偶然 必然 愕然

 アデムメデス王城は最寄りの地下駅から副王都セドカルラへ延びる線に乗り、鈍行で二十三、快速で七つ目の停車駅。
 王都ジスカルラ外縁の地区、田園風景広がる中にある街、ウェジィ。
 その地下駅から地上に出れば、目の前には郊外の街とは思えぬ煌びやかな景色が広がる。
 広い土地を有効に使いたくないと設計されたような片側一車線の車道を、車道の広さから考えれば不相応に広い石畳の歩道が挟むメインストリート。
 街は昼も夜もまばゆい。何億何万と踏まれたことですっかり磨かれた石畳に立てば、どこを見てもショーウィンドウの中で輝く星光が目に飛び込んでくる。
 そしてその煌めきを身に纏い道に軒を連ねるのは、いずれも哲学を込めた美意識を洗練された空間として削り出した店々だ。
 例えブランド物に全く興味のない者でも、道を歩けば必ず耳目に触れたことのあるショップをすぐに見つけられるだろう。
 この街は今からおよそ六百年前、当時最も支持を受けていたジュエリーブランドが工房を移してきたために興った、アデムメデス全域の中でも有数の由緒ある宝飾品の街だ。
「んー」
 背後を通り過ぎていく困惑の笑い声とそれに絡みつくねだり声を耳にしながら、彼女は有名なブランドショップのウィンドウを覗きこんでうなっていた。
 しばらく眺めた後、どうにもピンと来るものがなくて首を傾げる。大振りの鳥打帽キャスケットのつばの影で、整えられた眉が形を崩した。
ティナ
 ため息混じりに肩を落としていたところに声をかけられて、ティディアは緩慢に振り向いた。
 チャコールグレイの毛並みにマリンブルーの瞳を持ち、イヌの起源を現した獣人ビースターが涼やかな足取りで近づいてきていた。
「良さそうなの、あった?」
 ポシェットの肩紐の位置を直すティディアの問いに、獣人は軽く横に頭を振った。
「どうもピンときません」
「私もよ」
 店を回り始めてから、かれこれ二時間は経っている。何軒も渡り歩いて目的に合う品を探してきたが、未だにこれといったものに巡り合えていない。らちが明かないのでヴィタと二手に分かれて探してみたものの、結局成果はなかった。
「ですが、良い匂いをみつけました」
 これはどうしたものかと腕を組み、再びウィンドウを覗いていたティディアはヴィタの言葉に目を戻した。
「『彼』の匂いです」
 そう言ってヴィタは面白そうに、素敵な発見をした鼻を上向かせる。
 ティディアは存外意外な報告を持ち返った執事を驚きの目で見つめ、
「……へぇ」
 やおら、嬉しそうに微笑んだ。

