5−b へ

 ――夢を見た。
 だが、目の覚める直前に全てを忘れてしまった。
 それは良い夢であったと思う。
 そういう感触だけが残っている。
 だから、夢を覚えていないことが何だか悔しい。
「……」
 眼を開いたニトロ・ポルカトは上体を起こし、ぐしぐしと頭を掻いて苦笑した。
 思えば人生の大半を平凡に生きてきて、それを不満に思うこともなく、このまま普通に生きていくのだろうと考えていたのに、気がつけばどういうわけか何度も心身の危機に遭遇し、それでもどうにか18年間生きてこられて、本日とうとう成人という記念すべき日を迎えることと相成ったわけなのだが、そこで起き抜けに浮かんだものは夢を忘れた悔しさと、それに伴う苦笑とは。
 そうと思えばまたニトロの頬には苦笑が浮かんでしまう。
「オハヨウ」
 暗い部屋の片隅から穏やかな声がかけられた。
 そちらへ振り向くと、部屋に有るか無いかの光が灯り、壁際に座す人影が小さくポニーテールを揺らすのがおぼろげに見えた。
 起き抜けの彼の目を刺さぬよう次第に明るさの増していく中、そのアンドロイドの切れ長の双眸は柔らかに細められ、勝気さを伺わせる唇はたおやかに笑みを刻んでいた。
「オハヨウ、主様」
 ニトロは微笑んだ。
「おはよう」
 いつもと変わらぬ挨拶は、いつものように朝の部屋に溶けていく。
 ニトロは両手を振り上げてぐっと背筋を伸ばすと、ベッドから降りた。
 芍薬は衣擦れの音も微かに立ち上がる。その自慢のアンドロイドが纏うのは華やかな花柄のユカタだ。鮮やかな赤いオビをかぶいた蝶々結びにして、そこに新芽を思わせる浅緑のオビ留めが合わせてある。トレードマークのポニーテールには、鳥の冠羽をモチーフにした豪華なカンザシが飾られていた。
 ニトロの見つめる中、芍薬はドレープカーテンをさっと開いた。真っ白なレースカーテンの向こうでは、夜闇の上に奇妙な明るさがぼんやりと広がっていた。
 現在、4時57分。
 そういえば芍薬のモーニングコールの前に目覚めてしまった。ニトロは窓際に寄り、特殊な加工の施されたレースカーテンに指一本分の隙間を作った。街灯やマンションの廊下に並ぶ照明がぼやけながらいつもより広がって見えるのは、とても細かな雨粒のせいだった。
「やっぱり上がってないんだ」
「御意」
「予報通り?」
「御意」
「……」
 日の出にはまだ遠いが、そろそろ薄明の頃合であるというのに空は真っ暗だ。
「本当に止むのかな」
「モウ止ミ始メテルヨ。昼前ニハ晴レ間モ見エルサ」
「ならいいんだけどね」
 そう言いながら振り返ると、キッチンに立ちカッポーギなる調理服をユカタの上に着た芍薬がこちらを見つめていた。
 ニトロは片方の口角を軽く持ち上げ、レースカーテンの隙間をぴったりと閉じ、窓から離れた。
「誕生日に雨が降ってるのはなんか変な感じだよ」
「ダロウネ。ナンタッテ“今日”雨ガ降ルノハ9年ブリダヨ」
「9年? そっか、どうりでいつも晴れてた覚えしか……ああ、でもそうか、確かにあれは雨だったな」
「“アレ”?」
「9年前、父さんも母さんも張り切って仕込んでたんだ。今年はバーベキューでお祝いだーって」
「アア……ソリャア……」
「週間予報でもうヤバイって判ってたのに『大丈夫、ニトロの誕生日はいつも晴れるから』」
「御意。18年間デソノ年ダケダネ」
 食卓兼勉強机のテーブルの椅子を引き、ニトロが座るところに芍薬が白湯の入ったマグカップを持ってくる。視線で礼を言うニトロに、芍薬はポニーテールを揺らしてキッチンへ戻る。
「まあ、大雨だったよ。新調したバーベキューセットは無用の長物、父さんと母さんは二人並んでどしゃぶりの庭を目を点にして眺めてたっけ。招待してた友達たちもどうしたもんかって思ってたんじゃないかな」
「ソレデ結局ドウシタンダイ?」
「急遽でっかいホットプレートをレンタルしてきて室内で。趣も味わいも変わったけど、それでも美味いものがあればどうとでもなるんだなーって思ったよ」
「盛リ上ガッタンダネ」
「思い出になれば楽しいもんだよ」
「テコトハ、ソノ時ハ楽シクナカッタノカイ?」
