第128代王ロウキル・フォン・ジェスカルリィ・アデムメデス・ロディアーナと王妃カディの第五子。
ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
希代の王女――『クレイジー・プリンセス』――ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナの実妹にして、醇美なれども目立たぬ容姿を備える優等生。その地味さ故、卓越した才人にして蠱惑の美女の実妹であるが故に、優等生なれども常に優れているとは評価されない『劣り姫』。
彼女は、現王家にあって異端であった。
両親は為政者としての類稀なる凡庸と為政者としての類稀なる人徳を併せ持つ。姉のティディアは言うまでもなく、実弟のパトネトは幼い頃から非凡なる才気と美貌の片鱗を見せる『秘蔵っ子様』であり、問題を起こして表舞台から消えた長兄・次兄・長姉も才能だけに関してはそれぞれ突出したものを持っていた。
彼女だけだ。何も持っていなかったのは。そうであればかえって目立ちそうなものではあるが、それもない。出生時の奇跡的なエピソードから『伝説のティディア・マニア』としては傑出しているが、それも結局は“姉の付属品”である。彼女が独立して、ただ一個人として、王女でありながら人の心を惹きつける何かを示したことはない。
だが――ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナ――彼女は、成人の日を一月後に控えた
姉が国を留守にする間、面白みのない妹が皆様を楽しませましょうと始めた『ショー』。
賑やかな王女が留守にすることに心の底で退屈を感じていたアデムメデスは、存外にもたらされた“興行”に望外にも熱中した。共演者である『ティディアの恋人』の煽りも手伝い、その熱中は熱狂にも届いた。誰もが『ショー』の展開に胸を躍らせ、『ニトロ・ポルカトとその戦乙女』の活躍に喝采を送り、ショーの主催者である『劣り姫』へ感謝を抱き、彼女の激しい試練を克服する次代の王――彼が“希代の女王”と共に打ち立てるであろう黄金期へ希望を馳せ、その希望のために、いつしか『ミリュウ姫』の敗北を確信していた。
それが、今はどうだ。
定例会見の後に『劣り姫』が差し込んできた曲折。
それは熱狂に浮かされていたアデムメデスに冷水を浴びせた。
冷水は、しかし、その中に溶鉄よりも熱い氷を忍ばせており、恐ろしい冷温と同時に恐ろしい灼熱でもあった。
初め、意見は二分していた。
彼女の『破滅』は本気である。彼女の『破滅』はあくまで演出である。
しかし二分する意見は、スライレンドから届けられた“主人公”の姿によって一つにまとめられた。彼のあまりに緊迫した表情。そうだ、彼は言っていたではないか。彼女のことを、彼女もまた小さな『クレイジー・プリンセス』だと。
――彼女は本気である!
やがて誰もが混乱した。
ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
クレイジー・プリンセス・ティディアに比して取るに足らぬ劣り姫。とはいえ、暴走する姉をひょっとしたらほんの少しは止められるかもしれない頼りなくも常識的な優等生。
そのはずだった彼女が、変わってしまった。
誰が名付けたか『劣り姫の変』!
道徳や倫理に対し模範的な回答しか出してこなかった王女は、今、一体何を考えているのだ?
姉の夫に相応しいか、次代の王として相応しいか、それをテストする試練。
ニトロ・ポルカトは、それをアデムメデス神話の『花の女神と庭師の愛』に例えた。
――アデムメデス神話において。
花の女神と恋に落ちた人間の男は、女神を娶ることを許されるために神々の課した幾多の試練に挑み、二度死に瀕し、四肢を失い、目と耳を奪われながらも愛を貫き、最後には全ての神と全ての生命に祝福された。
だが、そこまでの試練は必要あるまい。
確かに彼女の教団は姉を『女神』と呼ぶ。
けれどもそこまでする必要はあるまい?
