6−g へ

 ケルゲ公園駅前で繰り広げられた再戦を、セイラはミリュウと共に見つめていた。
 第一王位継承者の部屋で、主人と二人きり。弟王子は『準備』のためフレアと共に『天啓の間』に篭っている。
 ケルゲ公園駅前で繰り広げられた教団と彼との二度目の戦いは、認めざるを得ない、『ニトロ・ポルカト』の独壇場であった。戦乙女に祝福された彼は、神と女神に祝福された者達を圧倒し、その圧倒的な存在感と共にこの『ショー』の主役である――そう宣言するに相応しい説得力を誇示してみせた。こうなってはもう、信徒は……ミリュウ様は、口惜しくも彼の引き立て役に他ならない。
 平凡で、普通の少年であったはずの『ニトロ・ポルカト』。
 彼は、もはや第二王位継承者にも勝る巨人であった。
 今、メディアのどこを見ても、当然この話題が中心である。
 そして話題の芯は彼である。
 これからも彼が中心であり続けるであろう。
 昨日までアデムメデスに語られていた第二王位継承者の雄姿は忘れ去られ、次代の王の雄姿が『希望』と共に語られることだろう。
「ミリュウ様」
 セイラは、己の前で、こちらに背を向けて座っている主人に声をかけた。
 ミリュウは振り返らない。宙映画面エア・モニターを見つめ続けている。目の充血は薬で散らした――が、薬では散らせぬ色に塗り固められてしまった彼女の瞳は、ただただ怨敵を見つめている。
「ミリュウ様……」
 セイラの呼びかけに、やはり彼女は応えない。
 セイラはずっと考え続けていた。
 ――主人とニトロ・ポルカトとの話し合いは、一体何を主人にもたらしたのか!
 夕食のために用意した席でミリュウから連絡を受け、その画面越しに主人の心乱された風体を見た時、一瞬、セイラは男女の間にある最悪の行為を考えずにはいられなかった。が、すぐに思い直した。主人は眼を真っ赤に充血させ顔に涙の汚れを残してはいるが、着衣に乱れはなく、それに、そもそもあのニトロ・ポルカトがどんなに怒りに任せようと報復として強姦に走るということは考えられない。いや、人の情動に関わることだ。それに因する行動の基準を、考えられない――という根拠に頼るのは危ういことであろう。しかしだとしても、彼は決してそういうことをする人間ではない……と、セイラは確信し、また信頼していた
 では、一体何故? 何故、ミリュウ様はこのようになってしまったのだろうか。
 部屋に駆けつけた時に見た王女の顔色は、憑き物が落ちたと言うか、どこか生命力が殺がれたとでもいうような……濁った瞳の色と合わせて、不吉な方向への気配しか感じられぬものであった。いっそ、変わり果てた姿――そう言っても良いのかもしれない。
「ミリュウ様」
 主人は、私の淹れたルッドランティーを飲んでいる。味わう様子もなく、されどそれを飲まねばならないと妄執にも似た決意を漂わせて機械的に飲み続けている。
 図らずも、セイラの瞼の裏にロディアーナ宮殿の地下で見た主人の形相が浮かぶ。ああ、それは今や懐かしい。今は、あの時に恐ろしいと感じたものよりも恐ろしい形相が、主人の後ろ姿から伝わってくる。
 セイラは堪らず言った。
「私に、できることはないのでしょうか。どんなことでもご命令下さい。私は、ミリュウ様のためならば命だって惜しくありません」
 ミリュウは応えない。
 セイラの声が震えた。
「どうか」
 ミリュウは、やがて、肩を小さく揺らした。どうやら笑っているらしい。だが、声はない。
「馬鹿ね」
 ついに返ってきた応えは、セイラを安堵させた。
 その声にはいくらかの温かみがあり、ルッドランティーを頼まれた時に聞いた声――耳を疑った生気の無さは、そこにはない。
「前にも言ったでしょう? あなたはわたしの傍にいて。ただ傍にいて、わたしを支えて」
 しかし、続けられた答えはセイラから望みを奪い去った。
 微かに振り向けられたミリュウの視線は、有無を言わせぬ強制力でセイラを縛ろうとしている。
 セイラには信じがたいことだった。主人からこんな圧迫を受けるのは、これまでにないことだった。
 だが、これは現実である。
 勘違いでも何でもなく、主人は人が変わってしまった。以前――たった数刻前にも増して、変わり果てられてしまった。
「本当に――」
 セイラは失望を振り払い、食い下がった。
「それだけでよろしいのでしょうか」
 セイラの瞼の裏に、つい先ほど、王女と同じ顔を持つ信徒の首がニトロ・ポルカトの手により刎ね飛ばされた時――その時に掠め見た主人の横顔が蘇る。見間違いだと思ったが、やはり見間違いではなかった表情が。殺される『自分』を目にした少女の頬に、薄く淡く浮かべられた笑顔が
 セイラは焦燥を胸に言う。
「私は、命じられれば……」
「ニトロ・ポルカトを殺す?」
 ミリュウのあまりに嘲るような、それともあまりに無感動なのか、感情の掴み所のない声がセイラに突き刺さる。
 セイラは唇を噛み、そして、
「ええ、殺してご覧にいれましょう」
 執事の決意に満ちる声色に、ミリュウが振り返る。
 セイラへ面と向けられた少女の顔には、驚くことに、セイラの大好きなミリュウ姫の和やかな笑顔が蘇っていた。