「楽しかったよ、でもそれより恥ずかしかった。父さんと母さんはああだから子ども受けも良かったんだけど、息子としてはね。それにそろそろ友達を集めて誕生日会ってのも“嫌”になってきてたから……けれど父さんと母さんはそういうことを気にしない、てかむしろ気にするところがない」
「イツマデ開イテタンダイ?」
「その年まで。友達を大勢呼んでってのはね。説得するのに骨が折れたけど、翌年からはその年にお世話になった親しい人がいる場合は招待するって妥協案を飲ませてなんとかなった――んだけど、近所の友達には『ニトロの誕生日会』を妙に楽しみにされちゃっててさ、結局その連中は中学になるまで呼んでたよ」
「今、ソノ人達ハ?」
「一人は私立に行って疎遠になって、一人は転勤で引っ越し、あと詳しい事情は知らないけど急にいなくなったのが一人――その子は、母親と一緒にいなくなる前にうちのホームパーティーに呼ばれて、楽しんでたな。なんで急にパーティーを催したのか、なんでその子を呼んだのかもその時は分からなかったけれど、今思えば思い当たることもある」
「御意」
「記憶に残っているのが笑顔で良かったよ。――あっちにとってはどうだったかは分からないけどね」
 一つ間が空く。
「ソノ子ノコト、チョット好キダッタカイ?」
 ニトロは口の端に歯を覗かせた。けしかけてきたその言葉に、彼は憧憬を抱く男を演じるように、
「『幼馴染との恋』には程遠い、ただの近所の同い年の女の子だったよ。もちろん折に触れて話もするし、登下校は一緒になることも多かったけど、といって積極的に付き合うわけでもない。普通に親しいだけ」
「ウン」
「……でも、そうやって普通に近くにいた人がふっといなくなるのは、寂しかったな」
「元気ニヤッテイルトイイネ」
「そうだと嬉しい」
 芍薬と、芍薬の操る多目的掃除機マルチクリーナーが朝食を運んでくる。スープカップにシラトリ豆のポタージュ、ちょっといいハムとピクルスの相性が抜群のライ麦パンのサンドイッチ、小さな器にヨーグルト――そこにはリンゴジャムとミントが添えられていた。リンゴジャムは父が先日夫婦で小旅行に行ってきた際の土産を加工して送ってきたもので、ミントは母に株分けしてもらったものだ。
「いただきます」
「オアガリ下サイ」
 早速、ニトロはポタージュを口にして頬を緩める。その表情に喜びを得ながら芍薬は言う。
「ソレニシテモ、ゴ両親ハ本当ニパーティーガ好キナンダネ」
 芍薬がニトロの下に来てからもパーティーに参加する機会は何度もあったし、『ニトロ・ポルカト』の実家への取材に殺到する取材陣を呼び込んでバーベキューパーティーを開いたという逸話もある。ニトロはサンドイッチを咀嚼しながら少し考え、
「パーティー好きっていうより、幸せは大勢で分かち合いたい……っていうと善人過ぎるけど、まあ、単に楽しみはより大きく楽しみたいらしい。たまに本気で思うんだけど、うちの親は一歩違えば脳天気者ハッピー・ガイズな遊び人になってた気がするよ」
「本気デ駄目ナタイプノ?」
「本気で駄目なタイプの」
「ソウシタラ主様ハドウイウ感ジニナッテタカナ?」
「どうかな。想像がつかない」
「あたしモ。ト言ウヨリ考エタクナイ」
 ニトロは笑った。そしてその視線がちらと壁掛けのテレビモニターに走ったのを芍薬は見逃さなかった。電源を入れると、昨夜見ていたチャンネルそのままに、ATVアデムメデステレビの早朝のニュース番組が映し出された。ちょうど一つの特集が終わりかけていた。
「――関係者によりますと、近々ミリュウ姫は王都へ呼び戻される可能性もあるとのことです」
 女子アナウンサーが語る傍らに、東大陸のルッドラン地方の山並みが映っていた。透き通る青空に冠雪の美を雄大に描く稜線が流れ、その山肌の一画に、ふいに現れるのは寂れた町。過去は山越えのための宿場として栄え、現在は牧畜と観光で延命しているそこに今、近年にないほど人が溢れている。
 ニュースの内容は聞かずとも知れた。
 五日前から話題となっているそれは、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナと、とある個人報道者インディペンデント・レポーターとの口論に起因する。
