その屋台は、礼拝堂への人の流れの当たらぬ並びにあった。
 それはとても小さな店だった。
 割り当てのスペースに対して随分小さな机が一台置いてあり、そこに広げられた敷布の上には飾り蝋燭が丁寧に並べられている。その品数はおそらく百にも満たない。が、見たところ売り物はそれで全部であるらしい。机の後ろには毛布を被ったよぼよぼの老婆がちょこんと座していた。店番なのか、店主なのか、どちらにしろうつむき加減で客を引く意志は感じられない。すぐ隣ではアニマル・アクセサリーを売る店がスペース一杯に商品を広げているし、当然その他の屋台も書き入れ時に相応しい面構えをしているから、それらとあまりに対照的な老婆の店は見るほどにみすぼらしくも思えてくる。それをよしとする商売は確かに道楽といえば道楽なのかもしれないが……
「何が?」
 ニトロが問うと、どうやらハラキリはメガネにその店のARデータを映しこんでいたらしい。
「手作り、それも『年寄りの趣味』だそうです。あの様子からすると落選前提で申し込んだらうっかり通ってしまった、というところかもしれませんね」
「ああ、なるほど」
 それならば色々と理解できる。道楽であるのにも違いはない。
 ニトロはしばし老婆の屋台を見つめ、やおら帽子を深く被り直した。一歩踏み出した彼にハラキリが言う。
「冷やかしですか?」
「見てみるだけだよ」
つまり冷やかしですね?」
「……。
 良さそうだったら買って帰るのもいいだろ?」
「ええ、ご自由に」
 と言いながら、ハラキリもついてくる。
 老婆はほとんど眠っているようだった。使い込まれた電気毛布が、この寒空の下でも存外暖かいのだろう。彼女の隣には空き椅子があった。もう一人店番がいるようだが、今はトイレにでも行っているのだろうか。
 老婆を起こさぬようそっと店の前に立ち、ニトロは商品を眺めた。
 一本一本よく見えるようにディスプレイされた飾り蝋燭は、他の蝋燭店と同じくこの祝日に伝統的な品で、表面に図案化された動植物が細かに彫り出され、さらに美しく彩色されたものだった。
 老婆の飾り蝋燭は、もちろん趣味というだけあって職人の出来には及ばない。お世辞にもそれに比肩するとはニトロには言えない。
 しかし妙に心を引くものがあった。
 白い絞り模様の入った赤いバラが咲き乱れ、葉と棘のある茎の間に蜜蜂が遊んでいる飾り蝋燭を一目見たニトロは、思わずそれに手を伸ばしていた。
「お買い上げですかね」
 驚いたような声が上がった。
 声をかけられたニトロも驚きの声を上げそうになった。
 ほとんど眠っているようだった老婆が、やはりまだ夢うつつのような顔でこちらを見上げている。客が来るとは思っていなかったような、しかし来たとなれば嬉しいような……それでもやっぱり信じられないような、だからまだ夢だと思っているような、そんな目つきであった。
「――ええ」
 ニトロは手の中の蝋燭を今一度見つめ、うなずき、
「こちらをお願いします」
 声音を抑え、つぶやくように言った。
 すると老婆はおかしな声を一つ上げ、慌てて机の下から袋を取り出した。
「1000リェンになりますね」
「安いですねッ」
 ニトロは思わず声を高めて言ってしまった。それはむしろツッコミに近かった。この蝋燭のサイズで、しかも手作りとすれば相場の半分にも満たない。お得と感じるより申し訳なさを感じるほどだ。
 すると老婆はそれで初めて目覚めたように目をしばたたいた。皺の中にベルトポンチでぽつんぽつんと穴を開けたような眼で客をじっと見つめる。ニトロは奇妙な恥ずかしさを覚えてわずかにうつむいた。老婆は目元の皺にさらに皺を寄せ、
「十分なもんですね」
 と、ニトロから受け取った飾り蝋燭を労わるようにクッションシートで包んでいく。
 何となく気恥ずかしさの消えないニトロは声音を抑えて言った。
「とても綺麗だから、燃やすのが勿体無いですね」
 それは本心だった。実際、家に飾っておくのもいいと彼は思っていた。老婆は照れたように身を揺すり、
「ありがとうございます。でも蝋燭は燃やすもんですからね」
「ええ」
「火の燃えますでしょう、その火が蝋を少しだけ透かしますでしょう、頭の方でですね、すると絵がまた綺麗なんですね」
 心底嬉しそうに語る蝋燭売りを見ながら、ニトロは内ポケットからカード入れを取り出した。老婆の示した端末に触れる。決済音が鳴った。
「ありがとうございます」
 老婆は身をかがめるようにしてお辞儀をすると、袋を差し出し、顔をさらに皺くちゃにして言った。
