5−d へ

 ニトロは驚いた。
「え? 使えるの?」
「御意」
 薄暗い倉庫の中、手元の端末モバイルに立体投影される小さな芍薬の肖像シェイプを見る目も自然と丸くなる。
 戦友にして『師匠』、かつ親友にして敵の助力者たるハラキリ・ジジの動向を芍薬が探ったところ、なんと『ジジ家のネットワーク』の使用に制限がかからなかったという。
「シカモ初メテ使ウ相手ニハ仲介マデシテクレルッテオプションモ生キテルンダ」
 ハラキリが登校していることは確認している。そろそろ出席日数に本気で注意しないといけないレベルになってきたらしいので、それは諸問題を差し置いても本気で歓迎するところだ。完全無欠の味方ではないし、様々に裏切ってくれたこともある奴だが、掛け替えのない友である。是非に一緒に卒業したいと思っているのだ。
 だが、今日の彼はてっきり『敵』だと思い込んでいた。
 今回のような状況で、ティディアがまず協力を要請するのは彼の他にない。そしてそれを彼が断わるとはどうにも思えなかった。もしや“誕生日プレゼント”として平穏な一日を贈ってくれるなんて可能性も想定し得ないわけではなかったが、最近の親友はどうもあいつに甘いように思えるために。
「……罠の可能性は?」
「モチロン有ルヨ。ケレド――ソウダネ、今ノトコロハ大丈夫ダト思ウ」
「今のところは?」
「ナンテイウカネ? ソウイウ“感触”ガアルンダ」
「てことはそのうち大丈夫じゃなくなるってことかな」
「単ニ『ネットワーク』ヲ使ワレヨウガ使ワレマイガ関係ナイッテコトカモシレナイケドネ」
「うーん」
 埃をかぶっていた丸椅子に腰かけ、ニトロは唸る。実際、芍薬の言葉は正しいだろう。『ジジ家のネットワーク』は確かに強力なコネクションではあるが、ハラキリの助力を得たバカ姫から逃げおおせることは不可能である。その核はどうしたって『ジジ家』そのものであるのだから。
「困ったね。ハラキリの出方が読みづらい」
「デモ結局ハ『敵』デイイト思ウヨ。アッチガ本気ヲ出シテクルノハ、キット“ソノ時”サ」
「それが合図にもなるってこと?」
「御意」
「……それじゃあ、やっぱり計画通りに行こう」
「承諾」
 これまでハラキリに協力してもらった際、その時々の外部協力者ネットワークに話を持ちかけ芍薬が個人的に築いてきたコネクションがある。多少義理を欠くことではあるが――とはいえむしろそれは当たり前のことでもあるらしいのだが――その相手ならばジジ家を介さずとも依頼を通すことは可能であり、今回の逃亡には、それを使う。大きな金額のかかることには膝が震えるが、使うべき時に使えるものを使わねば、その先にあるのは座して死を待つ未来だけである。
 きっとあいつは、まだ余裕を持っていることだろう。
 自分は、本気なのだ。

 南副王都サスカルラから王都へ音速を超えて戻ってきた王女は、王位継承者専用機のタラップを降りたところで小さな会見を開いた。南副王都での活動の意義などを語り、南大陸の喫緊の問題における指針の表明を改めて行い、最後に時事ネタとして中央大陸西部でのデビュタントに触れてその参加者達に祝福を贈る。
「本日は、どのようにポルカト様をお祝いになるのですか?」
 質問を受け付ける予定のなかったその会見が閉じられる直前、記者の一人が声を上げた。普段は硬派なスタンスで知られる女性である。彼女がそのような質問を許可なく投げかけたことに記者陣の誰もが驚いたが、一方で誰もがそれを聞きたがっていた。
 王女は彼女を見た。
 それは睨みつけるような目つきではなかったが、不思議な圧力があった。後に記者はその時の心持ちを、まるで公衆の面前で服を脱がされた気がしたと語った。
 そして王女は、ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナは、言葉ではなくただ謎めいた微笑を返したのである。それは謎めいているが故にあまりにも魅力的で、記者達は言葉を失い、追って質問を重ねることができなかった。
 早速その微笑が怒涛の勢いで各種メディアに広まる中、専用の飛行車スカイカーに乗り込んだティディアは背もたれに頭を押しつけ、目を閉じると小さく息を吐いた。
「まったくもー、無粋よねー」
 そうして小さく毒づいた後、目を開ける。
 するとその瞳は、輝いていた。
「さて、ヴィタ?」
 対面シートの斜向かいに座る執事に投げかける声は明るく……いや、明るいというよりもスキップを踏んでいる。
 クレイジー・プリンセスの同志たるヴィタは軽やかにうなずき、
「ニトロ様は現在、メディシアノス宮にいらっしゃいます」
 ぞくぞくッと、ティディアの背筋に細やかな電気が走った。ああ、まるで目の前に彼の姿を見るようだ! 彼はとても挑発的な目つきをしている。もしその眼差しを実際に受けることができていたのなら、一体どんなに心地良かっただろう?
