「突然お呼び立て致しましたご無礼を、どうかお許しください」
 明らかに彼女は自分を圧し殺し、明らかにもっと吐き出したい言葉を噛み殺している。ニトロは全く事情の解らないこの時点で、しかしほぼ全てを理解した。だから必要な一言だけを言った。
「何と言ってきましたか?」
 園長は何も答えず、手にしていたラップトップをニトロへ差し出した。そのモニターには押ボタン型のスイッチが表示されている。何やらカウントダウンもされていた。
「……」
 ニトロは園長を見た。
 彼女はやはり何も言わない。
 彼の無言の問いかけに対して無言で容赦を乞うている。
 彼は、理解していた。
 彼女は説明してはならないのだ。
 と、何か重要なことを思い出したように彼女はラップトップのキーボードを素早く叩いた。すると二人の傍らに宙映画面エア・モニターが投射された。
「――まらない質問をするのねえ」
 エア・モニターに表れたのは、差し向かいで誰かと話す王女の姿だった。
「何かぼろっちい店でお粥を食べたわ。ハナバ菜のお漬け物が素晴らしかった。名物なんでしょ? この辺の」
 王女と対談しているのは若い男だ。細面で、髭を顎の先にちょろりと伸ばしている。雰囲気からしてコメディアンだろうか。彼は王女にその“ぼろっちい店”を知っているかと問われてしどろもどろになっている。それで王女に地元愛を疑われてさらにしどろもどろだ。やはり彼は当地の人気コメディアンであるらしい。
「……」
 ニトロは再び園長を見た。彼女の顔は若い男と同じくらい、いや、カウントダウンが進むにつれてさらに色を失っていく。
 その間、コメディアンはちらちらと視線を上向けていた。まるで天上の神へ救いを期待しているかのようだ。
「……」
 ひとまず、ニトロはこうする他はないのだと、行動した。
 セリャンダ・ゼワネットの差し向けるラップトップのモニターの、明らかに胡散臭いスイッチに指を押し当てる。
 するとエア・モニターの中で男の顔が輝いた。
 男と王女の間に上からするすると何かが降りてくる。それは――何だろう?――糸、その糸の先に結ばれているのは……フック? そこに男が手を伸ばす、が、それに先んじて、しかも極自然に王女がその天からの贈り物に手を伸ばす。数式に適切な数値が当てはめられたかのごとく、彼女の動きは自然であると同時に必然だった。二人の間に降りてきたフックが王女の鼻に装着される。
 Oh ジャストフィット。
「え、ええ〜! ええ〜!?」
 鼻フック王女にコメディアンがひどく慌てふためく。それと同時に――この放送は生中継であるらしく、さらに王女と男の対談はある番組の『コーナー』であるようで、これを視聴者と並んで観ているスタジオのタレント達が驚きわめく様子が右下に表れた。ぎゃあぎゃあと纏まらない声を聞き分ければ、なるほど、そもそもこのコーナーはあのコメディアンに対する『ドッキリ企画』であったのだろう。しかしその仕掛人はスタジオにおいても“サプライズゲスト”であった様子。あんまりサプライズ過ぎてスタッフまでもが大恐慌だ。笑っている者もいるが、それは面白いから笑うというより笑うしかないから笑っているといった有り様である。
「……」
 ニトロは園長のラップトップに目をやった。――カウントダウンは、止まっていない。
「……」
 ニトロは園長を見た。
 もちろん彼女からは緊張と不安、そして恐怖が去ることはない。
 残り三分弱、刻一刻と減少する時間に対してスイッチにも何の変化もない。
 コメディアンは動揺しまくって汗まみれだ。
 ただ一人、鼻フックのお姫様だけが平然と他愛もない話を続けていた。もはや独演会である。
「……」
 ニトロは己の顔から熱が引いているのを自覚していた。瞼が半ば落ちる。眠気にも似た虚無感が去来する。だが、彼は、義務的にもう一度スイッチを押した。
「え〜! ええーッ!?」
 コメディアンが狼狽する。スタジオでも大きな騒ぎが起こる。フックを結ぶ糸が巻き上げられ、となれば美しい王女の鼻は必然、豚鼻となった。しかしそれでも彼女は平然と語り続ける。話は何故か恋愛論になっていた。ミニスカートから抜き出る足を組み直し、誰の目も奪う美女が前のめりにコメディアンに顔を寄せる。すると鼻の穴はさらに縦方向へとおっぴろげ。穴の奥まで手入れが行き届いているにしても、これはネットを通じて銀河配信なのですぞお姫様!
