後吉

(第二部 第 [6] 編の“作中内及び作中外”エピソード)

2015『中吉』と『吉B』の間

 ルイーズ・レドランドは、子どもの頃からアクセサリーが好きだった。しかし身に飾るために好きだったのではない。眺めることが楽しかったわけでもない。それを作ることが好きだった。
 きっかけは、忙しかった両親に代わって育ててくれた祖母が“幼稚園への送迎友達”の付き合いで一時期通ったカルチャーセンターでの『手作りアクセサリー講座』だった。祖母は講座が終わるとアクセサリー作りをやめてしまったが、それで余った『手作りキット』に夢中になったのがルイーズだった。
 手作りキットに入っていた材料を使い切ったルイーズは祖父母にお小遣いをせがみ、その予算で近所のホームセンターでビーズのアクセサリーキットを購入し、以来、その趣味は生涯の友となった。将来はアクセサリー屋さん――それがその頃のルイーズの夢だった。
 年月が経ち、独り立ちしたルイーズは西副王都ウェスカルラで薬剤師となった。『アクセサリー屋さん』は遠い日の夢に過ぎない。アクセサリー作りは続けていたが、あくまで趣味である。幼少期に比べて趣味に割ける時間は少ないため数をこなすことは出来なかったが、ただ、幼少期に比べて使える金が増えたため、彼女は量より質にこだわることにした。工作機器の発達によって、昔の同好の士がよだれを垂らすような作業環境も容易に手に入れられる。生活費をやり繰りすれば貴金属や宝石も手に入れられる。高純度、高等級の素材を手に入れようとすることはもちろん容易ではないが、高品質なイミテーションなら頑張れる。
 趣味と仕事に明け暮れながらしばらく一人暮らしを続けた後、一つの出会いからルイーズは結婚に至り、ルイーズ・レドランドとなった。夫は稼ぎの良いビジネスマンで、転勤が多かった。そこで彼女は仕事を辞めた。趣味のための機器は祖父母の家に預け、アデムメデス中を転々としながら、再びビーズに立ち戻ってアクセサリー作りを細々と続けていた。レドランド夫妻の結婚指輪は、妻の手作りのものである。そして、それが将来、彼女の運命を決めることになった。
 夫が以前の仕事を辞めたのは、結婚から七年後のことだ。前年には娘が生まれていた。仕事人間だと思っていた夫は娘の誕生に意外なほど大きく喜び、娘のために転勤の多い仕事を辞めてしまった。一家は副王都セドカルラに落ち着いた。収入は前職に比べて大分減ったものの、幸せな暮らしを営むには十分だった。
 ルイーズは家計の足しにと薬剤師のパートを始めた。娘が手のかからない子であったため、彼女は祖父母の家から工作機器も取り寄せた。娘が大きくなるにつれ、この子が将来使ってくれたらと夢見るようになり、その頃になるとアクセサリーへの情熱も再燃していたのである。
 副王都からはあのウェジィが近いことも彼女の心理に大きな影響を及ぼしていた。
 ウェジィ……今からおよそ六百年前、当時最も支持を受けていたジュエリーブランドが工房を移してきたために興った、アデムメデス全域の中でも有数の由緒ある宝飾品の街。
 彼女の心の奥底で、幼い頃の夢が疼き出したのも無理はないだろう。
 何度も彼女はウェジィに通った。表向きは――そして自覚的にも、それは己の趣味の参考にするため。しかし裏では、そして無自覚的には、それは己の心の奥で疼く夢を慰撫するために。
 今から五年前、夫が心身の調子を崩した。職場でのトラブルが原因だった。人間そのものを疑う醜いトラブル。寛解かんかいした後、夫には無論その職場に戻る選択肢はなく、再び転職することとなった。夫婦の収入は減っていたもののまだ暮らしを損なう程ではなかったが、家族をも巻き込んだトラブルの影響で、家庭にはどうしても拭い切れない影が付きまとうようになった。
 一昨年のことだ。
 夫が、結婚指輪を見ながらぼんやりとこんなことを言ったのは。
「君がいつか話してくれたことがあったけど、もし君が夢のお店を開いていたら、それはきっと『レドリ』のように素敵なお店なのだろうね」
 それは、童話の中に出てくる不思議な宝石店の名前。
 それに大賛成したのが娘のカサンドラだった。彼女は日頃から母の作るアクセサリーを自慢にしていた。普段は着けることはないが、着けられる機会には必ずそれで身を飾った。そういう時には決まって「どこのブランド?」と聞かれるのが誇らしく、母の手作りと答えると驚かれるのがまた誇らしかった。手作りと聞くや興味を失うのはただセンスのない人間なのだから腹立ちもしない。彼女は、将来母の作ったアクセサリーを身につけて、例えば社交界のパーティーに出られることがあったらどんなに素敵だろうと夢見ていた。
「ママ、ねえ、ママ、そうしてよ。お店を開こうよ。わたしも手伝うよ。ママの作る指輪も、ペンダントも、とっても素敵だもん。きっとうまくいくよ!」
 焚きつけられたルイーズの夢は勢いよく燃え上がった。三人が同じ夢を見て、顔を輝かせた。一家に付きまとっていた影が文字通り影を潜め、ルイーズの燃える夢が放つ明るさに一家は目を奪われた。
