時を追うに連れてルローシャットカフェは混乱に包まれていき、さすがに押し寄せてくるファンだか野次馬だか賑やかしだか分からない人数を捌ききれなくなったニトロは、ティディアと共にヴィタに抱えられて逃げだした。
 ニトロが驚愕と戸惑いに悲鳴を上げるのをよそに、ヴィタは非常階段を恐ろしい速度で駆け降り追っ手を振り切って、
「主様、早ク!」
 地下駐車場に逃げ込むなり非常階段口に芍薬が横付けてきた車にニトロとティディアは投げ込まれ、最後にヴィタも飛び乗るや、アクセルフルスロットルにビルを後にした。
 そして――
 ニトロがようやく安堵の息をつけたのは、ティディアとヴィタを王城の近くで降ろし、家に帰ってからだった。
 ベッドに倒れこむと、マットから洗い立ての匂いがした。ティディアの突入の後片付けに業者が来たそうだから、そのためだろう。
「はあ……」
 深いため息をつく。
 頭の中はルローシャットカフェでの出来事で占められている。
 こうなってしまったら、もうおいそれとあの店に行くことはできない。憩いの場を一つ失ってしまった寂しさが、胸にしくしくと染み渡る。
 それに――
「まさか、今日の騒ぎ『デート』とかって言われないよな……」
 独り言ともらしたつぶやきに、芍薬が応えた。
「イクツカノニュースデ言ワレテルヨ」
「え、もう?」
「デモ、埋モレルンジャナイカナ」
「……何か大きな事件でもあった?」
「事件、ニハ違イナイネ」
「何?」
「王女様トソノ執事ガ、城ノ門番ニ逮捕サレタッテサ」
「……何?」
 体を起こすと、壁掛けのテレビモニターに夕方のニュースが映った。
 『速報! 新人門番、ティディア姫を誤認逮捕!!』とテロップが表示されている。流れている映像は門に据えられている監視カメラのもののようだ。変装したままのティディアが門番と派手に口論している。傍らでヴィタはあくびを一つ。
「何やってんだか……」
 残念ながらあの門番。明日にも解雇か、解雇より酷い左遷だろう。
(……態度が一定しないのも、あいつの強みかもな)
 ふんぞり返って門番と口論するティディアと、ルローシャットカフェでのティディアの姿を重ね合わせて、ニトロはふとそう思った。
 やけに大人しい時があれば、異常にテンション高く暴走する時もある。気遣いできるくせに、傍若無人。
 どちらが本当の姿というわけではない。どちらもティディアだ。気まぐれで、しかし状況や目的に合わせて様々な一面を使い分けてくる。使い分けられて、振り回される。
(ほーんと、厄介な奴)
 ニトロはため息を吐きながらまた体を倒した。呼応するようにテレビが消え、無音が部屋に響き渡る。
「ああ……それにしても疲れた」
「ソリャ、アンナ下手打ッタラネ」
「?」
 唐突な芍薬のセリフが何のことを言っているのか、ニトロは解らなかった。
「何が?」
「バカ姫ニ仕掛ケルナンテ、主様ラシクナイヨ」
 そこで芍薬が何を言っているのかが解った。彼は寝たまま小首を傾げ、
「聞いてたの?」
「聞コエテタ」
「聞こえてた? 芍薬に回線つなげてたっけ?」
「アクセスシテキタジャナイカ」
「アクセスして……」
 言われて、あっとニトロは気がついた。
 そういえばティディアとヴィタが現れた時、芍薬にアクセスしようとしていた。ショートカットキーを押したつもりはなかったが、もしかしたら、何かの拍子で押し込んでいたのかもしれない。
「俺も……失敗したと思ってるよ」
 ニトロは苦笑いするしかなかった。
「慣れないことはするもんじゃないね」
「主様ニハ向イテナイヨ。アアイウノハ」
「そうかもなー。
 でも、だったらどうやってティディアに対抗すればいいだろう」
「対抗デキルトシタラ、ツッコミ攻撃シカナイダロウネ」
「それじゃあいつを喜ばせるだけだよ。他にこう、有効なのは……ないよなぁ」
「頑張レ」
「……うん」
 ちょっと泣きたくなった。
「でもさ、聞いてたんなら助けてくれても良かったじゃないか」
 ふと気づいて、芍薬に恨めしく言う。
 すると芍薬は心なしか不機嫌な声を返してきた。
「ダッテ、オ楽シソウダッタカラネ」
 ニトロは、ちょっと、嫌な予感がした。
 あまり気に留めていなかったが、さっきから芍薬の言葉に刺々しさがある。
「あの……芍薬?」
「ナンダイ?」
「もしかして、怒ってる?」
「怒ッチャナイヨ。拗ネテルンダ」
(……あ〜)
 そりゃ、芍薬から見れば面白くないのも当然だ。
 ティディアに勝ったはずなのに、なぜか結局ティディアが良い思いをしている。守ったはずの主はそのティディアとカフェで過ごしてその上楽しませて、心労を得たのだって自ら仕掛けて自爆したからだ。
 これでは、せっせとニトロをティディアの魔の手から守るべく働いていた芍薬は報われまい。
「いや、でもさ芍薬――」
 慌ててニトロは体を起こした。引きつる笑顔を振りまき身振り手振りも交えて芍薬を慰める。
 芍薬は根に持つタイプじゃないのがせめてもの幸いだけど、これは機嫌を直してもらうに少しかかりそうだ。
 今日は何かと調子が悪い。一つ一つの繋がりが絶妙に悪い方向にずれている。なんていうか、こう……
 そうだ、
(厄日だ)
 どうせ今夜は眠りすら平穏にすまないだろう。悪い夢にうなされるのだろう。
(そしたら芍薬、起こしてくれるかなぁ)
 ニトロはそんなことを考えながら、つんとして応答しない芍薬に話しかけ続けた。

 夕闇に染まる部屋の中、そしてニトロは次第に熱を帯びてきて。
 彼が気づかぬ裏で、空調は涼やかな空気を送り始めた。

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