『劣り姫の変』の責によりその町で謹慎している第二王位継承者は、ただ謹慎するだけでなく社会奉仕活動も行っていた。今回、その一環で王女が幼稚園に子ども達へ歌を教えにやってきた折、記者はその場に断りもなく入り込んできたのである。
 優しい王女様を待ちきれない子ども達がお出迎えをしようと廊下に出てきた時であった。
 王女の入ってきた入り口とは別口から現れた侵入者。
 いち早く反応したのは王女に連れられてきた警備兵で、“お歌のお時間”に参加させられることになっていた彼女は子ども達の脇をすり抜けるや侵入者の前に立ちはだかり、電撃銃を構えた。子ども達は悲鳴を上げた。先生達が盾になろうとする後ろで逃げ惑い転ぶ子もあった。
 王女は激怒した。
 警備兵を押さえて先頭に立ち、記者を叱責し、その無法によって子ども達に恐怖が生じたことを難詰した。すると記者は売り言葉に買い言葉、あるいはそれを狙っていたのか、言った。
「御自ら殺人を犯そうとしておきながら法を説けるのか」
 王女は応える。
「そう、私は罪人です。しかし私の罪によってあなたの罪が許されることはないのです」
 問題の記者は、どうやら近々ティディア姫が東大陸の全領主を処分しようとしている件と、つい先日東大陸のある貴族が突如として爵位を剥奪された件について何らかの有力な情報を握っていて、それをミリュウ姫にただすことが本来の目的であったらしい。勝ち目十分と判じて功名心に駆られたか、その“突撃”はインターネットにリアルタイム配信もされていた。しかし結局はその場の口論も、その後の世論も、ミリュウ姫の正当性を支持した。
 話はそこでは終わらない。
 誰もが思い始めていたことが、その事件のためにはっきりと露見したのだ。
 第二王位継承権保持者ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナを一目見ようと、町には日を追うごとに旅行者が集まってきている。放牧地で家畜カロルヤギを追う王女、町の婦人に刺繍を教えるお姫様――まるでお伽噺、牧歌的なその光景を間近に見られる稀有な機会! 喫茶店の姫君の座った席でルッドランティーを飲むため3時間の行列が出来ている。しかもその町は『ティディア姫とその恋人』が滞在し、共に星を眺めたロマンスの地でもあるのだからたまらない。もはや縁結びのパワースポットと化した話題のベンチで星を見るために集まる恋人達だけでなく、『マニア』までもが数限りない。昔は有名な観光地であった名残も既に薄れてどうにか残っていた三軒の宿は常に満室。民家に宿を求める者は後を絶たず、テント持参で野宿する者が大量発生、菜園が踏み荒らされれば、牧草地には誰とも知れぬ者どもが放たれる。陸も空も交通は麻痺し、トラブル発生件数は右肩がねじ切れるほど鋭角に急上昇、先日に至っては遭難者も出た。
 溢れきっているのだ。
 もう、町のキャパシティを明らかに超えてしまっているのだ。
 この状況は住人にとっても旅行者にとっても危険だが、王女の警護の面でも問題しかなかった。噂によると記者が幼稚園に入り込めたのは内通者のあったためだというが、ニトロが訪れた際には姫君に親愛と深い敬意を払っていたあの町で、そのような人物が生じてしまうくらいには、人心に悪影響も及んでいる。
 そこでアナウンサーが伝えたように、ミリュウ姫の謹慎の解除、もしくは王都への召還が検討され始めたのである。それも王家の希望という形ではなく、国民からの要望として。
(ひょっとしたら、あいつはこれを見越していたのかな)
 シラトリ豆のポタージュを飲みながらニトロは思う。
 王家側からミリュウの赦免や召還を言い出せば筋は通らない。しかし諸々の危険回避、及びそれを求める『我らが子ら』の望みを叶えるため――となればそれは正義だ。ミリュウ自身は赦免も召還も望んでいないらしいが、状況的にも立場的にも我を通すわけにはいくまい。少なくとも、どこか別所へ移動することは確実だろう。
