「主様」
絶好調でティディアに対する罵詈雑言を吐いていたニトロは、芍薬の呼びかけにやっと口を止めた。吐き出し続けた空気を回収するように大きく息を吸い、吐いて、気を落ち着ける。
「何?」
「ハッキングヲ一件、不正……ジャナイケド……不当、アクセスヲ一件確認」
「……はっきりしないね、後ろのは何?」
「メインディスクノA.I.スペースニ先客ガ」
「先客? おかしいな、
「主様ノデータベースニアル正規コードナンダ。頭5桁ハ……」
芍薬が読み上げるコードを聞いて、ニトロはうなずいた。
『先客』に問題はない。とりあえず後回しでいいと芍薬に告げる。
「ハッキングは?」
ニトロの問いに、芍薬はついと手を無人タクシーのダッシュボードに向けた。そこを指し示した芍薬の手が光の粒子となって消える。無人タクシーのコンピューターに干渉したことを視覚化して伝えてきたのだ。
スピーカーからノイズがこぼれた。遠くから人の話し声のような音も聞こえてくる。芍薬が相手の情報を既に掌握していることを悟って、ニトロは感心した。
「盗聴ヲシカケテキテイル」
「メディアかな?」
「御名答。フリーノ下衆ライター」
「……なんで分かるの?」
「マスメディアノデータベースヘノ照合モ完了。ブラックリストニ載ッテタ」
ニトロは感嘆した。
「仕事が早いね」
「潜入・諜報・調査、得意分野」
芍薬は誇らしげに胸を張る。新しいマスターに早くも実力を示せたことが、嬉しそうだった。
「そうか、だから『スパイ』か」
「御意」
芍薬はにやりと笑った。
「殺ッチャッテイイカナ?」
「物騒な言葉遣いだなぁ」
「嫌イ?」
「いや、別にいいよ。やっちゃって」
「承諾」
芍薬の手にナイフが現れた。かと思うと芍薬の姿がふっと消え、直後にブツンという大きな音がスピーカーの奥で弾けた。
そして、ふっ、と、芍薬が
折に触れて様々なアイコンで心境を表してきたのもそうだが、演出面に随分と力が入っている。ハラキリの趣味か撫子のこだわりかは判らないが、見ていて楽しかった。
「クラック完了。ハッキングノ証拠ハタクシー会社ニ提供シタヨ」
「あっという間だねぇ」
「『戦闘』モ得意分野」
「そりゃ、頼もしいや」
喉で笑って、ニトロはハッキングを仕掛けてきた相手の表情を想像する。
きっと何が起こったのかも分かっていないだろう。ブラックアウトしたコンピューターを前に、パニックになっているに違いない。
「ソレデ、モウ一方ハドウスル? あたしノ部屋ニ勝手ニイルノハ腹立タシインダ。コッチモ殺ッチャッテイイカナ?」
「あー、そこにいるのメルトンなんだ。やっちゃうのはやめてくれ。実家のA.I.やってるから、いなくなるのは困るんだ」
「承諾。ドウスレバイイ?」
「とりあえず、こっちによこして」
「承諾」
と、立体映像の芍薬の隣に、よーく見覚えのある
「ア! ニトロ!」
メルトンは急に引きずり出されたことに戸惑っていたようだったが、ニトロに気づくや抗議の声を上げた。
「コノヤロー! 新シイA.I.ヲ用意スルッテドウイウコトダ!」
「紹介するよ。こちら
「初メマシテ、メルトン殿。芍薬ト申シマス」
「ア、コレハドウモ御丁寧ニ」
お辞儀をしてきた芍薬に頭を下げ返して――はたと気づいてメルトンは地団太を踏んだ。
「ッテ、フザケンナーーーッ! コンニャロ、テメーカ俺ノ役目ヲ奪ッタノハ!」
「アレ? クビニナッタッテ聞イテルヨ」
「クビジャネェ! ナゼナラ俺ハ今デモポルカト家ノA.I.ダカラ! タダチョット別居シテルニトロガ
「見事ニ主様ノA.I.ヲクビニナッテルジャナイカ」
「ウルサイ畜生! ターノムカラ、ニトロ! 戻ッテキテクレェェェェ」
ニトロは嘆息した。
「お前の本音は結局それか」
「イヤデモマジデ! 危ナインダッテ御両親! 俺一人デ抑エルノ大変ナンダヨゥ!」
「それがお前の仕事だろ。頑張れ」
「薄情モノォォォ。
ン?
