中編−2 へ

 飛行車スカイカーをレンタルするための手続きを済ませた直後、自宅への攻性不正行為クラッキングの嵐が押し寄せてきた。
 今までその予兆一つすらなかったこちら側への攻撃に芍薬は一瞬戸惑ったが、しかし即座に先鋒を叩き潰した後、いちいちクラッカーの相手をしているのは面倒だと回線を物理的に遮断した。
 これで何をせずとも、攻性不正行為クラッキングの侵攻からコンピューターを完璧に守ることができる。が、同時にこちらから外界への接続も不可能になった。
 敵は、ニトロへのA.I.のサポートを完璧に封じたと思っていることだろう。
「こんなところで役に立つとはね」
 生活に必要なための回線はオープンにネットにつなげていなければ不便だが、そのオープン性故に不正行為ハッキング攻性不正行為クラッキングのための道筋になってしまうという宿命じみた脆弱性がある。
 そしてそれらからシステムを守るために手を取られれば、あるいは何らかの手段で回線を切られてしまえば、マスターが危険に晒されていても助けに行くことすらできない。
 ニトロのメインA.I.という大役を得てすぐ、『メルトンの逆襲』を受けてその問題点を強烈に実感した芍薬は、彼に対策のための設備を提案していた。
 現在、ニトロの家には三本の回線がある。
 一つは生活用の一般的な回線で、それは最悪の場合コンピューターごと破棄できるようサブコンピューターに接続してある。他の二つはメインコンピューターに繋げてあり、どちらも専用回線ホットラインだ。一つはティディアが勝手に敷設した王家へのもので、そしてもう一つが新たに敷設した、ジジ家へのもの。
「牡丹、システム借りるよ」
「あいあい。どうぞー」
 専用回線ホットラインはニトロのシステムとジジ家のそれの間に、完全にクローズドな環境を整えている。芍薬は何者にも邪魔されることなく仲間にアクセスし、そこを中継点としてニトロに連絡を取ろうとした。
 だが……通じない。
 何度コールしてもニトロの携帯から応答はなかった。呼び出し音は返ってきている。電源は入っているようだが……
「まさか」
 携帯で連絡が取れなくなった時のために、ニトロはカード型の発信機を持っている。だがその信号は一般用の回線を通じサブコンピューターに送られてくる設定になっているため、現在の環境ではパフォーマンスを発揮できない。
 芍薬は自宅のシステムの、緊急信号を受け取るための装置を操作した。受信設定を受動スタンバイから能動パトロールに変更し、こちらから信号を受け取りにプログラムを走らせる。
 すると即反応があった。
「まずいね」
 ニトロは移動していた。位置測定をかけ速度を見ると、走っているようだ。追われているのだろう。
 緊急事態だと繁華街の警備システムに接続すると、ふざけた反応が返ってきた。
「なんだって?」
 監視カメラを管理している汎用A.I.の返答に、芍薬は否定を返した。
「違う、これは『テレビ撮影』なんかじゃない。ニトロ・ポルカトはそんな依頼受けていないよ」
 だが汎用A.I.はそう申請を受け、受理したとだけ返してくる。
(随分手回しがいいね)
 狂騎士達の工作だ。なるほど『テレビ撮影』とでもしておけば、有名人の主が追われていても誰も不思議に思うまい。
 それにしたって申請から受理までが速過ぎる、データを改竄されていないかと問えば、仮申請は三日前からあったと告げてくる。証拠を寄越せと言えば、仮申請は他所の警備システムも受けていると一覧を示してきた。
 一覧は広範囲に渡る周囲一帯の警備システムを網羅していた。数打てば当たるという腹だったか、その中にニトロがいる繁華街の名もあった。
 こうなると言い合っていてもらちが明かない。
 忌々しく思いながら芍薬は――後で緊急事態を立証しなければ、いくらマスターのためだとはいえ勝手に違法行為を行う『暴走』したオリジナルA.I.として罪を背負い、裁定によっては『消去デリートの罰』を受ける可能性もあるが――それも覚悟の上だ。可能な限り早く警備システムから情報を奪うために通信相手の汎用A.I.を踏み台に……
「待った待った芍薬ちゃん。見つけたよ!」
 強引なハッキングを仕掛けようとしていた芍薬の手を、陽気な歓声が留めた。
