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 ホテル・ベラドンナの座する王都は、日没を迎えていた。
 一つだけある窓から部屋に射し込む光は血のように赤い。
 不気味に赤く染め上げられた部屋の中で、戦闘服を着込んだニトロは、
「ぅぬおおお」
 両手で顔を覆って悶絶していた。
「大丈夫カイ!?」
 ニトロの下に横たわる黒の上下を着たアンドロイド・芍薬が声を上げる。
「アリャコリャ失敗失敗」
 そう呑気に言うのは牡丹である。
 顔を覆うニトロの手の隙間からは血が滴り落ちていて、芍薬がそれに気づいて今一度大きな声を上げる。顔だけでなく後頭部も打った痛みに悶えて動けないニトロの下から巧みに抜け出し、慌てて救急キットへ駆けていく。
 さて――この現状はどうしたものであるか。
 ニトロは、戦闘服に施された新機能の一つ……例の精神感応金属を用いた人工筋肉や装置によるアシスト機能のためのテストを行っていた。
 この機能。例えば50kgのダンベルを持ち上げるのがやっとの者が200kgを持ち上げられるよう戦闘服が補助してくれる――つまりはパワードスーツとしても働いてくれるということなのだが。
 もちろん、静止状態からその機能を用いるのは簡単である。ニトロは芍薬アンドロイドと手を合わせた状態から力比べをして、最終的に負けたにしろそれなりに互することができた。
 問題は、動作中である。行動に合わせた補助機能のON・OFFには少々の難点があり、その難は、単純に、使用者の意識や感覚が補助に追いつかないというものだった。
 例えば階段を三段飛ばしで上がるのがやっとの人間が、突如として十段飛ばしをしてしまったら?――普段の三段飛ばしの感覚に設定された脳と神経がついていけないのだ。そのためにバランスや体操作の感覚が齟齬をきたし、故にかえって怪我等の好ましくない結果を得てしまう可能性がある。『敵との戦闘』を見越せば、それは看過できないものだ。
 そのため、ニトロはここまでの時間を『感覚』の設定――どういう時に補助機能をONとするか、しないか。また、補助はどれくらいの出力までを可とするか――その詳細を探ることに費やしていた。
 渾身の蹴りを放つ際の補助は? 出力は?
 敵の攻撃を防御する際の補助は? 防御の仕方による出力の差は?
 アシスト機能は遠隔操作も可能であり、では、芍薬の操作に従う時に自分はどのような体勢を取ればいいのか。アシストに身を委ねるために余計な力を抜く必要があるが、力を抜こうとしても抜けきれない力まで考慮せねば体に無理な負荷がかかってしまうだろう。関節の可動域はどうか。運動しはじめの体が温まっていない場合と温まった後、そのどちらもの限界値を正確に把握しておかねばならない。芍薬のアシストが始まる際の合図も決めねばならないし、ニトロが芍薬へアシストを頼む際に信号を発するよう精神感応装置へ設定もしなければならない。
 芍薬を相手にシミュレーションを重ね、以前の物から何バージョンもグレードアップした戦闘服の“着こなし”も兼ねてスパーリングを重ね、得られたデータを元に牡丹がチューニングし、チューニングした後に反復して改めて感触を確かめる。そうやってずっと調べてきていた。
 そして、事故は、相手に捕まえられた際の検討中に起こった。
 ニトロは芍薬に関節技をかけられ、完全に極めかけられた瞬間、反射的に――練習で染み付いた動作でほぼ脊髄反射に――技から抜けられる唯一の方向へ飛ぼうとした。彼の頭には芍薬=アンドロイド=機械の力という意識がよぎり、機械の力に対する彼の連想が働き、そして、それを敏感に感じ取った人工筋肉が脅威に対抗するためにフルパワーで働いたのである。
 結果、ニトロは、飛びすぎた。
 芍薬を道連れに天井に激突! 落下する最中、芍薬が慌ててクッションになろうと体勢を辛うじて整えたものの、天井に後頭部を強かにぶつけたニトロはろくに動けず、彼の下敷きとなることを望む芍薬へフライングボディプレスをかます状態で着地。その際に顔面強打。芍薬がクッションになってくれたおかげでダメージは減じられたものの鼻血はブー。