 それにしても皮肉なのは……そう、皮肉なのは、もしこれが『劣り姫の変』以前のミリュウ姫であればここまで人を集めることはなかったと語られていることだ。あの事件を経て、優等生から『罪人』となった彼女は今、奇妙なことにとても魅力的な存在として人口に膾炙かいしゃしている。そしてこれもティディアは見越していたのだろうか? 人気者は、それが不公平なことだとしても、何かと優遇されやすいものである。
「戻ってくるかな」
 ニトロは、この件について初めて芍薬に意見を求めた。芍薬はとうに用意していた答えをそらんじるように、
「ドコニ移サレルニシテモ、“姉ノ監督ノ下”ヨリ有力ナ場所ハ無イヨ」
 実際にはその姉の監督の下に『劣り姫の変』は起こったのだが、しかしニトロも芍薬の意見は正しいと思う。それだけ世間の『ティディア姫』への信頼は良くも悪くも大きいのだ。
 ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナ……ニトロは山道を子どもの手を引いて歩くプリンセスの健やかな笑顔を見ながら、サンドイッチを食べ切る。
 ニュースの話題が変わった。
 メインキャスターの話に少しむつかしい顔で相槌を打っていたアシスタントキャスターが劇的に表情を明らめ、
「さあ、先ほどお名前が上がりましたが、本日はニトロ・ポルカトさんのお誕生日です!」
 ニトロはポタージュを食べ終え、ドラマチックな曲調を背景に『ニトロ・ポルカトの軌跡』を語り出すキャスターの輝く瞳を眺めた。
 彼はヨーグルトを食べる。家族の味がスッと腹に落ちていって、意図せず感慨に耽っていた誕生日の朝食がそろそろ終わることを報せてくる。
 画面の中では世にも稀な立身出世を遂げてゆく『ニトロ・ポルカト』が、ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナの隣で笑っていた。この写真はいつのものだろう?
「他でもやってる?」
 ヨーグルトとリンゴジャム、ミントの香りを飲み込んで、ニトロは芍薬に目をやった。
「主要チャンネルノ全部デヤッテルヨ」
 ほぼ予想通りの答え――いや、ほぼ予想通りだったからこそニトロは驚いた。
「全部? 王立も?」
「王立放送局モ」
 民放の全てが『クレイジー・プリンセス』の愚行をエンターテイメントとして甘受している中にあって唯一、常に批判的な態度を崩してこなかった王立放送局が、あくまで一市民に過ぎない私人の誕生日を特集する?
「シカモ同ジヨウナ調子サ」
「マジで?」
 ニトロが目を丸くするのと同時にチャンネルが王立放送局に合わせられる。いつも真面目な顔をしている印象しかないアナウンサーが、どこか顔をほころばせて『ニトロ・ポルカトの軌跡』を解説委員と共に振り返っていた。こちらでも『ニトロ・ポルカト』はティディア姫の隣で笑っている。ただこちらは動画で、これはある福祉施設に慰問に行った時のもの。穏やかな漫才の後の穏やかな交流の中でのものだった。
 解説委員もアナウンサーと同じくほころんでいる。その解説委員はつい最近『ニトロ・ポルカト』に対して最も批判的な意見を述べた人物であった。その焦点は、アンドロイド――つまり『劣り姫の変』で活躍した芍薬の機体ボディにあった。ニトロ・ポルカトは次期女王の伴侶と目されているとはいえ、あくまで一市民に過ぎない。それが“軍事級のアンドロイド”を所有することへの是非を、彼は問うたのだった。
 正直、その批判は至極真っ当だとニトロは思った。
 実際、彼に賛同する意見も少なくなかった。
 しかし、アンドロイドの装備はその時――抜け目ない親友が芍薬との協議の末に手を回して――既に“有事仕様”ではなくなっていたし、機体自体はその性能の高さが非常識であるとしても違法なものではない。そう、法律という点で、ニトロがこれを所有するのに何も問題はなかったのだ。それでもその解説委員が問うたのは法ではなく、どこまでも倫理的な面であった。なにしろ、“有事仕様”でないとしても芍薬には強力な武器が残されていたのだから。
 その解説委員はとても頭の良い人で、とても正義感のある人なのだ、とニトロは思う。あの議論自体は広がるにつれてとっ散らかった喧騒に過ぎなくなってしまったが、彼自身は一貫して倫理面からのみこちらを批判し続けていた。なるほど法に反していないからといって全てが正しいわけではない。その法を質し、修正するのは倫理の一つの力である。
