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――ミリュウは、夢を見る。
――瞼を閉じずに夢を見る。
好きなものは、少ない。
怖いものはたくさん。
優しいお父様とお母様は、好き。
何万もの瞳は怖い。
可愛い弟は大好き。
一番上の姉は、冷たいから、怖い。
だけどもっと怖いのは、愛するお姉様。
一番上の姉は威圧でわたしを支配した。
それでも最も怖いのは、心から愛するティディアお姉様。
お姉様に見捨てられることこそが、わたしの最大の恐怖。
十歳の誕生日のこと。
毎年両親の手で開かれていたバースディパーティーは、パティが生まれる間近だったから、だからわたしが中止することを希望して、ただプレゼントに元気な弟を希望して、それが受け入れられて開かれないこととなった。わたしは本当にパーティーがなくても良かったのだけれど、するとお姉様が、セイラと一緒にとても小さな――けれどとても幸せなパーティーを開いてくださった。
静かで、落ち着いて、暖かな夜。
蜜蝋の灯火の下、お姉様がセイラと作ってくださった素晴らしいご馳走を前に、お姉様はわたしに多くの人を見て、多くの人と触れ合いなさいと改めておっしゃった。
また、その時、父と母を手本になさい、と、初めておっしゃった。
思えば、お姉様は初めからわたしをそういうつもりで育てていたのだろう。
幼い頃からお姉様は様々な体験学習をお与えくださった。お姉様に連れられて本当に色々なところに行った。両親の公務についていくこともあれば、王女として多くの場所に遊学に赴き、時に『お忍び』で外の空気を知った。
お姉様の発案で、セイラを『従妹のお姉さん』に仕立ててファミリーレストランへ行ったことがある。そこでフライドポテトを同じ皿から取り合いながらケラケラ笑っている学生達を見た。その光景を目にした時、わたしは幼いながらに己の手に入らぬものへの憧憬を覚えた。お姉様は、ただひたすらに王女の瞳で学生達を観察していた。
……やはり、お姉様は全てにおいて正しい。
わたしは……わたしの体はお姉様に近いけど、わたしの心は父と母に近い。
わたしはお姉様には、いいえ、お姉様のようにもきっと絶対になれないだろう。
お姉様に連れられて多くの人を見て、多くの人と触れ合う中、わたしは幼いながらに、その時には既に心の全てでそう思っていた。だから、お姉様に父と母を手本にするよう言われた時、心のどこかでは安堵もしていた。
例えどんなにおぞましく思おうとも、わたしはお姉様のように敵を『殺せない』。
それならば、父と母を手本にした優等生の王女を目指すことがわたしにとって最も正しい道だった。それにわたしが『優等生の王女である妹』となれば、わたしはお姉様を最も支えることまで可能となる。なぜなら、わたしが優等生であればあるほど、わたしをそのように育てたお姉様への賛辞がより一層強まるのだから。
ああ、お姉様は、何事においても真に正しい!