 王城での彼の振る舞いについてはリットルから報告を受けている。そこでティディアは確信したのだ。初めはどういうつもりかと思っていた彼の言動。そう、彼は、ニトロ・ポルカトは、明らかに、積極的にこの私に挑んできている。例えて言うならこれまで距離を取って消極的な試合運びでカウンターしかしてこなかった相手が、急に足を止めて打ち合うインファイターになったように。
 それを示す、一つ確かなことがあった。彼はもちろん私が今日何かを仕掛けてくるのを承知していただろう。そのような場合、これまでの彼だったら、こんな時に取る戦法とすれば逃げの一手であった。逃げる隠れる匿われる……意地でもこちらの誘いに乗らぬと抵抗する愛しい獲物。
 だが、今日の彼はわざわざこちらの本拠地ふところに飛び込んできてみせたのだ。それも、それが私の最もされたら嫌なことだと認識したうえで。だってそうだろう? 私は彼を驚かそうと『パーティー』を用意しているのに、それを私の家でのんびりさあ祝えとばかりに待たれてしまっては興醒め極まる。しかし彼はそんな無粋な真似まではしてくれなかった。それがとてつもなく嬉しい。しかも彼は次にメディシアノス宮に行ったというのだからまた堪らない。
「ふふ」
 その宮は、王城からは2km近く北西に行った所にある。本来は王配となる者を教育するための施設であるが、まだその候補者のいない現在は観光名所兼賓客を迎えるために使われている。
 思えばそこに案内したlは皮肉が効いている。
 そしてその上で、宣言通りlの案内に何も言わずに従ったニトロもニトロだ。
 王配――君主の配偶者
 その花嫁修業、あるいは花婿修行をするために存在する場所で今、彼は一体何を思う?
「まあでも、会食の時にはいないでしょうね」
「はい」
 そう、さらにそこでは本日、第一王位継承者主催でラミラス星の特使を迎えての昼食会が開かれるのである。いっそそこで彼を『デビュー』させてみようか?――それとも、できるものならデビューさせてみろ、と彼は思っているのか。ティディアの口元には笑みがこぼれて止まない。
「ああ、これはまた楽しくなってきた」
「はい」
 マリンブルーの瞳は混じり気なしに輝いている。同志はふいにもたらされたこの状況を満喫している。
 ティディアはそれを認めると、わずかに目を伏せた。
 楽しくなってきた――そこに嘘はない。
 しかし彼女の腹の底には、その浮かれるような楽しみにもたれかかる鉛のような気持ち悪さがあった。
 ……分かっているのだ。
 彼の一連の行動は、つまりその王配にならぬための戦略であるのだと。私の求愛から逃れるために、彼は意を新たにしてきたのだと。
 それが私には、とても悲しい。とても悲しくて、得も言われぬ不安もあった。彼は何かこの先にとても恐ろしい手段さえ用意しているのではと、そんな確信すらせり上がってきて。
(ニトロ……)
 ティディアは胸が一杯で、悲しくて、不安でしかたがない。
 それなのに、おお、だからこそきっと貴方を捕まえて見せると、この心は燃え上がる。
「進捗は?」
「全てつつがなく」
「つつがなく?」
「lが気にしています。芍薬様の警戒網が『通常』であると」
「ふむ」
 今日は特別な日だ。であればあの芍薬が特別な警戒をすることこそが自然だ。なのに、いつも通りの警戒しかしていない?
