ウォーターメロン・オン・ザ・ビーチ

(第一部 [8] と第三部 [序] の間)

 雲の白も鮮やかに。
 輝く太陽。
 透き通る青空。
 砂粒細やかな白浜には穏やかな波がくつろいで、透明度の高い海にはエメラルドとサファイアが溶け込み、すっと続く白浜は沖に向かうに従いやがて消え、その先から外礁に向けては鮮やかなる珊瑚の彩り。
 嗚呼、常夏の島。
 ベタ凪にも近い水面に遊泳楽しむ人の姿はなく、雄大な海の鼓動が砂に波形を刻む音だけが浜に満ち、その安らかな潮騒は、白浜に影を落とすビーチパラソルの下、白砂より白いビーチチェアの上で膝を抱える少年のささくれ立った心を優しく温かく慰撫いぶしていた。
「だから努力の方向も方法もとにかく間違ってるってんだ」
 水平線まで島も大陸も船舶の影すらもない海原を見つめ、胸に残った毒を吐き出す。
 ニトロはひたすら海を見つめていた。
 おおらかに緩やかに寄せては返す波。南国特有の陽気な熱気。珊瑚の海を前にしながらTシャツにジーンズという出で立ちで、頬に流れる汗もそのままにじいいっと海を見つめ続けて……
 やおら、ため息をついた。
「おい、ハラキリ。いい加減起きろよ」
 傍らで砂浜に突っ伏している友に声をかける。
「…………」
 返事はない。
 ハラキリは気をつけの姿勢で倒れたままピクリともしない。
 ニトロはまた一つため息をついた。
 ――ティディアとの『漫才』。
 そのテレビ収録が彼女のスケジュールの都合で東副王都イスカルラで行われることになり、ニトロが観光気分で道連れを申し入れてきたハラキリとともに赤道越えて仕事場に向かったのが一昨日のこと。
 特に問題はなかった。南半球に二つある副王都の一方、東副王都イスカルラ……一つ歩けば一つ史跡に当たるアデムメデス最古の大都でティディアにあちこち連れ回されたこと以外は、昨日の収録で『王女様とその恋人』の生漫才を見るため抽選をくぐり抜けてスタジオにやってきたお客の受けもよく、そこでは何の問題もなかった。
 しかし、罠は、帰路にあった。
 仕事を終えた充足感を胸に空港に着いたニトロは予約していた有料待合室に向かい、その個室で予定の飛行機への搭乗時間をのんびり待っていた。
 ハラキリは、わざわざ自分で手配して待合室を予約しなくてもティディアにVIPルームを使えるよう手配させればいいのにと言ったが――そういうところを気ままに使うのはなんだか性に合わないし、それにティディアの息がかかると途端に安心できなくなる……そう答えるとハラキリは笑って部屋をふらっと出て行き、それから有名チェーンのコーヒーを買ってきた。これは安心して飲めるでしょう? と洒落じみて。
 ……油断していた。
 ティディアは用事があるからと自分達より先に東副王都を離れたため、全くもって油断していた。
 コーヒーを飲んだニトロはやがて気持ちよく眠りに着き、そして気がつくと、浜辺ここにいた。
 ――ビーチパラソルの下で、ビーチチェアに寝かされていた。
 周囲は狭い待合室などではなく、無限に開放された空間。眼前に暇潰し用のモニターは無く、代わりにそこにあるのは海。しかも珊瑚礁。
 景色も状況も何もかもが一変していた。
 いや、一つだけ、変わらないものがあった。
 白いタンクトップとロングタイプの海水パンツに着替えた、悪く言えば胡散臭い笑顔を浮かべる親友。
 どこに連れてきたんだと訊くと、彼はしれっと答えた。
『フォーナー島』
 それは赤道付近にある孤島。広大な王座洋スロウンにぽつりと浮かぶ王家のプライベート・アイランド。
「ハラキリ?」
 友達のくせしてを盛りやがった馬鹿野郎がその延髄を飛び回し蹴りで打ち抜かれ、今もこうして失神しているのは当然の結果なのだとニトロは思う。
「ハラキリ、おい」
 しかし、いつまでもこの状況を甘受し続けることはできない。もちろんこの件には共犯者がいるのだ。ニトロはビーチチェアから立ち上がり、ハラキリに苛立ちをぶつけた。
「ハラキリっ」
「……ああ、起きてます起きてます」
 ニトロがハラキリの肩を乱暴に蹴飛ばすと、砂浜に突っ伏したまま彼は教師から居眠りを指摘された生徒のように応えた。
「起きてますよ?」
「帰るぞ」
 ハラキリはむくりと起き上がった。彼は体や服についた砂を払い、それから後頭部をさすりながらしれっと言った。
「迎えは夜です」
「……」
 まったく、こいつはたまにこういう振る舞いをするのが本っ当に心の底から玉に瑕だ。
