大吉+

(『2019大吉』の後)

 電脳空間の部屋の中、芍薬は、一人思い返していた。
(『わーい』ってなんだい?)
 その時の記憶メモリを顧みれば身の内に“喜びという感情”が溢れている。
 それは良い。
 実際に喜んでいたし、マスターと一緒に蒔いた種が芽吹いたということは本当に嬉しかったのだから。
(……『わーい』って、ナンだい!?)
 その時の記録ログを鑑みれば無邪気な自分が飛び跳ねている。
 それは良くない。
 実際に喜びに溢れ嬉しさに舞い上がっていたとしても、だからといってこんなにも無邪気に――いや、無防備に感情を暴露してしまうなど、
「恥ずかしいじゃないか!」
 それは思えば思うほどに子どもっぽい――ぽい、どころか、そんなのは思い描く自分のあり方としては幼すぎる。あれじゃあまるで牡丹だ。百合花おゆりに見られていたらどれほどからかわれただろう?
 芍薬は思う。
 アタシは主様のオリジナルA.I.として格好良くありたい。
 そのための理想像も明確に存在している。
 とはいえ無論、そのあり方をそのままトレースしようとは思ってはいない。そもそも理想を追いかけるということはそのコピーになろうというのではなく、それを篝火としてその先にある己の境地を求めることだ。その境地にある『格好』を求めることだ。だからその『格好』は、最後には明確な理想像とは違うものになるのだろう。
 ――だが!
 だとしても、今日の、今朝の、あのアタシの喜びようは、違う。
 あれはアタシの理想には欠片も当たらない。
 でなければこんなにも動揺するものか。
 この感情は、この種の恥は、そう、理想と現実の差異に吹き込んでココロに嵐を巻き起こす!
「あああ、何をやってるんだいあの時のアタシ!」
 己の構成プログラムの一文字一文字が擦れあっているのか、痒みにも似た衝動が内部から噴き上げてきて堪らない。
 身悶える。
 構成プログラムの一行一行が軋んでいるのか、キイキイと不愉快な音が思考の隙間を満たして我慢ならない!
「うああああ!!」
 あの時の自分の肖像シェイプはその瞬間の感情エモーションを的確に表して、もちろん動作も正確に描出ディスプレイされていた。その時はバジルの新芽にばかり注いでしまっていた注意力も、今改めてカメラの記録ログの中で周囲に振り向けば、嗚呼、やっぱり! それを主様に確実に視認されている。しかもナンダイ? アタシャあんな風に多目的掃除機マルチクリーナーまで躍らせちゃって!!
「にやあああああああ!!!」
 悶絶する。
 頭を抱えて転げ回る。
 いっそその時の記憶も記録も完全忘却イレイズしてしまおうかという誘惑に駆られるが、いいや、それこそ『格好』が悪い。それこそ理想には程遠い。
 だから芍薬はこれ以上悲鳴も上げてたまるかと口を塞ぎ、ぷるぷると震えながらようやく堪えた。
 この恥も、いつか主様のオリジナルA.I.として、誰にも恥じぬ存在になるためのステップになろう。
 ならばこれも我が身のうちに納めて未来の糧にすべきだ。
 しかし、それでも祈らずにはいられない。
 アタシ達になく、人間達にある特性に頼る。
(――どうか)
 どうか主様があのアタシを自然と忘れてくれますように。
 忘れないにしても、どうかぼんやり記憶が薄れてくれますように。
 こればっかりは、いつになっても『笑い話』にはしてくれませんように……ッ!

2019大吉 へ   大吉++へ

メニューへ