「馬鹿ね」
 再びミリュウはそう言った。その声は仄かに明るい。
「でも、本当に、いいの。あなただけはわたしの傍にいて。ね?」
 それは命令というよりも、どこか懇願のようにも聞こえた。
 セイラは諦めた。いや、受け入れた。失望はもうない。主人はきっと心からそう望んでいるのだ。ならば、それに応えよう。
「かしこまりました」
 セイラが頭を垂れる。
 ミリュウは満足そうに(あるいは安堵したように)うなずくと、再び宙映画面エア・モニターに向き直った。
「……」
 ……セイラは、知っていた。
 ミリュウは報道をチェックしてはいるが、その背中には“これまで”にはあったはずの必死さや命懸けの真剣みが存在しない。主人は、どういうわけか、どうやら状況の推移などどうでもいいと思っている。それなのに目を吸い込まれるようにして、そのどうでもいい光景を見続けている。
<――……ここケルゲ公園にも多くの人が集まり――>
 JBCSジスカルラ放送局のアナウンサーが、大いに賑わうケルゲ公園の様子をレポートしている。出店もあり、プカマペ教団のローブを着た者達が口々に『ニトロ・ポルカト』を讃えて歌い騒いでいる。チャンネルが変わる。
<ポルカトさんは特殊な護身術を学んでいるとのことでしたが、それこそが『クノゥイチニンポー』というものなのかもしれません>
 ATVアデムメデステレビではバラエティ番組で人気のコメンテーターが熱心に語っている。チャンネルが変わる。
<―ルカト氏は報道陣やファンの追跡を受ける最中、忽然と姿を消し、以降動向を見せていません。一方、この件について、ミリュウひ>
 チャンネルが変わる――普段流行などどこ吹く風と硬派を貫く王立テレビ局でさえ、この大騒ぎを気色ばんで報道している。さらにチャンネルは変わり、変わり続ける、が、内容は変わらない。
 ――今、メディアの何を見ても、当然この話題が中心である。そして話題の芯は彼である。これからも彼が中心であり続けるであろう。昨日までアデムメデスに語られていた第二王位継承者の雄姿は忘れ去られ、次代の王の雄姿が『希望』と共に語られることだろう。――そんな予感が再びセイラの胸によぎる。
 そして彼女の予感は、正しかった。

『劣り姫の変』三日目から四日目へと日を跨ぐ間も、跨いだ後も、アデムメデスは再びケルゲ公園駅前を端とした“物語の転換”について騒ぎ続けていた。
 ニトロ・ポルカトの行動。自らの身に危険がありながら他者に気を遣い、巻き添えを避けようとする人格。味方に際しても敵に際しても威風堂々とした言動。また、彼と彼のA.I.とが信徒と繰り広げた戦闘――それらへの評価、批評、評論、賞賛と興奮。
 中でもニトロ・ポルカトの言葉は皆の琴線を激しく震わせていた。彼が語ったこと、彼が暴露したミリュウ姫の意図、それらは本当に真であるのか。それともどこまでが真であるのか。取り立ててその点に議論は集中していた。
 そして議論が白熱する中、誰もがミリュウ姫のコメントを待っていた。
 しかし、初日と二日目にニトロ・ポルカトが沈黙を守ったように、ミリュウ姫はいつまで経っても何も言葉を発さなかった。ニトロ・ポルカトとの『会談』を認めるコメントすら出さずにいた。
 それに対する苛立ちは意外にも少なく、逆に、コメントが出されないが故にアデムメデスは大いに盛り上がった。
 かえって少ない材料しかないことが人を刺激することもあるのだ。
 少ない情報を元に、様々な人が実に様々な論説を展開していた。あるいは手の中にある材料を深く研究した。そもそもニトロ・ポルカトの言う『会談』は本当に行われたのか、行われたとして空港で姿を消したニトロ・ポルカトが王城にどうやって行ったのか。また王城に行ったとしても、どこから入ったのか。何しろ王城の周りにはずっと多くの人がいたのである。あの『映画』のようにこっそりと湖を泳いで辿り着いたのだろうか。
 あるテレビ局は有名な格闘家や評論家を解説に据え、ニトロ・ポルカトの身体能力について語った。彼の強さは本物なのか、はたまた全て演出されていたのか。演出されていたにしても、それを実行するだけの能力はどれほどのものか。
 ある分野のコミュニティでは芍薬(とそのアンドロイド)や両陣営が戦闘中に用いていた機械についての議論がされていた。炎の獅子のタネ明かしを試みる者。芍薬が帯の中から引き抜いた細長い金属板が次の瞬間には長剣の形を取った映像を使用してその仕組みの解説動画を作成する者。さらにそこへ技術的なツッコミを加える者。風変わりなところではニトロ・ポルカトが投げつけられた卵を割らずに受け取った際の動作を分析した物理学者がおり、彼はそこに描き出される実に美しい力の流れに惜しみない賞賛を与えていた。
 多種多様な楽しみ方が、多種多様の広がりをみせていた。
 その中で、一つ、次第に最も多くの関心が寄せられた話題があった。
 ――実際に『会談』が行われたとして……そうであれば、今後行われる全てのことに既にシナリオが立てられているのではないか?
