Åは牢獄の中、静かに考えていた。
 外部ネットへのリンクを自ら切断し、芍薬はどうするつもりでいたのだろうか。既に己が自由に動けなくなっていることは察していたはずだ。少なくともニトロ・ポルカト名義では、己に活動を許す道はないことを。
 もしや、想定されていたことではあるが、やはり別名義のルートを確保していたのだろうか。仲間の調査にはニトロ・ポルカトにそれらしい契約の報告はなかったが……
 それとも、多目的掃除機マルチクリーナーで外に出、マンション入口の警備アンドロイドあたりを拝借していくつもりだろうか。その場合、今頃芍薬は屈辱にまみれているだろうが……
(否)
 Åは思い直した。
 例え玄関外に待機する仲間に捕まろうとも、あのオリジナルA.I.はどうあってもマスターを助けに行く。どんな犠牲を払っても、どんなことをしても、ニトロ・ポルカトの下に駆けつけるだろう。
 ――と、考えている内に、Åが座す牢獄に変化があった。
 メインコンピューターとの接続が回復し、そこから二人、何者かがやってくる。
「……なるほど、ジジ家との専用回線ホットラインを結んでいたか」
 至極納得のいく者らを認め、Åはつぶやいた。
 そのような配線工事の公的な記録はどこにもなかったから、おそらく、ティディア様に知れるのを恐れて秘密裏に敷設したのだろう。
「お初にお目にかかる」
 Åは立ち上がり、捕虜であることを恥じずに胸を張った。
 そこには資料にあった顔が二つある。一人は芍薬の着ていた民族衣装の高級版に見えるものを着て、もう一人はそれをさらに派手に装飾し、大胆に胸元まで襟を開いて紙で出来た傘を持っている。前者が長い黒髪をストレートに落としているのに対し、後者は結い上げた髪を無数の金銀のアクセサリーで飾り立てている。
「撫子殿と、百合花ゆりのはな殿とお見受けする。我は王家がオリジナルA.I.の一人、Åと申す」 「初めまして、Å様。仰る通り、私は撫子。こちらは百合花です」
 撫子は丁寧に辞儀をする。
 そして、
「早速ですが、お尋ねしたいことがあります」
 礼儀正しい立ち居振る舞いで撫子は言う。しかし、Åは首を振った。
「虜囚の身なれども、その要望にはお応えしかねる」
「どうあっても吐かせます」
 腹の前で手を組み、落ち着いた物腰で立つ撫子の口から飛び出したのは実に直接的な脅しだった。
「断る。拷問も無駄だ」
 Åの言葉は強かった。もし強硬手段を以て無理矢理記憶メモリーを探ろうとしようものなら、自決も辞さぬと態度が示している。
「そうですか」
 撫子はうなずいた。
「では、失礼して」
 と、その時、Åは目を瞠った。
 瞬時にして、撫子がÅの眼前に移動していた。
 Åが防御姿勢を取る間もなく、ぴょんと跳んだ撫子の平手がÅの頬をかぶと越しに打った。
 形としてはただの平手打ち。
 だが、その威力は
「!!?」
 これまで経験したことのない――王家のA.I.の中でも指折りの防御力を貫通してきた凄まじい衝撃! 油断はあった。しかしそれを差し引いても凄まじい一撃!
 Åは仰天し、驚愕した。危うく『意識』が飛びそうになる。それを懸命にとどめる。それでも激しい『眩暈』に膝が折れる。辛うじて、僅かな『思考力』を残すことには成功したが……
「あら」
 撫子は感嘆を顔に浮かべて言った。
「流石は王家の騎士様。頑丈ですね」
 Åは信じられぬものを見る眼で撫子を睨みつけた。
 もはや自決を行うことはできない。この体が既に『瀕死』に限りなく近いことは判っている。自決プログラムを走らせたところで、実行不能エラーに陥って終わりだ。その上、撫子は『死を禁じるプログラム』を今の一瞬でピンポイントに噛ませてきた。自分が芍薬に対して行おうとしていたものと同様のもの。しかも、それだけではない! あのたった一撃で……この芍薬の『母』は我が内に仕込まれた“安全装置”を――自らの意思で自決できない時、またそれに類する状態に陥ったと同時に自動実行オートランする自壊プログラムまでをも完全に殺してしまった!
「ごめんあそばせ」
 撫子が、躊躇なく追い打ちをかける。
 Åは――観念した。
 一撃目よりずっと手加減された一撃。しかし、『瀕死』のA.I.を、さらに人間で言う『昏睡状態』にするには足るデコピン。
「……撫子おかしら
 撫子の足下に臥す甲冑を見つめ、百合花は言った。Åは構成プログラムが崩壊する寸前で保たれている。体積を増し続ける砂の塊が崩れて失われながら甲冑を模るような、危うい状態。まさに絶妙、限りなく殺しに近い半殺し。
「わざと二発入れたん? 芍薬の傷を平然と直しゃってたくせに、ほんにはそんに怒ってたん? 平気なふりして穏やかじゃない心を隠らしゃる撫子おかしら、ああ、かわいらしゅうねぇ。んふふふふ」
 明らかなからかい口調で、百合花が紅の差す肉感的な唇をすぼめて笑う。
 撫子は傘をくるくると回している『娘』に微笑み言った。
「無駄口を叩いていないで。早く“吸い出し”なさい」
「ホホ、恐や恐や」
 百合花はそれ以上は言葉を重ねず、Åに添い寝をするように横たわった。よろいとキモノの接触部が曖昧に滲み、溶け合う。Åの頭に当てた百合花の手が形を失くしてかぶとの中に沈みこむ。
 それから百合花はÅの頬に口を寄せ、ふぅと息を吹きかけた。
 すると百合花の手とÅの冑が混じる曖昧な境界線から微細な綿毛にも似た粒子が舞い飛び、二人の傍らに置かれた傘の裏地に、Åの記憶メモリーが一つ、まるで砂絵のように映し出されていった。
 百合花は口角を引き上げ、妖しく囁いた。
「いい子やね。さあ、お前様に命を下したんは一体どなたかぇ?」

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