惑星アデムメデスの公転周期は、およそ368日である。
閏年は三年に一度。閏日は9月に31日として挿入され、計369日となる。
さて、「それでは、9月31日と言えば?」――現在のアデムメデスでそう問えば、まず間違いなくこのように返ってくる――「ティディア様の二日目の誕生日!」
ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
現ロディアーナ朝第一王位継承者である彼女は、9月30日から31日にかけて産まれた。
そう、彼女が『誕生』したのは、まさに日の変わらんとする瞬間であったのだ。
とはいえ、『日の変わらんとする瞬間』といっても、両日のどちらかに産まれたと判定することは当然可能である。23時59分59秒であれば30日であるし、0時00分00秒であれば31日とするのが道理というものだ。では、正確にどちらの日に彼女が誕生したとどうやって判じよう? 産道を抜けた瞬間か、産声を上げた瞬間か――アデムメデスではその基準が“どちらでも良い”とされているために彼女を取り上げた医師団は真っ二つに意見を分けた。データを照合すれば産道を抜けた瞬間は30日内だった。ティディアは医師に取り上げられるとすぐに産声を上げた。その時には31日になっていた。
それは、まるで計ったかのように。
当時は一種の奇跡と語られたものだが、現在の彼女を鑑みれば当時から人をおちょくっているかのようでもあろう。実際、おちょくっていたのかもしれない。もちろん、それはティディアがその頃から確かな自我を得ていて、出産時間までも自らコントロールしていたら――ではあるが。
ところで、それではティディアの誕生日をどう記載したか、ということについて、ここで一つの逸話がある。といっても、これはティディアの逸話としては数えられず、珍しく現王の逸話として語られているものだ。
現王ロウキル・王妃カディの第四児の誕生日は、公文書である王系譜において30日と31日が同列に表記され、また記録されているのである。
これは、娘の誕生日を31日とすれば、30日に行う誕生日のお祝いは『みなし』となり、30日となれば31日は失われる。我が子は『みなし』ではなく祝いたい、誕生した日をなかったことにするのは可哀想だ、祝いの日が一日増えるならむしろ良きことであろう、という君主夫妻の強い希望のためであった。法的にはありえぬ事だが、それでも王権を行使してまで承認されたのである。無論『公式に誕生日が二日に渡って存在する』という者は空前のことであり、おそらくは、絶後ともなるだろう。後にも先にも、これはティディアのみに許されたものであり、皮肉にも、後年においては彼女の特異性を表現する手助けともなってしまった。
そして、今年こそが、その三年に一度の閏年である。
三年に一度、彼女の誕生日会が、30日から31日に移る0時の鐘を以て最大の盛り上がりを見せる年。
王都にて残暑も薄れ豊穣の秋の吐息がちゃくちゃくと木々の化粧直しをしていく中、驚くほどの快晴にして天は高く、神もが希代の王女を祝福しているよう、吹く風も快い、穏やかで温かな日であった。
良くも悪くも世を騒がせる第一王位継承者の特別な誕生日が、アデムメデスに訪れたのである。