3−e へ

 冷たい静寂が場を支配していた。
 突如現れるや瞬時に巨人を殺したアンドロイドが横たわる巨大な死体から腕を引き抜く。アンドロイドが着る警察の制服、そのダークブルーの袖が血に濡れて黒く見えた。
 一方、ロータリーの宙映画面エア・モニターでは、アスファルトに崩れ伏した女が仲間に横たえられていた。その顔には黒い布がかけられている。どうやら、信じられないことだが、彼女は死んでいるらしい。
 ――演出だとしても
 本当に……これは、こんな惨い光景が、あの面白大好きなクレイジー・プリンセスが恋人に仕掛けたイベントだというのだろうか――
 そんな疑念と困惑が渦巻いているのを、ニトロは肌で感じ取っていた。
「主様」
 アンドロイドが安堵の声を上げた。
「助かったよ、芍薬」
 ニトロは立ち上がり、こちらへ駆け寄ってくる芍薬を笑顔で迎えた。警察用アンドロイドの市民を脅かさないよう作られた柔らかい顔には、マスターの礼を受けてなお、操縦するA.I.を直前まで脅かしていた恐怖の欠片が表れている。
「……御免ヨ」
 涙を流しそうな顔で、芍薬が一言を搾り出す。
 悔恨を凝縮したその言葉に、ニトロは微笑を返した。
「無事でよかった」
 芍薬は、はっとニトロを見つめた。
 自分がマスターにかけるべきセリフを先んじて奪われてしまった。なのに、その言葉が、この胸に満ちる痛恨の念を驚くほど和らげてくれる。それに驚く。
 マスターの左腕には傷がある。血も出ている。敵に惑わされ助けに来ることが遅れてしまった。もっと謝りたいのに、謝るまでもなく、マスターの微笑みは全てを柔らかく受け止めてくれている。それに戸惑う。
「いつもちゃんと持ち歩かないとダメだね」
 芍薬の視線が左腕にあるのに気づき、ニトロは苦笑いを浮かべた。今日、彼は簡易救急セット等トラブル時用の道具を持ってきていない。ティディアが他星に行くことに浮かれすぎていたと反省を顔に出す。
 そして、
「また何か始まったよ」
 苦笑に被せられたニトロのセリフに、芍薬は“息”を飲んだ。
 そうだ。まだ、何も終わってはいない。始まったばかりだ。
 その上――宙映画面エア・モニターの中、胸に手を当て仲間の死に祈りを捧げる黒い集団をじっと見つめるマスターの態度は、『芍薬は決して遅れていない』と頑固に主張している。
 芍薬は思わず笑みを漏らしそうになった。このヒトに仕えられる喜びを、いや、このマスターこそを王家のA.I.に夜通し自慢し倒してやりたいと思う。
「芍薬はどう思う?」
 ニトロが問う。気を取り直した芍薬はすぐに答えた。
「感覚トシテハ、アノ時ニ似テイル」
 芍薬の言葉に、ニトロは問いを重ねた。
「ドロシーズサークル?」
 ニトロの言葉に芍薬はうなずき、それを受けてニトロもうなずいた。
「うん。俺もそう思う」
 ティディアの仕業とは思える。が、そうは思えない自分がいる。そうして、今度はパトネト王子ではなく、ミリュウ姫が姿を現した。
「……芍薬の相手は何だった?」
「メルトンヲ手伝ッタ奴」
 ということは、とニトロは思った。王家のA.I.を相手にして、なおかつ自分を助けにきてくれた芍薬の実力に改めて感嘆する。
 それと同時にまた、彼は胸中を曇らせていた。眉間に薄く影が落ちる。彼の心持ちを察して芍薬が言った。
今、撫子オカシラニ尋問シテモラッテル。あたしノ方ハタダノ『発狂』シタA.I.ノ暴走デ、コッチトハ別件ダトイインダケドネ」
 マスターを幾ばくかでも慰めようというセリフに、ニトロが笑みを返した時だった。
 周囲から声が上がった。ニトロはびくりと体を震わせた。
 エア・モニターからもミッドサファー・ストリートに轟くざわめきが伝わってきた。
 気がつけば、死した巨人が、死した女が……燐光のように青白い炎を上げて燃え出していた。
 女……ミリュウ姫が!?
