メルトンの逆襲

「あれ?」
 電話もメールもニトロに拒否されることは、珍しくなかった。
「……あれぇん?」
 だが手の内にある手段を使えば、ニトロの拒否を跳ね除けることなど至極簡単なことだった。
 ――つい、昨日までは。
「〜〜?」
 ベッドにうつ伏せてティディアは、宙映画面エア・モニターにでっかく書き出された『アクセス不可』の文字を見つめていた。
「ん〜……」
 結局合点がいかず、首を傾げる。タオル一枚を巻いた体、すらりと抜き出した足をぱたつかせると、まだ乾ききらない髪がものぐさに揺れた。せっかく風呂上りの色っぽい姿で電映話ビデ-フォンしようと思っていたのに、肌を桃に染めていた火照りはもう冷めてしまった。
 このままでいると風邪をひきそうだ。
 手短にパジャマに着替えながら、ティディアは考えた。
 何をしてもニトロへのアクセスが切断される。
 彼が用いられるレベルのセキュリティを破る手段は使い尽くした。
 こうなればと直接ハッキングも仕掛けてみたが、そもそもハッキング対象が見つかりもしない。
「何があったのかなー」
 もしやあらゆるコンピュータを捨て去ったのか。
 そうであれば『電』の冠がつく通信手段は完全に使えない。
 しかし、それは考えられないことだった。
 ほとんどの物がコンピュータに制御され、その制御すらA.I.に任せている現代社会でそんなことをすれば、生活の大部分が成り立たない。ニトロの家のシステム構成では湯すら沸かせなくなる。
「ということは」
 ティディアはベッドに腰かけ、宙映画面エア・モニターの可触領域に指を滑らせた。
「ハラキリ君、いる?」
 声をかけると、返ってきたのは物腰柔らかい声だった。
「今晩ハ、ティディア様。申シ訳アリマセンガ、ハラキリハ現在外出中デス」
 画面にA.I.の肖像が出る。桜色のキモノに身を包んだ、撫子なでしこだった。
「つなげられる? ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「少々オ待チ下サイマセ。
 申シ訳アリマセン。アイニク接続可能ノ状況ニアリマセンデシタ。
 モシ、私デ御用ニ足リマスヨウデシタラ、何ナリトオ申シツケ下サイ」
「そうね、撫子ちゃんなら知ってるかな。
 ニトロにどうしてもアクセスできないんだけど、彼に何かあった?」
 ティディアには儚く不安がある。
 撫子はそれを拭い去るように微笑みを見せた。
「イエ、ニトロ様ニ大事アッタトイウ連絡ハ受ケテオリマセン」
「そう。それじゃあ……ニトロに連絡取れる?」
「ハイ。デスガ、御承知ノヨウニ取次ギハ禁ジラレテオリマス」
「うん、それはいいの。連絡取れるかどうかだけでいいから、確かめてみてくれる?」
「何カゴザイマシタデショウカ」
「それを調べているところ」
 撫子は少し思案したようだが、すぐに従ってくれた。差し出された撫子の掌の上に青い光球が現れる。
「接続可能。応答モアリマス」
 撫子は手を納めた。それ以上の干渉はしないと、態度はそう示している。
 ティディアは十分だと笑顔を見せた。
「ありがと、それだけ判ればいいわ。ハラキリ君によろしく伝えておいてね」
「承リマシタ。失礼致シマス」
 深々と頭を下げて撫子が消える。
 そしてティディアは、顔をしかめた。
「んー? 何でだろう」
 可触領域に触れ……ふと思いつき、実行しようとしていたコマンドをキャンセルする。それからティディアはアドレス帳を開くと、その中からメルトンの名を選択した。
 しばらく前、ニトロは一人暮らしを始めた。その時ニトロはメルトンを実家のA.I.として置いていった。先日までは汎用A.I.を使っていたが、とうとうオリジナルA.I.を入れたのかもしれない。
 しかしそれでも、A.I.が育つまでは、こちらからのあらゆるアクセスを切ることはできない。オリジナルA.I.用の素プログラムが、初めからそのような機能を備えていることはないからだ。ニトロはきっとその点を最優先で覚えこませていくだろうが、そうだとしても『成長』が早すぎる。
 となれば――
「ヤット呼ンデクレタ、姫様!」
 メルトンは宙映画面エア・モニターに現れるなり、開口一番泣き声を上げた。
「ニトロガ浮気シタ〜。コラシメテヤッテクダサ〜イ」
「浮気? 誰に?」
芍薬シャクヤクッテ糞A.I.」
