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 パトネト・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
 アデムメデスの現王・王妃の第六子にして、その王位継承権は第三位にある。
 彼は、人徳に優れた両親に反して何かと問題を起こす子女の中にあって――『劣り姫の変』が起こるまでは――姉のミリュウと共に大人しい存在であった。また、彼は、同じ『大人しい存在』であっても姉のミリュウとは違い、良くも悪くも存在感有り余る兄姉に囲まれてなお特異な存在感を放つ『秘蔵っ子様』であった。
 まず、彼は美男子である。
 いや、美男子、というのは少々語弊があるかもしれない。何しろ彼は『美少女よりも美少女らしい』可憐な容姿を備えているのだ。ドロシーズサークルで確認された彼の女装姿は現在“理想の美少女”のモデルケースとして扱われているほどであり、加えて、彼が極度の人見知りであることがその美貌にある種の脆さを加味し、人々の保護欲も盛大にくすぐり続けている。元より存在していた彼のファンサークルの中に、「彼のことを守ってあげたい!」と叫ぶファンが大量に流入し続けているのはその証左であろう。
 しかし、一方で人に保護欲を掻き立てる彼は、それら自分を慕う人間にも決して心を開かない。例えその人間が確実な味方であり、その人間の抱くものが純粋な好意であったとしても、目を背けて心を硬く閉じる。それどころか、王家史上最も露出の少ない王子は、昨年まで、両親と二人の姉、姉の執事のセイラ以外にはその笑顔を向けたことすらないのである。長年自分に仕えている執事――といっても身の回りの世話はせず、公務にも同行せず、もっぱら第三王位継承者のための書類の世話のみをするよう第一王位継承者に任じられた大叔父に当たる男性――に対してはいくらか信を置いているようだが、それでも心は開かないし、笑顔も向けない。触れ合いの少なかった第一王位継承者の前執事にも、無論、着任して日の浅いヴィタに対しても言わずもがなである。
 では身の回りの世話をする側仕えになら?
 いいや、彼には側仕えが存在しない。
 彼の世話は姉のミリュウか、その執事のセイラか、そうでなければA.I.が全てを行っている。
 筋金入りの人見知り。
 彼は心許した人間以外と一対一になろうものなら引きつけを起こしかねない。事実、五歳の折、公務で訪れた王城で迷子となった彼は中庭で巡回中の警備兵に鉢合わせ、その場で泡を吹いて倒れたこともある。以降、彼の周りから極力人間が廃されたのはむしろ自然の成り行きでもあろう。
 もし、彼の笑顔を見たければ、これまでは両親を始めたった五人の彼に選ばれた人間、あるいはアンドロイドに乗り込ませたA.I.に撮影を頼むしかなかった。――が、逆に、それだからこそ、彼の笑顔には希少性があり、それ故に、極めて貴重な機会にマスメディアのカメラが納めた幼い王子の麗しい笑顔は多くの者の心を捉え続けてきた。
 さて、しかしもちろん、そのためだけに彼が『秘蔵』とされているわけではない。
 箱入りの美しい王子というだけでも王家の物語に花を添えるものではあるが、そのような印象論にかかるだけでなく、現実的にも、何より特筆すべきことに、彼は工学分野において『天才』を発揮していたのだ。
 幼少の頃よりその才覚は人の口に立っていたものだが、最近、アデムメデスの民が改めて、また銀河中の人々がおよそ初めて彼の能力に非常に驚かされたことがある。
 クロノウォレスこくにおける人工霊銀A.ミスリル精製技術に関連する発明の一つに、その発明者及び特許権所有者の名としてパトネト・フォン・アデムメデス・ロディアーナと記されていたのだ。しかも、特許取得時の彼の齢はわずか6。その事実が驚きに拍車をかけるのは至極当然のことであった。折も折、『劣り姫の変』での重要な働きも目立った。銀河中の王族の中、こと同年代に限れば『パトネト殿下』は今や最も有名な太子である。
 姉のティディアをアデムメデスの太陽と比喩するならば、弟の彼もまた太陽と呼ばれるだけの才人であった。
