3-b へ

 人と出会った時、相手がどのような者か探り合うことは必然である。しかし、もし出会いの時、その二人に共通の風が吹いたならば、二人は必然を越えた絆を得ることだろう。
<マシュラヲ出版「をとこの世界」より>

「ひどいなぁ」
「ひどいわけあるか」
 ハラキリの家の地下からは一本の通路がのびていた。それは電線などケーブル類がまとめられている坑道につながっていた。土中に眠る蛇の胴にも見える巨大な管は、この一帯の幹線であるようだ。その脇には管理用の通路があった。点けられた非常灯の薄明るさの中、二人はその道を足早に進んでいた。
「ひどいわぁ」
「ひどくねぇわ!」
 錆とカビの臭いが対流のない空気に混じり、地底の閉塞感が胸を詰まらせてくる。ニトロは、いい加減に苛立ちを隠すことを辞めた。顔を団子のように腫れ上がらせたハラキリを指差し、叫ぶ。
「だいたいお前がいきなり落すからいけないんだろ?」
「だからって、しこたま殴らなくても〜。だって逃げられたじゃないですか〜」
「危うくこの世からも逃げ出すところだったじゃないですか! 底には定番の水はおろかクッションもないしよ!」
「おかげで服の衝撃吸収能力を説明する手間が省けました。あの高さから落ちて『痛い』で済むのは凄いでしょう」
「しこたま打ちつけられての『痛い!』だけどな」
「君が頑丈で良かった」
「マッハパーンチ」
「痛い!」
 もう一発、ニトロはハラキリの顔面に拳をめり込ませた。
「ところでもう随分来たけど、どこまで行くんだ?」
「そこの角を曲がれば地上に出る梯子はしごがありますよ」
 ハラキリの言葉の通りに梯子はあった。それは天井の穴へと続き、覗いてみれば暗がりの中に地の上下を区切るマンホールが見える。ニトロは顔の近くに飛んできたモスキートを追い払いながら、何を思うのか、変に気の抜けた表情で穴の中を仰ぎ見ている助っ人に訊ねた。
「これ?」
「異常無しです。のぼりましょう」
「分かってるけどさ」
 しれっとした顔で促してくるハラキリを一瞥して、ニトロは梯子に手をかけた。
 まだ彼と出会って2時間も経っていないが、ニトロはすでにハラキリ・ジジという人物の性質を理解していた。
 彼は、マイペースだ。社交の性質は良く言えば策士、悪く言えば詐欺師だ。さらに彼は、例え周りが協調しなくとも、独りで突っ走るだけの馬力を隠している。
 そう思って見ると、彼の細い目と確固として自己を崩さぬ態度が、何だか胡散臭い野郎の代名詞に見えてきて仕方がない。
 つまり何が言いたいかといえば、
「なんかねぇ」
 梯子を上りながら、ニトロは眉をひそめていた。
「お前の言動には何か裏があるように思えてならないんだよ」
「いや、そう申されましても。自分の雇った人間くらい信用しましょうよ」
「だってなぁ、相手はバカ姫だし。やっぱもうお前が奴の手駒な気がしてきたし。というか、普通こういう時は雇われた者が先行して安全を確かめたり、マンホールを押し上げたりするもんじゃないか?」
「おや、鋭い」
 メリッと、ハラキリの頭が嫌な音を立てた。自分がニトロに貸した靴の鉄板すら蹴り凹ませられる踵が、彼の頭骨に芸術的にめり込んでいた。
「ご無体な〜」
 梯子を滑り落ちていくハラキリの抗議を無視し、ニトロはとにかくマンホールを押し上げると、夜闇に人の光が滲む地上へと這い上がった。地に足を立て、閉塞感から解放された身を伸ばそうと顔を上げる。
「…………O.K。世の中そう来なくっちゃ」
 そして彼は、嘆息と共にニヒルな笑みを浮かべてみせた。

 誰もが思い付くことなのに、誰もがやらないことがある。それは、人に道徳があるためだ。
<ガクン教育出版局「道徳の時間」より>

 ここは王都ジスカルラの北から中心を渡って、東南にあるジスカルラ港に流れるカルカリ川のほとりであった。
 カルカリ川は、ジスカルラに住む者にとってなくてはならない川である。水道水はこの上流で集められ、カルカリ川に沿って無数に点在する大小様々な公園や広場は人々の憩いの場となっている。
