23:35 ―大吉― (ニトロ:ラスト)
一秒一秒一日の終わりが近づく中、ニトロは穏やかな気分で過ごしていた。
今朝は早くから起きて、色々なことがあって、嫌なこともあって、あのバカにはまた遠回しに痛い目に合わされたが、しかし、全体的には良い一日だったと思う。
「オ味ハドウダイ?」
心落ち着かせるハーブティーを傍らにクッキーを齧るマスターへ、洗濯物を畳みながら芍薬が問う。
「普通だよ」
女友達が焼いて持ってきてくれた、市販のミックス粉から作られたクッキーをまた一つ口に放り込み、それをゆっくりと味わいながらニトロは続ける。
「だけど、最高に美味しい」
「ソウカイ」
マスターの微笑を写したかのように、芍薬もまた微笑む。そして、
「モウ一ツ、寝ル前ニ良イ思イヲシテミルカイ?」
「面白い言い回しだね。何?」
「主様ガ拾ッタペンダント、持チ主ガ二人見ツカッタヨ」
「二人?」
怪訝に眉をひそめるニトロへ、芍薬はアンドロイドの頬を体温が感じられるほどの様子で緩めてみせる。
「一人ハ、アノペンダントヲフリーマーケットデ買ッタ女子大生。
モウ一人ハ、四十年前ニソノペンダントヲ恋人カラ贈ラレタ女性」
「それで?」
「昔ノ持チ主ハ、ソノペンダントヲ恋人カラ『婚約指輪』ノ代ワリニモラッタンダ。ソウイウモノヲ代ワリニスルクライダカラ二人トモ貧シカッタ。恋人ハ鞄職人ノ見習イデ、ソノ女性ハ学生デ、ダカラ当然ノヨウニ親ニ結婚ヲ反対サレタ。何度モ喧嘩シテ、トウトウ母親ニ大事ニシテイタペンダントヲ当時住ンデイタ家ノ前ノドブ川ニ投ゲ捨テラレテシマッタ。ソノ日ハ大雨デ、川ハ増水シテイタ。飛ビ込モウトスル女性ヲ恋人ガ抑エタ。水ガ引イテカラ必死ニ探シタケレド、ドコニモ見ツカラナイ。娘ト親ノ関係ハ修復不可能ニナッタ、ソシテ二人ハ駆ケ落チシタンダ。――恋人ハ結局専業ノ鞄職人ニハナラナカッタケレド、今デハ革製品ノ修理工トシテ大成シテ店マデ持ッテイル。ソノ傍ラ、時々コツコツトオリジナルブランドノ製品ヲ二人デ作ッテ、幸セニヤッテイルソウダヨ。
デモ、イクラ幸セデアッテモ、女性ニハドウシテモアノペンダントノコトガ気ガカリダッタ。時ガ過ギテ父ガ死ニ、一人残サレタ母親ガソノ時ノコトヲ本当ニ後悔シテイルト親戚伝イニ聞キ知ッテ、恋人ノ――夫ノ勧メモアッテ、スッカリ弱ッテシマッタ母親ト和解ヲシタンダ。
ケレド、ソウナルト彼女ハ一層ペンダントヲ取リ戻シタイ。ソレガドンナニ可能性ノ低イコトデアッテモ……モシカシタラ誰カガ拾ッテクレタカモシレナイ、ソウ希望ヲ抱イテモイイダロウ? ダカラA.I.ニ常ニWebヲ調ベサセテイタ。写真ダケハ残ッテイタカラ『イメージ×イメージ検索』ヲ定期的ニカケテ、遺失物情報ハモチロン、リサイクルショップヤ古道具店、質屋ナンカノWebサイトモズット巡回サセ続ケテ。自分モ機会ガアル度ニソウイウ店ヲ覗イテ探シ続ケテ。
――虚仮ノ一念。
女性ハ、トウトウ見ツケダシタ。
ソレハ本日20時過ギニ王都第三区ノ『
一方ノ女子大生ガソノペンダントヲ手ニ入レタノモ、今日ダッテ言ウンダ。王立馬事公園ノフリーマーケットデ目ニツイテ、裏ニ描カレテイタイラストガ好キナ鞄屋ノ――実際ニハ修理屋ダケドネ――“バッグプレート”ニ描カレテイル『小鳥トキスヲスル猫』ノ雰囲気ニ似テイタカラ一目惚レシテ買イ求メタ、ト。