されど、妹姫はまるでそれこそを必要とするかのように『ニトロ・ポルカト』を攻めた。
熱狂に一息入れて考えを巡らせてみれば、信徒達の攻撃はまだともかく、女神像の攻撃は常軌を逸している。もし『戦乙女』の存在がなければ――いや、その存在があるからこその女神像であったのだろうが、それでも真面目な妹は姉の大切な恋人を真面目に殺しにかかっていた――そうとしか考えられないし、事実、彼女はそれを認めた。
そして最後に彼女が持ち出したのが『破滅神徒』……己との直接対決、また、己の命を天秤に掛ける脅迫的な難題。
真面目な妹は姉の大切な恋人を真面目に殺しにかかっていた、そうとしか考えられないし、事実、彼女がそれを認めたからこそ――彼女は本気である!――また彼女は真面目に背死の陣でニトロ・ポルカトと戦おうとしている……そうとしか考えられなくなってくる。
しかし、それでもアデムメデスの民は、それだけはにわかには信じられないでいた。
何故ならミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナは『王女』なのだ。
彼女がいやしくも『王女』であるからこそ、王国民にはそれを信じたくないという思いがあったのである。
何度も問う。本当にミリュウ姫は本気なのか? 本気で命を懸けているのか?
何度も考察する。破滅神徒――それは敵に破滅をもたらすだけではなく、自らも破滅する神徒だというのか?
何度も問う! そこまで姫君はやろうとしているのか!? 命懸け、命懸けで試練を克服してきた『ニトロ・ポルカト』に対し、自らも誠意を以て命を懸ける!?
いや、やはりいくらなんでもハッタリであろう。彼を逃がさぬためのブラフであろう。それともただの緊迫感を引き出すための演出に違いない。ニトロ・ポルカトが険しい顔をしていたのはきっと自分の中にある毒についての緊張のためだ。だから王女の命が懸かっているなど――しかし、女神像の、信徒達の鬼気迫る執念を思えば……何より、定例会見場に現れた和やかなミリュウ姫とはまるで別人の不気味な少女の姿を思えば……さらに彼女は一番の側近を突然解雇したのだ! それはまるで身辺整理のようにも思えないか!? 決闘の舞台として選んだ場所も正気の沙汰ではない。――ああ、解らない。つい先日には西大陸で『劣り姫』というあだ名を嘲笑うかのように姉の留守を預かる者として立派に成長したお姿を堂々と披露なされた貴女がまさか……いや、まさか? だが、だとしても、何故そこまで?
誰もが混乱していた!
ニトロが抱いていた戸惑いと疑念がそのまま表出したかのように、アデムメデスはひどい混乱の渦に飲み込まれていた。
あらゆる場所で、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナが語られていた。
彼女の思惑、彼女の行為、彼女の彼女の彼女の彼女の――乱心が!
一人の王女の乱れた心が、多くの人間の心を乱す。
誰も答えを見出せない。
あらゆる場所で繰り広げられる議論は堂々巡りし、頼りない推論は新たな推論を生んで支離滅裂な意見を構成し、結局困惑がそれらの口を閉じさせる。戒厳令でも発せられたかのように王家のあらゆる機関はこの件について沈黙している。超空間を跳ぶ船にいる天才に意見を求めても、その応答が返ってくるのは最速でも破滅神徒の示したタイムリミットの数時間前。今すぐ欲しい答えを賜ることはできない。
王国の民は一種独特の焦燥に駆られていた。
いやしくも我らが君主に連なる方の貴き命が懸かっている――その事実は、『ニトロ・ポルカト』の命懸け、とは別次元の意味を持つ。命は平等なのだと言う。なるほど命そのものは平等であろう。が、その命に人が付与する価値はどうしても平等とはいかない。ミリュウ姫は『王女』なのだ。次期王と目され、今後のアデムメデスに無くてはならぬと思われる少年がいくら命を懸けても、それとはまた違うのだ。ミリュウがもし大貴族の娘であればやはり話はまた違っただろう。が、ミリュウは厳然として王女なのである。