わたしはお姉様こそが次期女王に相応しいと思っていた。
いいえ、わたしだけではない。ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナが王位につく未来を求める声は、その頃から数多く聞こえていた。
お姉様は初めからとても優れた王女だった。
公務の他にもお姉様は実に様々な場所に足を運んでいた。一日たりとてじっとしていたことはない。民と官を渡り、貴族と公民と交流し、そうやってお姉様はこの国の様々な情報を集めていらっしゃったのだ。
優しく、国のことを考える王女様。
賢いだけでなく、時折“可愛らしい悪戯”好きな面を見せ、人間味溢れる愛嬌を覗かせる親しみ深いお姫様。
優秀、天才、そんな誉れは生温い。まさに、奇跡の女王候補。
当時からお姉様が王に助言したことで始められた福祉や教育に関する政策がある。それは現在でも優れた政策として、数少ない父の功績として輝いている。お姉様が進言したことで、クロノウォレスを始め、アデムメデスの援助を打ち切られずに済んだ国もある。そしてそこから得られた結果は現在最も光を放つ父の――いいえ、お姉様の実績として未来を照らしている。
明晰なる頭脳と蠱惑たる美貌を備え、国の未来を真剣に考える王女が次代を担うことを期待するな。と、言う方が愚かだろう。
しかし、そのような声は、公には大きくなかった。
なぜか。
理由は簡単だった。なぜなら、それをお姉様自身がきっぱりと否定していたからだ。
そのことを世間に強く印象付けた事件がある。
第一王位継承者であったロイスの失脚時、コメントを求められたお姉様は、インタビュアーの『意地悪な質問』に対して無邪気にこう言った。
「私はソニアお姉様こそが女王に相応しい。そう考えています」
次兄のディエンが第一王位継承権を賜る儀式前のことでもあり、それは衝撃的――などという形容では追いつかない発言だった。一瞬にして国が騒然とし、次に激しい論争に王国が揺れたことをよく覚えている。
お姉様は、ずっと『妹』としての立場をわきまえていた。
どんなに自分のことを褒め称えられようとも、一貫して次期王位を支える妹として兄姉を立てていた。
本当に……三人の兄姉に対し、従順で、健気で、謙虚で物分かりのいい妹だった。
確かにお姉様の切れすぎる頭と国民の支持は兄姉にとって脅威だっただろう。けれど、才能と人気がある一方で、お姉様は “出来の悪いミリュウ”と末弟にかまける“頭の悪さ”を持っていた。その甘さは兄姉に対する無邪気な従順さとあいまって彼らが抱く脅威を薄めさせるにあまりあり、兄姉達のお姉様に対する認識は一貫して『味方にするべき人間』であり、また『利用価値の高い
――それなのにお姉様が。そのような妹姫であるはずのティディア姫が、驚異的な爆弾を落としたのだ。
わたしは当然次兄が怒り狂うと思っていたが、そうはならなかった。彼の反応に驚いたのはわたしだけでなく、皆もそうだった。
ディエンはお姉様の発言に対して、何も怒りを見せなかったのだ。
それどころかティディアお姉様に対し相変わらず――ロイスと同じように――実に良き兄として振舞った。振舞い続けた。
後にお姉様は笑って語った。
「あれで、王位継承権移譲に関わる論争が変わったでしょ?」
きっと、ディエンにもそのようなことを吹き込んでいたのだろう。
実際、あの発言のために、ロイスとディエンの両者間のみにクローズアップされていた論争は、ソニアやティディアお姉様、それにわたしと末弟をも含めての論議となっていった。そう、いつの間にか、二王子間の比較論争は、改めて王位継承権の意義を問うものへと変化していたのだ。さらには、大人の対応を見せたディエンへの支持が、それまで上に下にと燻っていたのが嘘のように急激な右肩上がりの線を描いた。
お姉様から『女王に相応しい』と名指しされたソニアは、その支持の増加に浮かれるディエンを心地良く見守っていただろう。
長姉の氷でできた瞳と呼ばれた冷たい眼差しも、唯一、ティディアお姉様に対してのものだけは色が違っていた。
それもそうだろう。ソニアはきっと確信していたはずだ。誰が何を言おうと次期王位は自分の物だと。そしてそれは『ティディア』の言葉の通りに、と。この便利な『妹』は、私に王冠を運ぶために神が使わしたのだ――と。