 ニトロは三度みたびため息をつくと、気持ちを整理するように息を大きく吸い、諦観込めて言った。
「どうせお前ら、ここで俺と何かをしないことには満足しないんだろうな」
「よくお解りで、あいたっ」
 一切の無駄なくあまりに見事な軌道を描いたニトロのツッコミ張り手を避けられず、ハラキリの頬がぱちんと快音を奏でた。
「あーもー分かったよ。ちゃっちゃと片付けてやるからさっさと説明しろ」
「『スイカ割り』というものがありまして」
 さっさと核心に入ったハラキリが口にした聞き慣れぬ単語に、ニトロは眉根を寄せた。
「何だ? また地球ちたま日本にちほんネタか?」
「ええ」
 ハラキリはニトロの険悪な視線を受け流すように軽くうなずき、
「そこの、まあ、祭事、みたいなものですかね」
「お祭り?」
 ニトロの眉間の皺がさらに深くなる。
「スイカを割って、その割れ方を見て吉凶を占うんだそうです。主に夏から秋に向けて良い天候が続くか、平穏か否か、豊作を迎えられるかどうか、と」
「……うん。何となく理解した」
 アデムメデスにも似たようなものがある。
 さすがにスイカを割って……というものを聞いたことはないが、人の作為の及ばぬ方法で何らかの形や紋様を作りそれをもって先々を窺う占いは、古来より全地域の所々で行われる祭りのメインイベントとして、あるいは個々人で楽しむものとして種類も様々に存在している。
 ニトロは少し離れたところに敷かれているビニールシートと、ビーチパラソルの根元に転がっている金棒を一瞥し、それらはそのためのものかと内心うなずいた。
「類似のものに『鏡割り』というものがあるそうなんですが――」
「鏡?」
「ええ。鏡に魔を封じて割り、そうして魔を払うというお呪いでもあるそうなんですけどね。でもこちらはそれだけで後の楽しみがなくて……ああ、来ましたね」
 ハラキリがビーチのすぐ側にある二階建ての簡素な建物――意識して見れば豪華な造りだ――の方角に振り向いて言った。
 つられてそちらを見たニトロは、ぎょっとした。
 視線の先には半身はんみで慎重に砂浜を歩いてくるヴィタがいた。
 王女の女執事はスポーティなタンキニの水着姿で、それは特に何の変哲もなく彼女に似合っていると思うが、それよりも何よりも彼女が抱えている緑色の大きな玉にニトロは視線を奪われた。
「何だあれっ」
 と、うめいて、すぐに彼はああと理解した。
 何だあれ、ではない。あの玉の姿形、間違いなくスイカだ。『スイカ割り』というならそりゃスイカが登場するのは必然のこと。普段目にしないその大きさについ理解が遅れたが、あれは……どこだったか、地域は忘れたがそこの特産として有名なアデムメデス一大きな実をつける品種のものだろう。たまに『今年一番の大きさのお化けスイカ』というニュースが流れることがあり、それで見るサイズに比べればまだ常識的なサイズだ。
「…………」
 そしてもう一つ。ニトロには理解することがあった。
 ヴィタが抱える果実はちょうど膝を抱き身を丸めた女性ならば隠れられる大きさで――そして女執事は、一人で歩いてきている。
「ハラキリ君」
「なんでしょう」
「オチが見えたわけなのだが」
 ハラキリは笑った。
「流石、理解が早い」
「どうせ割った後のスイカを食べるとご利益があるとか、そういう話なんだろう?」
「というより割ったスイカを食べ切るまでが『スイカ割り』です。特に割った者が責任者となって、絶対に全て食べ切るのが習わしだとか」
「……絶対に、ね。それにしても『私を食べて』とはまたベタな手だ」
「ベタは様式美にもなるそうですよ? 彼女によりますと」
 そんなことはどうでもいいと鼻で笑ったニトロの口元に陰惨な影が落ちる。
 ついそこまで近づいていたヴィタが、ぎくりとして足を止めた。
「ああ、ヴィタさん。そこに置いて。ハラキリからどうすればいいのかもう聞いたから。俺は何をすればいいのかも、よく解ったから」
 ヴィタが大玉を抱えたまま踵を返して逃げようとするよりも早く、ニトロは言った。その言葉には有無を言わせぬ力が込められていて、彼女は逆らうのは不利益だと判断したらしい。何も反論することなくスイカを慎重に砂浜に敷かれたビニールシートの上に置いた。
「あの、」
よぅく解ったから
 ヴィタが何かを言おうとしたのを、ニトロの静かな怒声が封じ込めた。

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