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――ミリュウは、夢に思う。
――瞳を明けて、夢に思う。
わたしだけだ。
わたしだけだった。
美しく賢いティディア姫。
やがてクレイジー・プリンセスとして君臨すると誰が知っていただろうか。
わたしだけだ。
お姉様に最も近い場所で、お姉様に最も遠いわたしだけが、ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナに最も近づくことを許されていた。
わたしだけだった。
お姉様の本当の姿を知っていたのは。
その御方は慈愛に満ちた親愛なるティディア姫にして、恐怖のクレイジー・プリンセスであると。
わたしだけがお姉様を理解していたのだ。
王女として過ごす時が経つにつれ、わたしは兄弟の中で埋没していった。
いつしか『劣り姫』と呼ばれ、見捨てられずとも見向きされなくなっていった。
でも。それで良かった。
わたしの居場所はティディアお姉様の影でいい。お姉様に比べて『劣り姫』と呼ばれるのなら、わたしにとってそれは勲章だった。
第一王位継承権を授けられたお姉様に敵はなかった。
お姉様は、それまでにあらゆる準備を整えていたのだ。
絶大なる国民の支持を背負い、幼い頃から星中を飛び回って得ていた情報に加え、三人の兄姉の『悪事』に加担していた者達の情報を握るお姉様に敵う者などあるはずもなかった。
太古の土着神になぞらえられた言葉――まさに八面六臂の活躍。
お姉様は手始めに当時進められていた中央大陸の税制改革の、隠されていた民にとっての問題点を指摘し、それを改めさせた。外交上問題となっていたセスカニアン星やラミラス星、アドルル共和国といったモッシェル銀河系に属する経済圏との協定に関し、系内最大の友好国であったセスカニアン星の全面協力を取り付けるだけでなく、国際会議に直接乗り込むや豊富な知識と巧みな話術を操り、不利に結ばれようとしていた案件を平等に、いや、“平等に見せかけた有利”に持ち込み見事締結させてみせた。
他にも大小様々な問題を短期間の内にいくつも解決し、あるいは解決への目処を付けさせた。わずか三ヵ月後に『王権』をも委譲させられる運びとなったのは何も不思議なことではない。当然の成り行きだった。そのためにお姉様は全てを計算し尽くし、そしてその全てに必要なことをずっとずっと完璧に遂行してきたのだから。
名実共にアデムメデスの実権を握ったお姉様は、ついに言った。
「王権を以て、今後、私以外の人間が『ティディア』と名乗ることは許しません。違反すれば1兆リェンの罰金を科します」
今では『クレイジー・プリンセス』の代表事例とされる初の異業――その無茶苦茶な法律が王権によって強制成立させられた時の国民の戸惑いは凄まじかった。
父も母も狼狽していた。
お姉様が王位を欲しているだけと考えていただろう三人の兄姉も、面白おかしく暴れる『クレイジー・プリンセス』の登場には混乱したはずだ。お姉様のちょっとした思い付きで『犬』と呼ばれていた執事までも、その時ばかりは唖然としていた。
皆が皆、誰も彼もが慌てふためいていた。
ティディア姫は何がしたいのだ!?――と。
正直に告白する。
わたしはその時、優越感に満ち、この上ない愉悦に恍惚としていた。
『わたしだけが、お姉様を最も理解している』
それ以降、本性を現した、豹変した、先例に漏れず乱心した――等々言われながら、お姉様は希代の王女の顔とクレイジー・プリンセスの顔を見事に使い分けた。
内政、外交の懸案をいくつも解決し続けながら、本来伝家の宝刀として慎重に扱われるべき王権を公私混同も意に介さず派手に扱い、官民問わず気に入らない者には即座に厳しい処分を下して――やがて最恐の王族と呼ばれるようにもなった。
そして同時に、その反面、『慈愛に満ちた親しみ深いティディア姫』も圧倒的な存在感を示し続けていた。民の味方となり、民の立場からも国のシステムを恩恵高く整備し直し、いくつもの慈善事業を運営し、それによって救われた者は数知れない。
名君なのか暴君なのか絶妙な所で判断しかねる第一王位継承者。
敬愛だけでなく厭悪をも受けるようになりながら、それでも希代の王女は慕われ、覇王の再来と畏れられ、また、アデムメデスをより繁栄に導く女神とも讃えられた。
ああ……お姉様のバランス感覚は神懸っていた。
いつ何時幾度思い返してもため息が出てしまう。
未だかつて、お姉様の失脚を心から望む声を聞いたことはない。
どんなに多数派を敵に回しても負けず、逆にそれがどれほどの多勢であっても最後にはお姉様に切り崩されて烏合の衆と変わり果て、当然お姉様を止められる者はどこにもなく、またどんなにクレイジー・プリンセスの暴挙が吹き荒れても、無敵の王女様の活躍を目の当たりにしてはお姉様の才覚を求める声が非難の息を途絶えさせる。