事実、ディエンは第一王位継承権を二年の短さで失った。
再度の大スキャンダルによる王位継承権移譲の大問題は、さして大きな論議にはならなかった。むしろ二年前のティディア姫の予言が的中したとして大きな騒ぎになっていた。次兄をなじる声よりも、お姉様を讃える声が大きかったことを覚えている。その頃、ティディアお姉様は、既にそれほどの影響力を持っていたのだ。
新たに第一王位継承権を手に入れた長女ソニアは、一目見ただけでその冷ややかさがゆえに心に焼きつく美貌を誇り、『水晶の美女』と呼ばれていた。言動の端々に表れる傲慢さと権力への志向性から国民の反感を買いながらも、それでもカリスマ性は二人の兄らのそれを軽々と凌駕し……日々次期女王としての王威を増していた。
長姉の問題発言は、数多い。
けれど、どんなに民を見下した言葉を発しても、ティディアお姉様がフォローし、健気に取り繕うことで民の反発を緩和していた。
わたしは、その頃にはもう不思議には思わなかった。
お姉様が、どうしてあのような人でなしどもを兄姉として“慕って”いたのか。
ソニアは安心しきっていただろう。
まだロイスが第一王位継承者だった頃、一度、ソニアがわたしに詰問したことがある。
ティディアの『夢』を聞いたことがあるか、と。
わたしは長姉の恐ろしさに負けて答えた。はにかんでお姉様が言った「いつか『夫婦漫才』がしたい」という言葉――「それがきっと私には一番難しい。だって、ミリュウ。人を笑わせるって、それだけでもとっても難しいのよ?」
長姉は嘲笑していた。
わたしはそれが許せなかったけれど、長姉が恐くて何も言えなかった。わたしにそのことを聞いたお姉様は、笑ってわたしを慰めてくれた。それでいいのよ――と。
ソニアは安心しきっていたことだろう!
結局、ソニアが第一王位継承権の座に居たのも、一年という短い間。
最後には、そう、最後には第一王位継承権はあるべき者の手に納まったのだ。
三度目の――それも五年という短い間に繰り返された王位継承権の移動に対しての議論や反発は、異常なほどに見当たらなかった。
理由は二つある。一つは辞退の理由がソニアの『病気のため』であったため。もう一つは、何より、とうとう誰もが望む人物が次期女王の座につくことになるため。
三度目の大事件は、大いなる歓喜を持って迎えられていたのだ。
第128代王の名の下に行われた三度目の王位継承権移譲の儀式は、ほとんどお祭騒ぎの中で執り行われた。それは歴史を振り返っても異常な盛り上がりであった。
それが――
『クレイジー・プリンセス』のデビューにより、わたし以外の誰もが度肝を抜かれる三ヶ月前のアデムメデスの様子だった。
..▽ ▽ ▽ ▽ ▽
天啓の間から姉の部屋に戻り、パトネトが眠りにつくのを見届けたミリュウは、弟を起こさぬようバルコニーに出た。
運び出した椅子に座り、縦横三窓ずつ
不思議と、眠気を感じない。疲れも感じない。
心身の奥には、ニトロとその戦乙女に殺されるという死の体験が残した痺れがある。そして――息を吸う――そう、まさにそこから生き返ったのだという実感が心身を満たしている。
ミリュウは生涯最高の冴えを感じていた。
定期的に切り替わるモニター群の映像が、理解しようとしなくても理解できる。一言一句が鮮やかに記憶に焼きつき、一秒一分一時間前、その時々のモニター群の映像全てをはっきりと思い出せる。
充実していた。
やがて夜が明けて、東の果てから陽炎が立ち昇る。
次第に明るさを増していく夏空の下、今朝の空気は柔らかく、ミリュウは絶えず微笑みを浮かべていた。
「お祭騒ぎ」
ミリュウは呟いた。
アデムメデスの喧騒は、朝が星を巡るに従い賑わいを増している。声は反響する間に音量を増し、大声で他者を起こして回る。
プカマペ教団のサイトにはアクセスが殺到し、早々にサーバーが落ちてしまった。実に満足だ。
メインの復旧はまだなされていない。しかし現状、複数のミラーサイトと“善意の”コピーサイトが殺到するリクエストに応えている。実に愉快だ。
さらには『巨人ヌイグルミ』や『教団変身セット』なる商品も登場し、目ざとい商人の参入を見込んで権利をフリーにしておいた甲斐もあり、その市場はじわりと拡大を始めている。それに連れ立ってこの祭への参加者も止まることを知らない。実に素晴らしい!