 その疑惑は当然のことであった。
 しかし、それを否定する大きな勢力が存在した。
 ケルゲ公園駅前で、ニトロ・ポルカトと信徒らの対決を直接見た者達である。
 彼、彼女らは各メディアでほとんど口を揃えて証言していた。曰く『ニトロ・ポルカトがシナリオをなぞっているだけとは到底思えない』
 ドーブが主催する『ティディア&ニトロ親衛隊』のサイトにはまたもアクセスが殺到し、彼らは自らが得た栄光を知らせると共に、ニトロ・ポルカトの怖さも伝えた。
 一方でニトロ・ポルカトを侮辱する人形ひとがたを用意していた集団の数人が完全敗北を自サイトで告白し、やはりニトロ・ポルカトの怖さを伝えた。
 最初から最後まで傍観者を決め込んでいた者の多くは、心に刻まれたニトロ・ポルカトの存在感と共に、必然のごとく彼の怖さを伝えた。
 それだけ彼の迫力は実際に目にし肌に触れた皆の心に染みついていたのだ。また、心に染みついたからこそ、その場にいた者は強く確信していたのである。
 彼は本気であり、それは、彼女が本気だからだ
 実際、信徒の攻撃には明らかな殺意が感じられた。感じるだけでなく、様々な検証が、信徒の攻撃に殺意の有りしを肯定する結論に至っていた。もしニトロ・ポルカトが少しでもミスをすれば? すなわち彼は死んでいたであろう。ミスと成功の間にある遊びはシナリオの存在を許さぬほどに皆無だ。なおかつ、まるで『クレイジー・プリンセス』のようなあのノリが、あの滑稽を含む態度が、かえって「本当にそうなっても構わない」という狂的な意志を漂わせている。
 特に目撃者達の証言には絶大な影響力があり、検証の支えもあってケルゲ公園駅前での戦闘がヤラセであったかどうかの論議はそのピークを長くは保てず、やおら下火となった。『ティディア・マニア』の中には激しくニトロ・ポルカトの虚栄を弾劾し続ける者もいたが、しかし、それもまもなく全く意味がない行為となり果てた。何故なら、議論が下火となってからしばらくして、ヤラセだとか、シナリオだとか、そういったことはもうどうでもよいという流れが生まれたからだ。
 ニトロ・ポルカトは本気でミリュウ姫を相手にすると言った。
 その上で彼は、言葉通りに、本気で、素晴らしい『ショー』を見せてくれた。
 そこにシナリオがあろうがなかろうが、ミリュウ姫が始めた祭が盛り上がるのであれば問題はない。ニトロ・ポルカトはこれからもきっと素晴らしい『ショー』を見せてくれる。
 さあ、これから彼はどのようにミリュウ姫の攻撃を撃退していくのか。
 これから彼はどのようにミリュウ姫の試練を克服していくのか。
 どういう手段を使ったのか、ケルゲ公園駅前から去ったニトロ・ポルカトはマスメディアを先頭とする大追跡団を巧みにまき、再び姿を消した。次に彼はどこに現れるというのか。また彼はどの場面で追跡者達を振り切ったのか。予想の時間だ、検討の時間だ、分析と持論を発表する時間だ! 我々は、今、実に楽しんでいる!