 また姉が黄金を生み出す女神ならば、その輝きが永く続くよう加工しうる鍛冶神であるのだ。
 ――明日、8月28日、快晴なれども気温穏やかなる吉日。
 パトネト・フォン・アデムメデス・ロディアーナは八度目の誕生日を迎える。

 ここ数ヶ月で国際的にも飛躍的に名声を高めた王子の誕生日をお祝いする気運は、もちろんアデムメデスを席巻していた。インターネットの主要ポータルサイトには特設ページが作られている。誕生日前日にも関わらず、アデムメデスのほぼ全ての放送局は朝からこぞって『パトネト王子特集』を組んでいる。
 それら特集には、いずれにも大きな構成上の共通点があった。どこもかしこも、ここ二ヵ月の間に王子に起きた“変化”を特集の中心に据えているのである。
 公式にも非公式にも露出の少なかったパトネト王子――しかし、あの『劣り姫の変』以降、非公式な露出を飛躍的に増やしている『秘蔵っ子様』。
 副王都の片隅で閑古鳥を鳴かせていた市営動物園に始まり、ジスカルラ港、王立中央博物館第五分館、ウェジィ宝飾加工技術研究所、王都宇宙技術研究所付属資料館……人の少ない場所、あるいは人の少ない時間を狙って現れた幼い王子の楽しそうな姿。
 その傍らには、常に『姉の恋人』とその『戦乙女』の姿があった。
 たまたま王子一行に出会った幸運な市民の撮影した動画には、可憐にほころぶ王子の笑顔がある。他者が近くに寄ってくるとあからさまに体を強張らせて警戒の目つきを振りまきはするものの、それでも王子はいつも側にいる少年に全幅の信頼を寄せて外を歩いている。幼い王子は常に少年と手を繋ぎ、あるいは肩車をされ――その二人の姿は、早くも本物の兄弟のようだと評判だった。
 今、ATVアデムメデステレビではドロシーズサークルにおける『ニトロ・ポルカト冤罪騒動』が持ち出されている。“次代の女王の恋人”と“未来の義弟”が揃った初公開画像。ニトロに抱っこされるのを嫌がる王子と、『ティディア&ニトロ親衛隊』の隊長を加えてはにかんでいる王子。その二枚がこれでもかとばかりに華美な言葉で飾られていた。
 JBCSジスカルラ放送局は動物園に現れた王子と“未来の王”の姿を視聴者投稿のビデオを介して放映していた。『触れ合い広場』にてウサギに触れようとして触れられず、ふいに向かってこられて逃げ出している王子。番組は、むしろその王子を笑顔で抱き止める少年にフォーカスを当てていた。少年の優しさを讃えるナレーションは――王子に対する口調と地続きということもあり――実に過剰に恭しい。
 そして、
「なあ、ハラキリ」
 セミオープン型のキッチンでテレビの音を聞きながら、くつくつ煮える鍋の様子を見ていたニトロは顔を上げ、
「そろそろテレビを消すか“FM”に変えてくれないかな」
 言いながら、彼は隣のカッポーギ姿のアンドロイド――改めて容姿を作り直したために完璧に『芍薬』である――に手を差し出した。すると芍薬が用意していたタッパーをすぐに差し出す。ニトロは鍋のコンソメスープの中から火が半分通った蕪を取り出し、蕪の実が浸るくらいのスープごとタッパーに入れた。そのまま蓋をせず、粗熱を取るために作業の邪魔にならないようカウンター――部屋とキッチンを分ける仕切りの上に置く。と、そのタイミングで芍薬がニトロにスプーンを差し出した。スプーンには芍薬の仕上げたベシャメルソースがあり、味を確認したニトロは笑顔でうなずいた。芍薬も嬉しそうにうなずきを返し、こちらも粗熱を取りに鍋を別の場所に置く。それから使い終わった器具を洗い出した芍薬を横に、ニトロはジャガイモやニンジンを引き続き煮るために鍋に目を落とし、
「ここまで言われるとさすがに居心地が悪い。いくらなんでも誉め殺しだよ」
 キッチンのニトロと芍薬を背に、窓から差し込んでくる7時前の陽光を浴びながら、一人優雅にテーブルでハーブティーを飲んでいたハラキリはクックッと喉を鳴らして言った。
「いやいや、殺されるどころか、このままいくと永遠に生かされますよ」
「……つまり、神格化?」
「ええ」
