そして、その夜。
オークション後に行われた抽選会の幸運な当選者――素敵な老夫婦と共にしたニトロとのディナーを終え、客を送り出し、芍薬と歩いてホテルに向かう彼を見送り、その幸福感を身に纏ったまま宮殿へと帰り、今は、部屋に一人きり。
ティディアは今日、一つ重大なことを理解した。
自分が色々と不具合を起こしている原因。それを本質的に明確に理解したのである。
もちろん、原因が明確となったからといっても、これから自分がすべきことは何も変わらない。彼に心を奪われ醜態を晒さないようにするのも、不具合への修正をするのも、これからどうすればいいのかも、これまでに考えたことの以外に方法はない。
この原因の明確化がもたらしたものは、ただ一つ。
これまで以上に自分自身に向き合えるということ。ただそれだけ。それだけだけど、とても大切なこと。
……私は……ニトロを愛している。
しかし私は今、ニトロを愛しながら彼に激しく恋もしている。
私を熱に浮かす『恋の病』……そう、つまるところは恋なのだ。何度もその言葉を思いながら、私はそれを本当の意味では理解していなかった。理解しているつもりで実際には理屈が先立っていた。思えばこれまでは単に自分の状況を表す“言葉”として、あるいはそのような“現象”として理解していたために、逆に本質的にはこの心を自覚できていなかった。
私はこれまで、このように人を愛し、あまつさえ恋などしたことはない。
――初恋なのだ。
彼だけだ、ニトロだけが私にこの気持ちをくれる。
――“あの時”私がニトロに、“彼だけには”下着を見らたくないと、そう恥ずかしく思った理由も理解した。
もし、この心を暴露すれば、ニトロには軽蔑されるだろう。ハラキリにすら眉をひそめられるかもしれない。
しかし、ティディアは理解する。
今、自分にとって、異性はニトロ・ポルカトしかいないのだと。それ以外の男性は、例えるならば愛玩動物。もしそれらに全裸を見られても、ペットに裸を見られたところで何の痛痒もないのと同じように恥を感じない。父や弟、それに唯一友達のハラキリだけは愛玩動物に例えられないが、それでも同性と変わりない位置にいて恥を感じはしない。
そう、何もかも、ニトロだけなのだ。
彼だけを私は愛している!――その思いが強すぎて――以前なら他の男も異性としてむしろ強く認識していたのに、今や彼だけを見上げるばかりに他の男は異性という認識から完全に外れてしまっているのだ。……いや! それどころか――そう、この心を知られればきっとニトロには軽蔑される! 愛玩動物であるからにはどこかで他の誰をもニンゲンとは見ていない――そういう『認識』まで強くあるのだ! しかしこれは何もおかしいことではないだろう。何しろ、愛する実妹であるミリュウすらも平然と人形としていた私なのだから!
……ヴェルアレインで、あの寒く雪の降る夜に、狂気に病んだ王の終の棲家となったあの城で、ハラキリ・ジジが吐露していたあの『杞憂』。
私はここに、友達の描いた“最悪の予想”を
そうだ、ハラキリ・ジジ、君は正しい!!
本当に……正しい。
もし、この想いを、ニトロを不手際で喪失した後に自覚していたら? きっと私は正気ではいられなかった。そしてニトロに軽蔑されるという最大の枷すらも失った私は、君の言うように、彼を引きずり出したいがために、侮蔑でも憎悪でも殺意でもいい、ただただ彼にもう一度間近で見つめられたいがためだけにこの国を弄んだことだろう。人柱としてでも、彼を手に入れようとしただろう!
嗚呼!――そうだ。思えば、ようやく、やっとのことで私の愛を知ってもらえたというのに『お預け』をくらったあの辛い一ヶ月間が、あの擬似的な喪失の期間が、私の胸の彼に焦がれるこの想いを激しくしたのだ!
彼と会えなかった寂しさが、悲しさが、辛さが、今! 燃料となって激しく燃え盛っている!
