「どんなものだ?」
「はい?」
「どんなものが……」
「ああ、そうですねえ」
 相手の意を汲んで、ハラキリは肩をほぐしながら、
「拙者の場合は、慣れ防止というわけではなく、あくまで訓練の一貫で、あらゆる意味で不測の事態への対応力を試されるものでもあるんです。あるいは極限状態においてどれだけ最適解を模索できるかを。そして撫子の通常訓練はクリア可能が前提ですが、百合花の特殊訓練はクリア不可能な場合もあります」
 ニトロの頬が自然と硬直する。ハラキリは続ける。
「それで、印象に残っているものでお話できるようなものは」
「その時点でもうおかしいけどな?」
「そうですねぇ。おかしいと言えばおかしいでしょうが、例えば真っ暗な部屋に閉じ込められたものですかね。2m四方、出入り口なし、その上で、壁の一面が1分に1mmといった速度で迫ってくる」
「いや、それ」
「ええ、逃げ場はありません。初めから絶望です。それでもギリギリまで抵抗しましたが駄目でしたねえ。もしや救助待ちの耐久勝負かとも思いましたがそんなこともなく、しかも壁と壁の間で身動きできなくなってからが長かった。1時間に1mmといった速度に変わりましてね、仮想ヴァーチャルの体感時間ながら二日がかりで圧死させられましたよ」
「よく大丈夫だったな」
「いえ、死んだわけですが」
「そうじゃなくて、よく気が狂わなかったな」
「訓練ですよ?」
 さらりと答えられ、ニトロは呆気に取られた。それは訓練だから大丈夫というわけではなく、訓練で鍛えられずにどうするという泰然とした調子であった。ニトロの喉が引きつるようにして震える。彼は、思わず笑ってしまった。
「おや、何かツボに入りましたかね」
 アキレス腱を伸ばしながらハラキリは飄々としている。ニトロは笑いながら、
「ハラキリは本当にタフだよな、精神的にもさ」
「そうですかね」
「そうだよ。気が狂わないにしても、そんなのやってたら絶対人格歪むだろ」
 そのセリフにハラキリはちょっと驚いたようだった。ニトロをまじまじと見つめ、それから小さく笑うと、
「どうでしょうね、歪んでいるのかどうなのか、物心ついた頃からこんな感じだったと記憶していますが」
「物心ついた頃からって……そりゃ、ヤなガキだな」
 ニトロはにやりと笑いながら、それこそ丸きり冗談で言ったつもりだったが、ハラキリは存外真面目に受け取ったらしく大きくうなずいた。
「ええ、ガキはヤなものです」
 思わぬ返答にニトロは目を丸くして、今度は彼がハラキリをまじまじと見つめ、
「もしかして、ハラキリは子ども嫌いか?」
「子どもだから嫌いとは思いませんよ」
「なんか、矛盾してないか?」
「そうですか? 単に“ヤな子ども”が“ガキ”というわけで、だから“ガキはヤなもの”というだけです。念のために言うと、子どもだから好きとも思いません」
「はあ……理屈っつうか、めんどくさい考え方っつうか」
「つまり」
「うん」
「年齢問わず、好悪の判断はその個人次第です」
「なるほど」
 ぐっと背筋を反らしながら言うハラキリに、ニトロは煙に巻かれたように思う一方で妙に愉快な気分にもなり、また笑ってしまう。そこにハラキリが言った。
「ニトロ君は子どもきっぽいですね」
「え? ああ、どうだろうな。普通じゃないかな」
「そうですか」
「つっても、子どもを倒さなきゃいけないようなのは夢見が悪いから“入れて”くれるなよ?」
「十年近く前に子どもが襲いかかってくるホラーだかサスペンスドラマだかがヒットしていましたね」
「『カッコウの子どもたち』?」
「そんなタイトルです」
「あれはメルトンに『それのパロディ見つけた』って騙されて本物を見せられてなあ、しばらくクラスメートが怖くなったよ」
覚えておきましょう
「やめろッ」
 ニトロの剣幕にハラキリが笑う。笑われたことで、ニトロも笑う。そしてニトロは先ほど内心もう一つ気になっていたことを口にした。
「さっき“いつも通りにチェックせず”って言ってたけど」
「? ええ」
「そんなの食らったら普通、次からはチェックしておきたくならないか?」
「チェックしたら『不測の事態』という前提が崩れてしまうじゃないですか」
「――ああ、それはそっか」
「本来は発注自体しませんからねえ。するにしても百合花がサボって新しいものを追加しない時に“作れ”と注文するくらいです。それだけでも百合花は『あると判っている時点で不測じゃない、だから無意味』とサボる理由にしようとしますが……一理あるので、まあ、面倒です」
 ニトロは小さく喉を鳴らして笑った。
「変わり者みたいだな、本当に」
「撫子の言うことは聞きますからその点では困りませんけどね。そうだ、ニトロ君に差し上げている他のプログラムにも百合花作成のものが多々ありますので、いつか機会があったら礼でも言ってやってください」
「うん、分かった」
「とはいえ、今度からはチェックしておきますから」
「俺のは?」
「ええ。ちゃんと監修しておきますので、今後あのようなことはありません。その点はご安心ください」