 うなずき、ハラキリは目の醒める薬効の茶を啜った。ぽちぽちと目的なく操作していたリモコンを持ち直し、親友の要請に応えて受信チャンネルを地上波からインターネット経由に変える。『フューチャーミュー放送局』のポータル画面が壁掛けのテレビモニターに映し出された。
「何番です?」
「5番。でなければ自由に」
 ハラキリは5番に合わせた。スピーカーから流れてきた音楽に芍薬が少し反応する。
「これ、どんどん人気が出てきていますね」
 何気なしにハラキリが言う。
 フューチャーミュー放送局は様々な芸術文化活動を支援する慈善事業団体を母体にする組織で、その21番からなるインターネットテレビにはプロ・アマチュア問わずに様々な人間の作品が常に流れている。ニトロが指定した5番はインターネットで話題の楽曲を流すチャンネルで、今流れている曲は、つい最近事故死したアマチュア・クリエイターの遺作に使われている歌だった。力強い歌詞を力強い声が歌い上げている。歌い手はA.I.だったらしく、タイトルの無かったこの曲はそのA.I.の名を冠して『フィオネア』と呼ばれていた。
 思わぬ曲が流れていた――
「いい曲だよ」
 ニトロは、この曲に関する話を芍薬から聞いていたために思わず目を潤ませそうになった。が、それをハラキリに気取られないようすぐに口を閉ざす。
 ハラキリは、ニトロの声に何かあるな、と感づいてはいたものの、それに気づかない振りをして話題を戻し、
「ほら、君は相方が『女神』なんて言われていますからね。君もそのうちそうなるのもおかしなことではないでしょう」
 鍋の火を止め、次にサラダに使うドレッシング作りにかかっていたニトロの手が止まる。
「嫌なことを言うなあ」
 肩越しに振り返るハラキリの意地悪な目つきに苦笑を返し、ニトロは言った。
「つっても、俺はあいつみたいにおかしなカリスマ性とかはないからさ。そうなることはないと思うぞ?」
「ふむ」
 ハラキリは面白そうにうなずく。嫌いな相手であっても、その『長所』を素直に認められるのは彼の長所だ。しかし、彼が既に『英雄』と広く認められている事実に“実績というカリスマ性”も加味すれば、『そうなることはない』というのは少々希望的観測に過ぎないとも思う。その点をニトロが自覚していないのか、それとも自覚した上でそう言っているのかは窺い知ることができないが……
(まあ、変にほじくる必要もないですね)
 下手をすればただの嫌味にもなる。ハラキリは茶菓子のクッキーを齧る。と、
「おやこれは美味しい。ニトロ君、お菓子作りにも凝り始めたので?」
「……特別製だよ。ハラキリがそう言うんなら、パティにも喜んでもらえるかな」
「喜びましょう、君が作ったものならば」
 そう言いながらハラキリはクッキーを一枚食べ終え、そして、付け加える。
「そういうところはおひいさんそっくりですね」
「やめてくれよ。パティに失礼だ」
 渋面のニトロのセリフに、ハラキリは笑う。そして、
「まあ、一方の『女神』様は今にも天に昇りそうな感じでしたけどねえ」
 ドレッシング作りを再開しようとしていたニトロが、ハラキリの物言いに再び手を止めて小首を傾げる。
 ハラキリは口元を思い出し笑いに歪めながら、
「ちょうどこちらへ向かっている途中に電話を受けましてね。君に何か頼まれたのかと聞かれたのでお答えしましたら、ひどい疎外感でも得られたのでしょうかねぇ、そのまま“しょんぼり死”でもするんじゃないかってくらいに落ち込まれてしまいまして。何だか思わず同情してしまいました」
 へらへらと笑って言うハラキリの『同情』がどこまで本気なのか掴みかねるものの、ニトロは一つため息をつき、
「そう言われても、俺は同情しないよ?」
「おや、全く?」
「まったく、全然、何ごともなく」
 穏やかに畳み掛けるように連ねられ、ハラキリはまた、ふむとうなずき、
「その反応はお答えしないようにしておきましょう」
 ニトロはハラキリのセリフに苦笑した。
「何だ、やっぱり反応を探るように言われてたのか?」
 ティディアが落ち込んでいたのが本当にしろ嘘にしろ、どっちにしたってあいつが考えそうなことだ。ニトロの問いかけにハラキリは軽く肩をすくめる。親友の仕草は肯定なのか否定なのか掴みかねるが……しかし、彼が今は少々あちらへ肩入れしていたことだけは確かだろう。