「良い灯火ともしびとなりますようにね。感謝と祈りをヲレイ・ヤ・プレイ
 その年季の入った笑顔に、ニトロは自然と笑みを返した。
感謝と祈りをヲレイ・ヤ・プレイ
 古い文句を口にしながら品を受け取り、振り返ったところでニトロは気づいた。
 いつの間にかハラキリがいない。
 どこに行ったのかと見回すと、友は少し離れたところにいた。こちらに戻ってくる彼の手には紙袋がある。ニトロが歩を進めて出迎えると、ハラキリはニトロの提げる袋を一瞥してわずかに眉を跳ね上げた。
「おや、買ったんですか」
「一目惚れしてね」
「誰かが聞いたら歯噛みしそうな言葉ですねえ」
「勝手にさせとけよ」
 ぶっきらぼうに言うニトロにハラキリは小さく笑い、
「どのようなものを?」
「バラと蜜蜂」
「王道のモチーフですね」
「だからいいのさ」
「一理あります」
 うなずいて、ハラキリは手にしていた紙袋をニトロに差し出した。
「何?」
 ニトロがそれを受け取ると、開いた袋の口からいい匂いが立ち昇ってきた。
「ポフロンです。ご自由にどうぞ」
 そう言い残し、ハラキリは飾り蝋燭の屋台に向かった。二人目の客に老婆がまた驚いている。隣の店主も意外そうな顔をしていた。ハラキリがフレンドリーな調子で老婆と話し始める。ニトロはそれを眺めながら、ポフロンを一つ取り出した。
『諸霊と聖歌の日』に欠かせない焼き菓子である。
 専用の型で焼かれた一口サイズ。ほんのり楕円になった球状で、小麦色の表面はカリッと香ばしいのに一噛みすればほろりと崩れて素朴な甘みがじわりと広がる。ニトロはもう一つ口に放り込んだ。
 ハラキリが戻ってくる。
「華はなくとも味がある、というやつですかね」
「三本も買ったんだな」
「ええ」
 ニトロは目を細めた。
「“転売”する気じゃないよな?」
「いやあ?」
「おい」
「まあまあ、幸せは分かち合いましょうよ」
「いやそういうこっちゃないだろ。そういう商売をすんなって言ってるんだ」
「別に買い占めたわけでもなし、希少品でもなし、不当に値切って仕入れたわけでもなし。わりと真っ当だと思いますよ?」
「友達としての道義的にはどうか」
「明確に反しますか?」
 ニトロは即座にうなずこうとして、ふと迷った。迷うとそれが本当に責められることかどうかと自信が持てなくなる。ハラキリはこちらの迷う様が面白いのか、にやにやと笑っていた。むっとしてニトロは言った。
「俺が嫌だと言ってるんだ」
「そう正直に言われては仕方ありませんね」
 肩を小さく揺らして笑い、ハラキリは言った。
「ではこちらから商談を持ちかけることはよしておきましょう」
「てことは向こうから持ちかけられたら?」
「金銭を伴わぬ譲渡であれば――それでも君は禁止しますか?」
「……それを強いちゃ、逆に俺が道義的にどうかな」
 するとハラキリは心底おかしそうに笑った。目立たぬように声は上げず、しかし苦しそうに。
「……なんだよ」
 口を尖らせてニトロがつぶやくと、やっと笑い終えたハラキリが言う。
「君はね、禁じても良いんですよ。何故ならこの話題はこちらから振らねば彼女が知ることはないでしょう。その上で、こちらはその譲渡によって色々と便宜を受けるつもりなんですから」
「ああ、なるほど」
 うなずいて、ニトロは片笑みを浮かべた。
「しかも商売どころか賄賂ときたか」
「ご機嫌取りと言う方が適切ですかね」
つまり、賄賂だろ?」
「……ふむ」
 ハラキリは肩をすくめて降参の意を示した。先ほどの仕返しができたニトロはにやりと笑い、三つ目のポフロンを口に放り込んだ。
「で、何を買ったんだ?」
「君と同じものと、不死鳥のもの、それからナデシコの描かれたものがありましてね」
「ああ、そりゃいいな」
「撫子は燃やしたがらないかもしれませんがね」
「気持ちは分かるけど、蝋燭は火を灯してこそ綺麗なんだよ」
「ほう」
「つっても、あのお婆さんからの受け売りだけどね」
「――ほう」
 ちらりと見ると、屋台には肥満気味の老人が戻ってきていた。老人といっても老婆より若く、おそらく息子だろう、彼は何やら驚いている。蝋燭が売れたことが信じられないのだ。こちらにビックリまなこを向けてきて、自分が客に見られていたことに気づいて慌てて会釈する。ニトロとハラキリも会釈を返した。老婆は毛布にくるまってにこやかである。老人は体を丸めるようにして老いた母に話しかけ、母は皺くちゃな顔でゆっくり何度もうなずく。
