恥を転じて福と為す

(第三部 『行き先迷って未来に願って』の数日前)

「生出演?」
 椅子に腰を下ろしたところで、ニトロは聞き返した。ティディアは丈の短いスカートの裾を押さえながら彼の対面に座り、
「そ、『崖っぷち清純派アイドルの気まぐれ突撃インタビュー』の相手としてね」
「なんつーか要素てんこ盛りと言うか軸がブレまくりと言うか……」
「はい、台本」
 ティディアが懐から折り畳まれた板晶画面ボードスクリーンを取り出す。形状記憶機能によってノートサイズに広がったそれを受け取り、画面を一眺めし、ニトロは眉をひそめた。
「これだけ? 部屋ここに突撃してくることしか書いてないぞ?」
「十分でしょ?」
「いやいや、質問項目とか、せめて突撃してくる時の段取り――
 ああ、『突撃』ってそういうことか」
「そういうこと。本来は台本なんてないのよ。普段は街頭で体当たりのアポなし取材。初回はインタビュー相手が捕まらなくって終わったそうよ。やっと捕まえたところで時間終了なんて回もざらだし、捕まえたところでグダグダな会話しかできない回ばかり」
「崖っぷちっていうかそれもう崖から落下してるんじゃないか?」
「始まって一月ひとつきで既に打ち切り濃厚ね。で、大逆転を考えた。だけど流石に私のところにアポなしで突撃したら逆に捕まっちゃうと思ったみたいでねー」
「思うっていうか普通は」
 そこでニトロは言葉を切り、こちらをにやにやと見る視線を見返し、続けるはずだった言い回しを変えてぶっきらぼうに続けた。
「当然、捕まえるだろ」
「そうね。命令でもない限り警備ガードがノーガードになるわけにはいかないもの」
「そのご命令を出してもらえるタイミングで突撃してくるには相当骨が折れるだろう?」
「それくらいはして欲しいものね、望みを叶えたいというのなら」
「……お前はそういう奴だから例え捕まったところですぐに釈放されるだろうけど、だとしてもそん時ゃ放送局からも放流されるだろう? やっぱり、アポを取るのが賢明だと思うぞ?」
「ま、そうね。
 で、面白いから受けてみた」
「相手は驚いたろうな」
「驚いたなどというものではありませんでした。あれこそ生きながら心臓が止まった人間の顔です」
 横から口を挟んできたのはヴィタだった。彼女の手にはティーセットがある。茶菓子はチョコレートケーキだ。見覚えがあった。最近、散々入手困難と宣伝されている人気パティシエの作に違いない。ニトロは見るからに美味しそうな逸品から女執事の美しいマリンブルーの瞳へ目を移し、
「まるで見てきたような言い方だね」
「私も見たわ」
 と、ティディアが言う。その頬は恍惚に映えている。
「何故なら懇談会の前にスタッフ一同を呼び出して、私が直接オーケー出したから」
「彼らの部屋に入ってくる際の青い顔、のちの興奮に熱した赤い顔、しかしすぐにティディア様に『突撃インタビュー』することを自覚して血の気の引いた白い顔。退出した直後に始まった会議はまさに混乱の極致――嗚呼、いずれも素晴らしいものでした」
 そう語るヴィタの唇は性的なまでに艶めいている。同じ景色を瞳に浮かべ、どこか夢見心地に微笑む蠱惑の美女と藍銀あいがね色の髪の麗人を交互に見て、ニトロは嘆息した。
「人が悪い」
「御意」
 と、ニトロが手にし続けていた板晶画面から声が凛と響いた。二頭身にデフォルメされた芍薬がラジオ番組の台本の上に花びらを散らしてパッと現れ、ぺこりと辞儀をする。
「確認ガ取レタヨ。確カニ四月カラ始マッタ15分間ノ箱番組デ、火曜・金曜ノ週二回放送、評価モバカノ言ウ通リ。プロデューサートモ連絡ガツイタ。実際、マダ混乱シテイルミタイダネ」
 そのプロデューサーの応答がよほどおかしかったのだろう、芍薬は困り顔をしながらちょっと笑っている。
「ね、どんな声だった?」
 ティディアが訊いてくるが、芍薬はそれには答えず、
「コッチニ連絡ガ遅レタノハドウシテダイ?」
 あからさまに硬質で鋭い声音にティディアは少し眉を曇らせ、
「問題はないでしょう?」
「コッチニモ選択権ハアルンダ」
「やー、大丈夫よ。別にニトロをどうしようとか企んではいないから」
「ダケド“利”ハ得ルツモリダロウ?」
「もちろんよ」
「ソレハ何ダイ? 事ト次第ニヨッチャ今カラデモ断ル。ソッチガ何ヲ言オウガ、先方ニハあたしカラ詫ビヲ入レルヨ」
「そこまで芍薬ちゃんが本気になるようなことじゃないわ。ただ遊びたいだけだから」
「遊ビタイ?」
「朝は父に付き合って退屈な式典をこなして、昼の懇談会は金持ち連中の退屈な話ばかり、そしてこの後は胸焼けがするほど退屈な顔触れが並ぶ社交パーティー。もちろんそのどこにもニトロはいない。もしニトロがいれば式典にも懇談会にもパーティーにも退屈なんてあるはずがないし、それどころか、ニトロは会うだけでも私にそれまでの退屈を忘れさせてくれる、これからの退屈に耐える気持ちをくれもする」
 と、言ってニトロを見つめる。が、ニトロは取り合わない。
「いけずー」