 ニトロは、少し、それが面白くなく、
「本当に都合良く立ち回るよな、ハラキリは」
「それが実に楽しいのですよ」
 皮肉を言ったつもりなのに飄々として言い返され、ニトロは思わず笑った。
「まあ、それならそれでいいや。こっちも色々手伝ってもらってるから」
 言って、彼はキッチンの隅っこに置かれている冷蔵箱クーラーボックスを一瞥する。今はコンセントを通じて電力を取り、中の品を凍らせぬよう、しかし限りなく氷温に近いよう保たれたその内部には、ハラキリにわざわざ漁港まで行って買ってきてもらったエビがある。
 アデムメデスで最高級のエビ――金冠エビ。
 深海に生息する最大でも10cmに満たないその小さなエビは、金の冠を被っているかのような容姿と、何より素晴らしいその味と共に非常に足が速いことでも知られている。電気の光も劣化を早める要因となり、漁獲量も少ないため、スーパーなどの店頭では買えず、漁港からの直送か通販に頼るしかない――あるいは漁師から直接手に入れるしかない貴重な食材。
 本来なら自分も業者に頼むのが自然ではあるのだが、ニトロは、最近の自宅周辺の事情を考えると『特別な品をニトロ・ポルカトが取り寄せた』という情報は極力掴まれないようにしたいと考えていた。もしそれが『ファン』や『観光客』に知られれば、その情報は様々なツールを通じて瞬く間に広まり、例えば『ニトロ・ポルカトの家にパトネト王子が来る可能性大』と喧伝されてしまうだろう。そのような情報を漏らす業者を使わないのは当然であるが、万全を期すならここは最も信頼する『何でも屋』――ハラキリの出番である。フットワークが軽く急な追加注文を聞いてもらえるのも強みで、帰りに場外市場に寄って新鮮なイチゴなども追加で仕入れてきてもらった。
「それにしても今日はやたらと凝っていますね。金冠レベルの食材にまで手を出すなんて」
 と、ハラキリが体ごと振り向き、ティーカップに唇を添えたままに言う。
 普段、ニトロはさして高級品を扱わない。興味を引いた高級品に食指を動かすことはあっても、『美味しさに貴賎なし』という父親のモットーのせいか金と名声にあかせて美食を求めることもない。少なくとも、ハラキリが知る限り、金冠エビは彼が積極的に求めた最高金額の食材であり、では、それほど力を込めるのは――
「そんなに弟君のことをお気に入りで?」
 ハラキリの問いかけに、ニトロはゆっくりと首を傾げ、
「お気に入りって言うと違和感があるなあ。でも……うん、かわいい子だよ」
 言いながら、ニトロは隣でケーキ作りのための準備を進めている芍薬の邪魔にならないよう頭上の棚から小さなボウルを取り出し、
「だけどいつもと違う特別な食材を使って腕によりをかける理由は、別にある」
「それは?」
「『ホーリーパーティートゥーユー』」
「?」
 ハラキリは眉を寄せた。突然ニトロが口にしたものは、いわゆる『誕生日の決まり文句』だった。
 ニトロは、空のボウルに塩を入れつつ、
「さて、その語源は?」
 年末のイベントで知られる『南天の魔女』の伝説に由来するその決まり文句は、ある古語を“呪文化”したものであり、その古語はこういう意味を持っている、
「『私はあなたと出会たことに感謝します』」
 ハラキリが答えると、ニトロは二つの小瓶――最高級の酢と、絞る実も一つ一つ吟味されて作られた希少なオリーブオイルを手元に揃えながら、
「本当に大切な相手に本当に大切な感謝を送る『特別な日』には『特別な何か』を、ってのがうちのモットーでね。それはもちろん高級食材じゃなくてもいいんだけどさ、俺の得意が料理これだからその流れで……ってのが理由だよ」
「はあ、なるほど」
 納得はしているようだがいまいち実感していないハラキリへ、ニトロは小さく笑みを浮かべて言う。
「だから、去年、ハラキリはうちでヴァーチ豚のグリルやらを食べたろ?」
「――ああ」
 ハラキリは去年の誕生日にポルカト家に招かれ、そこでやたらとハイテンションなニトロの両親に(ハイテンションな両親を恥ずかしがる息子のツッコミ三昧込みで)お祝いされたことを思い返し、
「道理でやけに豪華だと思っていましたが……そういうことでしたか」
