彼女は地べたに座るとスリットから脚を突き出し、あぐらを組んだ。そして、ふくれっ面でニトロを睨む。
 アスファルトを転げたせいでストールとドレスの繊細な生地は汚れて、傷だらけになっていた。見た目ボロボロな王女は、しかしそれは全く気にしていないようで、ただニトロの仕打ちが気に食わないようだった。
「角はなしよ、やっぱり。痛すぎるからせめて面にして欲しいわ。ああ、でもそれよりハリセンとかスリッパとか、基本的に平手なんか推奨なんだけど、どうかしら」
「どうかしら、じゃねぇわ。そんなん使ったら本当にドツキ漫才だろ、御免被るよ」
「それを希望してるのに」
「却下だ。俺はお前と漫才する気はないの」
「いけずー。
 大体、何でニトロがこんな所にいるのよ。学校はどうしたの?」
「サボった」
「駄目よ、そんなの。ニトロらしくもない」
「誰のせいだと思ってんだ。最近、本当に胃炎になりそうで……」
「いい医者手配しようか?」
「結構。どうせ全身麻酔とかかましてくる気なんだろ」
「な……なぜそれを! あっ、待って! トレイはもうお腹一杯! 角は嫌!」
 両手を差し出しイヤイヤをするティディア。
 その様子に毒気を抜かれて、ニトロは振り上げたトレイを下ろした。
「つーかな、お前こそ何をいきなりこんな大掛かりな迷惑行為をしようとしてんだよ」
「やー、ほらさ。ちょっと前に喫茶店で会ったじゃない?」
「会ったねぇ。……まさか、そん時の?」
「あ、覚えてた? そうそう。だから久しぶりにちょいと暴れたくなってさー。
 折角さっきまで怯え顔にゾクゾクきてたのに。なーんか中途半端だわ」
 そのセリフに、未だ非常線内にいる元犠牲者達からブーイングが起こった。
「うるさい!」
 それをティディアが一喝して黙らせる。
 覇王の暴威を、彼女は失っていなかった。
 その声を聞き姿を見る者の心を直接鷲掴む威圧が、この場に痺れるような緊迫感を再びもたらした。
「うるさい、じゃねえわ、この変態」
 しかしその最中さなかで、ニトロだけは平然としてティディアに言う。
 その姿は、傍から見れば後光が射しているようであった。
 もちろん、もし以前のニトロであれば、ティディアが放つ暴君の圧力に自然と屈していただろう。
 だが今、彼は完全に彼女に対抗している。
 互角に、あるいはそれ以上にやりあっている。
 それはニトロにとっては、単にティディアへの対応の仕方を『映画の一件』で会得させられた結果でしかないのだが、しかし周囲の目には、ニトロがクレイジー・プリンセスを抑えられる特別な存在なのだと映るのは至極当然のことだった。
 ニトロは、観衆の自分を見る目になんだか妙な雰囲気を感じたが、残念ながらそれ以上気にかけることはなかった。
 現状を正確に把握するだけの自覚がないのだ。
 自分が、特別だなどとは、全く思っていないがために。
「変態だなんて、照れちゃうわ」
 言いながら立ち上がり、ティディアは抑えきれぬ満足感を誤魔化すために、笑顔を目一杯へらへらと緩ませた。
 ニトロが出てきたのは誤算でしかなかったが、まあ、これで結果オーライだ。
「変態言われて照れるなんて、真性じゃないか。だったらお前が裸踊りでもすりゃいいだろう」
「あら、酷い」
「何が」
「だって私の生まれたままの姿はあなただけのものなのに! あの時私、そう言ったじゃない? あなた嬉しいって言ったじゃない!」
「殴るよ、また殴るよ!? そういうホラ吹くなら今度は目の間の骨を打ち抜くよ!?」
 ニトロが一歩踏み出すと、ティディアは俊敏な動きで間合いを広げた。
 キーッと叫んでバカ姫を追いかけたい騒動を、ニトロは懸命に堪えた。落ち着けと己に言い聞かせる。相手はいちいち確信犯だ。ほぅらあいつは間合いを広げておきながら待っている。ここで追いかけりゃ結果はきっと夫婦漫才。
「そもそもさ、他人に強制するんじゃないよ、こんなこと」
 彼は、そうはいくかと、代わりにビシッと暇そうにしているサイケ集団を指差した。
「この人達にだって無理矢理やらせてんだろ? こんないかれた格好」
「お給金払ってるわよぉ。正当な契約書交わした同意の上よぉ」
「え? マジ?」
 サイケ集団に問う眼を向けると、皆で同時にニッと笑ってうなずきを返してきた。その光景にニトロはちょっとびびった。不気味なほど見事に統制の取れた動きだった。
 どうやらこの集団、何らかの訓練を積んだ者達らしい。考えられるのはプロのモデルやダンサー、それとも劇団員といったところか。
「な、なら良し!」
 とりあえず力強くニトロもうなずいて、サイケ集団に向けていた指で改めてティディアを指す。
「ともかくだ、やるなら無関係の皆様巻き込まず!」
「えー? 無関係だから成り立つ企画なのにー」
「なのにー。じゃねぇわ、だったら根本から練り直せよ! 何も全裸になれってんじゃないならお前だって問題ないんだろう? だったら役者は揃ってる。天下の往来、他星たこくにも名が届くミッドサファー・ストリート。そこでいかれた集団引き連れ下着姿で踊りまくる第一王位継承者なんて、十分前代未聞じゃないか」
「あ、それもそうね」
 意外と素直にティディアが承知して、はたとニトロは気がついた。
(あれ? なんか俺、とんでもない方向に事を進めてないか?)
 ティディアの蛮行を止めに来たはずなのに、どこでどう言葉の選択を誤ったのか、いつの間にかティディアに愚行を提案しているような気がする。
 いや、落ち着いて考えてみれば、『ような』じゃなくてまるきり『そう』だ。
 これではまるで、自分まで Withバカ姫の仲間たちではないか。
「…………」
 ニトロのティディアを見る目に恐れが混じる。
 その眼差しに気づいた彼女が、口角を悪魔のように引きあげる。
 彼は――戦慄した。
「ニトロがそこまで言うなら、私、従うわ
 気がつくのが遅すぎた。
「いやちょっとストップ前言超撤回!」
 早速ドレスを脱ごうと、まずはハイヒールを脱ぎ捨てるティディアに彼は慌てて叫んだ。
「やっぱりこんな往来で下着姿なんて恥ずかしいことだと思うんだ。
 それも一国の王女がそんなことするなんて明確に間違ってると思うんだ。
 こういうことは一種独特の価値観を持っている方々の専売にしておくべきことだと強く強く思うんだ」
「んー、だから面白いんじゃない?」
 ストールを放り捨て、パーティードレスの肩紐をずらしながらティディアは言う。
 本気だ。本気で踊り出す気だと、ニトロは焦った。
「つーかお前は恥ずかしくないのか!? だから人にやらせようとしてたんじゃないのか!?」
 本末転倒だと解りながらも必死にわめくニトロに、ティディアはにんまりと笑った。
「このティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナ! 見られて恥ずかしい下着を身につけたことなぞ一度たりとてないわ!」
 朗々と宣言し、ティディアが勢い良くドレスを脱ぎ放つ。
 衣の下から現れた白肌に歓声が沸き起こった。
 ドレスと同じ黒のストラップレスブラとショーツ。肌とのコントラストが太陽の下に映え、絹でできた磁器のように美しい乳白色が、よりいっそう輝いて見えた。
「……ああ」
 ニトロは膝から崩れた。
 今夜のニュースが目に見える。ていうかこれからしばらく他の星からも笑い声が聞こえてくるのが目に見える。
 見出しも解るさ。どうせティディアとのカップリングで名前が載るさ。
「いつでも私は勝負可能よ! だからニトロ、いつでもカマン!」
 ビシッとポーズを決めて、ティディアが雄叫ぶ。
 ニトロは顔面から地に突っ伏した。
 倒れる間際、ヴィタが最先端のテレビカメラを構えているのを目にして、せめて顔が映らぬようトレイで隠しながら倒れこんだ。
「ミュージック、スタッ!」
 上機嫌なティディアの声がやけに大きく聞こえてくる。
 ニトロは、現実逃避に歌を口ずさんだ。
 流れ出した奇妙な音楽が耳に入るのを拒否するように。
 ティディアへの歓声と、それに応じる掛け声を、拒絶するように。