 小さく唇を尖らせ、しかし気を取り直してティディアは続ける。
「とにかく今日はニトロといるこの時間だけが楽しみなのよ。――けれど、貴方は用が終わったらすぐ帰っちゃうでしょ?」
「ああ」
 あっさりとニトロはうなずく。そのあまりにもあっさりとした様子にティディアは薄手のブラウスに包まれた肩をわずかに落とし、
「だから仕事を増やしたの。この番組の放送時間が“ちょうどいい”のは解るでしょう?」
 芍薬はティディアの言葉を吟味していた。ややあって、
「ソウカイ」
 一言を残し、ニトロに丁寧に頭を垂れ、芍薬は姿を消した。一応の納得をしながらも、警戒のためにこのホテルのセキュリティや周辺の状況を再度洗いに行ったのだろう。
 芍薬を見送ったニトロは板晶画面を置き、チョコレートケーキを眺め、耳にヴィタの紅茶を淹れる作業音を聞き、一つ息をつく。
「遊びたい、か」
「ええ」
「それは先方に対して随分失礼なことじゃないのか? しかも、本当に“崖っぷち”だったら、なおさら『遊び』に付き合せるなんて酷いもんだろう」
「それは正しい意見だと思うけどね」
 ティディアはにこりと微笑み、それから少し首を傾げて見せ、
「でも、この相手に関してはむしろ遊んでやった方がいいと思うわ」
「……」
「ニトロにも、すぐに解る」
「……そう言いながら、何かまた悪趣味なこと考えてる気がしてならないんだけどな」
 ティディアはニコリと微笑み、それからまた首を傾げて見せ、
「さあ、ケーキをどうぞ」
 ちょうどいいタイミングでヴィタが紅茶をカップに注いでニトロの前に置き、ティディアの前にも置く。ティディアは早速カップの取っ手に指を沿え、
「そろそろ最初の取材が来るけど、食べながらでいいから」
「そういうてい?」
「ええ」
「それじゃあ遠慮なくいただくよ」
 ニトロはフォークを手にし、実は内心ずっと気になって仕方のなかったチョコレートケーキを口に運んだ。彼の頬が嬉しそうに緩むのを見て、ティディアの頬も自然と緩む。これから続く三本の取材と『突撃インタビュー』の合間合間に、今日はどんな会話で彼と戯れようか。
「ところで」
 と、チョコレートケーキに舌鼓を打ちながら、紅茶の香りを楽しむティディアにニトロが問いかける。
「今日校長先生とやたらと顔を合わせたんだけど、何か心当たりはあるか?」
「どんな感じだった?」
「鼻息荒かった。俺は強いんだ、って感じに胸を張って熱心に校内を見回りしてた。皆、不気味がってた」
「第一の心当たりは、盗撮騒動ね」
 先週、体育の授業前のことだ。男子更衣室にてロッカーの陰にいた小さなヤスデをハラキリが踏み潰した。本人は知らずに踏み潰したていを装っていたが、それはヤスデ型のロボットで、取り出された記憶装置にはその日撮影された画像ファイルが大量に存在していた。その昆虫型ロボットは学校に出入りする業者の荷の中に紛れ込んでいたことが既に判明している。ニトロにはそれ以上遡行することは不可能に思えたが、おいおい犯人は解るだろうとハラキリは言っていた。
 渋い顔をしているニトロへ、ティディアは続けて言う。
「それと昨晩意心没入式マインドスライド電脳社交界CPS匿名マスクサロンを幾つか巡ったんだけど、その内の一つにあれがいた」
「? 匿名だろ? どうして判ったんだ?」
 探るような視線にティディアは肩をすくめ、
「別に暴き行為や運営の“善意の協力”がなくてもわりと判るものよ。話の内容や話し方、仕草に思考形態、いくら身元を伏せていても言葉の端々から漏れ出す判断材料があるからね。それに匿名といっても閉鎖的なコミュニティ内でのことだから、その時点でいくらか絞り込みもされている。ま、そういう条件がなくってもあれは判りやす過ぎる部類だけどね」
「――うん。で?」
「こっちは“王女に近い”ってことを臭わせて、勲章を連想させる単語をちょっと漏らしてみた」
「ああ、だからか」
 ニトロは納得した。五度もすれ違った校長がこちらへ常に異様に輝く瞳を向けてきていたのは、教育功労勲章への期待のためだったのか。校長のおかしな態度が生み出した学生間の噂話を耳裏に再生しながら彼はチョコレートケーキを一口食べ、そこでふと疑念を覚え、つぶやいた。
「連想させる?」
そういうことよ」
 ニトロはティディアを見つめた。彼女の口角がきゅっと弓なりに歪んだ。その深い黒曜石を思わせる瞳の中に、嘲るように渦巻く光が見えたのはきっと気のせいではない。彼も唇を歪めた。そういうやり取り、駆け引きは実際珍しくもなんともないことなのだろう。しかし、それでも彼は言わずにはいられない。妙にカカオの苦みを舌先に感じながら、
「お前は、本ッ当に人が悪い」
「やん。そんな目で見つめられるとゾクゾクしちゃう」
 器用に頬を赤らめて肩を抱き、ティディアは艶かしく身をくねらせる。
 ニトロはそれには取り合わず、こみ上げる嘆息を押し込むように紅茶を啜った。
 ――皮肉の味がした。

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