ソウサ、主様、一緒ニ確認シタダロウ? 『鳥ノ巣ニ眠ル猫』――アレコソガ二人ノ愛ノ証明ダッタノサ。
サア、モウ分カルヨネ? ソウダヨ、二人ノ落トシ主、ソシテ二人ノ持チ主ハ、互イノ顔ヲ見知ッテイタ。女子大生カラスレバ気ニ入リノ店ノ奥サン、女性カラスレバ……偶然ニモ、本日店頭デ限定販売シテイタ鞄ヲ買イ損ネ、ヒドク肩ヲ落トシテ帰ッテイッタ御客サンダッタ。交番ニ駆ケツケテ、互イニ顔ヲ合ワセタ時ノ驚キヨウッタラナカッタソウダヨ。
ソノ顔ダト、コレモ解ッタネ? ソノ通リサ。主様、あたし達ガ交番ニ見タ人達、コノ話ハ、ソノ人達ノ物語ダッタンダ。
カクシテ、女性ハペンダントヲソノ手ニ取リ戻シタ。女子大生ハ御礼ニ欲シガッテイタ鞄ヲ特別ニ作ッテモラエルコトニナッタ。メデタシメデタシ――サ」
驚きと感嘆の心持ちで話を聞き終えたニトロは、ほうとため息をついた。
「偶然も奇縁も極まってる……っていうか……」
「タマニハイインジャナイカイ?」
「まあ、確かにたまには『事実は小説より奇なり』って出来事を実際に聞くけどね……でも、それが自分達がちょっとでも関わってるとなったら話は別だよ」
「御意。
――デモ、主様ガソンナコトヲ言ッテモ正直説得力ガナイヨ?」
「それは痛いところだ」
「フフ。ゴメンヨ、主様」
芍薬の笑顔にニトロは苦笑し、
「だけど、何でそんなに詳しく知ってるの?」
「詳シク載ッテイタカラサ」
「どこに?」
「
「そっか……」
小皿に出したクッキーの最後の一つを食べ、ニトロは物思わしげに空を見て、それからにこりと目元を緩ませた。
「確かに、たまにはこういうのもいいもんだね」
「御意」
話しているうちに洗濯物を全て畳み終えた芍薬は立ち上がり、駆動音どころか足音すらなくテーブルに歩み寄ると、ニトロの向かい側に座った。
「明日モ早イヨ、主様」
時計を見ると、もう0:00まであと数分。
「そうだね。もう寝ないと」
明日は祝日であるため、ニトロは両親をある港町の朝市に連れて行くことを約束していた。その漁港はハラキリにパトネトの誕生日のための金冠エビを買いに行ってもらった所で、そこで親友は一軒の美味なる店も見つけてきたのだ。外観はとても汚くて、というよりも今にも崩れそうなボロい店で、しかし料理は目が飛び出るくらい美味いのだという。ワーカホリックな老人が一人で切り盛りしているというその店の話を聞いたニトロに、料理好きの父と食べることが好きな母を連れていかない手はなかった。
……孝行は、できる時にしておいた方がいい。
ハーブティーを飲み干し、歯を磨いてきたニトロがベッドに入ると、睡魔は待ちかねていたようにすぐさま彼の瞼を下ろしにかかった。
カーテンを引き、部屋の明かりを落とした芍薬は、機械の体をマスターのベッドの向かいとなる壁際に座らせる。充電器のコードを首の後ろにつなぎ、アンドロイドのオペレーションシステムをスリープモードに移行させながら、芍薬は言った。
「オヤスミ、主様。良イ夢ヲ」
早くもまどろみながら、ニトロは微笑んだ。
「おやすみ、芍薬。良い夜を」
終