 ハラキリは楽しい記憶に目を細めた。すると、その声を聞いたニトロが酢の分量を量る手を止めた。
「ドウシタンダイ?」
 酢の小瓶と計量スプーンを手にしたまま眉間に皺を作るマスターへ芍薬が問いかける。その声に引かれてハラキリがニトロを見た時、彼も芍薬と同じ疑念を抱いた。それだけニトロは不満を滲ませていたのである。が、何故急に? 一体何をそんなに不満を抱き、何に対して不満を向けているのか。
「いやね……?」
 つぶやくように言いながら、ニトロはハラキリを非常に胡散臭げに見た。
「思い出したらまた疑わしくなってきた。ハラキリ」
「何でしょう」
「本当にお前が一番年下なの? やっぱり詐称してるんじゃないか?」
 ハラキリは思わぬ――予想を遥かに下回る――質問に毒気を抜かれたように、
「はあ」
 と生返事をし、それから我を取り戻したように苦笑した。
「年下といってもニトロ君より二ヵ月弱遅いだけでしょうに。誤差ですよ、そんなもの。詐称にしたってそんなことするメリットがありません」
 しかしニトロは言い返す。
「それはそうだけどさ。でも何か納得できないんだよ。ハラキリは俺より先に歳を数えて欲しい、いや、そうじゃなくっちゃいけないって思うし、ていうかそうでなきゃダメだ」
「いやいや、そんなことを言われましてもねぇ」
 ハラキリはティーカップをソーサーに置き、心底困ったように眉を垂れて腕を組む。
 そしてハラキリの様子と、隣のマスターの異様に真剣な様子に、芍薬はうつむいて肩を小さく震わせていた。芍薬は、そう、明らかに笑いを堪えていた。
 今にも芍薬が笑い出しそうな中、ハラキリは首を傾げて言う。
「やっぱり、こればかりはどうにもできませんよ」
「そこを何とかどうにかしろって言ってるんだよ」
「どうにかするにしてもタイムマシンでもなければどうにもなりませんし、あったところでどうにかできるようなことでもないでしょう?」
「タイムマシンがあるなら高校入学式の日の俺を事故に見せかけて病院送りにしてくれって頼むさ。いっそ瀕死の重症も辞さない」
「そこまでの覚悟ですか……」
「そこまでの覚悟ですよ?――ああ、でも、後日ハラキリと会って、それから芍薬がうちに来るように手配してくれるのもオプションでよろしく」
「そう言っていただけるのは嬉しいのですが……」
「分かってるよ。それで『今』を作れるはずがない、だろ?」
 肩をすくめるニトロのおかしな心境の吐露に、ハラキリは苦笑と微笑の相半ばする顔をする。
 ニトロは、力を込めて、言う。
「だからそれはどうでもいいから。問題は、今だ」
 ハラキリも肩をすくめた。
「ですから、ニトロ君の言う『問題』も今ではなく過去のことでしょうに」
「あれだよ、身分証明情報アイデンティティとかいじって出生日を変えられない?」
「ひどく重罪な上に何の意味が?」
「気分が変わる」
「気分の問題ですか」
「実際、気分の問題じゃないか」
「ああ、言われてみれば確かに気分の問題のようですが、でもそれは明らかにニトロ君だけの気分ですよね?」
 珍しくニトロがボケに回り、ハラキリがツッコンでいる。芍薬はうつむき肩を震わせ続けている。
「そりゃね。でも何事も気分上々が肝要だろ? 実は三つ年上でした――とかない?」
「ありませんよ。何です、拙者をおひいさんと同い年にしたいので?」
「じゃあ九つ」
「いきなり三倍とは豪儀なサバ読みで」
「十倍取らなかった時点で十分謙虚だよ」
「十倍だと拙者の年齢は一気に半世紀近くになりますが」
「いけるさ、余裕綽々さ」
「いやいくらなんでも……」
「ハラキリなら大丈夫、自信持て!」
 ニトロは変におどけている。いつしかハラキリの口元は緩み、その胸には笑いがこみ上げている。見れば芍薬の――アンドロイドの顔が完全に“死んで”いた。どうやら自身の感情回路と筐体の感情表現機構エモーショナリーのリンクを完全に外し、そうして電脳世界で大笑いを決め込んでいるらしい。
「試しにやってみようよ。まずは二十歳から。どうだ?」
「ニトロ君はどうしても拙者を年上にしたいのですねえ」
「自分でもそう思わないか?」
 ニトロはにやりと笑って言う。