「早速使うことになるとはねー」
 ジジ家・トランクに詰められていた医療品。止血剤を入れた点鼻スプレーで鼻血を止めたニトロは、芍薬に濡れタオルで血を拭われながら言った。
「いや、参った参った」
 苦笑し、心配げな顔のままでいる芍薬に笑顔を返す。
「もう大丈夫だよ」
 甲斐甲斐しく治療を施していたアンドロイドは、そこでようやく安堵の表情を見せた。いくら芍薬に似ているとはいえ――いや、似ているからこそか――機械人形を『芍薬』と認識するにはまだ違和感があるものの、しかしその反応に確かな面影を見てニトロも安心する。
 彼はテーブルの上でちょこんと座っている牡丹の肖像シェイプに顔を向け、
「実戦中だったらと思うとぞっとするよ」
「過剰反応ノ要因ハ『関節ヲトラレル恐怖』ヘノカウンタートシテ『機械ノ力ニ対抗シテ』『飛ブ』ノ二点ガ強調サレ過ギタセイダネ。恐怖感ヘノ反応ヲ抑制シテ、他ノ因子ト相互ニバランスヲ取ルヨウ修正シテオク。デモ今ノ失敗ハ役ニ立ッタヨ。ニトロ君ノ“反射”ハ練習シタコトニ忠実ダッテコトニ確信ガ持テタ。コレマデノトレーニングノ蓄積ガソノママ使エルカラ、ウチニ保管シテアルソッチノデータトモ照ラシ合ワセテオク。コレデ、ココデ検証デキナイパターンモカバーデキルヨ」
 このような事故を未然に防ぐためにやってきた『師匠』のサポートA.I.は淡々と続ける。
「ダケド、今ココデ設定シタ状況ニ対シテモ、コレマデノ経験ニ対シテモ、全テニ対シテ補助アシストガアルト思ッテ行動シナイヨウニ」
 それはつまり、アシストがないことを前提にしながらアシスト機能を利用しろということだ。
 正直、
「なんとも高度な要求だね」
「ソレクライデキルヨネ」
 しれっと言う姿には、まさに『師匠ハラキリ』そっくりの態度がある。ニトロは堪らず片頬を引き上げた。
「うん、頑張るよ」
「ウン、頑張ッテ」
 言ってすぐさま目を伏せデータと向き合う牡丹の姿は真剣そのもので、普段の愛嬌振りまく様子とはまるで違う。こと仕事に関しては真面目となるのはきっと育ちのせいだろう。
 ニトロは戦闘服の設定の按配について思案顔を見せる牡丹から視線を外し、そして視線を動かした先にも思案顔があるのを見て首を傾げた。
「どうかした?」
 マスターの問いに、芍薬が答える。
「動キガアッタ」
「見るよ」
 一も二もないニトロの即断に、芍薬はうなずいた。
 ニトロの前に宙映画面エア・モニターが表れる。
「チョット様子ガ変ワッテキタネー」
 と、平時に戻り、呑気な声を牡丹が上げる。
 宙映画面エア・モニターがプカマペ教団のサイトを映し出すのを見つつ、ニトロは芍薬を一瞥する。
「西副王都デノ会議、アレガ影響シテイル」
 芍薬は言った。
「アノ『雄姿』デ、ファンガ増エタ。ソノ上、モシヤアノ雄姿ハ“『ニトロ・ポルカト』ニ関ワルコトデ彼女ハ成長シタ”タメナノカ? ッテイウ推測ガ立ッテ、ダッタラ二人ノ『対決』ヲ煽ルノハ国ニ良イ結果ヲモタラスノデハ? ッテ流レガ生マレタ」
 ニトロは苦笑した。
「随分、都合のいい解釈だね」
「困ッタコトニ」
 と、ニトロの言葉に答える代わりに、芍薬は話を進めた。宙映画面には生中継の動画が表れ、そこには歓声を上げる群衆が映し出される。
「バカノクロノウォレスデノ歓迎サレップリガ、主様ガ王女ニ好影響ヲ与エル――ッテ説ヲ保証シチャッテテテネ。本当ニオ祭騒ギサ。『ティディア姫ノミナラズ、ミリュウ姫マデモ輝カセル。ニトロ・ポルカトハ、アデムメデスノ栄光アル未来ヲ“補強”スル』ッテ。……残念ダケド、ソレヲ否定デキルダケノ材料ガ今ハ無イ」
 ニトロの目には、プカマペ教団の衣装に身を包んだ群集がある
 群集はスライレンドの王立公園にいた。『赤と青の魔女』が討たれたとして記念碑まで建てられた広場で、群集は、ミリュウ姫の姿をしたプカマペ教団の信徒三人を囲んで歓声を上げていた。
 三人の信徒が手を組み、跪く。
 群集が一斉に口を閉ざした。一瞬にして沈黙が訪れ、それ故に、その沈黙はニトロには恐ろしく思えた。