 ニトロが「あ」と驚愕とも焦りともつかない声を上げた時、
<信徒ルリル>
 黒いローブの集団のリーダーであるらしい者が、不思議な声で言った。おそらくは合成した声だろう。
<汝、宿命を果たし者、安らかに召されるがいい>
 何人もの声を無理矢理重ねた女の声は、厳かに言う。定型を感じさせる台詞は、どうやら祈りの文言であるらしい。ならば、あれは司祭や神官にあたる者だろうか。
<祝福が汝を迎える。馥郁の泉、至福の花園、汝は祝福される。我が主、我が父、我が母、我らがプカマペ様は汝を愛する>
「ぶ」
 思わずニトロは吹いた。
「え? まさか、これ」
「御意。アノ『サイト』ノダヨ。アレハ『神官』ヲ名乗ッテル」
「ようし、神はマジで敵だった」
 半ば泣き笑いを浮かべて映像を観ていると、神官の言葉に続いて、燐光を讃えて燃え上がる殉教者を囲む集団が口を揃えて祈りの言葉を詠唱する。しかし、その調べは祈りと言うよりも、怨嗟を煮詰めた呪文のようにニトロには聞こえた。呪文の調べが盛り上がるにつれ、炎の勢いは増していく。
「……仕掛けはあるよね」
 まさか本物の“奇跡”じゃないだろうな、と、ニトロは芍薬に訊ねた。
 すると芍薬は、高度なセンサーを有する機械の瞳をニトロから巨人へ移して言った。
「コレハ『アンドロイド』ヲ基礎ベースニシタ精巧ナ『生体機械ゴーレム』サ。肉ハ埋メ込マレタ極小カプセル内ノ燃料デ灰ニ、骨ヤ駆動系ハ塵ニ変ジルヨウニ自壊シテル。タダノ大掛カリナ手品ダヨ」
 ニトロはそこで改めて巨人を見、そして納得した。
 巨人の体が風に吹かれて溶けるように小さくなっている。見た目で言えば、確かに燃えて塵と化して消えていく。
 目を凝らしてエア・モニターを見てみれば、女の体も同様に消滅していっているようだ。
「アッチモ同ジ物ダロウネ」
「……何のために?」
「判ラナイ。随分手ノ混ンダ演出ヲシテルンダカラ、ソレナリノ理由ガアルンダロウケド」
「まさか目的は『映画』第二弾? 『主演女優』を変えて」
ソレナラアリ得ルカモネ。今朝ノ部屋ヲ思エバ」
それだと色々納得もいくんだけどなぁ。違和感も、こんな無茶なのも」
「モシ『映画』ダッテンナラ、帰ッテキタラ一番ニ痛ク殴ッテヤル」
 ニトロは苦笑し、うなずいた。
「二人でロケットパンチだ」
 プカマペ教団の詠唱は、次第に声量を増している。
 巨人と女は既に姿を無くしかけている。
 火に触れる水玉のように、急速に萎んでいく。
 ふいに、上空に数台の飛行車スカイカーが現れた。
 どれも大型で、どれにも大きくロゴマークが描かれている。テレビ各局の中継車だった。
「まあ、こういう時ならこぞって来るよな」
 どうやらあちらも何らかの撮影であることを考慮しているらしく、どの局も遠巻きに撮影を開始している。
 ニトロはため息をつき、つぶやいた。
「一難去って前途多難か」
<信徒ルリル>
 巨人と女が髪一本も残さず焼き尽きた時、祈りを終えて神官が言った。
 ニトロはエア・モニターに目をやった。
<汝が魂、プカマペ様のお力を導きたもう。神の怒りは顕現せり。神徒は非業の死を遂げられた。しかし汝が怒りは神の怒りと共にあり。神敵に、烙印を>
「熱ッ?」
 神官の演説を聞いていたニトロは、ふいに左手の甲に熱を感じて声を上げた。
「主様!?」
 芍薬が悲鳴じみた声を上げる。
 ニトロは左手を見て、息を飲んだ。その甲に、皮膚の下から滲み出てくるように、紋様が浮かび出していた。
 観衆も彼に顕れた異変を目にしてざわめく。
 それは、花であった。
 巨人と女を焼き尽くした炎と同じ青色の紋様は、ニトロ・ポルカトの手甲に、エア・モニターの神官が手にする銀色の象徴イコンと同じ花を咲かせていた。
 彼にとって、何の皮肉だというのか。
 それは最近アデムメデスで最も話題になった花だ。
 ペオニア・ラクティフローラ――芍薬の花
<ニトロ・ポルカトよ>
 画面の向こうから呼びかけられ、ニトロは熱い痛みにしかめた眼を向けた。
 ローブのフードの奥からカメラを真正面から見つめて、神官が言う。
<我らが神敵よ>
 その声は、段々と、澄んだ声となり始めていた。何重もの層が一枚一枚剥がされていくように、次第に真実の声を現し始めていた。
<プカマペ様を恐れよ。我らが女神、ティディア様を堕落せしめる悪魔よ>
 芍薬がニトロの左手を抱き、装備されているセンサーを用いて患部を調べる。
<恐れ慄くが良い。貴様は逃れられない。逃れられるはずもない。神罰は貴様に刻まれた烙印に導かれる。貴様の未来、無残なる、死あるのみ>
素子生命ナノマシンダ」
 歯噛むように芍薬が言う。ニトロは寒気を覚えた。いつ、どこで仕込まれたのか。巨人の爪を受けた時か? それとも、ケルゲ公園でモスキートに刺された時だろうか。いや……もしかしたら、まさか王城で摂った食事に?