 そこにはおどけや冗談とはまた別の色がある。
 しかし、こういうからかいならハラキリも得意だ。
「進んで自覚はしませんが、どうやらその方が自然のようではあるようです」
 ハラキリはやんわりと言い、そして反撃した。
「ところでニトロ君はお姫さんと結婚すると、年上の妹を持つことになりますね」
 さっと、ニトロの顔色が変わった。
「ああ、そう考えると、ヴィタさんも含めて君は『年上の女性』に災難を受け続けているということにもなりますか。年上好きからすればたまらないでしょうねえ、Mな性癖持っていたら実に天ご「待った! オーケー師匠、俺が悪かった!」
 次第に舌の滑りを良くしていくハラキリを放っておいたらどこまでやり込められるか分からない。ニトロが慌てて制止をかけると、ハラキリはハーブティーを啜り、
「効きますね、これ」
 と、笑った。
 その余裕綽々ぶりに、ニトロも思わず――それも負けたというのに、妙に清々しく笑った。
 二人が笑い合っていると、ふいに芍薬がアンドロイドの目を見開き言った。
「モウ来タヨ」
「もう?」
「アト五分デ着クッテ」
 ニトロは時計を見た。約束より二時間半も早い。
「大方、ニトロ君が料理を“作っているところ”も見たいのでしょう」
 腰を上げて伸びをしながらハラキリが言う。ニトロは、うなずいた。あの子のこれまでの反応を思い返せば、それは十分にありえることだ。
「それでは拙者はさっさと退散しますかね」
「え? どうせなら会っていったらどうだ? お祝いの言葉一つでも」
 ニトロの、そのほとんど反射的なセリフを聞いたハラキリは片眉を上げて見せ、
「いいえ、弟君は拙者のことを嫌っていますから」
 ニトロは否定を返そうとして開きかけた口を、しかし躊躇いがちに閉じた。
 脳裏に蘇るのは、ルッドランで開かれたミリュウの成人祝いのパーティーに行った時のこと。あの時、ニトロも確かにパトネトのハラキリに対する“硬化”を感じていた。元より『他者』が近くにいる際には口を閉じて目をそむけ、そうして手を繋ぐなり肩車なり直接こちらの身に触れて絶対に離れようとしないパティではある。が、ハラキリと自分が話している時、ハラキリが近くにいる時、その時の彼には、どこか他の『他者』に対するものとも微妙に違うものがあった。
 それでも不本意そうに押し黙るニトロを見て、ハラキリは目を細め、続けた。
「彼が懐いているのはニトロ君だけです。あちらも今日は“ニトロ君と二人”と思っているでしょうから、そこに拙者が顔を出しては折角のお祝いの日に影が差してしまう」
「……重度の人見知り、か」
 ニトロの言葉は――それでもパトネトがハラキリを避けるのは『嫌っている』のではなく『人見知りのせい』と主張するその言葉は、しかし、むしろニトロ自身を納得させるように発せられていた。
 ハラキリは、そのため胸にある異論は開陳しないことにし、彼の主張を受ける形で言った。
「最近の君といる姿からはあまりそう思えませんけどね。それに――お姫さんが言うにはこの二ヶ月間だけでも本当に驚くほど変わったそうですから、急ぐこともないでしょう、拙者は美味しい実がたっぷり熟してから“お近づき”に立候補させていただきますよ」
 そのハラキリらしい物言いに、ニトロは苦笑を刻み、
「ひょっといたらそういうところを感づかれてるのかもな」
「弟君も鋭そうですからねぇ」
 他人事のようにそう言ったハラキリは、テレビモニターのリモコンを手に取り操作した。
 音声はフューチャーミュー放送局から流れてくるバラード曲のまま、画面が横に二分割される。左はニトロの部屋のベランダに取り付けてあるカメラの映像であり、右はマンション共有玄関の監視カメラのものである。前者には、手前したから順にニトロの住むマンションの住人用公園・植え込み・さらに“お向かい”のマンションの二階建て立体駐車場、その向こうにマンション本体と映し出される。後者には共有玄関前の道路の様子があった。
 ベランダ側――つまりマンション私有地はともかく、道路にはたむろする人影が数十も確認される。
 ハラキリは一呼吸の内に映像を元の放送局のものに戻した。ピアノを弾き語る女性がモニターに現れる。
