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思わぬド壷

「『手料理ブーム』?」
 騒動から半月後の夕方、最近よく遊びにくる王子様を城に送り届けた後のこと。
『劣り姫の変』関連の雑事にも一段落がつき、これなら強力な機体ボディーガードを一時手放しても平気だろうと算段がついた折り、約束通り芍薬のアンドロイドを再整備してもらおうとハラキリの家に立ち寄ったニトロは、話の流れの中で親友が嬉しげに語るその単語に眉根を寄せた。
「おや、知らないので?」
「今は努めて浮世離れしているんだ。これでも一応受験生だしね」
 ニトロの言う『浮世離れ』は主にテレビやネットからの情報をシャットアウトしていることを示しているが、それだけでなく、彼は現在、滅多に外出もしていなかった。外を歩けばたちまち人にメディアに取り囲まれて大騒動になる。そのため、彼は今日のように“どうしても”必要のある時以外は日がな一日自宅にこもることにしているのだ。ここ十数日は食糧や雑貨の買い出しにも出ていない。それらは店のデリバリーサービスを利用するか、あるいは『何でも屋』のハラキリに頼んで事を済ませている。お陰でハラキリは、野菜や魚介の基本的な目利きを覚えてしまった。
 ハラキリは笑いながらうなずき、
「君と付き合っているとうっかり忘れそうになりますが、今時料理なんて大抵『趣味』か『職業』でしょう? 上質のレトルト、便利なデリバリー。そうでなくとも、多目的掃除機やアンドロイドがあればA.I.に任せきりでもちゃんとした料理だって出てくる、味の程度はともかくね。だから君や……特に君のお父上のように『日常』として料理を家庭で作るのは、割合少数派です」
 A.I.の操る機械への味覚センサーの有無や、機能の程度、また常に変わる食材への対応力などA.I.の資質を裏に含めて語るハラキリに、ニトロはうなずく。
「とはいえA.I.が作るにしても、調理器具や食材は必要不可欠なもの。家庭の営みを求める本能とでも言うのか週に一・二度ちょっと作るのはそこそこマジョリティであり、『ハレの日』ならば手作りはむしろ珍しくない。そのため、なくなりはしない市場であることも確かなことで」
「『市場』?」
「ええ、ブームと言ったでしょう? 『ニトロ・ポルカト』が『英雄』とまでなった今、その嗜好を真似る人間達が大急増、手始めに麗しい姫君とのエピソードに頻繁に出てくる『手料理』が注目を集め、頻繁とは言わないまでも時々ならば無理なく手軽に始められる趣味であるのがこれ幸い、また、『英雄』を育てた家庭環境から“手料理”による食卓の重要性を教育評論家がここぞとばかりに主張して、次いで勝ち馬に乗りたい芸能人もアピールし出し、となればメディアの話題にならぬ日は当然皆無。かくしてその『市場』には空前の好景気がもたらされている」
 流麗に朗読をするようなハラキリの解説に――さらに『市場』に二重の意味があることを理解し――ニトロは半ば呆けているような顔で感心しきり、
「……ああ、なるほど……」
 そういえば、以前にも、芍薬がそんな兆候がチラチラ見えると言っていたっけ……そう思い出しつつ、自分が起源となってそのような流行が現実に起きてしまっていることには複雑なものを感じつつ――と、そこではたとニトロは思い至った。
「それで、何でハラキリが嬉しいんだ?」
「市場、好景気」
 言って、ハラキリが目を投げてニトロを促す。ニトロは連想し、
「経済……株?」
「ご名答」
 ハラキリは目を弓なりに細めた。実に楽しげに。
「いやー、こういうこともあろうかと買っていたものが全部合わせると凄いことになっていましてねえ」
「なっていましてねえ、じゃ、ねぇ」
 腹の底から愉快げなハラキリに対し、ニトロはじとりと半眼で親友を見据えた。
 が、彼のその反応は、彼の真面目さからすれば容易に推測できる。ハラキリはまた笑い、
「何か?」
 真正面から堂々と問われ、ニトロは言葉を失った。
 ――何か……
 何か悪いことが? 何か問題が?
 ……どちらにも、該当しない。インサイダーと言うには余りに遠い。友達の情報を株の売買に利用するとは、と言いたくても、そこに明確な『悪』があるかと言われればうなずけない。――しかし!