ミリュウは時間を見、
サイトの動画ページでは、ちょうど今、映像の生中継が始められていた。
画面にはミリュウが肉眼で見上げる空と同じ色の黎明と、それを背景にして、天を貫かんばかりに地に突き立つタワービルがある。不夜城たるその場所には、期待通りに多くの目と口があった。
ミリュウは吐息を漏らして笑った。
その『信徒』は、シェルリントン・タワーの前にいた。
その姿を世界に伝えるのは乗っ取られた周囲の監視カメラだ。生中継の映像が三つに分かれる。すなわち、三つの監視カメラが多角的に信徒を映し上げる。
信徒は一人、シェルリントン・タワーの前に跪いた。
サイトに新しい情報が加わる。
動画の下に、文章が浮かび上がる。
――
記されたものは、唱え言葉。アデムメデスの古い古い古語を用いた祈りの詞。
やがて信徒の前に警備アンドロイドが一体、立った。そのアイカメラもジャックされ、サイトの動画が一つ増える。アンドロイド視点の映像には信徒の発する『ミリュウ姫』の声も拾われていた。
<プルカマルペラ
プルカマルペロ>
信徒は、サイトに書かれた祈りの言葉を唱えていた。
<ア・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
アー・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア>
それに合わせて、ミリュウも呟いた。
「プルカマルペラ
プルカマルペロ」
いつまでも空に残り、朝に抵抗せんとする夜を押しのけ強い光が、走る。
日の出だ。
<ア・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
アー・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア>
何度も繰り返される詠唱に呼び覚まされるように、朝の光が強さを増す。
<プルカマルペラ
プルカマルペロ>
声量を増していく祈りの言葉に比例して、信徒を包む光量も増す。不思議とそこだけスポットライトに照らされているように、日の光が信徒の周りだけ
「ア・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
アー・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア」
熱を込め、真摯に、朗々と唱える信徒に合わせ、ミリュウも謳う。
「プルカマルペラ
プルカマルペロ」
信徒は、誠心誠意唱え続ける。
<ア・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
アー・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア>
信徒は力強く祈り続けた。プルカマルペロ、プルカマルペラ……それをいくつ重ねた頃だろうか。太陽が夜を完全に払い終えた時、信徒が、祈りを止めた。
信徒は立ち上がると、ローブを脱ぎ捨てた。
信徒はやはり、ミリュウの姿をしていた。
その首にはラクティフローラのイコンがあり――その者が神官アリンだと知れた。
神官の周囲には人だかりができている。
大勢が作る円陣の中心で、黒地に銀糸で刺繍を施した司祭服を着たアリンは瞳を燃やして言った。
<世に在りし、女神の真の御心に惹かれし清らかな眼を持つ者らよ。時は今、今を除いて希望の灯る時はない>
アリンは祈るように重ねた手の内にイコンを納め、落ち着いた、しかし力強い声で、
<ティディア様の御心は、悪魔に犯されている。
女神の真の御心に救われし清らかな心を持つ者らよ、気づいているはずだ。
ティディア様を真に愛する者らよ、知っているはずだ。
見よ! ニトロ・ポルカトは、ティディア様から光を奪う。
ティディア様の、アデムメデスの女神がもたらす栄光の新世界を我らから奪う。
ティディア様を心から愛する者は知っている。
ティディア様の御心が、ただ一人の男に向けられていることを。