「芍薬ちゃんの読み通り。あったよ、ネットワーク
「牡丹、でかした!」
 芍薬は即座に警備システムへの接続を切るや牡丹が寄越してきたデータを受け取り、そしてほくそ笑んだ。
 ようやく見つけた。
 いくらインターネットのコミュニティを、それこそ会員制のクローズドコミュニティまで洗っても出てこなかった狂騎士達の動向。
 自分の調査ロボットだけでなく、撫子のネットワークを持ってしても尻尾を掴めないのは、もしや専用回線ホットラインのように専用のクローズドネットワークを構築しているからではないかという推測が的中した。
 敵が互いに連絡を取っていることは分かっていた。であればニトロがこれまで通った地域の基地局のアクセスデータを洗えば、常に主のいる近辺から特定の場所へのアクセスがあるはず。
 通信基地のデータサーバーへ仕込まれた撫子のネットワークを介して牡丹に調べてもらっていたが、それが功を奏した。
 牡丹が吸い上げてきたデータには、狂騎士達の計画の一部始終が描かれていた。
 これによれば今ニトロを追いかけている集団の中には、複数のアンドロイドが紛れている。
 ちょうどいい、利用させてもらおう。
「助かったよ、感謝する」
「あいあい。お互い様ー」
 芍薬の礼に、撫子に良く似た童女が頭を垂れる。
「さて」
 芍薬はニトロを追うアンドロイドへ乗っ取りを開始しながら、計画にある『目的』に舌を打った。
「まったく別れさせるも何も……主様はバカ姫とつきあってすらないってんだ」
 いわれのないことで不幸を受ける主がかわいそうだ。
「全部潰してやるからね」
 クローズドネットワークに用いられているサーバーには、狂騎士達の組織名が記されていた。
「王立ティディア親衛隊」

 おかしいと、ニトロは思った。
 一人の少年が大勢の仮面を被った連中に追われているのに、街の人々の目には驚きはあれど恐怖の色が全くない。明らかに暴力的な犯罪行為が行われようとしていると分かるだろうに、これは一体どうしたことか。
 ましてや、治安維持の見回り警備アンドロイドは完全無視ときた。この繁華街の警備システムはこの状況を一体どういう了見で黙過しているのだ。
 さらに異常なこともある。
 逃げる自分とすれ違い様に
「頑張れー」
 と、のん気に応援してくる者まであることだ。
「ニトロくん、がんばれー」
 両親に連れられた小さな女の子まで手を振って言ってくる。
 反射的ににこやかに手を振り返し、ニトロは背後に迫る集団に距離を縮められぬよう足を鈍らせることなく走りつつ、やっぱりおかしいと思った。
 何を頑張れというのだ?
 最悪、集団リンチにあうことを頑張れというのだろうか。
「すいません! お聞きしたいんですが!」
 状況を把握しようとニトロは雑貨屋の店先で、外に出した陳列棚の商品を整理している青年に尋ねた。
 青年は目を丸くしてニトロを見つめ、ああと口を開けた。
「ニトロ・ポルカト」
「ええ、そうです――あ!」
 すぐ傍まで狂騎士達が迫っている。ニトロは慌てて再び走り、ぐるりと回ってまた雑貨屋に戻ってきた。
「俺に関して何か情報ありました!?」
 問われた雑貨屋の青年はあからさまに戸惑いを浮かべて、うなずいた。
「何!?」
「テレビ撮影があるから邪魔しないようにって、警備から……」
「ありがとう!」
 ニトロは全力で走った。
 差を縮めてきていた狂騎士達からある程度の距離を作り、そこで彼はなるほどと納得した。
 狂騎士達は警備システムに『テレビ撮影』をすると申請していたのだ。ならばこの状況で『ニトロ・ポルカト』が変質者に追われていても、そりゃ「頑張れ」だ。
(やーってくれる)
 普段からティディアの企画でこんなことは日常茶飯事。傍から見れば不自然なところは皆無だ。畜生、よく考えてやがる。
 ……よく考えているといえば、追跡もそうだった。
 ニトロは背後を一瞥した。
 追ってくる狂騎士の人数は、初めより少しだけ増えている。しかも――見覚えのある服装が消えたり現れたりしていることで気づいたが――所々で要員を交代し、常に元気な者が追うように体勢を整えて。