「……うん、そうだな」
「いやいやニトロ君、『それなら俺も』とは考えなくていいですよ?」
 心を見透かされ、ニトロはハラキリを驚きの目で見た。ハラキリは苦笑し、
「その様子を見れば解りますって。しかし、やはり君には『不測の事態』なぞこれ以上必要ありません」
 そこで意味有りげに持ち上げられたハラキリの口角に、意図を察したニトロは半笑いを浮かべて応える。するとハラキリはにこりと笑い、
「“慣れ対策”にも慣れてしまうようなら考えますが、そこまでも必要ないでしょう。それと、お詫びというわけではありませんが、あれの著作権は放棄しますので何だったらシェアソフトにでもして販売してみてください」
「売れるか、あんなもん」
「小遣い稼ぎになると思いますが」
「え?」
「被虐趣味にヴァーチャ「いやいい! 言うな! そういう世界は知らぬが吉だ!」
「そうですか。ところで、今回はお喋りだけで終わりですか?」
 膝を曲げ伸ばしながらハラキリは続ける。
「折角ですので剣術だろうが怪鳥対策だろうが付き合いますよ。それも必要ないならこのまま帰りますが」
「いやいや練習するよッ」
 慌ててニトロも準備運動を始める。
「とりあえず剣術はいいや。それより寝技グラウンドを強化したい」
「寝技を?」
「この前あいつに押さえ込まれて動けなかった。すぐにハラキリが戻って来てくれたから助かったけど」
「耳をついばまれていましたね」
「やめろ思い出したくない。それに、それも腹立たしかったけど、それよりもっと……悔しかったんだよ」
「完璧に固められていましたね」
「だから」
「了解です」
 ハラキリは股関節をほぐしていく。その様子には熟練の闘士が元より整った体を磨き上げていくといった風情があり、また熟練しているからこそ、そこには一種完成した絵のごとき雰囲気がある。その様を眺めて、ニトロは、アキレス腱を伸ばしながら、どこかぼんやりと言った。
「それにしても不思議だよな」
「何がです?」
「ハラキリも、そういう凡ミスをするんだな」
 その言い回しにハラキリは困惑混じりの苦笑いを浮かべた。
「それはもちろん。別に不思議なことでもありませんよ」
「そうかな」
「ニトロ君がそう思っているなら、それは買い被りです」
「そうかなあ」
 ハラキリはいよいよ苦笑し、
「そうですよ。何しろ他人ひとを鍛えるというのも初めてのことですからね、むしろミスがなければ自分で自分が信じられません」
 そう言われるとそうかもしれない。しかしその言い方にニトロは笑ってしまった。
「だけど初めてってわりには……俺が言うのもなんだけど、メニューは凄くこなれてるのに初心者にも分かりやすいし、至れり尽くせりで助かってるぞ?」
「それは撫子のサポートが的確だからでしょう。拙者だけではきっと独善的ですよ」
 自覚か、謙遜か、それは分からないが、ハラキリのセリフをニトロはそのまま受け取ることはなかった。やはり彼の助けはありがたいのだ。――だからこそ、こうも言いたくなる。
「ハラキリがもうちょっと熱心に教えてくれたら『格闘プログラム』をあんまり頑張りすぎて……なんて心配されることもないと思うんだけどな」
「はあ、そうですか?」
「そうだよ」
トレーナーマドネルさんがいるじゃないですか」
「ハラキリももっと教えてくれたらずっと心強い」
「はあ。そうですか。では善処しましょう」
 口ではそう言いつつ、そこに気持ちが入っていないことは明白だった。ニトロは露骨に不満を顔に表したが、相手は気にする素振りもない。ニトロは胸中で嘆息をつき、
「今日も護身術のトレーニングが終わったら帰るのか?」
「いえ、今日は走り込みにも付き合いましょう」
 その答えに、ニトロはひとまずそれで良しとする。
 すると軽くとんとんと跳んでいたハラキリが、屈伸をしているニトロへふと思いついたように言った。
「そうだ、帰りに鳥料理でも食べて行きましょうか」
「なんで?」
「あれのせいで鳥がトラウマになっても困りますのでね、いっそ食べ返してやりませんか? ということで」
「そりゃ八つ当たりにしかならないだろ」
「それでもいいと思いますが」
「はっは。まあ、鳥肉を食いにって提案には賛成だけどな、トラウマうんぬんってのは大丈夫だよ」
 手首をほぐしながら、ニトロはハラキリがよくやるように片眉を跳ねてみせる。
「仮想と現実の区別くらい、ちゃんとつけられるからさ」
 その言葉にハラキリはきょとんとし、やおら、愉快そうに笑った。



「おいハラキリ!」
「どうしました、物凄い剣幕で」
「『格闘プログラム』に何で“キスの練習”なんかがあるんだ! しかも相手はまるきりティディアじゃねぇか! あれも発注ミスか!?」
「それは仕様です」
「仕様!?」
「ええ、お姫さんから依頼されたものを要望通りに放り込んでおきました」
「マッハパンチ!」
「鼻が痛い!」


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