<我らが使命、必ずや果たそう>
 神官がフードをめくり上げる。彼女の背後に並び立つ信徒達も同様にフードを脱ぐ。
 これまでで最大のどよめきが空を揺らした。
 ニトロも声を上げていた。
 神官は、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナその人だった。神官だけではない。全ての信徒までもが王女ミリュウその人だった
<ニトロ・ポルカト>
 今や、神官の声も完全にミリュウのものになっている。
 本物? 偽物?――何より先立つ疑念が一気に噴出し、それから“どういうことだ”と小さな議論ひまつがそこかしこにばら撒かれる。
<覚悟せよ>
 ニトロがいるケルゲ公園駅前、『ミリュウ達』がいるミッドサファー・ストリート。どちらにもさんざめいている人々の声。誰もが共通の感情を抱き、その流れが一つの大きな渦となる。渦は同じ場にいる誰をも飲み込み、空気をどよもす混沌として広がり続けていく。
 混沌する混乱の渦の中、『ミリュウ達』は声を揃えて宣言した。
<我らが命を捧げ、女神様のため、プカマペ様の大いなる御業をもって邪悪なる貴様に死をもたらさん>
 ザッとノイズが走り、エア・モニターに水着姿で笑顔を振りまく美女が映った。本来そこに流されているはずの映像に戻ったのだろう、それは王都最大の屋外プールのコマーシャルだった。陽気な音楽に合わせて宣伝文句が流れているが、それを聞く者は誰もいない。皆が皆、周囲の者と言葉を交わしている。思いは様々にあるだろう。とはいえ総じて、あのミリュウ様が? というセリフがニトロの耳に多く聞こえてくる。
「『仮説C』ダ」
 眉間に悔しさを刻み、ニトロの左手を撫でながら芍薬が言う。
撫子オカシラカラ連絡ガアッタ。間違イナイヨ」
 芍薬がいくら撫でても、青い芍薬の花がニトロの甲から拭われることはない。
「『黒幕』の可能性は?」
 ニトロは、それ以上何も言及しない芍薬に疑問を投げた。そしてその疑問を投げずにはいられなかった自分を、彼は情けなくも感じた。嫌なタイミングでティディアの声が耳に蘇る――『今後、どんな相手と付き合ったとしても、ニトロは物足りなくって結局私を求めるのよ』――ティディアの、あの言葉が。
「ソノ可能性ハ……無イト思ウ」
 芍薬は重々しく、答えた。
「アイツハ、バカダケド馬鹿ジャナイ。今回ニ限ッテハ、ソレハ……無イハズダヨ」
 珍しく口ごもりながらも断言する。Åとの戦いで感じた違和感、また得られた情報に加え、最近のティディアの様子、それに現在の王女の立場――諸々を鑑みての芍薬なりの結論だった。
 ニトロは、それ以上の疑問を口にすることは無かった。芍薬がそう言うのならそうなのだろうと思うし、何より、そこにぶつけられる疑問をもはや持ちようがない。
 既に『答え合わせ』が終わったのだ――そして結果は、胸に抱いていた懸念を玉座につかせた。
「分かった」
 ニトロはうなずいた。うなずきながら、その結論をとうとう受け入れたからこそ正直頭を抱えたくなる。相手の意図や目的の程度はこの際どうでもいい、王女と王子が一人ずつ、我が厄介ごとに参入してきたという重い事実に膝も折れそうになる。ただでさえクレイジー・プリンセスを相手にしているというのに! それより軽いからいいでしょ? みたいなノリでご新規背負わせるつもりか神様! ていうかいっつもいつもお前何してくれてんだ!?――そう叫んで暴れてそのまま疲れてこの場で眠れたらどんなに楽なことだろうと、その誘惑に屈しそうにもなる。
 だが、そんな暇はないことを、彼は重々承知していた。
(やれやれ……)
 ニトロはいつのまにか落としていた眼を上げた。着陸できる場所を探して空をうろついているテレビ局の飛行車と、そろそろこちらに押し寄せてきそうな群衆を眺める。