 一方で初めから今までずっと追跡してくる仮面もいた。その動きをよくよく観察していると、どうやらアンドロイドらしい。人間にしては整い過ぎた走法で、速度を微妙に変化させながら追い続けてきている。
 時折アンドロイドにしては不自然な動きを見せることを鑑みると、狂騎士のメンバーが意心没入式マインドスライドの遠隔操作でもしているのだろう。そしてアンドロイドであれば人間以上の速度で走ることもできるのに、それなのに追いつこうとしてこないのは――じっくりこちらを疲れさせるためか。
 生物のように疲労することのないアンドロイドに緩急をつけられ追いかけられれば、精神的な体力の減衰も著しい。
 その上、アンドロイドの数は次第に増えてきている。そのプレッシャーが、心を締めつけ足に鉛をまとわりつかせてくる。
(ええい、こりゃいい司令塔だ)
 前方から迫ってくる一団を見て、傍の路地に逃げ込みながらニトロは内心毒づいた。
 時に徒歩を許され、時に全力疾走を強いられ、全体的には一定のペースで……真綿で首を絞められているようだ。特に力を入れて磨いている持久力もじわりじわりと奪われて、すでに心肺は悲鳴を上げ始めている。
 自棄やけになって諦めたくもなるが、しかしニトロは走り続けた。
 自分ができることは結局、時間を稼ぐことしかない。
 芍薬はこちらの状況に気づき、もう手を打っているはずだ。その助けを待つ。芍薬が手を打てない状況には決してしてはならない。それさえ守れば、逆転はいくらでも可能だ。
「?」
 仮面の一つが、急速に向かってきていることにニトロは気づいた。
 その速度は恐ろしく――
「!」
 それは、アンドロイドだった。
 アンドロイドの一体が遂に全力を出してきた。
 ここで捕らえにきたかと息を詰め、止めた途端に震え出そうとする足に力を入れて身構えると、そのアンドロイドの背後で狂騎士達の動きに乱れがあるのが見えた。
 どうやら、狂騎士達は戸惑っている、らしい。
(抜け駆けか?)
 指揮を逸脱する者が現れたのかと思えば、違った。そのアンドロイドはニトロの前まで来ると、丁寧に辞儀をした。
「主様、あたしダヨ」
 穏やかな声に、ニトロの肺に押し込まれていた空気が一気に解放されていった。
「待ってたよ、芍薬」
「御免ヨ、『仕込ミ』ニチョット手間取ッタ」
「……てことは、あっちの本拠を掴んだってこと?」
「御意」
 ニトロは額から落ちる汗を拭い、向かってくる狂騎士達に目をやった。情報を交換するだけの時間を稼ごうと軽く走る。
「それじゃあ、どうしようか」
 歩を合わせてついてくる芍薬を――芍薬の乗っ取ったアンドロイドを見て、ニトロはその仮面の奇妙な模様が何だったのか、ようやく知った。
 ティディア・マイラブ!
 そう崩した文字で書いてある。
「『計画』ジャ、最終的ニ主様ヲ『本隊』ガ追イ詰メルヨウニナッテタヨ」
 なぜか苦笑しているマスターを不可思議に思いながら芍薬が言うと、彼はうなずいた。
「あっちが用意している道具は分かってる?」
「御意。アンドロイド30体」
「30!?」
 驚いて、ニトロは素っ頓狂な声を上げた。
「レンタル?」
「自前ダヨ」
「そりゃまた……」
 芍薬の操作するアンドロイドを見るに、結構なグレードのもののようだ。30ともなれば住宅を一戸も買えるだろう。
「随分、いいスポンサーがついてるんだな」
「貴族、政治家、ソノ類ガツイテルミタイダ。警察ニハ手出シサセナイトカ、記録ログニアッタ」
「ああ、なるほどねー」
 まあ、例えば貴族や政治家の子息がティディアの夫の座を狙うため、邪魔なニトロを排そうと参加していてもおかしくはない。あるいは『ティディア姫』に憧れる貴族の令嬢も多いと聞くから、それが狂騎士に紛れていても何ら不思議はなかった。
「それで、他には?」
「車4台、専用サーバーニ専用回線。他ニモアルケド……」
「その中に銃とか、そういうものはあるかな」
「ナイヨ。目的ハ『主様ニバカ姫ヘ別レヲ告ゲサセル』コトダカラ」
 ニトロは、また苦笑した。
「ピントがずれまくってるなぁ」
「阿呆デ馬鹿ゲタ目的ダヨ」
「本当にね。
 ……それじゃあ、俺は『本隊』をおびき出してみるよ」
「大丈夫カイ?」
「大丈夫だよ。命を奪おうってわけじゃないようだしね」