「けれど、それも今日のニトロからすれば」
「はい、何の不思議もありません。しかし、直接ニトロ様と、何より芍薬様に対面したlの懸念です。Åの申し添えもありました」
「……」
 確かにそれは不気味である。ティディアの不安に爪が突き立てられていた。しかしより一層、そこにある楽しみに心が躍ってならない。
「ようするに」
 ティディアは己の唇を人差し指で撫でる。
「いつも通り、思い通りになるつもりはないってことね」
「そうでしょう」
「その上で、俺を驚かせたいのなら驚かせてみろよ」
「俺はもちろんいつも通りに本気で逃げるけどな」
 ティディアとヴィタは見つめ合った。
 そして二人は、声を立てて笑った。
 ひとしきり笑った後、ティディアは言った。
「いつも通りってのもまあ厄介ね。とにかく“新技研”の動向と、彼らの動きだけは絶対に掴まれないように」
 新技研――最新科学技術研究所では今、パトネトがサプライズに欠かせぬものの最終調整に入っている。そして彼らは演出の要だ。タネの割れた手品など面白くもなんともない。
 ヴィタは目の端に浮かんだ涙を拭い、真剣な面持ちとなり、
「かしこまりました。いつも通り、芍薬様に勘づかれぬよう細心の注意を払います。――それと」
「何?」
「ハラキリ様から、一つご提案が」
 ティディアは身を乗り出した。

 授業中のハラキリ・ジジにも、休み時間中のハラキリ・ジジにも、なんの変化もなかった。
 それにヤキモキするのは同じクラスの中の特にミーハーな者達である。
 今日はこんなにも特別な日なのに!
 マスメディアはこぞって彼の話をしている。電脳社会ネットスフィアに細切れになって散らばる個々人の会話にも彼の名は頻出する。例え彼に興味はなくとも、王女やその『恋人』に心を向ければ自動的に彼は付随する。もちろん完全に無関心な人間はいるだろう、が、もしわずかにも世の動向を報じる見出しを眺めるとすれば無関係ではいられない。
 それほどまでに話題の中にいるということは、つまり世間の中心にいるということだ。
 なのに、なぜその男は其処そこでそこまでとぼけていられるのだろう!?
 それについて様々に理由を憶測して好奇心を慰めることのできる者は幸いである。しかしそれができない者、それだけでは満足し得ずに悶えるしかない者には苦行である。その中にあって、特に憤懣やるかたないのは誰あろう、この学校の長であった。
 なにしろ彼こそは使えるコネを総動員して奇跡的にも二年半前の入学式に王太子殿下を賓客として迎えた男である。ということは、あの王女とあの『英雄』を出合わせたキューピッドということではないか! しかし残念なことに、それが話題になることは少ない。今日にあっても彼に何か大きな声がかかることはない。確かにいくつかの取材はあった。が、それが彼の名誉心を満たすに足るものでは全くなかった。せめてここでハラキリ・ジジが……いつの間にやらアデムメデスで最も有名な高校生の一人となった彼が何かアクションを起こしてくれればそこに便乗できるのに。聞けば彼は仲の良い友人達に何かを頼むと言ったらしい。内容はまだその友人達ですら聞いていないようだが、それなら何故友人達は頼みはなんだと詰め寄らないでいられるのか。わたしなら絶対に聞き出す。そしてそのために準備を万全に整えて――
「って、思ってるわね」
 ぎょろっとそちらを見つめて、痩せぎすの少女は言った。
 大柄な少年がうなずく。
「だろうな」
 教室の廊下側の壁面には大きなガラス窓が二つ並んでいて、そこに群がる野次馬達はさながら動的な風刺画のようである。その中心に、ほとんど額を押し付けるようにして校長先生が立っていた。もう三十分になろうか? その間ずっとおおらかに生徒の成長を見守る大人、といった表情で居続けられるのは呆れ半分に見事だとは思うが、
「気持ち悪ぃな、正直、必死過ぎてよ」
 伊達メガネをかけた小太りの少年があからさまに侮蔑の目を向けるが、校長は一向に意に介さない。いや、そんなものは視界に入らない。
「もう時間もないからな」