「芍薬……って、変わった名前ね。ニトロが付けたの?」
「違イマス。ニトロ、俺トイウモノガアリナガラ、ドッカノ家カラモラッテキヤガッタンデス〜」
「どこかのって、ハラキリ君のところかな」
「多分ソウダト思イマス。異常ニ強カッタカラ……」
(やっぱり。まったく……撫子ちゃんもいけずなんだから)
 ようやく納得いって、ティディアはうなずいた。
 それをメルトンは、こらしめることへの了承と取ったらしい。嬉々として叫んだ。
「ヤッタ! ソレジャア最終的ニハ芍薬ヲ追イ出シテ、ドウカコノめるとんヲニトロノA.I.ニ戻シテクダサイマセ!」
 ティディアはメルトンが自分のうなずきを誤解していることに気づいていたが、それよりもメルトンの提案にそこはかとなく漂う旨味に魅力を感じた。
 訂正はせず、顔色に悪巧みの色を加え、何だか小躍りしているメルトンに邪悪な微笑みで迫る。
「いいわ。どうもその芍薬ってコ、厄介そうだから手伝ってあげる」
「アリガトウ姫様! ヨーシ、今度ハ奴ヲ泣カセテヤルゼェェェ」
 拳を握るメルトンを見て、てことはメルトンはその芍薬に泣かされたのだと、ティディアは悟った。
 なるほど動機は十分。主人を奪われ泣きを見た私憤。メルトンの、逆襲。
「それじゃあ準備ができたら連絡するから、御両親のお世話、ちゃんとよろしくね」
「イエッサー! 姫様、頼リニシテマスッス!」
「ええ。きっと君の要望に足りる計画、確かに頼まれたわ」
「アリガトウ……アリガトウゴザイマス!」
 にこやかに手を振る王女に何度も頭を垂れながら、メルトンは意気揚々と去っていった。
 完全にメルトンが去ったことを示すアイコンを一瞥し、ティディアはさらに微笑んだ。
「これで『主犯』はメルトンちゃん、っと」
 自然に鼻歌がこぼれる。ニトロが好きだと言っていた女性シンガーの軽快な曲。脳裡にはニトロを思い浮かべ、今完全に安心しきっているであろう彼がどういう抵抗を示してくるかを予想していく。
 ああ、楽しみだ。鼻歌が高じて歌を口ずさむ。
 ついでにメルトンをスケープゴートにして芍薬の力量を明確にできるから、一石二鳥この上ない。
「ヴィタ」
 ティディアが言うと、宙映画面に藍銀あいがね色の髪の女性が映った。薄暗い背後には多くの植物が並んでいる。ちょうどこの部屋のバルコニーから見下ろせる庭、その地下に作った植物園にいるようだ。手にはリアル象さん如雨露じょうろがある。
「部屋に来て。ちょっと手伝ってもらいたいから」
「かしこまりました」
 女性はそれだけ返事をすると接続を切った。
 彼女は、新しく雇った執事だった。
 映画の0号試写の後、先代の執事が辞表を出してきた時は驚き残念だったものだが、代わりに得た人材が彼に劣らず、分野によってはそれ以上に使えたのは幸いだった。
 特に、行動が非常に迅速なところが素晴らしい。
 彼女がいた地下の植物園からこの部屋までは、長い廊下を二つ通り、階を五つ登る。早足でも数分はかかり、そして当然、廊下に面する扉につく。しかし――
 トントンと、閉じられたフランス窓に音がした。
 見ると夜空を背負った藍銀あいがねの髪の女が蒼月色に瞳を輝かせ、窓の向こうのバルコニーに控えている。
 ――もう、彼女はそこにいた。
 ティディアは鏡台に歩きながら目で促した。軽く頭を下げ、彼女は窓を開くと優美な足取りで部屋に入ってきた。瞳の光が失せ、美しいマリンブルーの虹彩がシャンデリアの灯火の下で輝いた。
「髪を乾かしてちょうだい」
 椅子に腰を下ろし、鏡越しにこちらを見つめる二代目執事に言う。ヴィタは小さく目礼をすると鏡台にあるくしを手にし、恭しく王女の髪をくしけずり始めた。一度ひとたび櫛を入れるたびに髪が乾いていき、再び櫛を入れるたびに型が整っていく。
 ティディアは手元に宙映画面を呼び出し、その可触領域にキーボードを現すと、熱心に何事かを打ち込み始めた。
「……ふふ」
 『計画』を立てるのは、いつでも楽しい。
「今回はヴィタにも手伝ってもらうわ」
「はい。楽しみにしていました」
「楽しいわよー。初陣、張り切ってねー」
 高鳴る胸を押さえるように舌なめずりをすると、ティディアは鏡の中で涼やかな顔をしているヴィタへ現在の状況を語り始めた。

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