「デモ、大怪我ハサセラレルカモシレナイヨ? ソレニ、モシ『暴走』シチャッタラ命ニカカワルカモ……」
 ニトロは確信を持って言っていた。彼は全身から芍薬への信頼を放っていたが、しかし芍薬は了解を渋っていた。
 いつもならこう信頼を態度で示せば素直に承諾を返すのにと、ニトロは芍薬の躊躇を不思議に思い、やおらその原因にはたと思い至った。
 A.I.は、空気や雰囲気という非常に『感覚的なコミュニケーション』を不得手とする。そのためA.I.は、言葉や声調、表情や身振りなどから総合的に相手の情動を分析することでその短所をカバーしているのを思い出して、ニトロは自嘲した。
 芍薬があまりに優秀だから、A.I.の限界をつい忘れてしまう。仮面をつけたアンドロイドのセンサーで、こちらの微妙な変化まで捉えられるわけもない。
「大丈夫。芍薬がいれば俺は死なない。ちゃんと待ってるから。それに潰すなら頭ごと、だろ?」
 気持ちを明確にした言葉に、ようやく芍薬はうなずいた。
「承諾。ボスハ『隊長』ッテ呼バレテル」
「了解」
「アト、『参謀』ガイルカラ気ヲツケテ」
「分かった。芍薬も気をつけて」
「心配痛ミ入ル」
 芍薬が立ち止まり、もうすぐ傍まで迫っている狂騎士達に振り返った。裏切りのアンドロイドが体を向けてきたことで、狂騎士達の何人かの足が鈍る。だが、アンドロイドらしい集団は構わず突っ込んできた。
「ソレジャア、チョット懲ラシメテクルネ」
「あ、そうだ。あっちには意心没入式マインドスライドもいるだろ?」
「御意。ヨク判ッタネ」
没入深度スライドレベルによっちゃトラウマできることもあるっていうから――」
「御意。念入リニ作ッテヤルツモリダヨ」
「……えーと」
 ニトロは、まあ自業自得かと思うことにした。
「分かった。『ニトロ・ポルカトのA.I.』の強さ、見せつけておこう」
「承諾」
 言うや、芍薬は集団に向けて走った。
 そしてその直後、集団の中の一体が隣のアンドロイドにパンチを放った。芍薬のハッキングだ。殴られた方も殴った方も、戸惑っているようで動きが止まっている。
 そこに芍薬が突っ込んだ。
 全速力を拳に込めて、仲間を殴りつけ止まっていたアンドロイドを文字通り――殴り飛ばす!
 仮面が砕け、激しく金属が激突し、ひしゃげる音が繁華街の路地に響き渡る。後を追ってきている狂騎士達の足元まで転がったアンドロイドの首は半ばもげ、黒いオイルが動脈から噴き出すように流出していた。
 どよめきと、悲鳴が聞こえてきた。
 しかし、畏怖を受けるアンドロイド……機械の詰まった体躯を数mも殴り飛ばす衝撃を受けた芍薬の腕も無事ではなかった。拳が砕け手首が折れ、人工皮膚を突き破って内部の機械が露出している。その腕はもう使い物にならないだろう。
 それを勝機と見たか、間近にいた狂騎士のアンドロイドが芍薬に襲いかかろうとして、急に止まった。
 何事かと思えば、今度は芍薬のアンドロイドが驚愕でもしているように頭を振った。
 意心没入式マインドスライドの対象を乱したのだろう。逆に襲いかかろうとしていたアンドロイドが平然と動き出し、隣にいたアンドロイドを物凄い勢いで殴りつけている。
 ――格が違った。
 芍薬が一般的なオリジナルA.I.以上の能力を有しているのは知っていたが、そういえばそのポテンシャルを実際に目にするのはニトロも初めてだった。
 まったく、どうやったらこんなA.I.を育てられるのか。
「俺には過ぎたA.I.だよな……」
 ニトロは頭を掻き、連絡を受けたかどこからともなく現れた援軍――その中にはあのタキシード姿のものもある――全てがアンドロイドであるらしい一団を、孤軍迎え撃つ芍薬の姿を見た。
 心配は、必要ない。
 ニトロは踵を返した。
 路地を抜けると、こちらへ見覚えのない大男を先頭にした仮面の集団が走ってきていた。これまでと雰囲気が違う。おそらく、あれが『本隊』だろう。
「……タイミングいいなあ」
 ニトロは走り出した。
 とりあえず、人の迷惑にならない場所へ行こう。
 背後から追えと声が聞こえてくる。
 ニトロは繁華街の外れ、光少ない裏路地へと駆けこんでいった。

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