 ニトロが地下より上がってきたこの場も、そんな憩いの場の一つだった。ジスカルラ最大の公園であり、最も有名なケルゲ公園。その中の、カルカリ川に沿って造られた遊歩道に彼はいた。
 ニトロが、ここがケルゲ公園だと判ったことには理由がある。
 彼の虚無感溢れる眼は、彼の視神経を刺激する二つの光源を澱ませていた。
 傍らに流れる川の下流に向かう先、左にそれた向こうに光の塔が見える。それは王都で最も高い建造物、シェルリントン・タワーだ。
 真正面には深夜の黒幕の中に霞の中にある月のように、純白の光玉が輝き浮かぶ。それはこの星で最も高い意義を与えられた建造物、王城。
 その二つが摩天楼に欠けることなく見えるこのロケーションは、カルカリ川沿いの公園の中でもケルゲ公園にしかない価値だった。
 さて、このまま深く思策にふけり王城とシェルリントン・タワーを比喩に『価値 その現実性と精神性』なんて論文を書き上げてみたくもなるが、それは逃避であろう。
「さすがは姫様だ」
 ニトロの心には倦怠感と諦めの境地が入り混じった、とにかく重い気だるさが満ち満ちていた。
「聞いていいかな? 何でここが分かったんだろう」
 ニトロは両手を挙げていた。目の前には十人ほどの屈強な男達が整列している。中心には二人。一人は女性で随分高飛車な様子が見える。その隣に控えるのはかなりの体躯を持つ大男だ。そちらが答えてくる。
「決まっていよう。姫様だからだ」
「うわ。機知エスプリも効かねぇ御答え」
「なんだと?」
 ニトロの軽口に大男は怒りを表した。もともと野太い声にドスが効き、ニトロの気を悪くする。大男は拳を握り、今にも彼に襲いかかりそうな形相であった。それをティディアが片手を挙げて制する。
 彼女はにやにやと、とても人の悪い顔で嬉しそうに笑っていた。
「ここには川もあるし、近くには大きな道路もある。下水を使って逃げるのも手だけど、人海戦術を使われては都合が悪い。だから一番近くて選択肢が多いところに早く出たい。特に、『素人を連れている』のだから」
「大当たり」
 と、そう小声で言ったのはハラキリだった。マンホールの中で機を窺っている彼は、まだ何の手段も講じようとしない。彼の前には側壁に埋め込まれたモニターがあり、その微光を受ける顔は思案の色を染め出している。
 こんな時に何を考えているのか。彼の様子があまりに呑気に思えて、ニトロは苛立っていた。だが彼に何か策があることを信じて平静を装い続けている。
「さっさとそのマンホールから出てきたらどうだ?」
「もう出てるじゃないか」
 大男の脈絡のない注文に、ニトロは眉をひそめた。
「貴様ではない。『大当たり』といった奴だ」
 ニトロはぎょっとした。大男の言葉は、今のハラキリの声を聞き取っていたかのようである。間近にいた自分がやっと聞き取れる位の声を。
「凄い地獄耳ですね」
「あ、馬鹿。なんであっさり出てくるんだよ!」
「いやいや、無駄でしょう。君に助太刀がいることは承知されてますし」
 よっと掛け声をかけて、ハラキリがマンホールから出てくる。
「それに、あの人には聞こえていたようですから」
「え? 本当に?」
「そのようですよ? だって……」
 そこまで言いかけて、ハラキリはニトロに疑念を向けた。
「ニトロ君。なぜにホールド・アップを?」
「普通、銃を向けられたらこう両手を挙げないか?」
「銃なんて、誰も向けてないよー」
 言ってきたのは、ティディアであった。
「何ぃ?」
 ニトロが振り向くと、確かに、誰も銃を構えるどころか所持さえしていない。大男が長大な槍を持っているだけで、ティディアは軍の制服を着ているだけ、後ろの男達にしても軍服を着てはいるものの火器も持たずに『きをつけ』をしているだけだ。
「何でだ!」
 憤怒の表情で彼は叫んだ。
「普通こういう時は、余裕綽々しゃくしゃく殴りたくって仕方がねぇ顔で! 『ホールド・アップだ。べらんめぇ』とか言うもんだろう!?」
「別にそうと決まったわけじゃ」
「黙れハラキリ! お前が反論してどうする! ここは一発、バカ姫に答えさせてツッコミいれないと気がすまないのだ!」