 だが、倫理に負けぬ力を持つのは道理だ。
 芍薬の機体に搭載された武器は全て、形としてはハラキリ・ジジの母が設立に関係し、外部顧問アドバイザーを務める警備関連会社からのリース品となっていた。機体にしても元はこの会社の所有であり、ニトロはそこから買い取ったことになっている。王家の法務部にまで助力された書類に不備はない。もしそれらの武器に違法性が認められるとしたら、責任はそれを知らぬ少年に貸し付けた企業にある。なれど警察とのつながりもあるその警備関連会社のセキュリティアイテムに違法性の認められるものなどあるはずもなかった。しかもその社長はクロノウォレスこくで内乱に巻き込まれたアデムメデス人の生き残りで、ハラキリの両親に何度も命を救われた者である。帰星後にアデムメデスでも同じような内乱が起こるという強迫観念に取りつかれてしまったところ、ハラキリの父の提案で合法的にそれに備えられる会社を作ることで社会復帰を果たしたという。『ジジ家のネットワーク』の一員であり、ティディアにとっての “株式会社ソレスター”と同様の『手品の種トリックボックス』だとハラキリは笑っていた。そして彼は未だに強迫観念に囚われており、己の会社とジジ家の活動が失われればアデムメデスが滅ぶと固く信じているので、神技の民ドワーフ関連の品でさえ預けられるほどの人物である。『ニトロ・ポルカト』に関しても、当然、ジジ家の大事な“客人”が窮地に陥るようなことをしようなどとは頭の片隅にも浮かばない。
 結果、戦乙女の駆るアンドロイドは未だにマスターの傍らに存在し続け、その艶やかな姿には近所の皆様から大変な好評をいただいている。
 それについて解説委員が現在はどう思っているのか。ちょうど『ニトロ・ポルカト』がスライレンドで異常能力者ミュータント――『赤と青の魔女』と交戦した歴史を読み上げるアナウンサーの横で神妙な顔をしている彼の態度からは、それを読み取ることは出来ない。ただ、彼も含めて全体的に祝福ムードであることは否めない。これは、おそらく“気まぐれなティディア姫のすることだから”と慎重に慎重を期していた王立放送局でさえ、この件をエンターテインメントやゴシップの類ではなく、明白に“王家の慶事”として取り扱い出したということで間違いないだろう。
「これも俺が成人したからかな」
「影響ハアルダロウネ」
「影響?」
 芍薬は口をつぐんだ。ニトロが芍薬を見ると、その顔には渋さがあり、どこか言いにくそうに……しかし意を決したように芍薬は言った。
「ソレ以上ニ、姫君ノ態度ニ、影響サレタンダト思ウ」
「……」
 ニトロは、立ち上がった。
そとは?」
 王立放送局の『ニトロ・ポルカトの誕生日』の特集が終わり、アナウンサーの顔が引き締まる。続いて報じられるのはハラキリ・ジジの巻き込まれた事故であった。芍薬はマスターの意識がもうそちらに向いていないのを認め、マンションの監視カメラの映像を画面に投じた。
「おお」
 と、ニトロの口から嘆きとも呆れともつかぬ吐息が漏れる。
「何だあれ」
 マンションのエントランスの前に陣取る人の群れ。その最前線に立つのは古めかしいブリキの鍋を頭に被る小集団と、大昔に宇宙人の服はこんなのだと想像されていたような全身タイツっぽいものを着る小集団だ。それぞれに横断幕を携えている。スローガンが書かれているようだが、片や古語、片やデザイン化され過ぎた字で読めやしない。
「反王政派ノ政治団体ダヨ。ドチラモ王家ヤ貴族トイッタ“特権階級制度”ノ廃止ヲ求メテイテ、ソノクセ普段ハ仲ガ悪イ」
「なんか仲良く肩組んでるよ?」
「ソレガココニ来テ王太子殿下ヲ殴ル、蹴ル、投ゲ飛バス、サラニハ殺シニ来タ妹殿下モ返リ討チニシタッテンデ、主様ヲ神輿ニ担ゴウト意見ガ一致」
「ずっと不一致でよかったのに」