「じゃあ、よろしくな
 ニトロが、言った。
 ハラキリはうなずいた。
 今日、ハラキリがニトロに頼まれた依頼は二つある。
 一つは買出し。
 もう一つは、パトネトが乗ってくる王家専用車に『ニトロ・ポルカトのふりをして乗り、去っていくこと』――そうして“ここにニトロとパトネトはいない”という煙幕を張ること。
「それにしても、ここら辺は本当に賑やかになりましたねえ」
「交通渋滞とかも起きてるから、引越しを真剣に検討してるよ」
「近所から苦情も?」
「マンションの皆さんからはないな。外は、まだ直接言われたことはないけどね」
「それなら居座ればいいでしょう。君の責任ではないし、ここは条件がいいんですから」
「そうは言っても程度問題さ」
 言いながらニトロは棚にしまっていた包みを取り、それをハラキリに差し出した。
「これは?」
「ヴァーチ豚のカツサンド」
「ヴァーチ豚?」
 先ほどの話題でも出てきたが、アデムメデス三大豚の一つだ。ご多分に漏れず最高級。飼育数が限られているため、王都でも手に入れにくい人気ブランド。
「昨日、父さんに、父さんの馴染みの肉屋で買ってきてもらったんだ。まあ、これはついでだよ」
 そうは言うものの、ハラキリには親友の意図が分かっていた。自分は本日の報酬に対して、依頼主に『ではこれを王子様へのプレゼントに代えましょう』と言っていた。が、だからといって言われるままに無報酬というのは彼の気分が悪いのだ。
「では、ありがたくいただきます。とても美味しそうだ」
 ハラキリは笑み、手を伸ばした。
 親友に屈託のない――こういう時は同級生だと素直に思える――笑顔を浮かべてお礼を受け取ってもらえたニトロは、
「今日は、特別腕によりをかけてるからね」
 と、自分も屈託なく笑顔を浮かべてそう言った。
「上ニ着イタヨ」
 芍薬が屋上の飛行車用発着場に賓客ゲストが到着したことを告げながら、窓のレースカーテンを引いている。
 部屋の窓には特殊フィルムが張られていて、それは赤外線カメラなどの盗撮を防止する。レースカーテンは外からの光は素通りさせるが、内側からの光は乱反射させる繊維で出来ている。双方共にセキュリティ用品であり、ニトロが出かける際には必ずレースカーテンを閉めていた。
 ニトロはうなずき、ハラキリと玄関に向かった。
 11階建ての7階角部屋にあるニトロの部屋の前、共用部分となっている外廊下には、彼の部屋のレースカーテンと同じような機能を有する風雨避けを兼ねた目隠しがある。それには蓄光素材も用いられ、夜には廊下の補助照明ともなるのだが、ちょうどそのお陰で住人は外出の有無を外からは確認されない。もちろん廊下には監視カメラがあり、保安上の問題もない。ニトロが住居を選ぶ際に気に入ったポイントの一つだった。
 その外廊下を、ニトロはハラキリと、ちょうどマンションの中央に設置されているエレベーターへと歩く。目隠し越しに公道を見れば、先ほど部屋のモニターで見たよりも多くの人間が蠢いていた。王家専用の飛行車の到着を受けて、皆、明らかに浮き足立っている。
 エレベーターホールに着くと、首尾よく一基が9階にいた。それが降りてくると、通勤時間中にも関わらず、幸いにも無人であった。
 ハラキリが乗り込む。
「またな」
「ええ、それではまた」
 ニトロに見送られ、ハラキリはそのまま地下駐車場へ下りていった。屋上の発着場から乗用車用エレベーターで下されてくる飛行車に、そこで乗り込むのだ。
「――さて」
 ハラキリを見送ったニトロは、足早に廊下を戻った。部屋のすぐ側に非常階段の重い扉がある。一息に扉を開け、階段を駆け下りていく。いくら通勤時間とあっても薄暗い非常階段を使用する者はいない。階段を使うにしても、エレベーターホールに隣接する階段を使う。順調に誰とも会わずに地下に辿り着いたニトロは、地下駐車場への扉をゆっくりと押し開けた。
 扉から少し離れた所に、二つの人影があった。
 子どもと王軍の勤務服を着た男――パトネトと、彼のオリジナルA.I.フレアの操縦するアンドロイドである。
 厚い扉の向こうから現れたニトロを見て取るや、不安げにうつむいていたパトネトの顔がぱっと輝いた。