「色ンナ考エデ参加スル者ガイルヨ。ミリュウ・ファンモイレバ、タダ騒ギタイ奴モイル。国ノタメ、ナンテ奴モイレバ『ティディア・マニア』デ主様ヲ誹謗シタイッテダケノ下種モイル」
 信徒が、朝に見た唱え言葉を口にし出す。
 それを追って、群衆も唱え出す。
 宙映画面がふいにサイコロの五の目のレイアウトに分割された。
 中央にまだ何も映さぬ黒い画面が現れ、画面の右上隅の一つは引き続きスライレンド王立公園の様子を映し続け、他の三隅にはそれぞれ別の箇所の映像が流れる。
 ニトロは、その新たな映像の一つがウェジィのメインストリートであることを知った。他の二つは判らない。
 と、また、三つの画面はすぐに別の風景を映す。
 ニトロは、その一つが西副王都のミリュウが今夜滞在する宮殿前だと知った。他の二つは判らないが、国のどこかだということだけは理解できる。
「……」
 ニトロは、知った。
 今、星中で、プカマペ教団のあの祈りが合唱されていることを。
 そしてその祈りは――その内容はプカマペ神に呼びかけ、女神ティディアを讃え、文言だけを考えればその加護を求めるものではあるが……しかし真の意味は『ニトロ・ポルカトへの呪詛』に他ならない。もちろん、唱えている者達のほとんどにその意図はないだろう。自分を誹謗しようという思いを込めて祈る者は――画面にクローズアップされたような、熱狂して唱える『ティディア・マニア』であろう男のような者はほとんどいまい。
 しかし、例えそうだとしても、
「……地味に効くね」
 否が応にも、自分がこれだけの人数の注目の中にいることを自覚させられる。『漫才』のイベントで浴びるものとは違う視線。意図はばらばらであるはずなのに、意図に関わらず一斉に向けられる無数の目・目・目は恐ろしく、無数の口が一つとなって不幸を願う大合唱に、自然と唇が固く結ばれる。
 なるほど、ミリュウ姫は本当に変わった。こんな搦め手、こんな精神攻撃まで用いてきて、しかもそれを巧みに利用してくるなど……本当にあの姉を髣髴とさせる。
(そんなところまで似ようとしなくていいのに……)
 未だ何も映していなかった中央の画面にぼんやりと何かの影が浮かび、どこか心臓の鼓動のような音がかすかに聞こえ始める。それを見つめながらニトロは口元を緩めて一つ息をつき、
「ティディアの方は?」
「アイアイ、ソノマトメハぼくガシテオイタヨー」
 ニトロが牡丹を見ると、牡丹は“誉めてほしい”という顔をしている。
「ありがとう。牡丹が来てくれていて、助かるよ」
 牡丹は満足そうに満面の笑みを浮かべ、宙映画面を二つに分割した。
 プカマペ教団の『祭事』が映される画面が小さくなり、新たな画面にクロノウォレスの情報が映し出される。
 表れたのは、歓迎されるティディアの姿だった。
「うわ」
 ニトロはうなった。
 先に芍薬がティディアへの歓迎が大きかったことを示唆していたが、それを踏まえても予想を超えた歓迎されっぷりであった。
 それは記念式典へ招待した国賓を迎えるパレードの一場面。
 ティディアを乗せたオープンカーが進む道の両脇には、凄まじい数のクロノウォレス国民が詰めかけている。明らかに他のどの国の代表に向けられるものよりも大きな声が上がっている。
 本当に凄まじい。この歓迎されっぷりは凄まじすぎる。
 過去の記憶から王制・王族への拒否感を持つ民衆の反応とはとても思えない。それとも、拒否感を持つからこそ“特別な王族”へのこの態度なのだろうか。
 これでは、まるで、ティディアがクロノウォレスの王女のようだ。
 牡丹のまとめた映像には補足情報が記されていて、観衆のある所に『↓』が示されたかと思うと『失神者有り』と知らされる。一つ、二つ……五つ、まだ増えつつある。
 絶世の美女にして蠱惑なる王女を一目見ようとしているだけ――とはけして言えない大歓迎と大歓声は、アデムメデス人の心に響くものでもあった。
 あの偉大なる王女を戴く国の民であることへの誇りが自然にくすぐられる。