 黄色いラインの入ったスニーカーの少女のお手製のサンドイッチを食べながら言う少年に、小太りの少年が突っかかる。
「まだ五か月もあるだろ」
「受験するんだろ? ニトロは。追い込みの時期に入ったら目立ったイベントもない。三学期は学校に来なくてもよくなる。あとは合格発表と卒業式くらいなもんじゃないか」
「受験会場に応援団を連れていきそうね」
 痩せぎすの少女が冗談半分に言って、すぐに本当にありそうだと思ったのかぎょっとしたように校長を一瞥する。小太りの少年が肩を揺らして、
「卒業式なんかヤバいだろうなあ」
「また姫様を『招待』するのかなぁ」
 恋人がサンドイッチを食べるのを嬉しそうに見ていた少女が言った。
「そしたら正直それは嬉しいんだけど、やっぱ絶対ヤバいよね」
「そこのところはどうなの?」
 ぴくりと校長が反応したのを見逃さずに小太りの少年がげえと舌を出す。廊下に通じる扉は開け放されている。こちらはあえて声を潜めることもない。
「さあ、拙者は何も」
 ハラキリは実に無関心に答え、それで終わった。
 何故そこでさらにツッコまない!? と、話題の打ち切りを了承した友人達に向けて校長の顔色が初めて変わるが、その一瞬後には彼は平静を取り戻していた。
「いい教師ですよね、校長先生は」
 すると、ふいにハラキリがそう言った。友人達が驚き、それ以上に校長が驚く。狂喜の色が彼の頬に差した。それを見て友人達はハラキリの意図を悟った。
「ああ、いい先生だよ」
 小太りの少年がヒッヒと笑う。あからさまな態度を取ったのは彼だけだったが、友人達のみならず、教室にいる全員がそれに同意しているようであった。その大人への軽蔑と憐みが、奇妙な紐帯となって若者達の心をつなぐ。――そうして皆の興味の対象を一時的に校長に集中させたハラキリは、手にしたモバイルに何気なく目を落とした。
 撫子から連絡が入ったのは今しがたのことである。
 ハラキリが画面を見ていることを知った撫子はテキストで伝えてくる。
[ニトロ様をロストしました]
 ハラキリが頷きの代わりにまばたくと、前文が消え、新たな情報が綴られる。
[ニトロ様はディーフィー・シスターズの協力を得て、王家からの“警備”もまいてみせました]
 ディーフィー・シスターズは『ジジ家のネットワーク』にリストされている。だが、彼らへの仲立ちは依頼されていなかったはずだ――撫子が言う。
[指示通り芍薬に対して『ネットワーク』の封鎖はしておりません。が、もちろんこちらでディーフィー・シスターズとの仲介は行っておりません。芍薬が独自に関係を築いていたのでしょう]
 ハラキリは内心とても驚いていた。確かにその『逃がし屋』はジジ家の専属というわけではないので、これまでのクレイジー・プリンセスへの抵抗の中、彼らと接触のあった機に芍薬が独自のコネクションを築いていたとしても何ら問題はない。ただ、そのことについて一言もないというのはこの手の社会でも仁義に関わるところはあるし、芍薬はそういう点に筋を通す性格である。が……それでも、仁義に反してでも黙することが武器になると芍薬は判じたのだろう。実際、今回、それは威力を発揮した。
 しかしハラキリが芍薬の“抜け駆け”に対してより驚くことは、ニトロがその『逃がし屋』を使うことにゴーサインを出したことである。ディーフィー・シスターズは、ハラキリがニトロから初めて依頼を受けた時……そう、あの『映画』の際にも動員しようとしていた戦力だ。普段は機密に関わる人物を敵対勢力から匿う非合法人員イリーガル。その実力は折り紙付きで、反面、それだけ雇うには金がかかる。
[ニトロ様は、確かに何事か“本気”であるようですね]
 流麗なフォントが撫子の声を伝えてくる。
[無駄に大金をドブに捨てるような真似をしてまで、どうやらそれを示そうというのですから]
 ハラキリは思わず笑いそうになったが、それをおくびにも出さずにまばたきを返した。それは同意の印であった。――と、画面に三頭身にデフォルメされた撫子の肖像シェイプが表れる。慶事のためのComeOn付きのキモノを着た撫子は微笑し、
[少し、姫様のお気持ちが解るのではありませんか?]
