「ちょうどその時、ミリュウ様が高熱を出したってニュースになってたんだ。王妃様とティディアが――」
 そこで彼は口を止めた。
 隔世の感がその面に現れている。
 無理もない。
 が、彼はすぐに気を取り直し、
「王妃様とティディアが妹様を看病しているってことを聞いていた父さんと母さんは、それを思い出してこう思ったらしい。同じ病気の同い年の姫君が看病されている――ニュースは主治医のことも言っていた――それは一流のお医者様に決まってる――そこにはどんな事態にも対処できる最新の医療機器もあるに違いない、そこはつまり病院だ!」
「ナンデダイ」
「そう、まさに『何でだ!』だけどね、車に乗せられた俺はそんなことには気づいてなかった。ぼうっとした頭でやけに遠いなあと思っていた。いや、遠いとも近いとも判ってなかったな、ただ窓の外に光が流れていたことを覚えてる。父さんが車を運転していて、抱き締めてくれている母さんの腕は俺より熱く感じられて、それから気がついたら父さんにおぶられていた。父さんが必死に走っているのが感じられた。母さんの励ましの声が遠くから聞こえるようだった。そしてとうとう二人がどこに来たのかを知って、さらに呆然としたんだ」
 彼は苦笑する。
「門番はびっくりしてたなあ。病気の子どもを連れてきた夫婦、城門を守る兵士、両者は絶望的に話が噛み合わない。噛み合わない中で門番は俺を心配する。子どもを心配されて親はさらに心配になる、パニックが増す。病院に連れていくよう促す門番と、病院に連れてきたつもりの両親でさらに話が噛み合わなくなってもうメチャクチャだ。門番は、たった一言必要なことを言ってくれれば良かった。だけどテロリスト相手の方が楽に対処できたのかもね、あんまり頓珍漢なボケにさらされて大困惑してそれを期待できない。だから俺はやっとのことでツッコンだ――『ここはお城だ!』『あ、そうだった!』」
 芍薬はくすくすと笑う。
「門番は唖然としながらも親切に一番近い病院を教えてくれたよ。大学病院だったかな。夜間診療をしているところは近所にもあったのに、無駄に距離を運ばれて無駄に設備の整ったところで治療を受けたんだからアホらしい。帰ってみるとメルトンはげらげら笑ってやがったなあ、後から聞いたら父さんと母さんが飛び出ていくのに任せて適切な案内もしてなかったって言うんだから腹が立ったよ」
 芍薬は笑顔の奥に殺意を閃かせた。しかし思い出に浸るニトロは気がつかない。
「けど、それを聞いて怒った俺にあいつは白状したんだけど、本当は父さん母さんの行動が理解できずに混乱してたんだってさ。笑えたのはちゃんと治療を受けて帰ってきたから、それで安心したから。笑っていたのも役に立てなかったことを誤魔化す強がりだったんだって顔を真っ赤にして、本当は本当に心配していたんだって……その頃は、あいつも可愛いげがあったよ」
 芍薬は笑顔の奥にジェラシーを揺らめかせた。しかし思い出に浸るニトロはやはり気づかない。そして芍薬自身もそれに気づいていなかった。
 ニトロはカフェオレを飲み、
「その後、母さんはハーブ作りに凝り出して、父さんは献立を健康の視点から見直してね」
「ソレデ“コロコロ”ジャナクナッタノカイ」
 ニトロは懐かしげにうなずき、
「さて、そろそろ寝るよ。他の話はまた今度」
「御意」
 うなずく芍薬はどこか名残惜しそうだった。
 カフェオレを飲み干したニトロの側に多目的掃除機マルチクリーナーが走り寄る。空のカップをロボットハンドに受け取って、それをキッチンに運びながら芍薬は言った。
「今度カラ、カフェオレハあたしガ作ルヨ」
 トイレに向かいかけていたニトロがモニターへ振り返る。
 すると微笑む芍薬が目に飛び込んできた。芍薬は柔らかく微笑みながら、その眼差しに期待を――おそらくそれを了承してもらえることへの期待と、その役目をきっと自分が立派に果たすであろうことへの期待を満ち溢れさせていた。
 ニトロは、目を細めた。
 それなら明日の晩にでも頼もうと思いつつ、彼はうなずいた。
「うん、これからはよろしく頼むよ」





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