 その時、ニトロは唇の前で人差し指を立てた。
 今にも歓声を上げそうだったパトネトが口に手を当てて声を止め、それから足早にこちらへ向かってくる。左胸にロゴとライオンのシルエットがプリントされた浅青のシャツと濃色デニムの七分丈パンツに緑基調のスニーカー。背負うナップザックを揺らす王子は『人見知り』と言うには不似合いな笑顔を浮かべている。
「ニトロ君っ、おはよう」
 地下駐車場に響かぬよう小声で言いながら飛びついてくるパトネトを抱きとめ、ニトロは笑顔を返した。
「おはよう、パティ」
 と、そこで、はたと何かを思い出したかのようにパトネトは慌ててニトロから離れた。
「?」
 ニトロが疑問に思っていると、パトネトはきちんと背筋を正してぺこりと頭を下げる。
「おまねきいただき、ありがとうございます。お世話になります」
 ニトロはパトネトの、姉達と同じ黒紫色の髪に手を置いた。
「いらっしゃい。楽しんでいってくれると嬉しいな」
 ニトロに撫でられて、嬉しそうに、面映そうにパトネトが目を細める。ニトロは彼に笑みを送り、それから男性型アンドロイドに目をやった。
「私ハココデ失礼致シマス」
「うん、お疲れ様」
 フレアは一礼するや踵を返して去っていった。既にハラキリはパトネトが乗ってきた車に乗り込んでいるだろう。このまま手筈通り、フレアはハラキリと共に以前訪れた副王都の市営動物園に向かうのだ。
 と、遠くを車が一台、続けて近くを二台が続けて通り過ぎた。いずれにも誰も乗っていない。地下駐車場のエレベーター前へと、マスターのためにA.I.が操縦し運んでいるからだ。朝の忙しさを傍らに、ニトロはパトネトへ目を落とし、
「じゃあ、行こう」
「うん!」
 パトネトが右手を差し出してくる。
 ニトロはパトネトと手を繋ぎ――その時、パトネトがぎょっとしたようにニトロに身を寄せた。ニトロが何かと思えば、すぐ先の角を曲がって姿を現したばかりの女性が一人、フルフェイスヘルメットを小脇にこちらへと歩いてきていた。自分が気づくより先に感づくのは『人見知り』の成せる業なのだろうか。そんなことをニトロが思う傍ら、パトネトはその女性に対して陰に入るようニトロの後ろに回り、年上の男性のズボンを固く握り締める。
 一方で、ニトロには全く警戒心がなかった。彼は女性の姿を認めた瞬間に警戒心を鎮めていたのだ。
 その女性は、同じ7階の住人だった。警察のキャリアでもある。日頃から仲良くさせてもらっているご近所さんはニトロに微笑みを向けていた。彼女はニトロの影にある小さな人影には気がつかぬ振りをして、非常階段に程近い場所にある自動二輪駐輪場に辿り着くとすぐに大型バイクを引っ張り出す。そしてニトロが小さく手を挙げたのをバックミラーに写し、ヘルメットを被るついでに小さく手を挙げて彼に応え、エンジンをかけるや否やアクセルを回して颯爽と去っていった。
 ニトロは近くの車のエンジンが遠隔操作で起動させられる音を聞きながら、非常階段の扉を開いた。ようやく少し離れたパトネトを先に入れ、それから自分も身を滑り込ませる。
「上れる?」
 7階までの道のりを前に、ニトロはパトネトに聞いた。
「うん」
 二人だけとなったパトネトは頬を上気させてうなずく。
 こちらの手を再び握ってきて、早速一段上がるパトネトを追いながらニトロは訊いた。
「ご飯は食べてきた?」
 パトネトは首を振った。
「それじゃあ、朝は卵とハムのサンドイッチでいいかな? それから、ドロシーズサークルで飲んだオレンジジュースがあったでしょ」
「ヴオルタ・オレンジ?」
「そう。『隊長』から材料をもらってきたから、それを作ろうと思うんだけど」
 ニトロの提案に、パトネトは足を止めて彼を見上げ、目を輝かせてうなずいた。そしてまた階段を上がり出し、
「ニトロ君」
「ん?」
「もう全部作り終わった?」
「まだだよ」
「あのね、僕も作ってみたい」
 一段一段パトネトと階段を上りながら、ニトロは微笑んだ。
「それじゃあ、ケーキを一緒に作ろうか」

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