 とうとう事態に耐えきれなくなったらしいコメディアンが四方八方に向かって腕を振ってわめき出した。ギブアップと聞こえる。助けを呼んでいる。スタジオは大爆笑どころか引きつり笑いで思考停止である。
 一方、ラップトップを差し出していたルクサネア・セリャンダ・ゼワネットはへなへなとその場に座り込んだ。
「ああ」
 ラップトップをほとんど落とすように床に置き、吐息に等しい声を一つ漏らすや両手で口を覆ってほろほろと涙を落とす。思わぬ展開にニトロがぎょっとしていると、彼女の親族らしき老人達が慌てて駆け寄ってきた。祖父母であろう人らに彼女は安堵に声を震わせて「予算が、予算を」と繰り返す。その声は震えるが故に美しさを増していた。見ればラップトップのモニターでは『♪おめでとう☆成功報酬は例の口座に振り込むね♪』という文字が右から左に繰り返し流れている。
 ニトロは、エア・モニターを見た。
 番組はまだ続いていた。
 興が乗ってきたらしいティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナが言葉を躍動させている。その勢いのままに彼女が身を乗り出したり身を引いたりする度に、鼻フックのテンションが強まり弱まり、引き上げられた鼻の穴がクッと伸びたりパッと縮んだり。しかしその滑稽さも未だスタジオのパニックを笑いとまでは変じられていない。そこには、そう、それを笑っていいのだと許すツッコミが足りていない。
 されど王女と直接相対する哀れなコメディアンは己の取るべき行動が見定められずに硬直し、顔の上半分で笑い、下半分で泣いていた。それに嗜虐心を煽られたらしいバカ姫が握った拳を振り振り弁舌に熱を込め、しかも自説の補強のためにコメディアンの女性問題を暴露した。もう彼は堪らない。鼻フック王女に同意を求められても半狂乱である。ゴシップメディアにもスクープされていないネタ、それもなかなかエグいネタをこんな時にこんな状態でぶちこまれればそりゃあ絶望の鼻水も噴き出そう。
 その反対に、事情を理解してこちらも泣き出した家族と喜びを分かち合っていたルクサネア・セリャンダ・ゼワネットは、ふと我に返った。
 あの少年に礼を言わねばと立ち上がる。
 だが、その時にはもう、そこに『ニトロ・ポルカト様』の姿はなかった。

 ニトロは再び観覧温室に戻ろうとゲートをくぐりつつあった。
 簡単な報告を芍薬に送り、もしまだあのバカが鼻フック恋愛論を弁じているなら現場の制御システムをどうにかするよう頼む。
 すると、なんかすんごい悲鳴がホールから響いてきた。
 少し遅れてルクサネア園長以下セリャンダ・ゼワネット家の合唱も聞こえてくる。
 それは忠誠を誓う王の子女の状態への名状しがたい驚愕、そしてこの期に及んでも姫君への心配を失わぬ忠順な声であった。
 しかしそれも、温室内に入るとすぐに聞こえなくなる。
 ニトロは苔むす空間を奥へ奥へと進んでいった。
 木陰の薄明に映える濃厚な緑は目にも美しく沁み入り、これで霧でも出れば神秘的なものとなろう。
 コトン、コトンと木道に鳴る足音は尾を引くことなく苔の陰に吸い込まれて消える。
 それがまた幻想を彼の胸に刺す。
 彼は、ため息をついた。
 ――あのバカは、本当にしょうもない。
「嗚呼」
 いっそ本当にこの瑞々しい絨毯へ飛び込んでしまおうか。そしてどこか片隅に横たわり、それから我が身を苔に覆わせてしまうのだ。この血肉を苔がすっかり隠してくれるまで眠っていよう。そうすれば静かに暮らすことができるだろう。
 コトン、コトンと木道に足音の鳴る。
 ニトロはため息をついた。
「そんなわけ、あるはずもないか」
 彼は苔むす小宇宙を歩き続ける。
 緑色の世界の底に、孤独な足音が鳴り続ける。
 コトン、コトンと。
 コトン、コトンと。
 コトン、コトン――コトン、コトン――コトン――





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