『映画』の影響で行けばまだ騒ぎになる学校をサボり、暇潰しにミッドサファー・ストリートの
思ったより琴線に響く作品に多く出会えて、気分が良かった。
特に気に入った
「……?」
ふとニトロが違和感を覚えたのは、サンドイッチを食べきった頃だった。
にわかに店内が騒がしくなってきている。元々静かな店内ではないが、その騒がしさは普段のものとは明らかに異質だった。
戸惑いの声が目立つ。
誰もが店外に目を向けていた。
ニトロも倣って外を見れば、通りを行く人々が慌しく一斉に同じ方向に歩いていた。早足で、中には、明らかに走って。
「なんだろう」
ぽつりとつぶやいたのは、ニトロだけではなかった。
何かとんでもないことが起こるような気配に、店内の騒がしさが緊張を帯びてくる。
ニトロはパンフレットを鞄に仕舞い、サンドイッチの後味を流そうとジュースの残りを一気にあおった。
その時だった。
店内に入ってきた男性が、待ち合わせていたらしい女性に向かって叫んだ。
「おい! ティディア姫が出た!」
ニトロの鼻から、一筋のジュースがこぼれた。
ミッドサファー・ストリートの一角に、黄色いロープで非常線が張られていた。
非常線の中には50人ほどの若い男女が不安と不満に満ちた顔で蠢いている。中にはロープの外へと脱出を試みる者もいるようだが、しかしすぐに武装した兵に察知され、結局非常線から誰も抜け出そうとすることはできない。
遠巻きにそれを見つめる人だかりは、自然と大きな間隔を非常線から開けている。それは自分たちまで捕獲されないための、本能的な境界線を描き出しているようでもあった。
「ほらこっちよー!」
拡声器を通した声が道に響き、一斉にそちらへ視線が動いた。
そして誰もが、絶句した。
封鎖されたミッドサファー・ストリートの車道を、非常線に向けて黒点に導かれたサイケデリックな色彩が波を打って押し寄せてきていた。
頭髪を綺麗に剃り上げ全身の肌を極彩色の迷彩柄に塗りたくっている、全員一様の姿をした集団が、まるで集団一つで一匹の巨大な生物であるかのように一糸乱れもなく練り歩き非常線に迫っていた。
どれも女性だろうか。
「はいストーップ!」
その人数はおよそ200を下るまい。老若問わず、よく見ると女性だけではなく、女装した男性も混じっているのが分かった。
カオス。
そんな言葉が、見る者の心に浮かぶ異様な光景だった。
「……えー、さて」
集団の先頭に、
それが、非常線の前にやって来ると、囚われた人々へ拡声器を向けた。
「あなたたち、服を脱ぎなさい」
悲鳴とも歓声ともつかない声がミッドサファー・ストリートに響き渡った。
非常線の中の女性たちは泣きそうな顔で抗議の声を上げている。外側からは、同情するような、歓迎するような声が上がっていた。
「うるさいわね。黙りなさい」
不機嫌な声で、ティディアが言った。
その声には強烈な支配力があった。逆らってはならないと思わせる、覇王の暴威とでも言うべき恐ろしさがあった。
瞬時に通りは静けさに包まれた。
クレイジー・プリンセス――その脅威が、場を支配する静寂の中心で尊大に佇んでいた。
「何も全裸になれってんじゃないわ。下着姿でいいから」
拡声器を傍に控える執事に渡し、ティディアは右手を天にかざした。その手は開かれ、爪の輝きも美しい五本の指を誇示している。
「いい? 五秒以内に脱ぎ出さないと、別のこと用意しちゃうわよ」
今度は、純粋な悲鳴だけが非常線の中から上がった。
だがティディアに容赦はない。指を一本、折る。
「はい、5! はい、4! はい、3! はい、」
「阿呆」
ズガン!
