吉+

(『2019吉』の直後)

 公園から店への帰り道、フルニエが言った。
「そいやぁよ、お前もやけに酒に詳しかったな」
「ん?」
「やっぱあれか、お前もなんだかんだで飲んでんのか?」
「お前ってとこにはツッコまずにおいたほうがいいんだろうな?」
 アデムメデスでは15歳以上かつ保護者の監督下であれば、アルコールの吸収を阻害し、かつアルコールを分解する『酔い止め薬』を使用することを条件に15度以下の酒類の摂取を350mlまで認められている。しかしこういう話題においては無論『酔い止め薬』の使用など前提にはしていない。ニヤリとするフルニエに苦笑を返し、ニトロは話を進めた。
「で……ヤヴィズムのことか?」
「てよりグリプラガンだな。普通知らねぇぜ、酒好きでもなけりゃ――いや、ただ酔っ払いたいだけな奴ぁ知らねぇか」
「思い当たる人がいるのか?」
「例の中毒った奴だ。あいつぁいっつも酔ってやがる」
「……一応ツッコンどくけど、その人デリバリー担当だよな。運転は自動にしたとしてもお客に対面するのに酔っ払ってちゃまずくないか?」
「だら“酔い覚め薬アウェイカー”常備だ。どっから手に入れてんだか強力なヤツで、ありゃあれで“ドランカー”だな」
「てことは酔うために酒を飲むんじゃなくて、酔い覚め飲むために酔ってるってことか」
「そのスパイラルだろうぜ。すっきりした時の顔はむしろキマッてやがる」
 笑うフルニエの横顔に、ニトロは自分の知らない世界を垣間見る。そして、
「ヤヴィズムには、カラッとしたフリットだろ?」
 フルニエはニトロが何を言っているのか分からないようだったが、しばらくすると目を大きくして、ハッハと笑い声を上げるや、
「ずむずむずむずむヤヴィズム」
 抑揚を抑えて呟くように口ずさむフルニエに笑みを返し、ニトロも口ずさむ。
「フリット・カラッと・ヤヴィズム」
「ずむずむずむずむヤヴィズム」
「ヤヴィズム」
「ヤヴィズム」
「ずむずむ」
「ずむずむ」
「ずむずむずむずむヤヴィズム」ヤヴィズム」
「ハイボー!」
 「ハイボー!」
「フリット・カラッと」ャヴぃぃぃ
 「ハイボー!」
「ハイボー!」
「おニクもねーーーーんェッ!?」
 爆笑である。
 二人は腹を抱えて笑い、自分達が小学生の頃、その中毒性から話題になったコマーシャルをまぶたに蘇らせてまた笑った。
 何かでラリった頭から蒸留したとしか思えない世界で瞳孔の開いたキャラクター達が飲んで歌って踊り狂い、それらに供給するハイボールを作り続けて疲弊する居酒屋店主をリモコンで操る酒造会社社長は夜な夜な札束数えてさらに瞳孔が開ききっているというブラックな塩梅。しかもそのコマーシャル、昔アルコールに対する規制圧力が華やかなりし頃に作られたもののリバイバルだというから凄まじい。
 ヤヴィズムが『庶民の愛するウィスキー』という地位を確実にしたのはその元のコマーシャル――つまり酒類排斥論最盛期からで、その時代の後期に相次いで発売された各社の『酔い止め薬』の広告戦略においては、明らかにヤヴィズムの瞳孔の開いたキャラクター達を揶揄することが定石になったという。
「まあ、ヤヴィズムを出したのはCMのせいだけじゃなくって、実際合うらしいから」
「誰に聞いたんだ?」
「母さんの幼馴染。だけど聞いたっつうより見たっていうのかな。小学校の頃、その人が一週間ぐらいうちに泊まってたことがあってさ、それで毎晩ヤヴィズムでハイボール作って父さんにフリットをリクエストしてね、それがまた美味そうに飲み食いしてたから記憶に残ってるんだ。比率はその人は1:2、父さんは1:3より薄めだったかな、それにレモンを搾ってた」
「なるほどな。つか、お前の親父さんは弱いのか?」
「弱いね。全くの下戸じゃないから飲みはするけど、だから酔うより味わうって方だ。グリプラガンはとっておきの一つだよ」
「だら知ってたのか」
「ああ。そういや今話したその人が世話になった礼に置いていってから常備された気がするな。あれは『高くて安くて美味い』ってその人が言ってて、なんだそりゃってその時はツッコンだけど」
 そういえばその人は小学生のニトロ・ポルカトにそうやってツッコませて晩酌の楽しみにしていた気もする。ふいにかすめた思い出を背後に流して彼は、
「あれって『最も庶民的な高級ウィスキー』なんだろ?」
「知らねえ。そうなのか?」
「そうらしい。で、それを知ってその時の意味がようやく分かったって話だったんだけど……これだとなんか妙に締まらない話になっちゃったな」
「おう、どうした漫才師」
「いやこりゃどうしようもねえ」
「金返せー」
「まあそういうわけで印象深くて、ラベルも格好いいからよく覚えててね。ちょうどあそこのミニバーに並んでいるのが見えたからその一本で押し通したってだけで、だから別に酒に詳しいわけじゃない。あれ以上ツッコまれてたらと思うと今さら冷や汗だ」
 最後はおどけるようにニトロが言うと、フルニエは相槌のような吐息と共に腕を組んだ。
 フロントガラスの向こうにはデリバリーストア『オ,ディンム』の入ったビルが見える。
「お前はやっぱ、腹が据わってんだな」
 フルニエの言葉は、不意打ちだった。滅多に人を褒めない友達の、しかもその声はとても飾り気のないもので、それは例え錯覚だったとしても、やはり本心の感じられる口調であった。
 己のことを良く言われた、と理解するより先に驚きが立ち、その驚きの処理にも手間取ってニトロの反応は遅れてしまった。
 そのうちに車は『オ,ディンム』の駐車場に入っていく。
 フルニエは当惑するニトロを一瞥し、苦笑したようだった。薄暗い駐車場に入ったことで明るい街灯の差し込んでいた車内も暗くなり、そのためよく見えなかったが、そこには少し自嘲も混じっているように思えた。
 車は二台のバイクと二台のデリバリーロボットの止まる間に滑り込んでいき、
「到着シマシタ」
 車載A.I.が言うと同時、フルニエがシートベルトを外しドアを開けながら、
「んじゃあ、先に様子を見とくわ。後は打ち合わせ通りにな」
「……ああ」
 ニトロの返答を聞くかどうかのタイミングでドアが閉められる。
 取り残されたニトロは、ひとまずエンジンを止め、自動運転システムへの一時ゲスト登録を解除した。
「ゴ利用アリガトウゴザイマシタ。マタノゴ利用ヲオ待チシテイマス」
 素っ気ないといえば素っ気ない、後腐れないといえば後腐れのない車載A.I.のセリフは残響もなく消えていき、ダッシュボードの光が消える。先ほどまで活発だったメーターパネルも真っ黒となり、それだけに静けさが際立つ。
 一時的に死んだ車の中で呼吸するニトロだけが、異物であった。
 彼は友人の入っていったアルミのドアを見る。そして我ともなくうなずき、何ともなく労をねぎらうようにポンとハンドルに軽く触れ、
「はっはっ」
 短く、しかし歯切れよく笑うと、薄暗い駐車場へ降りていった。

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