「ちょっと不愉快だ」
「奢りますよ」
 不愉快、という感情が、実に悪びれること一つもないハラキリの爽快な物言いに吹っ飛ばされる。
 ニトロは色々な意味で嘆息をつき、
「……向こう一年、ファミレスお前持ちな」
「毎日三食でもオーケーです」
「どんだけ儲かったの!?」
「素敵な感じで」
「ていうかンな不確定なことによくそんだけ儲かるほど投資できたね!」
「最後はあれです、ほら、度胸」
「お前いつか絶対痛い目見るから気を付けろな!?」
「肝に命じましょう。けど、その様子だと芍薬は買ってなかったんですかね」
「何を?」
「ですから関連株を」
「……」
「……」
「……」
「おや?」
 ハラキリの頬がひきつった。
「これは根本的に知らなかったので?」
「うん」
「……おや。これはうっかり」
 と、その時だった。部屋のフスマをけたたましく開けて、一体のイチマツ人形が飛び込んできた。
「ハラキリ殿ォォ!?」
 イチマツの絶叫は、芍薬のものであった。芍薬がイチマツを使っているのは既に『体』を預け終えてしまったためである。あのアンドロイドのない明日明後日は南大陸へ一泊二日で『仕事』に出ることになっていて、その間のセキュリティは王軍と警察ががっちり固めてくれる手筈だ。そこで芍薬は一度先に家に戻り、その件について改めて先方と確認を取っていたはずなのだが……どうやら撫子から連絡を受けて『おっとり剣』でやってきたらしい。
 芍薬イチマツはハラキリに飛びかかり、襟を掴んでがっくんがっくん首を揺らして叫ぶ。
「何デバラシチャウンダイ!?」
 がっくんがっくん首を揺らされながら、ハラキリはへらへら笑いをひきつらせて言う。
「いや、こういうことはしっかりやってるはずだと思い込んでましてね?」
「ヤッテルヨ! ケド『一緒ニ』ジャアナインダヨ! ダッテ主様面白クナイ思イモシチャウカモシレナイダロ!?」
「そうだね、芍薬」
 その一言に、イチマツが凍りついた。メンテナンスの行き届いているはずなのに、あちこちからギギギと音を立ててニトロへ振り返る。
「定期や保険は聞いてるけど、それは聞いてないな」
「……御意」
「資金はどこから?」
「あたしノオ小遣イカラコツコツト」
 まあ、そんなところだろう。
「それは、芍薬に、芍薬のために使って欲しいお金だよ?」
「……」
 芍薬の操るイチマツが床に下り、うつむく。応えのないのは、まあいい。
「でも、口座はどうしたんだい」
 A.I.は口座を持てない。
「母様ニ協力シテモラッタ……」
 ニトロはうめいた。芍薬だけならまだしも『してはならない』ことに関すると高頻度でうっかり失敗する母にも隠し通されていたとは! 確かに金銭の関わることにだけは――他に比べて――異常にしっかりした人だけども!(ちなみに仕事も会計経理関連に就いている)
「デモ……」
 と、芍薬がつぶやく。
「主様ノタメダモノ」
「気持ちは嬉しいよ。けど、だからってさ」
「まあまあ」
 そこに、流石に事の発端である以上居たたまれなくなり、ハラキリが口を挟んだ。
「何も悪いことをしていたわけじゃないんですから」
「悪くなけりゃ何しててもいいわけじゃないだろ? 話を聞いている、いないで話が大きく変わることもある」
「まあ、そういうこともありますが」
「まさに、そういうことだよな」
 ハラキリは、内心、額に手を当てて天を仰いだ。
 またもうっかり裏目に出してしまった。
 火に油とまでは言わないが、歯車に潤滑油とはなっている。
「でも俺はお金がどうこうっていうよりも、芍薬がそんな大事なことを黙ってやってたのが嫌なんだ」
「あたしノタメノヘソクリジャナインダカラ、イイジャナイカ」
 流石にすねはじめ、芍薬が反論する。ニトロも反じた。
「芍薬のためのヘソクリなら笑ってたよ。そして、それなら『必要なら言ってくれればいいのに』って思ったよ。いくら俺が貧乏性でも」
「違ウヨ主様、ソウイウコトジャナクテ」
「解ってる。そんなつもりじゃないのは。だけど」
「デモソレッテあたしニソウ“悪ク”思ワレテルッテ、主様ガソウ思ッテルッテコトダロウ?」
「違うよ芍薬、そういう話でもなくて――」
 売り言葉に買い言葉、とは少々違うものの、それでも少しの掛け違いから始まった口論は次第に喧嘩の様相を呈してきた。やがてそれは加速していき――
「だから!」
「デモネ!」
 ニトロと芍薬の声を大にした喧嘩は非常に……実に非常に珍しい。
 ハラキリは、どうも今日は日が悪いと、もう口は挟まず黙って事の推移を見守っていた――が、ふと、目の端に新たに現れていたイチマツを捉えてぎょっとした。そのイチマツ……撫子の操るイチマツは、物凄い目で睨み付けてきている。
「……」
 勢いを増してもはや大喧嘩となったニトロと芍薬の言い争いをBGMに、ハラキリは板晶画面ボードスクリーンを手にし、
≪大丈夫、『雨』は結局『地』をさらに固める≫
 ハラキリの筆談に、撫子が片眉を微かに跳ね、一言だけを返した。
≪後デ私達モ話シマショウ≫
 ハラキリは、思った。どうやらこの対応も裏目ったらしい。撫子の視線から逃れるように顔を背け、頬をひきつらせ、内心うめく。
(これは早速、痛い目をみるはめに――!)

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