 吹き出しに表示された言葉テキストに、ハラキリはわずかに眉を跳ねた。言われてみて……確かに、そういう気持ちがあることに気がつく。自然とモバイルに指を躍らせる。
[『弟子』の成長を見られるのは、いいもんだね]
 ハラキリの返答に撫子は笑った。珍しく芍薬のように“笑いのエフェクト”を周囲に出して、明るくころころと。
[ですが]
 それから撫子は真顔となって、言う。
[無駄に大金を使ったとしても、布石を無駄に打つような方ではありません。その“本気”に支えられるからこそ通じる大きな爆弾も隠し持っていることでしょう。姫様もそれに気づいているはずですが、果たして、それも“楽しみ”と言っていられるものでしょうか]
「どうしたんだ?」
 ハラキリは、目を上げた。
「すっげぇ真剣な顔してる」
 ミーシャと呼ばれる少女が、いつもは快活で男勝りな表情を不安げに揺らめかせている。
「いえ……」
 と、ハラキリが煙に巻く言葉を用意するより早く、撫子が一つ情報ネタを寄こしてきた。
「……内緒ですよ?」
 その言葉にミーシャの、そして友人達の表情が引き締まる。窓ガラスを隔てる校長が肩を震わせた。ハラキリ・ジジがそのように言うのはこれまでになかったことである。その手の仕草に皆の顔が寄せられる。校長が眼だけでも近づかんと試みる。ハラキリはモバイルを友に見せた。
 そこには、他星の要人を招いた王太子主催の昼食会の様子があった。
「数分前のものですが」
 それはどんなメディアにも未だ流れていない映像である。そこに参列を許されたメディア関係者もそのデータを外部に送信することはまだ許されていない。王家から直接フリーライセンスでデータの提供を受けている“特別な人物”だからこそ閲覧できるものを、ハラキリは初めてクラスメートに開示したのだった。
 ミーシャが目を見開いて、息を飲む。
『ニトロ・ポルカト』と仲の良い友人達の中で最も表情豊かな彼女の反応に、教室の、それ以上に廊下の野次馬がたかぶった。己もそれを見たいと身悶えした。
 その映像には、友好的な歓談進む会食の最中、女執事の耳打ちを受けた王女の顔が変わる瞬間があった。
 一瞬の驚き。
 そして――
「わあ……」
 ミーシャが感嘆を漏らした。
 感受性の強い痩せぎすの少女の瞳が潤む。
 普段は悪ぶり示威的な態度ばかりを示す小太りの少年もまた心奪われていた。
 画面に映るティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナ――姫君の、その恍惚として、どこか脆さをも感じさせる幸せな微笑みに。
 その時、政治的な立場もそれぞれの利害関係も忘れて、会場の皆もまた彼女の美貌に魂を奪われていた。奪われぬことなどできなかった。
「なあ、ハラキリ」
 ミーシャの恋人――クレイグ・スーミアが言う。
「何です?」
「俺たちはさ、とんでもない瞬間に立ち会ってるんじゃないか?」
 大柄な少年が大きく頷く。
 ハラキリは笑った。あの二人の友達としてはそのようには思えぬが、他者からすれば間違いなく、
「そうですね、おそらく、そうなのでしょう」
 校長先生が今にも教室に突入してきそうなのも“とんでもない瞬間”になりそうだと思いながら、ハラキリは映像を消した。そして、
「ダレイ君」
 ふいに呼びかけられた大柄な少年がハラキリに目を向ける。
「キャシーさんにも声をかけてもらえますか」
 わずかに、友人達の間にピリッと電気が走る。しかし普段は飄々としたハラキリの、奇妙にも柔らかな物言いにそれはすぐに霧散した。ニトロ・ポルカトの親友にして師匠、その左腕に傷も生々しい勇敢な少年の言葉はとても大人びていた。
「朝の頼みの詳細はもうしばしお待ちを。ただね、彼を喜ばせたいということに関しては、拙者も君達と同じですから」

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