だが、その一方で、あの空しい日々を経たからこそ、彼に向けて燃え盛りながらも彼だけは二度と失いたくないと、私の心は凍えるような恐怖を抱いてもいる……。
彼と『再会』したミリュウへのお祝いのパーティーの日に味わった幸福感。それ以降も彼が与えてくれる幸いなる日々。擬似的とはいえ一度失ったからこそ以前にも増して私は彼がどれだけこの心に存在しているのかを確信し、だから彼を絶対に失いたくないと、常に心のどこかで喪失の恐怖がもたらす寒さに震えているのだ。そのため震える私は彼を想って燃え盛る炎がどれだけ私の人生に温もりを与えてくれているのかを実感し、そのため私の感情はまた彼を熱烈に欲しがって乞い焦がれる。されどその反面、その想いがどんどん熱を増すのに純粋に比例して、その温かさを手放したくないからこそ彼を『失う』ことへの恐怖がますます強くなっていく。けれど心に潜む恐怖が強まり私を凍えさせようとする冷気が増せば増すほど、私は自然と温もりを求めて彼への想いをまた募らせていくのである。喉を渇かせた者が水を求めて歩いたために一杯の水では足りなくなり、再び水を求めて歩き続けていくように。
この無限回廊。
そして上限のない灼熱、下限のない極寒。
決して別つことのできぬ皮肉な関係で繋がりながら、そのくせ熱気と冷気の境界は互いに乖離しているほどに余りに明確すぎて、つまり“遊び”が少なすぎて、だからこそ私は彼との距離感を掴みかねて色々おかしくなっている。
彼が欲しい。
けれど欲しがりすぎれば彼を失う。
それなのに、これまで通りでいいのか。
いいえ、これまで通りがいいの。
どの程度なら彼は受け入れてくれる?
いや、彼は受け入れなくとも受け止めてくれる。
それなら甘えよう。
でも、甘えていいの?
いいえ、甘えたい。
嫌われない?
嫌われたくない。
それなら。
けれど、私の愛は、私の愛し方は……!
――それら無意識下の逡巡が、無意識であるからこそ思わぬところで不具合を起こし続けていたのだ。
彼を愛してから恋に落ちた、という順序も影響しているのだろうか。
しかし、恋を経てのみ愛に通じるというわけではあるまい。愛が恋を呼ぶと考えるのもおかしくなんてない。では恋と愛の境はどこにある? この胸の切なさに境を作ることは出来るのか。恋も愛も同じ思いの一面に過ぎないのではないか? ならば愛も恋もただの言葉遊びに過ぎないのだろうか。
そもそも『愛』とは一体何なのだろう。
私は「究極のエゴ」とニトロに言った。今でもそう思う。けれど私の意見に対するニトロの苦笑も、彼の諸反応も間違っていないと思う。『究極のエゴ』ならばどんなものでも内包する。ならば『愛』は『全』なのか? だとしたら、全であるそこには憎しみや嫌悪という悪感情も存在しなければならないのではないだろうか。またそこには詩もあるのだろう、認識も、哲学も、あるいは神もあるのだろう。そういう存在である『愛』は、結局、一体何なのだろう――
……いいや、そんなことはどうでもいい。
そんなことはもうどうでもいいのだ。
ただ、この胸の想いだけは真実。それだけでいい。
私はニトロを愛している。
そして彼に初恋している。
彼に軽蔑されるであろう心を抱えていることを恥ずかしく思いもするが、それもいずれ私の胸に唯一触れてくる彼の存在によって変わっていくだろう。そう思えば、変わっていくことに少しの恐れを抱きながらもそれを望まずにはいられない。私はその時、一体どのような『私』と出会うのだろうか。私はどのような『私』と彼に出会わせてもらえるのだろうか。打ち震えるほどに喜ばしい期待を覚えてならない!
ティディアは、惚けていた。
顔が熱かった。
体が奥底から火照る。
心臓がいつまでも早鐘を打って止んでくれない。
耳の奥でこだましている。
彼の声が聞こえ続けている。
以前の自分なら、きっと彼にそう言われたとしてもただ平然と当たり前に受け止めていたであろうその言葉。
しかし、今ではどんな黄金にも換えられない宝物。
「似合うんだって」
鏡の中の彼女は、髪をつまみながら心から嬉しそうにはにかんでいた。