「別にそうと決まったわけじゃ」
「貴様もハラキリと同じ答えを返すなああああ!」
 ティディアを指差し怒鳴って地団太踏んで、ニトロは怒りの矛先を変えた。
「だいたい何であんたはハラキリの声が聞こえたんだよ! 何か? その耳には高周波すら聞きとめる測定器でも埋まってるのか?」
「よく分かりましたね。驚きました」
「今度はどんなチャチャ入れてくれる気かね、ハラキリ君?」
「あれ、サイボーグでっせ」
「本当かね、ティディア君!」
 仰天して、仰天ついでにノリもそのままにティディアに問うと、ケラケラと笑ってこちらの様子を眺めていた彼女は素直にうなずいた。そして言う。
「試作品1号よ」
「…………」
 今に至って。ニトロはこの現実がどれほど重大であるか気がついた。愕然とし、恐れに唇が震える。
「ッサッササササササ、サイボーグ?」
 人型ロボット……いわゆるアンドロイドは、今や生活に浸透したものである。それは珍しくも何ともないし、問題があるわけでもない。
 だが、サイボーグ……つまりいわゆる改造人間は多くの国家宗教が絡む全星系連星ユニオリスタの中で、倫理的な問題をはじめ解決の糸口が見えない課題や議論が多いため、現状全宇宙で禁止されている。
「そんなに驚くことかな?」
 ティディアが意外そうに首を傾げる。その横で、大男は誇らしげにマッスルポーズを決めていた。
「当たり前だ! 禁止されているサイボーグがいるなんて!」
 叫んで、ニトロはふと平静を取り戻した。
「いや、人間に『禁止』なんて言葉は有って無いようなもんか」
「怒鳴ったり悟ったり、忙しいねぇ。御主人」
「御主人言うな」
 眉間に刻んだ皺を叩きながら、ニトロはティディアに向き直った。
「さっき、試作品1号と言ったってことは、狩りのついでに試そうというわけね」
「御名答」
 ティディアは微笑んだ。
「見たところ随分余裕だけど、そっちには何か策でもあるのかしら」
 ニトロがハラキリに目を向ける。すると彼は目を閉じ、手を組みながらひざまずいた。
「プカマペ様。私達をお守り下さい」
「プカマペ?」
「左様。拙者の心だけに語りかける、言っちまえば自作の神様」
「ほう」
「祈りましょう。ご一緒に、さあ」
 ニトロの膝小僧が、ちょうどいい位置にあったハラキリの顎を的確にどついた。
 ハラキリはその時、確かに見た。地平線まで広がるお花畑を。微笑んで腕を広げているプカマペ様を。
「策はない! 堂々と戦って散ってやる!」
 ニトロのやけくそな怒号に、ティディアは口をとがらせた。
「え〜? もっと諦め悪く抵抗してくれないと、私の嗜虐心が満足しないんだけど」
「変態の戯言たわごとは聞かぬ!」
「仕方ないわねぇ。まあ、いいわ。サイボーグに嬲り殺される少年二人ってのも、見ごたえあるかもだし」
 そう言うと、ティディアは顎で大男に指図した。ようやっと出番が来たことに、男の顔は硬直した。自分の力を試す機会に興奮を隠そうとはしない。ばっと左手をこちらに差し出し、見栄を切ってくる。
「ふっふっふ。ニトロ・ポルカロよ」
「ポルカ
「これは失敬」
 サイボーグは、んっんーと喉をならし、改めて見栄を切った。
「ふっふっふ。ニトロ・ポルカトよ。貴様は栄誉を得る。有史始まって以来、我等が星にて初めて製作されたサイボーグの、偉大なるパワーを味わう、初めての人間なのだからな」
「そりゃまぁ。理屈だ」
「冥土の土産に教えてやろう!」
「いや、頼んでないし」
「我が輩の名はバッテス・ランラン! 貴様の命を頂戴する、偉大なる戦士だ!」
「ああもう……」
 ドイツモコイツモハナシヲキキヤシネェ――ニトロは頭を抱えた。
 手前勝手に口上を垂れ続けるサイボーグは自己陶酔光線を周囲に放射している。それほどの名文句を並べているわけでもないし、そもそも話の流れが不自然だというのに。誰かに、こう言えばカッコイイとでも吹き込まれていたのだろうか。
「聞いているのか少年! ここからが良いところなのだ!」
