「察しの通り、芍薬の監視下だ。けど芍薬は無粋じゃない。お前が節度を守っていれば大丈夫だよ。もちろん強姦目論むんなら、文字通りぶっ飛ばされるけどな」
 先ほどの『ぶっ飛ばす』に二重の意味があったことを示されて、ティディアは苦笑した。
「やー、それは怖い」
 言いながら、それでもいそいそとニトロの隣に座る。
 と、その拍子に、腰を下すために前屈みとなった彼女とオーバーオールとの隙間から星明りに白めく乳房がニトロの目に飛び込んできた。
 ニトロは慌てて目を逸らし、
「そんな格好してたらお前こそ風邪引くぞ」
「そしたらまたリンゴを剥いてね?」
「嫌だ」
「そんなこと言って、結局してくれるくせに」
「本気でそう思ってるか?」
「わりと本気」
「……ああ、大丈夫だ。馬鹿は風邪引かない」
「じゃあ前に風邪を引いた私は馬鹿じゃないってことね?」
「っ……」
 久々にうまく言い負かされ、ニトロは口惜しく黙った。
 ティディアは口を閉ざしたニトロへ目を細めて見せた後、それ以上は勝ち誇ることもペースを握って話を進めようともせず、彼から目をそらすように手にしていたカツラに目を落とした。そしてしばらく孔雀の羽を見つめ、やおらそれを脇に置くと、ふと目の先に見つけたクローバーの花を眺めながら、
「ねえ、ニトロ」
「なんだよ」
「ミリュウのこと、本当に、ありがと」
 つぶやくような物言いに、ニトロは思わずティディアを凝視した。
 ティディアは、段々と髪の伸び始めた頭を…一月前には妹のために剃り上げていたその頭を小さく下げている。それは彼女が夜風に揺れる白い野の花を見つめているためではあるのだが、同時に、ニトロに対して長く長く頭を下げているようにも見えた。
「いきなり改めて……何だよ」
 戸惑い気味にニトロが問う。
 ティディアは組んだ手を腿の上に置き、目を花から空へ移した。
「本当はね。猫を、被っていたんじゃないのよ」
 ティディアはニトロを見ず、星を見続けながら言う。
「ミリュウに窘められたの。本当はさっきのカツラも出オチに使うつもりだったんだけどね……そこで止められたから、ちょっと我に返った。一昨日から我慢の限界でもうこれでもかってくらいにボケ倒すつもりだったんだけど、お陰で早いうちに思い止まれたわ」
 ニトロはティディアの言葉に――あのミリュウがティディアを窘めたという事実に一瞬目を丸くし、それからふっと微笑んだ。パーティーでは姉のために小さな仕込みをしていたくせに、和やかな笑顔を取り戻したあの妹姫はその前に姉を窘めてもいたという。それを語るティディアの横顔には喜びしかない。姉と妹は、改めて、良い関係を築いていっている。それを知り、ニトロは心の底から笑みを浮かべたまま、
「それはミリュウが正解だ。妹のお祝いの日を壊す姉なんぞ、俺は嫌いだよ」
「うん」
 ティディアはうなずき、それから視線をニトロに移した。彼を覗き込むようにして、眉をひそめる。
「けれど、変ね」
「何が?」
「こんな風に大きな隙を作って待っていてくれるなんてどういう風の吹き回し?」
「別に待っていたわけじゃない。来るなら来るでまぁいいか――その程度だ」
「私が見逃すはずがないって解っているくせに」
 ティディアがさらにニトロを覗き込むように言うと、彼は息をつき、
「パティが、お姉ちゃんが元気がないってそれとなく言ってくるんだ」
「パティが?」
「『理由』は知っているから、それ以上は言ってこなかったけどな。本当にあの子は頭がいい。その分色々と年齢相応以上にバランスが悪いところもあるけど、あの年齢なのに驚くほど他人の心を慮ることもできる。きっと、あの子は歴史に名を遺す良き王子になるよ」
「それもニトロのお陰でね」
「俺の?」
「ニトロと関わってから人見知りもどんどん軽くなってきているしねー……それに、ニトロの言うことはわりと素直に聞くみたいだから。ね、だから、王城に来てパティの面倒を見てやってくれない?」
「それでなし崩しにお前とも一緒に暮らせ?」
「――駄目?」