 そして、まるで「我らが子らよ、それを誇れ」とでも言うように、ティディアはクレイジー・プリンセスのなりを完全に潜め、派手でもなく地味でもなくこれ以上ないほど場に相応しいドレスに身を包み、気高い品と格と威厳とをまとい、慈愛と友好を伝える美しい笑みを湛え、完璧な立ち居姿で堂々と胸を張り、クロノウォレスの希望の道を神聖なる者のごとく進んでいる。
(なるほど)
 ニトロは、芍薬の言っていたことを改めて実感を加えて理解した。
 映像の中に良いタイミングで小窓が開き、先方国のメディアの様子が紡ぎ出される。アデムメデスの王女について語られるそこかしこでは暗に、または明確に『恋人』の存在が示され、その『夫婦』の治める国の未来と自国の未来をつなぐことで希望が描かれ、それはつまり――次代、次々代においてもクロノウォレスがアデムメデスとの末永い良好な関係を希望し期待していることを確実に示していた。
 牡丹は一方で反対意見も拾ってくれていて、ネットの片隅にはティディアへの熱狂は亡国への道であると非難している者もいるようだが、それも若い弱小国クロノウォレスが多大な利益を生む技術の利権を求める古狸や妖狐らを相手するにあたって、中堅興隆国アデムメデスの経験と勢いと第一王位継承者の国際政治力の庇護下にあるという現実の前では通用しない。事実、アデムメデスが交渉に加わることで国際的にクロノウォレスが利権を守れた“実績”もあり、ティディアをないがしろにすることこそ亡国への道だと反論されてもいる。
 そう――まさに現実として、アデムメデスに輝かしい未来を約束する女神は実例的にその威光をもって他星を照らし輝かせているのである
「……こっちの様子は?」
「コンナ感ジダヨ」
 今度は芍薬が宙映画面を操作した。三つ目の画面が現れる。さすがは芍薬、そこには、ニトロの思い浮かべた通りの光景があった。
 チャンネルはATV。雇われ名物キャスターが、クロノウォレスこくのティディアへの態度について熱っぽく語り、そしてそれをミリュウの『成長』に絡めてアデムメデスの栄光ある未来を強調している。曰く、
<我々は、歴史に残る『黄金期』の黎明を見ているのかもしれません!>
 映像が切り替わり、JBCSのベテランコメンテーターがスタジオのタレント・アナウンサーにミリュウの『成長』の意義を語っている。曰く、
<ミリュウ様はニトロ・ポルカト様と並んで『クレイジー・プリンセス』への歯止めとなりうる――そんなことまで予感させてくれたのです>
 さらに映像が切り替わり、他国にまで神威を広げる女神の威を薄れさせてはならない! と吹き上がる『ティディア・マニア』のサイトや『ミリュウ姫を味方した方が面白くなるだろう』というある種“判官贔屓”なコミュニティの反応、ケルゲ公園駅前での巨人との死闘以来動向を見せないニトロ・ポルカトへの文句も出始め、それに対して沈静化を呼びかける『ティディア&ニトロ・マニア』のサイトに、逆にそれに反発する『ティディア・マニア』の――……
 ニトロは、大きな吐息をついた。
 晴れやかな光が増すだけ、それだけも濃くなってきている。
「この辺で止まっておかないと、危ないね」
 ニトロは言った。
 その声には、いや、その前の吐息にも嘆きの響きはなく、ただ現実を前に淡々と対処する態度を示すマスターに芍薬は思わず微笑み、
「ソウダネ」
 始めに映された宙映画面の『プカマペ教団の祭事』は大歓声と熱狂をもって幕を閉じていた。ティディアを讃えた後、三人の信徒の姿がまるで魔法のように消え――光学兵器の応用だろう――その神秘性の演出に観衆が喝采を送っている。
「ヒョットシタラ『マニア』同士デ小競リ合イモ起キルカモシレナイ」
 ニトロの懸念を芍薬が追認する。彼はふむと鼻を鳴らし、
「そこまでいくと輪をかけて笑えないや」
「御意」
 敵の勢いの拡大を見ながら冷静に話をするニトロと芍薬を、牡丹は不思議な面持ちで二人を見つめていた。
「……何ダカ、他人事ミタイニ言ウンダネ」
 少なくとも芍薬は――牡丹の知る芍薬は、怒り心頭の態度を見せるはずなのにそれもない。
 牡丹の戸惑いに芍薬は微笑し、ニトロも眉を垂れ、
「他人事じゃないよ」
「ジャ、ナンデ?」
「現実は受け入れる、それだけだよ」
「ヨク……ワカラナイ」
「キット牡丹モソノウチ解ルサ」