と、自分の頭頂部から凄まじい音が生じた時、ティディアは何が起こったのか解らない顔できょとんと呆けた。
だがそれも刹那のこと。瞬時に、彼女は、襲われた。
「っふぁあああおおおお!?」
頭蓋骨を砕かんばかりの、も・すんごい激痛にティディアは頭を抱えてのた打ち回った。悲鳴を上げ、無様に地を転げ回り涙を流して、悶絶した。
「まったく……」
背後からクレイジー・プリンセスを止める一撃を放った少年は、ファストフード店から借りてきたオレンジ色の長方形、わりと肉厚で頑丈なトレイを脇に仕舞い、非常線の中に目をやった。
誰もが息を飲んでいた。
突然ティディア姫の背後に現れ、あろうことかその御頭をトレイで殴りつけた少年。とんでもない暴挙が行われた戦慄に場が凍りついたが、やおら時が進むに連れて、彼があの『ティディアのロマンス』の相手だと気づく者が現れ出した。
あの――ラジオ出演の折には姫様の頬を拳骨で抉り、映画の舞台挨拶の折には次期女王にパイルドライバーを繰り出した、ニトロ・ポルカト。
クレイジー・プリンセスを、
どよめきが波紋のように広がっていった。
中でも服を脱ぎかけた憐れな犠牲者達は、救いの主に希望に満ちた瞳を投げかけている。
ニトロは気恥ずかしさに頭を掻きつつ、言った。
「災難だったね、もう帰っていいよ。兵隊さんたちも止めないようにね」
「あの……」
「ヴィタさん、止めたら怒るよ」
「ですが、姫様の命令を無視するわけには参りません」
「怒るとティディアがまた痛いよ。それなら言い訳もつくだろ?」
ニトロはそこで背後のヴィタに顔を向けた。
するとヴィタは彼の配慮に苦笑いを浮かべて、早速代行として兵に命令の変更を行った。
非常線が解かれ、歓声と共に犠牲者達が解放される。
しかし、解放されて歓声も上げていると言うのに、誰もその場を動かなかった。
唯一と言ってもいいティディアに対抗できる人物の登場に、安堵しきっている。ミッドサファー・ストリートには、また違った意味での緊張感が満ち始めていた。
それはまさに、『期待』だった。
「痛いじゃない!」
ようやく耐えられるだけの痛みになったのか、それでも頭をさすりながらティディアが叫んだ。立ち上がり、ニトロに詰め寄り、涙目で。
「いくらなんでも痛すぎるわ! 角でしょ、絶対角で殴ったでしょ!」
「あー、そうだよ」
「非道いじゃない! 角はないわよ角は! せめて拳骨で殴ってくれたらもうちょっとリアクションも考えられたのに!」
「考えるなよ、素で十分だンなもん」
「とりあえず撫で撫でして! 痛いの痛いの飛んでけってして頂戴!」
「ってーか随分余裕があるなオイ」
頭を差し出してくるティディアをニトロは半眼で見つめた。
「とりあえずってんなら、まずこの状況を説明してくれないかな」
「そしたらしてくれる?」
「一応考えてみる」
「えーっと」
ティディアはまず車道を埋めるサイケ集団を指差した。
「これが踊りまくるじゃない?」
「ああ」
「で」
と、今度は非常線内を指差す。
「これを下着姿にひん剥いてその中に放り込んで、踊らせるの」
「ほう」
「初めは恥ずかしがる連中が多いだろうけど、周りが現実離れしてるでしょ? しかもこんな色彩の連中が踊れ踊れと踊りまわってるわけよ。そんな中に酷い緊張状態で放り込まれるんだから、精神状態はきっと自己防衛的にハイになっていくと思うのね。そうしたら段々
「……なんだ? じゃあ、心理学か何かの実験でもするつもりだったのか?」
「そんなのがこのミッドサファー・ストリートで繰り広げられたら絵的に面白そうじゃない?」
「…………」
ニトロはちょっと首を傾げた。
「それだけ?」
「ついでにカメラ回して、映像的にも面白かったらどっかのコンクールでも
「……それだけ?」
ティディアは、自信を見せつけるように胸を張った。
「そうよ!」
ヅガン!
と、自分の頭頂部から凄まじい音が生じた時、ティディアはいつニトロがトレイを振り上げて落としてきたのかと、きょとんと呆けた。
だがそれも刹那のこと。瞬時に、彼女は、襲われた。
「っはひょぉぉおおああああ!!」
さっきと同じ箇所をピンポイントで打たれた、も・すっさまじい激痛にティディアは頭を抱えてのた打ち回った。悲鳴を上げ、無様に地を転げ回り涙を流し、うめき悶えてやがて動かなくなった。
「……ぉ……――――」
頭を抱えてうつ伏せに、ぴくりともしないティディアを見ながらニトロは眉間に刻んだ皺を指で叩くと、ヴィタに渋面を向けた。
「止めなよ。こんなバカなこと」
「面白そうです」
「オーケー。言う相手が間違ってた」
ちらりと兵に目を向ける。
ティディア直属の証をつける兵達は、一斉に素晴らしい動きでニトロから顔をそむけた。
ニトロはため息をつき、痛みが引いたか寝転ぶことに気が済んだのか、むくりと体を起こすティディアに目を戻した。