 で。

 サイケデリックな集団が、絶対トんでる頭で作っただろって曲に乗って踊り回り。
 その先頭で、ドレスを脱いだ美貌の王女が魅惑のダンスを披露する空間は、やがて異様な魔力を醸し出し。
 集団催眠的な群集心理、そこに参加せねばならないという脅迫感。
 ついにはティディアに捕まっていた元犠牲者達から無関係の野次馬達まで、服を脱ぎ捨て踊り出し。
 深遠なる陶酔、完全なるトランス。
 中には素っ裸になって奇声を上げる者まで現れ出して。
 まともなのは離れ遠巻きに混沌見守る人間か、ヴィタをはじめとする撮影チーム。
 それから……ニトロだけ。
 しかしてニトロだけは集団の中心にあってただ一人理性を保った異端であり。
 異常な一体感に包まれたその中で、異端が受け入れられる寛容は無と消えて。
 あろうことか、クレイジー・プリンセスの魔の手から守ったはずの犠牲者たちがニトロの服を剥ぎ取ろうと襲い掛かり。
 便乗してティディアもニトロに襲い掛かり。
 ニトロはトレイを武器に大立ち回り。
 無限ループの曲の中、薙ぎ倒されても薙ぎ倒されても恍惚ゾンビとその王女、ニトロをとにかく追い回し。
 やがてニトロを満たすはアドレナリン。
 やがてニトロを満たすは脳内麻薬エンドルフィン
「うぅぅぅぅ……ぅをんぱサーーーーッ!!」
 そしてうねり蠢く極彩色の渦の中。
 後に『トレイの狂戦士』と畏怖と共に語られる伝説が、魔女の宴に終焉もたらさんと咆哮上げて――
「ぅを、ぅを、ぅを ぅをんぱサーーーーーーッッ!!」
 降臨した。

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