「あー、はいはい。続けて」
 ニトロの促しに、バッテスは厚い装甲に覆われた胸をこれでもかとばかりに張った。
「我が自慢のこのバディ! あらゆる兵器も傷つけること敵わず!」
 その時、今まで微動だにせず整列しているだけだった背後の男達が『あ〜』と合唱を始めた。そう! BGMである。バッテスはその勇壮なる歌を背に、恍惚とした表情をさらにとろけさせた。明らかに、自分に泥酔している。明らかに、その顔は放送不可な物となっている。
「そしてぇ!!!」
「うわ!」
 バッテスの放った凄まじい大声に、ニトロは耳を塞ぎ、危篤状態だったハラキリは飛び起きた。
 だがバッテスはそんな聞き手達を顧みることなく、勢いそのままに3mはあろう大槍を振り回し始めた。そして、ぼしゅーと鼻から湯気を吹き出し、一世一代とばかりに叫んだ。
「我が愛槍っっっっ、グングニル!! 全宇宙最強の槍!! 我が力と合わさればっ、この世に貫けものなどなぁぁぁぁぁい!!!」
「だめじゃないか」
 言い間違えたバッテスに容赦なくニトロ。まさに言葉は空間すらも切り裂く無敵の刃となって、この場にいる者全ての心に切り込んだ。
 真っ白な空気が流れる。誰もがバッテスに目を向ける。バッテスがおどおどする。空気が乾いていく、乾いていく……冷たくなっていく――――
「あ……あ。 。 。。」
 バッテスは救いを求めて、ティディアを見た。どうにかごまかせないかと期待を寄せている。眼は助けを請う小犬そのものであった。
 だが、いかなクレイジー・プリンセスとてどうにもならないことはあるのだ。彼女は、静かに首を振った。
「糞の役にもたたないわね」
 そして追い討つ。
「つ、貫けものなどないのだ!」
 しかし、バッテスは挫けること無く必死に抗った。賢明にニトロを睨みつけて凄んでみせるが、悲しいかな効き目がない。
「本当かねえ」
「貫けのだ! ボクちゃんのグングニルは何でも貫けるのだもーん!」
「いや、ボクちゃんって、もーんって」
 妙なしなを作ってイヤイヤをする大男は、ある意味悪夢であった。ティディアも後ろの合唱隊も距離をとっていく。ニトロは泣き叫ぶバッテスをそのままにしておくのも心持ち悪いし、段々哀れに思えてきたので助け船を出すことにした。
「分かったよ。じゃあ、なんか堅いの貫いて見せてよ」
「え?」
 バッテスは瞳を輝かせた。
「じゃ、じゃあ。このボクちゃんの、どんな兵器も傷つけることのできないバディを貫いてあげるよ!」
「オッケー」
「ありがとう! 見ててね?」
 バッテスは、槍を振り上げた。
「ん?」
 ニトロはこれまでのやり取りを巻き戻して再考し、首を傾げた。
「おりゃあああああ!!」
 バッテスの裂帛れっぱくの気合が夜気を切り裂いた。
 バッテスの槍が、どんな兵器も傷つけることのできない彼の装甲バディを音も無く貫いた。
 バッテスの顔は誇らしげに輝いた。
「ほら見た? 本当だったでしょう!? どんな兵器も傷つけることのできないバディも、グングニルなら貫けるんだよっ! ぎゃああああああああ!!」
 バッテスは断末魔の悲鳴を上げて倒れた。
「………………」
「…………」
「……」
「おお、これぞ古事にある『矛盾』」
 ハラキリが感嘆の声を上げたところで。
「興醒めしちゃったわねー」
 呆れ顔で、ティディアが頭を振った。
「こいつ、頭悪かったのね。それとも手術でおかしくなったのかな?」
 腰に手を当て、仰向けに倒れて白目をむいているバッテスを蹴飛ばす。ガインと硬い音がした。だがバッテスはぴくりともしない。完全に沈黙していた。
「あちゃ。駆動系までイっちゃってるわ」
 眉間に皺を寄せて、ティディアはとても残念そうに肩を落した。気を取り直すように息をついて、パンパンと手を叩く。すると、
「おわあ!?」
 ニトロは驚愕し、二歩三歩とよろめいた。
 突然、横を流れるカルカリ川の中から巨大なカエルが浮上してきた。金属質の表皮を見ると、生体と機械の融合存在であるらしい。珪素系の生命体にみられる生物的特徴の一つだった。
