空から舞い降りてきた悪魔の姿は、もはや視界を大きく占拠している。明確に網膜を刺激し実像を脳髄の奥底にまで焼き付けてきている。
 スカートは完全に裏返り、丸出しの下半身で純白に輝くショーツ、すらりと伸びた足は雷神が投げ落とした白き槍か。
 それはサンルーフをするりと華麗なまでに抜けてきた。ニトロの傍らの空を裂いて、後部座席の床に突き刺さろうという
 その瞬間!
 ボンと大きな音を立てて後部座席に何かが弾けた。同時に韋駄天が急に高度を下げ、刹那の後に激しい衝撃が車体を揺らす。
 落下物を受け止めるために、その衝撃を和らげるために巧みに車体は操作されているようだった。だが、ニトロにはこのまま韋駄天が墜落してしまうように思えた。
 そしてあるいは死すらも覚悟した一瞬の後……
「ぅぉぉぁぁ……」
 閉まりゆくサンルーフの下で、ニトロは言葉を失っていた。その目は白黒として、えらいダイナミックに席に着いた女に釘付けとなっていた。
 女は風除けのゴーグルを外し、素早い動作で背負った空中浮遊具フローターを下ろしている。その足下には運転席下からはみ出た白い袋があった。見るからに弾力性に富んだ袋は次第に萎んでいく。知っている、衝撃吸収ジェルが詰まったアクシデント・バッグだ。さっき音を上げて弾けたものはコレか。つーかこんなものを仕込んできたってことはハラキリ共犯確定だなコンニャロウ。萎みきったアクシデント・バッグが収納され、何事もなかったかのように平時を取り戻した床にヒールを突き立てたアデムメデスの王女は、空いた助手席に装備品を放り捨てると身を乗り出しルームミラーを使って乱れた髪を整えて、最後にそそくさと身なりを確認するやちょこんとシートに座り直した。
 それから、どうしてか恥ずかしそうにミニスカートの裾を両手で押さえる。
 内股気味に足を閉じ、顔から耳まで赤らめて。
「……ぉぉぉ」
 愕然として言葉を失ったニトロを恨めしげに睨みやり、ティディアは唇を突き出した。
「パンツ、見たでしょ」
 気恥ずかしげにうつむいて、上目遣いの瞳を潤ませて、天から落ちてきたお姫様は蚊の鳴くような声でぽつりとつぶやいた。
「ニトロのえっち」
 ニトロの頬が、引きつった。
「見たからには、責任取ってよね。結婚よ」
 ニトロの眉目が、吊り上がった。
「結婚以外は認めないんだから。でないと訴えちゃうんだから」
「訴訟上等!」
「痛い!」
 スパンと頭を平手ではたかれたティディアは実に率直な悲鳴を上げた。
「何をさらすかこのHENTAI! 下手すりゃ俺を踏み殺す気か!」
「ちょ、ニトロ、『下手すりゃ俺は踏み殺されてたぞ』でしょ? ツッコミが言葉乱しちゃ駄目じゃない。それはそれで面白いけど手法としてわりと難易度 痛い!」
 ズパンと派手にビンタを食らったティディアはまたも率直な悲鳴を上げた。
「ひど痛い!!」
 ヅカンとでこ貫手ぬきてで突かれ、ティディアは額を押さえてようやく黙った。強烈ヒットで激痛らしい。ぷるぷる震えて痛みに耐えている。
「どぁぁましたな、ハラキリィ!」
 動きを止めたティディアから手を返し、ビッと指差し怒声を浴びせてくるニトロにハラキリはしれっと言った。
「騙してませんよ」
「ようし被告人その他意見の陳述はあるか! ないなら私刑!」
「別におひいさんが来ないとは言ってませんし、どうしてもニトロ君に会わせろってのも事実ですし」
「そうよー。私、どうしてもニトロと一緒にディ「黙っとれい!」
「はい」
「で!? 他に言い分は! ないなら判決痛くぶっとばーす!」
「これぐらいの『友達』の頼みなら聞いてやりませんと」
「え、友達? コレが?」
 物凄く胡散臭そうにニトロがハラキリを差していた指をティディアにずらすと、彼女は頭を掻いてえへへと笑った。
「ええ。表向きでないのなら、多分二人目の」
「多分じゃないわー。私、ハラキリ君の友達ー」
 ぐっとサムアップするティディアに、ハラキリがサムアップを返す。
「……友達……」
「ええ。友達。特に欲しいとは思っていませんでしたが、いるならいるで楽しいですね」
「私も楽しいわー」
 ティディアが差し出してきた右手をハラキリが取る。二人はぐっと力を込めて握手を交わした。
「…………」
 なんか、妙に毒気を抜かれてしまった。
 ニトロは嘆息をつきながらシートに体を沈め、ついさっきティディアが通過してきた天井を眺めた。
「『友達攻撃』はさ……反則だと思うんだ」
「ああ、そうすると。友達ってとても便利だったんですねぇ」
 感嘆した風に言うハラキリを、ニトロは半眼でひたりと見据えた。
「次はないぞ。次は反則負けだ」
「心得ました」
 ハラキリが本当に心得たのか疑わしい笑みを浮かべて運転席に座りなおすと、韋駄天が停まっていた車を発進させた。向かう先はどうせティディアが手配した店だろう。ニトロはふと身を寄せようと近づいてきているティディアに気づいて、睨みつけた。
「私、ニトロの友達じゃない?」
「俺はお前の友達っつー覚えはない」
 びかりと怒雷いかずち閃く瞳に射抜かれ冷たくあしらわれても、ティディアは負けじと言う。
