ニトロが帰ってきたのは、午前零時に差しかかろうかという時だった。韋駄天に送られてきた彼は上機嫌で、飛行車スカイカーの発着スペースがある屋上の出入り口のカメラを通してその笑顔を見た芍薬はメモリに降り積もっていた不安が消えていくのを感じていた。
 屋上出入り口のロックを外し、ニトロがエレベーターで降りてくるのを待ち、タイミングを合わせて玄関のロックを外し、部屋のライトを点ける。
「おかえり」
「タダイマ」
 ドアを開けたニトロが上機嫌なまま応えてくる。それだけのことが妙に嬉しくて、芍薬は矢継ぎ早に問うた。
「『アナログレコード』は良かったかい?」
 スリッパに履き替え部屋に入ったニトロは、鞄をテーブルに置くと中から小さなケース――拡大して見るとどうやらメモリーカードのケースらしい――を取り出しながら、
「良カッタヨ」
 それだけを言った彼は、部屋のシステムを制御するパネルに向かった。芍薬が疑問を呈するよりも先にカードスロットのカバーを外し、カードケースから取り出した……芍薬の記録ログにある、ニトロが所有しているカードのいずれでもないそれを挿し込んだ。
「それは、何だい?」
 意図の読めぬニトロの行動に問いかけると、マスターはにんまりと笑った。
「チョット早イケド、プレゼント」
 メモリーカードにはファイルが一つあった。拡張子は、それがオリジナルA.I.用のアクセサリーファイルであると示していた。
 ニトロに促されファイルを開くと、それは、遥か遠くにある辺境の星で『カンザシ』と呼ばれる髪飾りだった。シンプルに見えるが実は細かく作りこまれた装飾が、棒状の髪留めに温かな華を添えている。
 芍薬は悟った。
 いつの頃からか世に広まった風習。
 従者ファミリアーたるオリジナルA.I.を迎えて一年が経った時、そのA.I.の働きに満足しているのなら、一生の付き合いになるかもしれないのだからマスターは感謝を込めて贈り物をしようという習慣。
「少シ、不細工カモシレナイケド……」
 ニトロは少し照れ臭そうに言う。その言葉が意味するのは何かと思えば、ファイルの作成者が『ニトロ・ポルカト』となっていた。
「主様が?」
 驚きに思わず声が漏れる。
 ニトロの持つコンピューターは全て自分の管轄下にある。もし彼が何か作業をしていれば、自分がそれに気づかぬことはない。例え『何を』しているかまでは解らないようにプライベートモードで隠されたとしても、『何かを』していることは解る。しかしファイルの作成日は三週間も前のことで、今日まで何度も保存を繰り返された跡があり、それなのに彼がそんな作業をしている素振りなどこれまで微塵もなかった。
 全く予期せぬ……完璧な不意打ちに――
「ソウダヨ」
 ベッドに腰掛け、ニトロは笑っていた。こちらの戸惑いを察しているのだ。その笑みにははかりごとの成功を喜ぶ悪戯っぽさがあった。
「ハラキリノ家ニ行ッタ時トカ、学校ノ休ミ時間トカニソコノ端末デコツコツトネ。ソレデ今日ハラキリノ家デ最後ノ仕上ゲ。撫子ノチェックハ厳シクテ参ッタヨ」
「……」
「……」
「……」
「……アレ?」
 ふと、ニトロの顔から笑顔が消えた。怪訝に、不安げに窺う。
「気ニイラナカッタカナ……」
 芍薬は慌てて壁掛けのモニターを点け、そこに自身の肖像シェイプを映し出した。髪をポニーテールにまとめた結い目にカンザシを挿し、軽く首を傾げてニトロに見せる。背景に喜びを示す光の粒子を最高レベルで撒き散らす。
 それを目にし、安堵したように息をついてニトロは言った。
「自分デ言ウノモ何ダケドサ、良カッタ、似合ッテル」
「――っ」
 芍薬は言葉に詰まった。感動ばかりがこの身を満たす。バグを起こしてしまったのだろうか、感謝を伝える言葉がなかなか見つからない。とにかく笑顔を浮かべることしかできない。
「イツモアリガトウ、芍薬。コレカラモヨロシクネ」
 ニトロの笑顔に、そして、芍薬の『心』が作り上げた言葉はただ一つ。
「承諾!」





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