見よ! 等しく我らに降り注がれていたあの眼差しが、もはやただ一人の男に奪われていることを。
女神の畏怖、その真の威光を知る者は気づいている。
神の威が薄れていることを。
ニトロ・ポルカトの善を装う悪意に、女神の覇気が奪われつつあることを。
ニトロ・ポルカトが善を装う悪意で女神を犯し、その聖なりし偉大なる御力を失わせようとしていることを!>
アリンは、一つ息をついた。
ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナと同じ姿、同じ声を持つ神官の言葉には、ある特定の人間達への特別に強いメッセージが込められていた。
<共に祈ろう。我らがティディア様の真の神威を知る者らよ。共に祈ろう。ニトロ・ポルカトを、悪魔を、ティディア様のため、滅ぼすのだ>
伝説のティディア・マニアたるミリュウの声を、全国のティディア・マニアは聞くだろう。
<時は今、今この時を逃せば、未来永劫悪魔の手からティディア様をお救いする機はない。そうだ、未来永劫だ>
アリンは、ミリュウの顔で――伝説のティディア・マニアの顔で、繰り返し断言した。
<我らが力を持て。祈り、一つに束ねよ。共に唱えよう。
さすればプカマペ様が、我らの願いを叶えてくださる。
我らが憎むべき悪魔を、神の御業を以て打ち滅ぼしてくださる>
アンドロイドのアイカメラに映る『ミリュウ』は、真っ直ぐ、それ以上無い澄み切った顔で、言った。
<そうして我らの頂に、ティディア様はお戻り下さるのだ>
そこで、映像は切れた。
ミリュウはエア・モニターを再び九分割し、それぞれに特に目をつけていた過激な――あるいは短絡的な『ティディア・マニア』のコミュニティ・サイトを表示させた。
「思った通り」
ミリュウは、目を細めた。
早速、七つのサイトに動きがあった。
思った通りに『同調』してくれたが、しかし、思ったより数が多かった。表示されるサイトが変わり、どんどん数が増えていることを知る。もう少し冷静な思慮を『マニア』は見せるかと思っていたが……いや、これはそれだけ
「お姉様にメロメロ――ってことね」
そう、盲目的に。
だが、盲目的で過激なマニアであっても、現在は表立ってニトロ・ポルカトを攻撃することは難しい。昔はたまにあったという彼らの暴挙暴走も、
スライレンドの一件も考慮に入れれば、今更実力行使をもってニトロ・ポルカトをティディア姫から引き離そうという者はいまい。
しかし今現在はプカマペ教団という『前衛部隊』がいる。後方で“応援”をしたところで、ニトロ・ポルカトの反撃は彼等には絶対に届かない。
無論この状況は祭に乗じてただ騒ぎたいだけの者も動かすだろう。お姉様への愛もなく、忠義もなく、ただ己の憤懣を発散させたいだけの者らも騒ぎ出すだろう。
「それでも、いいけれど」
鼻歌混じりに、ミリュウはエア・モニターに現れたメッセージを見て、操作を加えた。
「どんな参加理由だろうが、ニトロ・ポルカト。お前にとっては呪詛の輪に違いないもの」
都合良く顔を隠せる――あの衣装を選んだのはそれを見越してのものだった――『教団変身セット』もある。身分を知られずに騒げるとなればより参入も気安かろう。
とはいえミリュウは、これほど思惑通りに事が進むとは考えていなかった。
本来わたしのコントロールが効かない手段であったこの『搦め手』が、思惑をはるかに超えて上手く動作した。――それはつまり、全ての『流れ』がこちらに向いているということだ。彼女にはそう確信できる。
エア・モニターは再び一つにまとめられ、王立放送局のニュース番組を映す。
アナウンサーは、ティディア姫がクロノウォレスに到着したことと、着陸に先立ってクロノウォレス領宙内で行われた――先に先方国で取材をしていた記者らとの簡易な会見に臨む王女の姿を伝えていた。
会見では、まず当然のように『ミリュウ姫の行動』についての質問が飛んだ。王立放送局の記者が忌憚無く問う。実はこれは、クレイジー・プリンセスが黒幕ではないのか、と。
ティディアははっきりと否定を返した。私は知らない、妹が言っていたことが真実だ。