 自宅は最寄りの地下駅から王都ジスカルラセンターターミナルに出て、そこから副王都セドカルラへ延びる線に乗り、鈍行で三十四、快速で九つ目の駅――ウェジィ。
 青々とした農地広がる平野の地下にある駅から空の下に出れば、目の前には歴史を感じさせながら近代的に磨かれた街が広がる。
 時に大昔ながらの馬車が観光客を乗せて走る車道に比べてやけに広い歩道では、大勢の買い物客が歩を進め、あるいは足を止めて店々の品に魅入っている。
 太陽が出ているうちは空から消える星が全て、まるで骨休めにここに下りてきているような風景がこの街にはあった。
 空気にすら価値が溶け込んで、この街にいるだけで金貨に触れ続けている気さえする。
 ここは今からおよそ六百年前、当時最も売り上げを伸ばしていたジュエリーブランドが王都の客を取り込む経営戦略の拠点とし、当時の女王の寵愛を受けて発展した宝飾の商都だ。
「え? 風邪?」
 メインストリートから路地に入ると、そこには表通りとは違い有名なブランドショップはなく、新鋭の宝飾店やカルトな人気を誇る個性的なショップが戸を開いている。
 それらを目当てにした客らの間をすり抜けながら、携帯電話を耳にニトロは裏通りをのんびりと歩いていた。
「あ、そうなんだ。そっか、で? 彼女だけでも来るのか? ……そりゃ良かった、じゃあ何だか俺は邪魔だね。ははは、……うん? ああ、俺は大丈夫。もうこっちにいる。うん。時間は勝手に潰しとくから気にすんな。それじゃ、あ、そうだ。今日は青いカラコン入れてるから。そう青い瞳になってる。――おう。じゃあ、また後で」
 通話を切った携帯電話で時刻を見て、友人達との待ち合わせまでの余裕を確かめる。
(あと二時間)
 少し予定していたより遅く着いたが、目的を果たすには十分な時間がある。
 ニトロの足は一向にメインストリートから離れ、どんどん人気のない道へと入り込んでいた。少し大きな裏道に出て、またさらに中心街から離れて行く。
 前期長期休暇も半ばとなり、先日今年一番を記録した暑さも今日は穏やかに鎮まっている。
 星間旅行がぽしゃったニトロは、休暇中ずっと暇を持て余していた。
 ハラキリはまだ帰ってこないし、遠出をするにはティディアの追跡が恐ろしく、仕方がないから暇潰しに学校の宿題をあらかた済ませて……そのせいでさらに暇を持て余していたところに、一昨日、クラスメートから『デート』の誘いを受けた。
 まあ、デートといっても誘ってきたのは男の友人で、聞けば隣のクラスの女子を誘いたいから手を貸してくれとのことだった。
 聞けば、自分のことを『出汁だし』にしたと言う。
 『ニトロ・ポルカト』として有名になってから自分のことを『出汁だし』にする申し出を幾つも受けてきたが、ほとんどが嫌になるほど大人の卑しさが溢れ出ているものであったのに対し、その申し出は随分可愛らしいものだった。
 第一、なかなか恥ずかしくて彼女に声をかけられず、やっと声をかけられたのはいいが話題にできるものが『ニトロ・ポルカト』のことしかなかったと情けなく言うから堪らない。彼女と仲の良い友人が『映画』のファンだそうなので、それを口実にグループデートをつい申し込んでしまったそうだ。
 そして『ニトロ・ポルカト』が来るならオーケーと、条件付で約束を取り付けた。
 それを聞いたときニトロは大笑いした。
 友人が彼女に気があることは知っていたし、彼の性格から考えれば一世一代の大勝負に出た結果がそれだということが容易に想像もできた。
 何より、自分はアデムメデス一厄介な奴に目をつけられて色々と大変だから、まさに青春を謳歌している友人が羨ましくあったのもある。
 ニトロは、彼の申し出を受けることにした。
 その約束の『デート』が今日。舞台はこの街からもう少し郊外に出たところで開かれる花火大会だ。
 ニトロの周りにはもう人も薄れ、メインストリートでは隙間もないほど並んでいた店の明かりは飛び石のように離れている。
 このままもう少し行けば、工房やそこに勤める人々のアパートがひしめく地区に出るだろう。ニトロがいるのは心惹きつける中心街の外れ、しかし生活の中心からはまだ距離のある、街と町の谷間だった。
 ――目的地は、もう少し先のはずだ。
 『記憶』を頼りに角を曲がると、ふと見覚えのない店が目を引いた。
「…………」
 工房ともアパートともつかない建物の一階にある、まだ初々しい店。シックな調子で、派手さはないがセンスの良さを感じさせるこぢんまりとした内装が、外にアピールするにはいくらか小さい窓の向こうに見える。
(ふぅん)
 良い店かもしれないと、直感に思った。
 窓際のシンプルなディスプレイの中で、可愛らしさと品の良さが同居しているアクセサリーがキラキラと輝いている。
 店内には中学生くらいの……自分の子どもだろうか、よく似た娘と話している中年女性がいる。戸に吊るされたネームプレートに達者な文字で『レドリ』と書かれていた。
(ちょっと、覚えておこうかな……)
 そう思いながら店を通り過ぎ、ニトロはさらに歩を街外れへと進めていった。
 彼の目当ては、一軒の古びた食堂だった。
 三年前だったか、父に母へのプレゼントを買いにここウェジィに連れてこられたことがある。
 朝一番からこれでもないあれでもないと母に似合う、それでいて予算に見合うアクセサリーを探し歩いて足が棒になり、一息つこうと飲食店に入ろうと思っても、そう思った時はすでに中心街から外れていた。
 周囲に店もなく、探すのも億劫おっくうだとメルトンに店舗情報を調べさせ……面倒臭がるメルトンの尻を蹴っ飛ばして調べさせて、ようやく辿り着いたのが『ウェジィ食堂』という店だった。
(あん時は随分歩かされたっけなー)
 メルトンには最も近い店と言ったのに、ナビゲートされた距離は相当長かった。変だと思い帰宅後に改めて調べてみれば、案の定メルトンに検索を頼んだ位置から一番近い飲食店はそこではなかった。
 それがばれた瞬間メルトンは土下座してきて、ニトロはひねくれ者に育ってしまったオリジナルA.I.を叱り飛ばしたのだが――内心では、感謝をしたものだった。
 感動は驚きの記憶と共に刻み込まれている、隠れた名店というものに出会ったのはその時が初めてだった。
 以来、気軽に来るには遠い場所にあるから、この近くに用事がある時には必ずその店で食事をしようと決めていた。
「あれ?」
 『レドリ』から三つ目の四つ角で、順調に進んでいたニトロの足が止まった。
 確かここらへんに前衛的なデザインを売りにしたアクセサリーの店があり、その手前の交差点を左に折れねばいけないのだが、肝心の店舗が見当たらなかった。
 まだ行かないといけなかったか……いや、道の先を眺めてみても目印がある気配はない。それに記憶も、これ以上進んでも意味はないと言っている。
「うーん」
 まあ、この街において店の入れ替わりの激しさは折り紙付きだから、なくなっていてもおかしくはない。
 もっと違うものを目印にしておくんだったと思いながら、ニトロはとりあえず、目の前の角を左折した。

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