 ルイーズの夢はレドランド家の夢となり、これまでの蓄えを原資にして、話はウェジィでの出店にまで膨らんでいった。
 その宝飾の街の門戸はいつでも開かれている。
 毎年新しい店が看板を掲げている。
 一ヶ月前までずぶの素人だったのに、開店するやその審美眼による商品のセレクトが大当たりして一躍大店おおだなの主となった――というドリームストーリーも存在している。
 夢が夢を見て、その夢が希望を抱いた。
 人が夢を見ているうちはいい、人が希望を抱いているうちはまだいい、しかし、夢を介して希望を求めれば、そこには落とし穴が潜んでいる。
 ルイーズはウェジィに店を持つことを夢見る者に不動産を仲介する業者を介し、ウェジィ中心地と、工房やそこに勤める人々のアパートがひしめく地区の谷間に当たる場所に空きテナントを見つけた。メインストリートは家賃が高すぎるため、元より選択肢にはなかった。そこから路地に入ると、そこには新鋭の宝飾店やカルトな人気を誇る個性的なショップが目立つようになる。せめてその外れにでも、と思っていたが、そこからも離れた場所だった。もちろんルイーズは難色を示したが、業者は、以前ここで成功した店がある、その店の主人は今、メインストリートで看板を掲げていると言った。調べてみれば実際その通りだった。それ以降は連戦連敗の記録が続くが、一つの成功例の光はそれを霞ませるほど強かった。業者の口もうまかった。夫は言った。
「失敗してもいいんだ。いいや、失敗なんて考えていたらうまくいきっこない。どんとやってみるといい。僕は君をずっと支える、君がそうしてくれたように。失敗したって何度だってやり直せばいいんだ」
 と、それだけを繰り返し、背中を押した。その手には妻の手作りの指輪が光り続けていた。
 不動産業者は口がうまかったが、悪徳というほどではなく、家賃は相場通りだったし、腕は確かな内装業者も紹介してくれた。
 開店に向けて、ルイーズは商品の製作に力を入れた。それまで作ってきたものの中で売りに出せると納得できるものも引っ張り出した。その頃、業者の紹介を受けたというコンサルタントがやってきた。
「いやあ! 素晴らしい! この指輪なんて最高です!」
 後で分かったことだが、このコンサルタントは不動産業者の紹介など受けていなかった。それどころか、業者にはルイーズから依頼されたと自己紹介していた。それが発覚したのは、後年、その男が詐欺罪で捕まったことを業者の社長がコネクションに流れた話で耳に挟んだからだった。
 口がうまい不動産業者も舌を巻くほど、口の達者な男だった。身形もそれらしく整えられ、誰とも顔見知りのようにやり取りする。
「しかし、だからこそ惜しい。こんなに美しい物をお作りになるのに、このままでは成功の可能性は低いでしょう。何故なら、人の目を惹くほどの輝きが足りない――いえ、レドランドさんの腕が悪いと言っているんじゃありません、私はそんなことを言うくらいならこの舌を引っこ抜いてしまいます、しかし、そう、量が足りないのです。インパクト! この場所で人の目を惹くにはゴージャスでビューティフォーな輝きが必要です! 圧倒的な物量! アイテムの数が足りないのです! ですが個人製作の店舗ではなかなかアイテムを揃えられないでしょう。私の知り合いに良心的な卸業者がいるのです。こんなにも美しい指輪を――」
 と、男は目敏くルイーズの結婚指輪を褒め上げた。
「作られるほどの貴女です。天賦のセンスを持っておられる。ご存知でしょうか? リサ・ルジ・ガードランドのことを? おお、そう言えば、彼女と貴女のファミリー・ネームは少し似ている! これは実に縁起が良い、いや、運命です!」
 それは例の一ヶ月前までずぶの素人だったドリームストーリーの主人公の名だった。ルイーズが一度ひとたびうなずいた後にはあれよあれよという間に話は発注にまで進んでしまっていた。半ば陶酔してしまったかのような頭で彼女はコンサルタントの突きつけてきたカタログに頭を突っ込み、そして店に並べるアイテムを増やした。借金も増えていた。
 これに不満だったのが娘であるが、この時は不平を口にすることはできなかった。コンサルタントは古今東西の成功者の実例を矢継ぎ早に並べ、古典から最新の経営理論を駆使して己の主張を擁護する。その知識には父も舌を巻いていた。専門的な学習も積んだことのない彼女が理屈で適うはずもなく、彼女は口を閉じ、とにかく開店準備に奔走する母を支えることに努めていた。
 ――ウェジィで店を続けられるかどうかの目安は、三ヶ月以内に口コミを得られるかどうかだと語られている。
 店名は『レドリ』に決まった。夫が口にしたものであり、ファミリーネームにもかけることのできるこの名しか考えられようもなかった。
 開店時から二・三日は新店舗に興味を引かれた客がいくらかやってきた。
 だが、すぐに客の足音は聞かれなくなった。

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