 また誰かの歌い出した聖歌が、合唱を誘っていた。
「……行こうか」
「そうですね」
 ニトロは歩き出し、四つ目のポフロンを食べる。
「もう一袋買ってきましょうか?」
 隣に並ぶハラキリの問いにニトロははっとして、それを誤魔化すように笑いながら紙袋を返した。
「いや。ごちそうさま」
「妙に食べちゃうんですよねえ、これ。特別美味しいわけでもないのに」
「分かる分かる。止まらなくなるところだった」
「やはり買ってきましょう」
「いいよ、道なりに店があったら今度は俺が買うから」
「そうですか、それじゃあそういうことで」
 ニトロは礼拝堂へ向かう人の流れから外れて、ロディアーナ宮殿の敷地の外へ向かう道に入った。この道の先にも今いたような広場があるようだ。背後の広場の光が薄れて暗くすぼまる道の向こうにまたぱっと開ける明かりが見える。
 二人はしばらく無言で歩き、道行く人の密度の最も薄まった辺りで、ふとハラキリが足を止めた。
 それに気づいてニトロが振り返ると、ハラキリは礼拝堂を見ていた。
 その視線を追ってニトロも礼拝堂へ目を向けた時、鐘が鳴った。
 澄んだ音が一つ。
 1時だ。
「先ほどの話ですが」
「うん?」
「最近、年末年始くらいにしか家族で礼拝堂に行っていなかったんでしょう?」
「ああ。うん、そうだよ」
「それで今日、ご両親が誘ってきたのであれば。行っておいた方がいいんじゃないですか? 今年の年末年始はどうなることか判らないわけですし」
 鐘の音はしばらく透明な尾を引いてくうを渡り、やがて等級の小さい星しか見えない夜空に吸い込まれるようにして消えた。ニトロの息が白くなる。
「考えたくなかったことをはっきり言ってくれるよな」
「ご両親が寂しがっているだろうということを?」
 飄々と、とぼけた問いを――だが、とぼけきってもない問いをハラキリは返してくる。ニトロは小さく首を傾げ、また歩き出した。
「そっちもたまにはおばさんとお祈りをしに行ったらどうだ?」
「祈る暇があるならしゃくをした方が喜びます」
 ニトロはたまらず笑った。そして笑い終えた時、親友のその言葉をふと鑑みた。彼の声にあったのは諧謔的な響きで、実際、それは礼拝に行くことは自分にも母にも無意味だと言っただけだろう。酌を持ち出したのもただ比較対象である他に意味はあるまい。だが?――と、考えたところで、ニトロはジジ家の居間を思い浮かべた。一風変わった母子おやこが食卓を囲んでいる光景を想像し、そこにナデシコに飾られた蝋燭の火を加えてみる。
「……俺も、今晩はお酌をしてみようかな」
 道沿いに並ぶ照明の柔らかな光を眺めながらニトロが言うと、ハラキリはポフロンを口に放り込んでからうなずき、
「それは喜ぶでしょう」
「ああ」
 ニトロもうなずき、ハラキリのポフロンに手を伸ばしてまた一つ失敬した。そして素朴な焼き菓子を頬張りながら言う。
「おばさんも、きっと喜ぶと思うよ」
 一瞬、ハラキリはニトロを怪訝に見つめ、やにわにその含む意図を察して苦笑した。
 ……それだけだった。
 ニトロは相手の返答を待っていたが、ハラキリが何も言わぬことに失望はしなかった。
 この道は清掃ロボットがまだ巡回してきていないようで落ち葉が目立つ。しかしそれがまた絵になっている。夜でもこんなにいい光景なのだから、朝や夕にはどれほど気持ちのいいことだろう。
 ガサリと紙袋の口を大きく開けて中を覗き込んだハラキリが、それをひょいとニトロに差し出してくる。
 ニトロはポフロンを一つ貰った。
 ハラキリも一つ取り出してそれを頬張り、空になった紙袋を折り畳んでポケットに突っ込んだ。そろそろ次の広場が近づいてきている。
「何個入りだった?」
「十五です」
「じゃあ次は三十で買おう」
「そんなに気に入りましたか」
「残ったら茶請けにすればいいしね」
「というか残るでしょう」
「どうかな、なんか少し食べたら腹が減ってたことに気づいてさ」
「なら麦粥でも食べていきます?」
「のんびり食べていたら流石にバレるんじゃないかな。怖い連中マニアだってたくさんうろついているんだ」
「そうしたらその連中にも麦粥を食わせて、ついでに歌も歌ってみましょうか」
 その提案にニトロは笑った。遅れてハラキリも笑った。
 笑いながら、二人は楽しげな合唱の聞こえる広場へと歩いていった。



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