 ふと、ニトロの脳裏に数ヶ月前に観たニュースが思い出された。
 この珪素系生物の特徴を利用した科学技術。原始的な珪素生物に擬似的な有機生物を構成させ、それを機械と融合させることで『生体機械ゴーレム』を作り出す技術だ。
 神技の民ドワーフによりもたらされすでに全星系で普及している、その活動様式から擬似生命体と位置づけられる分子機械――素子生命ナノマシンの技術理論と、ウイルスなどを利用したバイオテクノロジーの応用から生まれたもので、アデムメデスはこの技術を確立したプロジェクト主要参加国に名を刻んでいる。それもあって、この分野において特に先進的な技術を有していた。
 キャスターが紹介していたのは、フライ型やネズミ型の生体機械ゴーレムを監視装置として地域を巡回させる、最新技術の利用方法だった。人型、動物型アンドロイドより諸々コストがかかるのが当面の問題で、普及にはまだしばらくかかりそうだと経済アナリストがコメントしていた。
 今では外見は本物と区別がつかなくなってきたという。技術主任は、近いうちにモスキートフライサイズくらいなら見ても触れても『本物そのもの』にしたい、最終的には並べて見比べてもどちらが本物か判らない人型まで可能にしたいと言っていた。
 ニトロはその時、感心すると共に空恐ろしいものを感じたものだった。
 もしかしたら、目の前のカエルも生体機械ゴーレムなのかもしれない。
 ニトロはカエルを見つめて立ち尽くすことしかできなかった。あの時感じた空恐ろしさを思い出したというのに、体は麻痺したように動かせず、心は鉛のように動かない。
 ただ警戒心だけが激しく脈打っている。
 そして、何より……
 なんでカエルなの? という疑問が頭から離れなくて何も考えられない。
 ニトロが見つめる最中、カエルが開いた大きな口の中から白衣を着た男達が現れて速やかに上陸すると、バッテスを担いでまた速やかにカエルに帰還した。
 カエルは、呆然と自分を見つめるニトロにゲコっと鳴いて手を振ると、川の中に戻っていった。
「なんとまあ、手際のよろしいことで」
 気の抜けたニトロの口から漏れ出た感心を追って、ティディアが言った。
「なーんか萎えちゃったから、帰るね。私」
「はい?」
 予想外な言葉に驚くニトロに、ティディアは笑顔で手を振った。
 その背後に、反重力飛行装置アンチグラヴ・フライヤーを備えた装甲飛行車アーマード・スカイカーが急降下してくる。圧迫された空気が風となり、公園の植樹をざわめかせた。
 装甲飛行車アーマード・スカイカーの助手席に飛び乗り、ティディアはウインクと投げキスをニトロに贈った。
「じゃあねぇ。今日のところは見逃してあげるわー」
「なんなんだそれは! お前一体どういうつもりなんだよ!?」
「オーッホッホッホッホー!」
 ニトロの抗議に耳を貸さず、ティディアは哄笑だけを残して去っていった。装甲飛行車が、積載された高出力エンジンをフルに稼動させ、嫌味なほど速くネオン煌めくビル群の果てに消えていく。
 見れば、いつの間にか見事な合唱を披露してくれた男達も跡形無く姿を消していた。この場には、川の音がさらさらと聞こえる夜の静けさだけが残っていた。その静寂はむやみやたらに心に押し入り、無遠慮に気力を食い尽くしていく。ひどい脱力感がニトロの肩に圧し掛かってきた。
「……凄いですねぇ、ニトロ君。一人で撃退できるんじゃないですか」
 感心して、ハラキリがニトロに言葉をかけながら肩を叩くと、彼はへなへなとその場に崩れ落ちた。膝を突き、地に爪を立てる。
「何考えてやがる、あの女」
「他人の考えを完全に理解できる猿孫人ヒューマンなんて、誰もいませんよ」
「そんな真理はいらない。なんでもいいから誰かあのバカどうにかして」
「はっはっはっ。無理」
 ニトロは地に突っ伏した。その双眸からは、とめど無く涙が流れていた。彼の口を伝い、とにかく奥底から魂が流れ出す。
「ああ、疲れた……」

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