「それなら王家うちの大学に来ない?」
 軽く腰を浮かして椅子ごとニトロに寄っていき、途中で身を割り込ませてきたアンドロイドに止められたところで腰を落とし、さっきまでの大人しさが嘘のように瞳を輝かせる。
「教授陣も施設も充実してるわよ。あ、学費がちょっと高いけど、でも入学金も何も全部免除しちゃうわ」
「断る」
 ニトロは即答した。しかしティディアは構わず、これまでの沈黙は力を溜め込んでいたからとでも言うようにハイテンションで続ける。
「ニトロの家からだと……片道一時間くらいかしら。それが面倒なら近くのマンションを寮として借り上げるわよ? もちろん家賃はいらない。私が非常勤講師になって授業もしちゃう。楽々単位ゲットよ。ええい! さらに無試験入学でどうだ!」
「どうだって、お前即日売り切らなきゃいけない投げ売り品じゃねえんだから」
 ロイヤルミルクティーを啜り呆れ声で言うニトロとは逆に、ハラキリは大いに興味を示したようだった。
「そのサービスパックは拙者も利用できますか?」
「ん? ええ、いいわよー。でもちょっと質は落ちるわ。そうね、諸経費免除と無試験入学でどう?」
「それはオイシイですねえ」
「てか、お前らそれは裏口入学とかそういうのじゃねーのか」
「そんなことないわよ。費用は私が出せばいいんだし、試験だって私が面接したでオッケーだから」
「そんなわけあるかい」
 ニトロが鼻で嗤うと、ティディアは得意気に柳眉を跳ね上げた。
「それがそんなわけあるのよぅ。毎年無試験で入学できる王家からの推薦枠があるの。どうしても入学させたい人物でそれを理事長と学長も認めることが条件だけど、ニトロとハラキリ君なら問題ないわ」
 からからと笑ってティディアは言うが、どうにも胡散臭くニトロは芍薬に目配せをした。アンドロイドの瞳に通信中の光が灯り、そして、うなずく。
(本当にあるのか……)
 だとしても、それを利用する道はニトロにはない。
「ね、ニトロ。だからうちの大学にしなさい。その方が色々と都合もいいし、ハラキリ君と同じ大学だったら安心でしょう?」
「最後のだけは魅力的だけどな。絶対に御免被る」
「えー、何でよー。セキュリティもしっかりしてるのよ? 騒ぎになりそうだったらすぐに警備が飛んでくる。落ち着いてキャンパスライフを送れるのよ?」
「……お前の授業は受けなくてもいいんだろうな」
「必修だからそれは無理」
「……俺以外にも受講するのはいるだろうな? ハラキリも」
「定員一名だからそれも無理」
 すっと、ニトロとティディアの間にいる芍薬が半歩退いた。
「授業内容は?」
「前期は夫婦漫才の研究」
「後期は」
「夫婦の夜の営み大実践」
「鼻チョップ」
「あ痛ーっ!」
 飛んできたニトロの手刀に打たれ、鼻を押さえてティディアが悲鳴を上げる。いい角度で入った。痛いのだろう。ティディアは涙目でニトロに詰め寄ろうとするが立ち位置を戻したアンドロイドに阻まれ、それでも身を乗り出して抗議する。
「ちょっと痛すぎじゃない!?」
「痛くしたんだ」
「酷いじゃない! 本番まで痛いのはとっておいて本番中なら鼻血が出てもそれで笑いを取るから!」
「文句が間違ってないか?」
「私もちょっとそんな気がした!」
「――とにかくっ。
 俺はお前の世話にはならない。大学も自力で行く」
 そう断じたニトロは板晶画面ボードスクリーンの隅に表示された時刻を一瞥し、
「芍薬、今の成績から合格圏に入りそうなところをリストアップしておいてくれる?」
「ドレクライ上ヲ目指スンダイ?」
(上、か……)
 きーきー文句を言っているティディアは完全に無視し、ニトロは『上』と限定してきた芍薬の――そのマスターに下手な妥協をせぬよう促す問いに答えた。
「芍薬に任せる。少し厳しくても期待に応えられるよう頑張るよ」
「承諾」
 嬉しそうにうなずく芍薬を見て、それからニトロはロイヤルミルクティーを飲み干し、そして板晶画面ボードスクリーンの電源を切るとアンドロイドの影からこちらをじとりと睨んでいる王女に目を移した。
「私の期待には応えてくれないのに……」
「不本意ながら十分応えてるつもりだ。ほら、リハーサルに行くぞ」
 ニトロは立ち上がりティディアを促した。彼女も時計を見、立ち上がる。その表情は引き締まり気合が乗っていて、ニトロはそうなった彼女が横に並んでくるのを拒絶しなかった。
 ここからはバカ姫とそれに迷惑するニトロ・ポルカトではない。
 ここからは、漫才コンビのティディアとニトロだ。
「じゃあ行ってくるから。本番は見るんだろ?」
 先導する芍薬に続くニトロに声をかけられて、ハラキリは愉快気に答えた。
「ええ、客席で笑わせてもらいます」
「そうしてもらえるよう努力するよ」
 ひらひらと手を振ってティディアと芍薬とともに楽屋を出て行ったニトロを見送り、ハラキリはロイヤルミルクティーを一口啜るとぼんやりと言った。