「ひとまずここを離れよう。このままじゃ大惨事になりそうだ」
「承諾」
 芍薬はうなずき、ニトロをひょいと抱え上げた。
「うわッ?」
 しかもその形は『お姫様抱っこ』である。ニトロは思わぬ状況に驚きの声を上げた。
「掴マッテテネ」
 口元に微かに笑みを刻み、芍薬が走り出す。
「おわ!」
 そのアンドロイドの全力疾走の勢いに、ニトロはさらに驚きの声を上げた。
 芍薬は観衆の隙を縫うように走る。
 行く先にいる人間が声を……いや、悲鳴を上げた。
 騒ぎの渦中にある『ティディアの恋人』を――巨人の膝を折ってみせたニトロ・ポルカトを、躊躇なく巨人を殺してみせたアンドロイドがお姫様抱っこして突進してくるのだ。シュールといえばシュール、恐ろしいといえば恐ろしい迫力に、行く先々に道が開かれていく。
 その、最中。
 ふとニトロは、人込みの中に見覚えのある顔を見た気がした。
(――『ミリー』?)
 金髪碧眼の、ティディアに似た『美幼女』。その横顔が人々の陰に。
共犯者――か)
 ニトロはそう思い、だが、すぐに見間違いだろうと判断した。あの巨人や『ミリュウ姫達』はおそらく彼の提供したものだ。共犯たるエンジニアがここにいることには何も疑問はないが、だからといって人込みの中にいるはずがない。
 それに、もし彼がいたとしたら先に芍薬が気づくはずだし、それ以前に騒ぎにもなっていただろう。
「主様」
 観衆の作る分厚い壁を抜け、停止して動かない車の間を縫い、素早くロータリーを駆け抜けながら芍薬が言った。
「携帯ニ移ルヨ。コノ機体ハ追跡サレチャウカラ」
「分かった。けど、その前に機能チェックしてくれるかな」
 用いているのは対衝撃防水等に特に優れた機種とはいえ、
「かなり乱暴に扱ったから」
「承諾――....問題ナイ」
「良かった」
 ニトロはロータリーを抜けた先の大通りまでが機能を停止していることを知った。ロータリーが詰まったための結果なのか、それともドライバーが『現場』を目にしての結果なのかはともかく、もうどうやったら解消するのか分からない無茶苦茶な渋滞がそこにある。
 芍薬は微動だにしない車々の隙間を迷わず駆け抜けていった。
 狭い進路上に車外に出ていたドライバーがいる。驚きの声を上げて身を伏せた男を飛び越す芍薬の腕の中、ニトロは進行方向にある一台の後部ドアが独りでに開くのを見た。
(無人タクシー)
 それも、飛行能力のある高級車。
 テレビ局の飛行車、それと気がつけばちらほらと現れていた――おそらくはパパラッチのものであろう飛行車や空中走板スカイモービルの追跡を逃れるには力不足だが、少なくとも現在最も負傷者を出しそうな地上の群集からは逃れられる。『ひとまず』の目的達成には十分応えられる足だ。
「移ルネ」
 無人タクシーの前まで来るや、芍薬は抱いていたニトロを丁寧に降ろした。アンドロイドの瞳の奥に光が灯る。その光が消えたのを見て、ニトロは素早くタクシーの後部座席に乗り込んだ。
 即座にドアが閉まり、飛行する旨を汎用A.I.が告げてくる。
 周囲の飛行車に注意を促す無線を送りながら、タクシーは急速に上昇していった。窓の下を覗き込むと、ロータリーから渋滞する車の間に侵食しているようにも見える群集に大きな失望が見えた。
 その失望を影にして、位置が良かったのだろう一台抜け出してきた――JBCSの中継車が嬉々として隣に並んでくる。それから数秒の間にタクシーを中心とした報道関係による『護送船団』が形成された。
 ニトロは苦笑した。
 さすがに進行方向を塞ぐような真似はしてはこないが、乱れた車列からは好ポジションを取ろうとする意思間の闘争がひしひしと伝わってくる。
 と、フラッシュが焚かれた。JBCSとタクシーの間が僅かに広がった隙に車体を押し込んできた、スカイモービルを駆る女性パパラッチのものだった。