「あら、『映画』の後『とりあえずは友達から』って言ってくれたじゃない」
「言ったけど、お前その『とりあえず』にも届いてないぞ。ってーか例え友達だったとしてもな、お前これまであれだけ嫌がらせしておいて――」
「嫌がらせ違うわ、求愛行動よぅ」
「い・や・が・ら・せ、しておいて未だに『友達』でいられると思ってんのか?」
「私、そろそろニトロのお友達から卒業したいって思っているの」
「そりゃ大歓迎だ。旅立ったらもう二度と戻ってくるなよ」
 なおも言葉を返そうとするティディアからつれなく顔をそむけ、ニトロは機嫌良さげにルームミラーを見つめているハラキリに言った。
「食事をするところ、美味しいって言ってたよな」
「ええ、味には定評がありますよ」
 ティディアがそっと伸ばしてきた手をニトロは鬱陶しげに払った。仏頂面で続ける。
「それなら余計に、誰と食べるかってのも重要じゃないか?」
「あらひどい。それって私と一緒じゃ不味くなるってこと?」
「そう言ってるんだ」
 ニトロの気分を害しているのは、ティディアが横にいることだけではあるまい。普段彼女に絡まれている時よりずっとむくれているのは、彼は友人に『はめられた』と思っているからだ。
(……ふむ)
 ハラキリはぎゃーぎゃー後部座席で言い合う二人を鏡越しに眺めながら、腕を組んだ。
(ドツかれずには済んだけど、も……)
 実を言えば、ティディアの企てに協力したのはニトロのためでもあった。もし、自分が協力していなければ、ニトロはディナーを彼女と二人きりで楽しむことになっただろう。彼女の計画で吃驚びっくりする彼と、仰天後の二人のやりとりが面白そうだと期待していなかったと言えば嘘になるが、一応彼を助けようと思っての選択であったことに偽りはない。
 それを伝えればニトロは機嫌を直すだろうか。
 それとも、言い訳だと思ってさらにへそを曲げるだろうか。
(まあ……)
 どちらでもいい。
 どちらとなるか、確かめる必要もない。
 誤解されたまま残念な思いをしてみるのも、友達付き合いの醍醐味だろう。
「おいハラキリ!」
「はあ」
 いきなり怒声を浴びせられて、ハラキリは生返事と共に振り返った。
 ニトロは隙あらば近づこうと尻をスライドさせてくるティディアの肩を腕で突っぱねている。そのせいでティディアは上半身をえらい角度で傾けているが、そんな状態でもニトロと絡めているのが嬉しいようでへらへらと笑っている。諦めずじりじり押し込んでいる臀部でんぶがニトロに到達するのも時間の問題だ。
 ある意味、微笑ましい光景だった。
 しかしニトロはたまったものではない。
「早いこと店に行ってくれないかな!」
「と、申されましても。一応飛行車スカイカーにも法定速度というものが」
「ニトロ、大丈夫よ。すぐに私といることに慣れるから。一緒に食事を美味っしく楽しめるようにもすぐになれるから」
「慣れたくないしなりたくもないからとにかく速く! 韋駄天GO!」
「ワリ、断ル」
「何で!?」
「そりゃマスターの命令じゃなきゃ聞くわけないじゃない」
「ええい、何だそのしたり顔はティディア! ハラキリ!?」
「お断りします」
「だから何でだ!」
「だから、法定速度というものが」
「普段から法律違反てんこもりのくせして今さらそんなん気にしなくても!」
 これは程よくテンパってきたなと、いつものニトロなら言わないことを口走る姿にハラキリは苦笑した。
「なればこそ、小さな違反から『芋づる』になるのは御免ですねぇ」
「それじゃ俺のせいにしていいから!」
「自滅は愚行よー」
「バカが言うな!」
「それに」
 相変わらず体を傾けたまま、ぴっと人差し指を立ててティディアが言った。
「急いで『ラッカ・ロッカ』に行ったところでどうせ予約時間まで待つことになるんだから、のんびりドライブ楽しみましょうよう」
 ニトロの眉根に深い皺が刻まれた。
「ん? 今、何てった?」
「何が?」
 聞かれたティディアが質問を返す。
「だから、店名」
「ああ」
 うなずいて、ティディアは立てた人差し指を得意気に振った。
「『ラッカ・ロッカ』。特別なコースを用意させてるから、楽しみにしててね」
「ラッカ・ロッカ?」
「そ」
「……」
 ニトロは沈黙した。瞳を宙に泳がせて、記憶の底から聞き覚えのある店の情報を掘り出している。
 彼の様子を黙って見つめるティディアは、彼がどのように驚いてくれるかという期待に瞳を輝かせている。
 一人少しだけ距離を開けて、後部座席の光景を眺めるハラキリは内心うなずいていた。
 これで彼女との約束は果たした。ここからは適当にニトロの味方をしつつ、『ニトロとティディア』を楽しむとしよう。
(それにしても)
 思えば自分のポジションは、本当に特等席だ。
「……ラッカ・ロッカ……」
 ニトロがぼんやりとつぶやく。
 ティディアの瞳が輝きを増す。
 そして――
 その双眸が、かっと見開かれた。
「ララらラッカ・ロッカぁ!!?」

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