とカザラが明かす真実は、一度には理解できないことばかりであった。ノマはもう何度目かの疑問符を打ち、そしてそのまま黙り込んで、彼の次の言葉を待った。
カザラはノマが黙したのと、ただ話を聞いているルシュに不理解の色が無いのを見て取って、嘆息と共に切り出した。
「末裔共の存在理由は、グゼを信じグゼに仕えること。そして、百十年ごとの最大の祭事、『救世主と悪魔の戦い』をグゼの勝利に終わらせることだ。そのためにある村で、村人だった。
末裔共は、村を祭事のために――自分達の喜びのためだけの場所として作り上げ、村人は
彼は腹の上で手を組んだ。その瞳は憎悪に染まり、灯火に明るいその部屋で、その一点だけが黒々としている。
「祭事は、つまりはお伽話の再現だ。当然、凄まじいものになる。
グゼはともかく、ホロビは人間であればどんな奴でも憎み殺すからな。だが、それが好都合だった。
村人は、ホロビに殺されることでグゼへの攻撃を散らし、また村の中に留まらせて餌とするために……その上進んでグゼと自分達のために身を投げ出すよう、
ノマの額には汗が滲み、ルシュは頬を固めている。二人共に、言葉もない。
「そして、祭事により不足した村人の穴を埋めるためにまた人が攫われて来て、生き残った村人と共に記憶を変えられ、平穏な村をまた作り上げる。その繰り返しが、ずっと行われてきていたんだよ」
カザラは、奇妙な形に笑っていた。嘲り、憎悪、怒り、色々なものが混じっている、そんな顔で。
ルシュは彼を凝視したまま、ひきつった口元を懸命に動かした。
「記憶を変えるなんて、そんなことできるわけないじゃない」
「人の世には、知らない方がいい薬や
その言葉に、ルシュは言い返すことができなかった。
カザラの瞳に偽りはない。いや、その欠片を見せずに彼は虚言をつくことができるだろうが、それでもこれが真実だということは、肌に染みるように感じられた。
ルシュは言い返すどころか、何を言葉とすればいいのかさえ分からなくなって、ただ唇を引き結んだ。ノマも、半ば呆然と目を伏せている。
そして、しばらくの沈黙が続いた。
宵闇に染まる窓の黒が暗く落ち窪み、空気が重くなったように感じられて、少し、息苦しい。
そんな中、カザラは一人落ち着いた様子で、血の気が悪くなった二人を見ていた。
話はまだ続く。しかし、その前に間を入れた方がいい。
(…………)
時折聞こえてくる夜の生き物の声を耳にしながら、彼はゆっくりと深呼吸を繰り返していた。
やおら、頃合いを見計らって口を開く。
「さぁ、本題に入ろうか」