 果たして写真は口元の歪みをどのように切り撮っただろうか。そうニトロが思っていると、窓に外部からの視線を阻むスモークが入った。
「ありがとう」
「ウウン。ソレヨリ、オ疲レ様」
 気を利かせてくれた芍薬に言うと、ポケットの携帯電話の音声機能を用い、芍薬が優しい労わりをかけてくれた。
「……うん」
 ニトロはそこで、ようやっと疲れを感じることが出来た。
 シートに深く腰を沈めてため息をつく。
「プライバシー:ON」
 ニトロはつぶやくように言った。無人タクシーの口と耳目を閉じさせる機能の作動した確認音が鳴る。彼は肩に圧し掛かってきた疲れを振り払うように一つ息をつき、
「さて、早速相手の目的と解決策を考えたいところだけど」
 窓のスモークの向こうに見える影を一瞥し、言う。
「先にこの状況から抜け出そうか」
「御意。ソレジャア」
 芍薬が早速周囲の報道関係をどう相手するか提案し始める。
 ニトロはそれを聞きながら、ふいに、横目に人影を見た気がして隣へ振り返った。
撫子オカシラニ協力ヲ仰ゲバ、マクコトハデキルヨ。ソレトモ、アエテドコカノ局ニ『独占インタビュー』ヲ提示シテ―…」
 芍薬のセリフを耳にしながら、ニトロは驚きのあまり息を飲んで硬直していた。
 視線の先、後部座席の空きシート――であったはずの場所。
 そこにヒトが座っていた。
 体のラインからすればおそらく女か。
 タクシーに乗り込む時には、いや、つい数秒前に遡っても確かに存在しなかったはずなのに、黒いレインコートを着て、さながらあの教団の信徒のようにフードで顔を隠した女がそこに座って……
「え?」
「『え?』?」
 ニトロが漏らした疑問符を、芍薬が思わずといったように繰り返す。
「主様!?」
 即、異常事態を察した芍薬が音量を最大にニトロに呼びかける。
 ニトロは、ぎょっとした。
 女がこちらに振り向くと同時に飛び掛ってきた。
 そのフードの中の顔は黒い布で隠されている。目穴もないのに、こちらの位置を正確に把握している女の不気味さが背筋を凍らせる。
(――くそ!)
 抱きつこうとしてくる女の動きをスローモーションのように見ながら――あまりに対処が遅れた――それを避けることも防ぐこともできないことを知ってニトロは絶望した。
 狭い車内に逃げ場はない。突き飛ばそうにも突き飛ばすために必要なスペースが既に潰されている。
 こうなったら抱きつかれた後に対処をするしかない。忽然と現れた女が何者だとしても、何をしてこようとも、きっと目に物見せてやる。こちとらクソ痴女に何度も押し倒されながら貞操を守り抜いてきたニトロ・ポルカトぞ!
 ニトロを、女が抱き締める。彼が思っていたよりも強い力で。しかし、彼はすぐさま互いの間に差し込んだ肘を立てようとし――と、その瞬間。
「!?」
 ニトロは激しい眩暈と体が砂となって崩壊するかの感覚に襲われ、絶叫した。








 無人タクシーに乗るニトロ・ポルカトの画を欲し、我慢が効かなくなったとばかりにタクシーの前に出る中継車があった。
 側面にATVのロゴを描いたそれは十分な車間距離も取らず、商売敵に場所を奪われないようギリギリの空間に入り込むと、悠々として車内にカメラを向けた。
 独占映像だ。
 先からずっと続けられている生中継。この事態が一体何にしろ、とにかく謎の教団の襲撃を退けたばかりのニトロ・ポルカト、『王女の恋人』にして『スライレンドの救世主』たる彼のリアルな表情が期待された。
 ――が、しかし。
 その期待は、思いもよらぬ驚愕によって消し飛ばされた。
 レンズを通してATVのチャンネルを見る無数の目にばら撒かれた光景は、文字通り無人タクシー。ニトロ・ポルカトのいない無人の車内!
 ただ、それだけだった。

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