「…………ナンカ、ズルイ」
 一人だけ除け者にされたような気がして、牡丹がすねる。
 その様子にニトロと芍薬は顔を見合わせ、また笑った。
 二人の姿にさらに牡丹が唇を尖らせぼくも混ぜろと“いやいや”をする傍らでは、クロノウォレスのジャーナリストが心身ともにひどく緊張し、蠱惑の美女へのインタビューを行っていた。どうやらこれはつい先刻の映像らしい。話題は妹姫、ミリュウのことに及び、ティディアは西副王都での妹を示して目を細め、
<私の妹は、偉いでしょう?>
 そのセリフを傍耳にして、ニトロは思った。
 きっとミリュウはこの言葉を聞き感激していることだろう。それなら彼女がまた勢いづくことも視野に入れておかねばならない――と。

 そして、実際――

私の妹は偉いでしょう?>
 ミリュウはニトロの思う通りに感激に身を震わせていた。「よろしゅうございました」と繰り返すセイラの言葉を受けながら耳まで紅潮させて涙ぐみ、人生最高の時を謳歌していた。
 誰が名付けたか『劣り姫の変』。
 二日目は、ティディアの栄光がアデムメデスを照らし、その光の下でミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナの存在感が増し、王女姉妹の間にニトロ・ポルカトが漂って……そして、夜を迎えた。
 蒼と赤の双子月が天に掛かる。
 美しい満月の夜だった。


 三日目はさらに動きの少ない一日であった。
 プカマペ教団の祭事――日の出と日没時に行われる唱え言葉の合唱は教団信徒の姿がなくとも各地で開かれるようになり、それに参加する者の数は時が進むにつれて増え続け、教団のサイトに流れる謎の心音は大きさを増していき、それを報道するメディアの熱は止まることを知らない。
 が、その一方で、増し続ける熱量を消化するための『イベント』は一つも起こらなかった。
 クロノウォレスの式典で大歓声を受けながら両国の友好と発展を願う第一王位継承者の美しくも誇らしい姿、また、人の変わったような第二王位継承者が重要にして大規模な国策へ認証のサインを毅然として記した姿――それらがアデムメデスの目を満足させたことは確かだが、しかしそれだけでは、肥大した祭の熱に巻き上げられた願望が衰えることは決してなかった。いやむしろ、太陽のごとく輝く王女と、ようやく自分の空で輝き出した月――ティディアとミリュウの王女姉妹が放つ光熱に願望の喉は渇くばかりであった。
 祭には、ある種の犠牲が必要なのである。
 神に捧げられる生贄、荒い昂ぶりを鎮める暴力的とも映る行為、人々の怒りを、あるいは切実な願いを一手に引き受ける神代。
 今やアデムメデスに必要とされるのは、それだった。
 ――ニトロ・ポルカトは、『劣り姫の変』にそもそも乗る気はないのではないか?――
 だから、生贄ヤギになれ、カルト教団を排除する暴威ヒーローともなれ、また祭りにおけるあらゆる感情を一手に背負うこともできる “もう一人の主役”が一向に姿どころか動向すら見せないことは、人心に大きな不安を呼んだ。
 ティディア姫の『夫婦漫才』の相方として知られる彼は、それだけに、真面目で、そして筋の通らぬことを嫌うということを衆人に知られている。筋の通らぬ突然の悪戯を仕掛けてくる『恋人』を毎度毎度根負けせずに叱責し続けていたことも、皆、よくよく知っている。であれば無断で今回の仕掛けを講じたミリュウ姫に対し、怒り、その行為を無視を決め込むことで潰しにかかっているのではないか? そう思われ、それが筋の通る理屈であるために、余計にこの『劣り姫の変』が空回りに終わる危険性を誰もが感じ始めていたのである。
 だからこそ。
 西日の射す王都。
 まさに太陽の沈む先から中央大陸に戻ってきたミリュウ姫を乗せる王家専用機が降り立とうとする滑走路に人影があることが確認された時――そして各放送局のカメラが陽炎ようえん揺らめく滑走路に立つ人影の正体を『ニトロ・ポルカト』であると暴いたその時。
 くにが、揺れた。

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