結果として見れば、お姉様が全力で良くも悪くも大暴れを始めた後の方が、お姉様の虜となった者の数は多いだろう。
それまで抑えられていたお姉様の真のカリスマは、アデムメデスに残っていた前第一王位継承者の冷たいカリスマを極熱の風の下にあっという間に消し去った。
わたしが生んだ『ティディア・マニア』という言葉は一般名詞となり、その熱狂と狂信の嵐は、健気で賢い王女に過ぎなかったティディア姫を
それに……こう言うと傲慢極まるけれど、お姉様の後には『わたし』がいる――というのも少しばかり大きかっただろう。
お姉様が先の兄姉のように失脚しても、次に控えるのは地味な優等生だ。神に類するカリスマを持つお姉様に比べてあまりにも劣る姫。例え“本性”を現したとて、恐れるに足らない『劣り姫』。
……わたしは知っている。
お姉様は、三人の兄姉を利用し尽くした。
愚かな兄姉のために賢いお姉様の光は強まり、また悪徳の兄姉を泳がせることで将来『敵』となりうる者らの弱みを握った。有能かつ使える者ならば『味方』として用い、それらに感謝と忠誠を自ずと沸き起こさせ、無能有能に関わらず使えない者は無慈悲に切り捨てた。今も、いつお姉様に弱みを突かれるかと怯えている者はいるだろう。お姉様にその気はなくとも、お姉様が存在する――それだけで脅威は振りまかれている。同時に彼らは『生き残った同輩』の姿に希望を燻らせているだろう。いつか自分も、と。お姉様にその気はなくとも、お姉様が存在する――それだけで祝福の兆しは振りまかれている。
わたしは知っている。
お姉様は、わたしのことも利用した。
わたしを可愛がることで、お姉様は優しい姉として――『優しい王女』としての立ち位置を確実にしていた。それだけではない。わたしが『優等生』に育つことで、お姉様は人を育てることのできる、ただ己ばかり賢いだけの人間ではないことも広く知らしめた。出来の悪い妹にかまける愚かさで作られた仮面により最後まで兄姉達の目を欺き通し、そしてクレイジー・プリンセスの片鱗を、わたし以外の誰にも、誰にも悟らせなかった。
わたしは知っている。
これまでずっとわたしは利用され、これからも、ずっと利用され尽くされようとしていることを。
わたしは知っているのだ。
お姉様がわたしにしてくださり、して下さろうということ全てに、お姉様のわたしへの真心はないことも!
……けれど。
それでも、それら全てはわたしにとって、この上ない喜び。
お姉様のお役に立てることだけが至上の幸福として胸を満たす。
そうだ。わたしは役に立っているのだ!
そして。
わたしに与えられた大切な役目の一つを……既に演じ終えているのだ。
悲しくはない。そのような悲しみはただの感傷だ。至上の幸福に勝ることはなく、またそれを侵すこともない。
それに、わたしにはまだ役目が残っている。
クレイジー・プリンセスの後に控える『優等生』という安全弁。それを演じ続けることが、そう在り続けて最後には『歯止め』となることが、今後のお姉様への最高の力添えとなる。
わたしには役目がまだ残っている。
才能溢れるパトネトのお守役。クロノウォレス
それが、その二つこそが、わたしに残った二つのお役目。人生を捧げるに相応しい素晴らしい大役!
わたしは知っている。
遠からず弟はわたしの下を離れ、お姉様と共に空に輝くだろう。
知っているのだ。
そしていつかわたしは、お姉様の手によって、わたしは……お姉様に対抗するよう仕向けられることだろう。
お姉様に逆らうことは本意ではない。その時はパトネトにも“嫌われなくては”ならないから、本意なんかではありはしない。
けれど、お姉様がそれを望むならば、わたしはそれに応えたい。
そうだ。お姉様の手によって、わたしはいずれ独り、お姉様の味方でありながら、お姉様に反抗できる勢力の
それは、栄誉!
神との密約を抱く反逆者にしか与えられぬ不可侵の栄光!
その光の下でのみ、わたしはわたしの女神様に決して見捨てられることはない――その証を生涯に渡って見ることができるだろう。お姉様と体の距離を離しながらも心はより近しく祝福を賜り続け、そうして至上の幸福を噛み締め続けられることだろう。
わたしは、お姉様のために、この身も魂も捧げるのだから……そんな幸せくらい望んだっていいだろう?
例え、いつか太陽に焦がれながら寂しく死ぬのだとしても。
それこそがわたしの存在理由なのだから。
――……そのはずだったのに。
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