「ニトロ君、おひいさんのあしらい方が堂に入ってきましたねぇ」
「はい」
 空になったティディアと自分の弁当箱を揃えながら、ヴィタが同意する。彼女は足元の鞄から可愛らしい紋様が描かれた弁当箱を取り出し、それと揃えた弁当箱を取り替えて、新しい三つをニトロの板晶画面ボードスクリーンの横に置いた。
「……私は、ニトロ様の未来にはティディア様がいて欲しいと願うのですが」
「?」
 ぽつりとつぶやいたヴィタが自分に話しかけているのだと気づいて、ハラキリは彼女に眼をやった。
「それは、貴女の『夢』のためですか? それとも主人のため?」
「どちらも」
「ニトロ君はそれを拒否しますよ」
「はい。ですが、ティディア様にはニトロ様の他に見合う方がいらっしゃらないでしょう」
「それは……興味深い意見ですね」
 ハラキリは居を正してヴィタに半身を向けた。
「彼より優れた男性というのであれば他にもいるでしょう。容姿、家柄、資産、頭脳才能いくらでも。それでもですか?」
「はい」
「断言しますか」
「ティディア様は、ニトロ様といる時は心から楽しそうです」
「拙者もそう思いますよ」
 ハラキリはミルクティーを口にした。ヴィタはテーブルの上にある水筒を取り、蓋を外し中蓋も取ると中身のコーンスープをカップに注いだ。湯気が立ち昇り、コーンの甘い香りが漂う。
「しかしそれは好きな男性といるから、とも。別に『ニトロ・ポルカト』でなくても、好きな男性であればいいんじゃないですかね」
「こと人の間において相性というものは、容姿、家柄、資産、頭脳、才能、他の何にも代えられないと、私はそう思っています」
「……相性、ですか」
 コーンスープを飲む女執事の唇がカップから離れるのを待ち、ハラキリは言った。
「そうですね。こんなことを言ったらニトロ君に怒られそうですが、拙者も二人の相性は良くも悪くも抜群だと思います。しかし、相性がどれほど大事だとしても、それだけで人を結ぶことはできないでしょう」
 カップをソーサーの上に下ろしたヴィタはマリンブルーの瞳をハラキリに向け、同意を示した。しかしすぐに、
「ニトロ様は、『クレイジー・プリンセス』を受け止めることができる方です」
「……ふむ?」
「『クレイジー・プリンセス』を受け止めるだけなら他の方でも可能かもしれません。しかし、ティディア様との相性はいいでしょうか。ニトロ様のようにティディア様の『夫婦漫才』の夢を叶える力を持っているでしょうか。ニトロ様のように、ティディア様をアデムメデスの王女でもクレイジー・プリンセスでもなく『ティディア』として相手をしてくれる方でしょうか」
 ハラキリは、黙した。
 一つ一つの要素を抜き出すなら、条件に合う人間はどこかにいると思う。だが、全てといったら? ――全てに符合する者を探し出せる可能性は、現実的に、ゼロに等しいだろう。
 というか、もしニトロの『馬鹿力』と同じ力を発揮できるという条件まで付けたら確実にゼロだ。
「ニトロ様に合う女性は他にもいると思います。ですが、ティディア様には、きっとニトロ様だけです」
「……それが、おひいさんの執事としての意見ですか」
「はい」
「とても面白く拝聴しました。が、残念ながらとても大事なことが抜け落ちている」
「……それは、どのようなことでしょうか」
 怪訝にこちらを見る麗人に、ハラキリはぴっと指を立てて言った。
「愛が足りない」
 ヴィタは、目を丸くした。
 あまりにと言っては何だが、あまりにハラキリに似合わぬ言葉に虚を突かれ、言葉を失って彼を見つめる。
 そして――
「っ」
 ヴィタは吹き出した。くすくすと肩を揺らして笑い、大きく息を吸って気を落ち着けると笑顔のままでハラキリにうなずいてみせた。
「正直、ヴィタさんの意見を否定することは拙者にはできません。しかしだとしたら、おひいさんも難儀なことですね」
 ハラキリは苦笑するように白歯を覗かせ、
「たった一度の人生で出会えるかどうかも解らない最高の相手に出会ったのに、それに嫌われているんですから」
 ニトロがこの場にいれば自業自得だと言い切っているだろう。当然、それも否定できないことだが。
「……私は、ニトロ様の未来には愛されるティディア様がいて欲しいと、そう願います」
 改めてヴィタが言うのに、ハラキリはぼんやりと宙を眺め、
「お願いしてもこればかりは二人の問題ですからねぇ」
「いえ、私の問題でもあります」
「ああ。そうでした。貴女の夢が続くかどうかもかかっているんでしたね」
「はい」
 ヴィタは力強くうなずいた。それが滑稽なほど力強いものだから、ハラキリは思わず声を上げて笑ってしまった。





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