ア、チョット待ッテテ。
ママサーン、クッキングヒーター設定温度間違エテルヨーーー!」
メルトンの立体映像の動きが止まった。体の一部を残して、家に戻ったようだ。今ネットワークが閉じられても、ここに残した『一部』を使って扉をこじ開けてくるつもりなのだろう。こういうところだけは、しっかりしている。
「賑ヤカナ奴ダ」
「仲良くしろとは言わないけど、悪くはしないでやってくれ」
「承諾」
言って、芍薬は笑った。頭の周りに輝きを示すエフェクトが入る。楽しんでいるのか、興味を向けているのか、ニトロは芍薬を促した。
「ソレニシテモ
その言葉に、ニトロはちょっとした感動を覚えた。メルトンを『人間臭い』と評価するのかと、A.I.の見解に驚きと知的好奇心をくすぐられる。確かに、マスターを裏切るA.I.などというものは極稀だろう。
「A.I.からは軽蔑されてると思ったよ」
「『真』ガ公ニナッテタラ、肩身狭イダロウネ。興味対象ニスル奴モ幾ラカイルダロウケド、イイ思イハデキナイヨ」
芍薬の肯定になるほどと思う。メルトンの個性は、A.I.の中で蔑されながらも、興味をひく存在ではあるようだ。
「アンナノニ実家ヲ任セテテモイイノ?」
「あんなのでも、まあ悪い奴じゃないんだ。それにうちの両親を任せるには最適だし、長年の慣れもあるけど、親に気に入られてもいる。あれで性能は悪くないしさ」
「信用シテルンダネ」
「そのラインではね。前ので懲りただろうから同じこともないと思うよ。
だけどまあ、俺の身の回りはもういいや」
苦笑しながら言うと、フリーズしていたメルトンの立体映像が急に土下座した。
「ソンナコトオッシャラナイデ、コレコノ通リ謝リマクリマスカラ勘弁シテクダセェェ」
ちょうど戻ってきたところでニトロの言葉を聞いたのだろう。必死に額を擦り付けてはいるが、メルトンの土下座は『得意技』だ。
元マスターとしてそれを知っているニトロは軽く受け流し、ため息をついた。
「それに、実家と俺んチを掛け持つのは無理だって」
「チョット待ッテ! 頑張レバ俺デキルッテ! ヤレル子ダッテ!」
「無理だよ。お前に『戦闘』は向いてない」
「デモコイツヨリ絶対イイッテ! ツイサッキマデ『サポート』ダッタ履歴ガアルゾコイツ。俺『サポート』ニ負ケルホド落チブレテナイゾ!」
芍薬の頭部に怒りマークがついた。
ニトロは苦笑するしかなかった。
確かにサポートA.I.はメインA.I.に比べて劣る。だが、ハラキリのところのサポートは一般家庭のメインを遥かに上回る性能を誇っていた。正直メルトンでは及ばない。それはニトロ自身が認めるところだった。
(確かに人間臭いのかもなー)
ぎゃあぎゃあ
「分かったよ」
ニトロは言った。
「じゃあ、力づくで奪ってみな。芍薬を負かせたら、またメルトンにA.I.を頼むよ」
「本当ダネ!?」
メルトンが喜々として跳ねた。芍薬は素早くマスターの意図を汲んだらしく、拳にメリケンサックを現している。
――既に、勝負はついていた。
だがメルトンは意気揚々と芍薬を挑発した。
「ヨーシ、キヤガレコノ『サポートA.I.』! ポルカト家ノメイン張ッテル俺様ノ拳ハナカナカ痛イゼ……ッテ、ア! 痛イ! チョ……マッ……何ソノパンチ
芍薬にぼこぼこ殴られながら、メルトンが立体映像の中からフェードアウトしていく。それを追って芍薬も消えた。
「ホギャーーーッッッ!」
悲鳴が聞こえてきた。
「オッケー分カッタ姐御! 俺ッ、姐御ノ弟子ニナルヨ! ダカラ一緒ニA.I.――ソンナソコハマズイッテ! ……ッウェエェェエェ〜ン!!」
泣き声も聞こえてきた。
芍薬が戻ってくる。
芍薬は、肩をすくめて片眉を跳ね上げた。
「泣イテ逃ゲチャッタ」
「手加減ありがとう」
言うと、芍薬は微笑んでお辞儀をする。
「シバラク来ナイト思ウケド、コレカラモコンナ対応デイイノカナ?」
「いいんじゃないかな。ま、もう君に逆らうことはないだろうけど」
「ア、メール」
「誰から?」
「メルトン」
「何て?」
芍薬は喉をならした。
そしてメルトンの声で読み上げる。
「『ウンコーーーーー!!』」
ニトロは笑った。
「そんな機能もあるんだ」
芍薬はニトロの気に召した様子に満足げだった。
「仲良クヤッテイケソウカナ? 主様」
「ああ、楽しみだよ」
ニトロは立体映像の芍薬に人差し指を近づけた。芍薬が応じて、小さな手をニトロの指に乗せる。すると指先に、重量はないものの確かに芍薬が触れている感触があってニトロは驚いた。
頼りになる。
最も信頼する人物から譲り受けた新しい友人への信頼が深まる。
ニトロは握手をするように、少しだけ指を揺らした。
「改めて、これからよろしく。芍薬」
芍薬は大きくうなずいた。
「承諾!」