現実に生まれながらの王女様が我々の目の前で死ぬかもしれない――その事実の持つ衝撃は王を君主に戴く国の基礎部分に激しく浸潤し、国民の足元を揺らして激しく動揺させていく。
動揺は混乱する思考をさらに惑わす。
惑わして乱し、もう、誰もが答えを見出せない。
解っていることは、ミリュウ姫がニトロ・ポルカトを決闘に誘ったこと。真剣の勝負を挑み、今は申し入れた側・申し込まれた側の両者共に沈黙を貫いていること。加えて、もしニトロ・ポルカトが勝たねば、王女が死ぬこと。
そして、それ以上の事実確認を与えてくれる者は誰もいないということ。
この状況は、当然の帰結として凄まじい苛立ちを招いた。
『ショー』への熱狂が激しかったがために、それは瞬く間に猛烈な憤懣ともなっていった。
もちろん、憤懣の矛先はミリュウ姫に最も向けられていた。何か少しでも彼女からこの件への説明を聞ければ……しかし、彼女はシェルリントン・タワーから――まるで『ニトロ・ポルカト』のように姿を消してしまった。以降、王女の居所は誰も知らない。もしかしたら既に『霊廟』にいるのかもしれない。だとしたら、あの場所に赴き彼女を問い質すことのできる人間は限られている。王家の人間か、それとも『そこ』に入ることを特別に許可された人間のみである。しかし『そこ』に入ることへの許可を下せるのは王権を担う者か、王位継承権を持つ者のみである。そして王・王妃と第一王位継承者は国外におり、第三王位継承者も姿を消している。
そうなれば、後はただ一人。
そう、『ニトロ・ポルカト』――彼だけだ。
誰でも判り切ったことに、頼れる者は彼しかいないのだ。
その事実が、この件においては巻き込まれた“被害者”にすぎない――しかし途中からは積極的に参加していた主役である『ニトロ・ポルカト』に対しても憤懣の矛先を向けさせていた。
何故、彼は挑戦を受けた時、その場でミリュウ姫に問い質さなかったのだ。
何故、彼は挑戦を受けた時、その場で敵に決闘の受諾を返さなかったのだ。
何故、何故、彼は、彼は、本当に次代の王か? あのティディア姫の恋人なのか? 一晩も考えねばこの異常事態に対応できないのか?――やはりこれまでのことはヤラセで、ミリュウ姫が切り出してきたのはシナリオ外の『本番』で、あの男はそれに慌てふためいているのではないか?――もしや今頃、王女との決闘などという大儀に臆病風を吹かし、“ボク”を守ってくれる芍薬ちゃんに安全な場所へ逃がしてもらおうと頼み込んでいるのではないか?――テレビのコメンテーターが生中継の討論会で掌を返したようにニトロ・ポルカトを卑しめ、それに対する批判のあまりに番組が終了する前に降板する騒ぎがあった。一方で常に彼を罵倒し続けていた狂信的な『ティディア・マニア』が支持を集めていた。そこかしこで身勝手な意見や中傷が大声を張り上げ出し、彼を貶める声を恥知らずと罵る怒りも烈火の勢いを増す。
祭はもはや見る影もなく変質していた。
収まることのない感情が軋轢を生み、齟齬を来たし、まるでミリュウに呪いをかけられたかのように皆が不安にも似た暗い影の中にいた。
その暗闇はあまりに暗い。
暗すぎて方向も見定められない。
それなのに焦燥に駆られた人々はどうにか現状から逃れるために縦横無尽に走ろうとして転倒し続ける。
だからこそ、皆、心から求めていた。
毀誉褒貶が撒き散らされる渦の中、賞賛する者も毀損する者も、そこから逃れるためにはどうしたって求めざるを得なかった。
そう、彼だけを。
スライレンド王立公園の最も奥まったところ、公園として提供されていない王の私有地にある邸宅。92代王が友人の建築家・フィメックに建てさせた別荘。現在は一邸借り上げ型の宿として使われているその史跡で、激闘の疲れを癒している彼を。
ここにきて、改めて、アデムメデスの誰もが心から思い知らされていた。
結局、問題ばかり起こす王女達の何もかもは彼に任せ、頼るしかないのだ。それしかないのだ。
だから皆、渇望していた。
王の私有地内にあるため誰も入り込めず、不法侵入を企てたパパラッチも既に七人逮捕されたからにはどのような情報も期待できず、今、自分達にできることといえば、空撮の
ニトロ・ポルカトを。
アデムメデスは、渇望していたのである。