会見場に動揺が走った。それはミリュウという王女の行動が“お姉様”の命によるものではないと知ったためではなく、むしろこの件にあのクレイジー・プリンセスが無関与であることへの驚きだった。
ではどうするのか、このまま放っておいていいのか、本来、窘め止めるべきではないのか――という質問に、王女は笑って言った。
<何にしたって、ニトロなら大丈夫。彼は私がいなくても問題を解決できる人だから。私の助けなんかいらないでしょう>
<助けを求められたらどうなさいますか?>
王立放送局の記者とは別の者が質問した。それはおそらく、ティディアの言葉尻に反射的に出た問いだったのだろう。ティディアはさらりと答えた。
<求められないと思うわ>
それがあんまりあっさりとしたものであったためか、質問をした者が――ミリュウは思い出した。ATVの、攻撃的な質問で相手を煽る手法を好む記者だ――さらに言った。
<では、求めてきたその時は、ティディア様のお想いをニトロ様が裏切ったということになるのですね>
何という幸運だろう! その意地悪な質問は、わたしの希望に沿うことを姉に訊いている。
期待に胸を膨らませて待っていると、ティディアは笑顔のままに答えた。
<そうね。彼には失望させられたくないから、そうならないことを祈っているわ>
ミリュウは姉のその返答に大いに歓喜した。
しかし画面の中では、記者が全く煽られぬ王女に微かな苛立ちを見せている。
<ミリュウ様がご乱心なされたという可能性は?>
<乱心?>
<御兄姉様方のように>
一瞬、会場がざわめく。
<これはティディア様の責任ではないのですか? しかもニトロ・ポルカトという『一市民』がその餌食となろうとしている。それを見過ごそうというのは次期女王としてあまりに無責任極まる態度ではありませんか?>
<んー? それは貴方の単なる『思いつき』をあまりに決定事項としている質問じゃあないかしら? それとも貴方の話には、何か貴方が責任を取れる根拠でもあるのかしら>
王女の毒を盛った冷静な切り返しに、記者は怯んだ。しかし彼は厚顔無恥を地でいく記者だ、責任を問い返されたくらいで怯むような者ではない。それなのに気を飲まれたのは――それも彼だけでなく会場の息が止められていたのは、王女が今にも舌なめずりをしそうに歪める唇、その微笑にあった。
<でも、そうね。もしあの子が乱心したのなら……ちょっとこれからが楽しみ。そうは思わない?>
記者を見るティディアの眼は、さながら悪夢こそ望むかのように危うい恍惚を孕んでいる。
ミリュウはゾクリと心を震わせた。
魔を帯びた蠱惑の美女に直接瞳を覗き込まれた記者は、実際に寒気までをも感じたのだろう。明らかに震えた声で、否定を返している。
ティディアは余裕に満ち溢れた態度を崩さず、にっこりと笑みの質を変え――そして言った。
<それに、ミリュウが乱心したのだとしても、そうでないにしても、あの程度のことはニトロに全部任せておけば大丈夫よ。私は後始末をするだけだから、楽でいいわ>
――その後は、クロノウォレスまでの道中、随行者との懇談などについての質問が続いた。
もう、詳しく聞く必要はない。後でセイラが持ってくる情報と王家広報が公に配信する報告書を読むだけで十分だと、ミリュウはエア・モニターを消した。
「……ふふッ」
ミリュウは、堪えきれずに笑みをこぼした。
うん、と、伸びをして、また笑う。
ああ、お姉様のご判断に、わたしはちゃんと追いつけていた。わたしの渾身の『あの程度のこと』――わたしは、お姉様がそれ以上にもそれ以下にも判じぬ程度にしっかり合わせられたのだ。
そうでなくては意味がない。
その上……ああ、ああ! その上、お姉様はわたしの心から望むお言葉をくださった!
――失望させられたくない――
「ふふふ」
ミリュウは得意の絶頂にあった。
冴え切った思考が、姉への愛と姉から与えられた歓喜をこれまでになく実感させる。愛と歓喜に満ちた体が、姉に抱かれている時のように熱くなる。
「あははははは」
自然と溢れ出した笑い声に肩を揺らし、ミリュウは青く清い空を見上げた。
「素敵。どんどん楽しくなっていく」