 何やら歌でも歌っているらしい肩を組んだ集団の後ろには黒魔術士のような姿も見える。近くには逆に王家の紋章旗を掲げる一団があって、両極な派閥は互いに敵意を向け合いながらも無関心を装ってひたすら自己のみを主張している――いや、それでも正直一触即発なのは一目見ただけで判った。それが衝突せずに無関心を装う余裕を持てているのは、ひとえに両者の間に小さな集団が肩を張って割り込んでいるからである。その中に立つ、自転車用ヘルメットを目深に被る体躯ガタイのでかい獣人は間違いなく『隊長』であろう、そして同じく自転車用ヘルメットを被って彼に率いられているのは『ニトロ&ティディア親衛隊』の皆様で間違いあるまい。報道機関や個人報道の記者らしき者らも最前線の近くに陣取り、人々のほとんどは“主役”の登場を今か今かと固唾を飲んで待っているようだが、とにかく目立ちたいらしい奇抜な格好の若者が数人ほどあちこちで飛び跳ねていた。
 きっと何度も解散を促していたのだろう警察が歌う集団に近寄っていく。
 その隙にマンションに向かった若者を警備ロボットが追いかける。
 夜明け前、一番暗いと言われる時間帯。
 早い話がとても近所迷惑である。
「政治系はあれだけ?」
「直接ッテノハネ。メールデノ問イ合ワセナラ十数件」
「少ない、よね」
「御意」
 その事実はニトロに一つ重みのある結果を突きつける。それはつまり、『彼女』の努力の成果であるのだ。彼は小さくため息のような息をつき、立ち上がった。
 ニトロが洗面所に向うと、多目的掃除機マルチクリーナーを操作して空いた食器をキッチンに運びながら芍薬は着替えを用意する。手早く朝の支度を済ませてきたニトロは素早くそれに着替え、一つ伸びをすると、玄関に向かった。
 ――マンションエントランス前に集う人々は、その時、どよめいた。
 ふいにエレベーターホールから現れた人影。報道陣のフラッシュが焚かれる。音もなく開いた自動ドアから出てきたのは、カラコロと軽やかな音を立て、彩り華やかなユカタ姿。切れ長の目が凛として、カンザシに飾られたポニーテールが印象的なアンドロイド――今やアデムメデスで最も有名なオリジナルA.I.と言って過言ではない芍薬である。
 芍薬は手に携えていた奇妙な傘を開いた。骨が多く、どうやら紙を張っているらしい蛇の目傘。それを差した芍薬の姿はまた異様なほどに魅力的である。と、その傘の下に、芍薬の背後から一人、滑り込んでくる者があった。
 無数のカメラが一斉に叫んだ。
 どよめきが増した。
 そこに込められているのは喜びよりも驚きの方が大きい。
 成人となったニトロ・ポルカトに声をかけようと集まりながら、一方でニトロ・ポルカトが眼前に現れることはないだろうと思っていた人々は、臙脂色ディープレッドの蛇の目傘の下に立つ彼の姿に目も言葉も奪われていた。
「おはようございます」
 こざっぱりとしたカジュアルな服に身を包んだニトロ・ポルカトは、礼儀正しくそう言った。
 反射的におはようございますと返した者がある。それが契機となって、我を取り戻した人々が声を張り上げ出した。反王政派の集団は駆け寄ろうとして自らの横断幕に足を取られて一挙に転んでしまう。そこに王家の紋章旗を掲げていた王党派が折り重なるように倒れ込み、すると、とうとう取っ組み合いが始まってしまった。が、不幸中の幸い、それがうまく防波堤となった。背後からまた駆け寄ろうとしていた人々の足が止まる。その機を逃さず、警察が列をなして集団の前に立った。おそらく他の誰よりも驚いていたらしい『ニトロ&ティディア親衛隊』の隊長が我を取り戻して低く唸ると、彼の同志達がスクラムを組んで警察の列に屈強な補助を加えた。
「ご成人おめでとうございます!」
 盾となる人壁を飛び越えて、そんな声が飛んできた。糸が絡まるように取っ組み合っていた反王政派と王党派がその祝辞に気づいて動きを止める。そしてそれらも含めて、皆が次々に言祝ぎをニトロ・ポルカトへ投げかけた。手が振られる、口笛が鳴る。警察と隊長達はその間も唇を結んで背中をこちらに向けている。ニトロ・ポルカトは一拍置いて、ぺこりと首を垂れた。
「ありがとうございます。皆々様のお気持ち、本当に嬉しく思います」