「そんな見え透いてる上に強引な罠に引っかかるくらいなら、俺は今頃とっくにお前と子作りでも何でもしているよ」
「ちぇー」
 表面上は悔しそうにしながらも、ティディアは実に嬉しそうに頬を緩めている。
「……でも、パティにそう言われたから――それだけ?」
「ん?」
「それだけじゃないでしょ? だってニトロ、二人きりでも、普通に……話してくれる。ひょっとしたらこれまでみたいに話してもらえないかも――なんて、不安にも思っていたのよ?」
 彼女の声は、少し、震えている。それは不安を思い出してのものか、それとも喜びのためか。
「……」
 ニトロは半眼で彼女を見つめてから、目を空に移した。
「お前は約束を守ったからな」
 素早く言って、すぐに次の句を継ぐ。
「でも、やっぱりお前は相変わらずだなあ。パーティーの思い出だけにしておけば良かったのに」
 それは明らかに話をそらすためのセリフだった。
「……」
 ティディアはニトロの横顔を見つめ、微笑み、
「そうすれば、少しは好感度も上がっていた?」
「ほんの少しくらいは。でも、さっきのでマイナス」
「マイナス?」
「プラスを残せるわけがないだろう」
「……そうね。でも、私はやっぱりこうやってニトロにツッコンで欲しいから」
「相変わらず、今まで通りか」
「ニトロだって、私が急にしおらしくなったら不気味でしょ?」
「まあな」
 ニトロは笑い、
「けど、それは自分で言うことか?」
「私は私が見えているのよ」
「そうは思えないけどなぁ。だったら、さっきの誘い文句はどうだ? 最悪だろう」
「でも、時々自分を見失うのよ。……ね? ニトロ」
「……」
 ニトロは名を呼んだティディアに一瞥を送り、吐息を挟み、
「今の方が、口説き文句としては正解だな」
「冷静に分析してくれるわねぇ」
「俺はお前に心を許してないから、自分を見失わないんだ」
「いけずー」
 口を尖らせるティディアにニトロはもう目もくれず、星を見上げている。
「……」
 ティディアも、彼と同じ星空を見た。
 天を埋める星の合間を縫って、また一つ、星が流れる。
 しばらくして、ティディアが言った。
「この一ヶ月、つらかった」
 ニトロは応えない。
 ティディアは続ける。
「この一ヶ月、ニトロのことは考えないようにしていたんだけど、でも駄目、やっぱりニトロのことばかり考えていた」
 ニトロはやはり応えない。
 ティディアは、続ける。
「どうやってボケよう。どうやってニトロにツッコンでもらおう。どうやればニトロは素敵にツッコんでくれるだろう」
 ニトロが、とうとう笑った。
「なんでそうなるんだよ」
 やっと返ってきた応えに、ティディアが相好を崩す。
 そして彼女はほのかに笑い、
「あなたに抱かれる夢を見ながら、私はネタを考えるのよ」
 ニトロは苦笑する。
「二兎追う者は――って言うぞ?」
「どっちかを諦めるのは無理よ。だってどっちも欲しがるのが私だもの」
「にしたって欲しがる二つの関係性がおかしいだろう」
「どうやら私は人の愛し方まで『クレイジー』らしいわ」
 肩をすくめながら、しかしさばさばとティディアは言う。
 ニトロは思わず声を上げて笑った。
「そのせいで散々人に迷惑かけておきながら、そこまで悪びれなく言えるんなら上等だ」
 にんまりと笑むティディアに、ニトロは言う。
「このバカ姫」
 ――ティディアは、思う。
 片笑みを浮かべ、罵倒しながらも優しい彼のその唇に、いつか愛の言葉を囁かせてやろうと。
 さらに、その裏側でまた思う。
(今度はどうやって迷惑ボケ込んでやろうかしら)
 と。
 幸せに。
 星降る夜空の下で。
 その身に許された温かな時間を過ごしながら。
「ニトロ、愛しているわ」
「そういうのってあんまり言うと軽くなるもんだと思うけどな」
「思いは口にすることで重みも増すものよ?」
「そんじゃあ俺はお前が嫌いだ、大ッ嫌いだ」
「うう、いけずー」
 ――幸せに。







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