 穏やかで、しかし不思議なほどに力強い声。だが、それを聞いたのは人々の全てではない。それを聞けた人々はフラッシュとシャッター音の嵐に負けじと歓声を上げる。聞けなかった人々はまた彼の言葉を引き出そうと声を張り上げる。ニトロ・ポルカトはじっと皆を見つめていた。特定の誰を見つめるわけではない。だが、間違いなく一人一人を見つめていた。知己の背中にも、見知らぬ者に対しても公平に。そして彼は待つ。待っている。  それは、これまでの『ニトロ・ポルカト』の、彼ら彼女らへの対応からするとあり得ない事であった。何故ならこれまでのニトロ・ポルカトはマンションに押しかけてきた連中の相手をすることはなく、すぐに身を隠していたからである。それが今や、どうだ!――やがて、半ば戸惑うように、彼の声を聞こうと人々の口は閉じていく。
「重ねて御礼申し上げます。ありがとうございます」
 戸惑いと興奮が拮抗する集団に彼は言う。真面目な彼の真面目な態度。
「しかし、既に近隣住民の皆様にご迷惑をおかけしています。皆々様のお気持ちは確かに頂きました。私はこれからここを離れます。ですから、さあ、皆々様もこれにて解散とお願い申し上げます」
 青年は誠実に、深々と首を垂れる。
 そして頭を上げると、カラコロと音を立てて歩き出した芍薬の傘の下、それと並んで歩き出す。
 人ならぬアンドロイドの纏う異星の匂いの濃いためだろうか。まだ日の昇らぬ早朝の、小雨の中に何事もなく、また何気なく歩く二人の姿は一種幻想的であり――今日こんにち、目の前にいる彼こそを目当てにしていた人々は皆、何か毒を抜かれたように、あるいは魂を奪われたように立ち呆ける。
 二人の向かう先に、いつの間にか一台の車があった。
 それがニトロ・ポルカトの愛車スカイカーだと誰もが知っていた。
 と、それを認識すると同時に人々は慌てて動き出した。声を上げ、彼を追おうとした。報道陣は脇にいる人々も仲間も押しのけて突撃を開始した。それを警察と『親衛隊』が懸命に押し留める。車に乗り込む直前、ニトロ・ポルカトが頭を下げたのは皆への挨拶か、護ってくれた者への感謝か。傘を畳んだ芍薬が運転席に乗り込むや、スカイカーはヒィィンと軽やかにいなないて飛び上がる。まるで人間の愚行を見下ろしているかのように街路樹に留まっていた一羽の鴉が、空の支配権を諦めたようにそれを見送る。
 もはや人々に踏み敷かれた反王政派の集団が『クレイジー・プリンセス・ホールダー』への助力を怒鳴るように請願し始めた。王家の紋章旗はどこかに埋もれてしまっていた。とにかく目立ちたい者達がやけくそ気味に暴れ出し、自分を彼に認識してほしいファンが必死に手を振り声援を送る。隊長達はカメラのまたたきに何度も閃く車を極めて満足気に見送り、他のある者は意を新たにしたように彼の影を追い、またある者は頬に雨とは違う雫を落とす。空の軌道に入った車を、どこかで待ち構えていた報道の車やスカイモービルが追いかけていく。
 その一場面はまず個々の個人情報局マイメディアからインターネットに流され、次いで大手マスメディアの手によって全国に、全銀河にも速やかに配信されたのであった。

 ティディアはしばし見惚れていた。
 そして、彼女はゆっくりと小首を傾げた。
「どういうつもりかしらねー」
 呟くように言いながらも口の端の半分は自然と緩んでしまう。だが、もう半分は自分でも驚くほどに強張っていく。
「どういうおつもりでしょうか」
 執事も腑の落ちぬ顔で首を傾げている。
 しかし二人共に、彼の意図を掴めぬまでも、彼が何かをし始めたということだけは理解していた。それがティディアには嬉しい。が、同時に怖い。予感めいたものが心の弱い部分に不安を植えつけている。一方で執事はひたすら不可解こそが愉快であるとばかりに、
「さらに、どういうおつもりでしょうか」
 微笑しながら携帯モバイルに走らせていた目を彼女が細めると、マリンブルーの瞳が潤んだように閃いた。
「どうしたの?」
 好奇心を刺激されたままにティディアが問う。
 ヴィタは快楽をむように犬歯を覗かせ、肉食獣のごとき眼で主人を見据えた。
「ニトロ様は王城に向かっています」
 ティディアは、目を丸くした。

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