 アデムメデスの熱はやまない。
 朝を迎えた地域も、夜を迎えた地域も、囁き合う口は閉じない。
 彼は、ニトロ・ポルカトは――話題の中心には、どこにおいても『ニトロ・ポルカト』があり続けた。
 そして、気がつけば、意識的にしろ無意識的にしろ、いつしかほとんどの者が今後の話の上で『劣り姫』――ミリュウの敗北を前提にしていた。
 これから彼はどのようにミリュウ姫の攻撃を撃退していくのか
 これから彼はどのようにミリュウ姫の試練を克服していくのか
 そう。
 祭にはある種の犠牲が必要なのである
 犠牲いけにえを捧げる祭壇を見上げれば――皮肉なことに!――今や祭を主催した本人が横たえられていたのである。
 折しもクロノウォレス星から、盛大に開かれたパーティーで次期女王がどれほど輝いていたことかを伝えるニュースが届いていた。
 かの国で、参加予定であった行事の全てを終え、それらそれぞれでどれほど第一王位継承者が誇らしく行動していたかを伝える特別番組も流れていた。
 ティディアとニトロ。
 聡明で慈愛に溢れた希代の王女。
 温和で優しいだけではない次期王候補者。
 恐ろしいクレイジー・プリンセスと、クレイジー・プリンセスを抑止できる勇敢な戦士
 輝かしい太陽にアデムメデスは歓喜し、月は、もはや雲に隠されていた。

 四日目の朝、曇り空の下、ミッドサファー・ストリートで開かれた祈りの集会に、ニトロ・ポルカトが『プカマペ教徒』の姿で紛れ込んでいた。
 それに気づいた四人の信徒との戦いは電撃戦であり、ニトロが一人を倒す間に芍薬が二人を、それから芍薬とニトロで一人を打ち倒した。
 彼がミッドサファー・ストリートに登場することは多数が『予想』していたことであったが、彼が祈りの集会の初めから最後まで教徒として参加していたことは驚きを呼んだ。さらにその驚きを超える“サプライズ”もあった。彼はローブの下に『トレイ』を携えていたのだ。ここに来て『トレイの狂戦士』――ここに来て意表を突く、その逸話の再現。そう、戦いは電撃戦であった! 狂暴な風が吹き抜けるかのように! ニトロ・ポルカトが特殊な合金製のトレイで信徒の攻撃を防ぎ、かつ打倒した瞬間は目撃者達に最高の興奮をもたらした。
 ニトロは戦闘後、信徒達の死へ追悼の祈りを捧げた後もミッドサファー・ストリートにしばらく居座り、さらなる信徒の攻撃を待っていた。
 だが、信徒は現れず、ニトロは何もしないのは退屈だと、サインや写真撮影等の観客の要望に応じた。彼が着ていた『教団変身セット』を携帯コンピューターのくじ引きによって手に入れた青年が約一時間後にオークションサイトに出品し、出品十秒後にそのオークションサイトのコミュニティ広場の掲示板に提供端末ファストフード・ストアから「早いわ!」と文句を書き入れたニトロ・ポルカトが「お前も早過ぎる!」と閲覧者の総攻撃を受けたのは良い小ネタである。
 昨日までの快晴が嘘のように雲の厚くなり出した昼。
 舞台はウェジィに移っていた。
 アデムメデスの目はニトロ・ポルカトに釘付けであり、宝飾の街で三人の信徒と半獣半人に変身した一人を圧倒的な力で調伏せしめた彼と彼の戦乙女にはため息が漏れるばかりであった。
 彼は戦いと祈りの後は老舗宝石店に入る余裕も見せた。彼が自らデザイン画を持ち込み作成の依頼をした『カンザシ』という異国のアクセサリーは、その日のワイドショーの大きな目玉となった。
 この頃には、また一つの大きな変化がアデムメデスに起こっていた。
 ワイドショーが取り上げた、ニトロ・ポルカトの手に入れようというアクセサリー。それを『目玉』と成らせしめた理由には、ニトロ・ポルカトに対する関心だけではない、それを贈られる芍薬自身への注目がマスターにも負けぬ凄まじい勢いで増大していたことがあった。
 あのクレイジー・プリンセスをして『戦乙女』と言わしめる芍薬は、今回の件において異名に恥じぬ活躍を見せつけていた。
 ニトロ・ポルカトの実力は確かであろう――が、彼が勝利を得られているのは、間違いなく芍薬の力があってこそだ。
 皆はすぐにそれを理解した。
 その活躍には使用しているアンドロイドと装備品の性能の助けもあろう、が、それを差し引いても芍薬は優秀である。異国の衣装が振りまく魅力と『クノゥイチニンポー』と総称する技の数々。軍や警察において戦闘に特化したA.I.にも勝るとも劣らぬ――ある専門家ははっきりと「勝る」と言い切った――的確な状況判断力と、本来不利であるはずの多対二という状況を多対二にしない戦況コントロール術は絶賛され、またそれ以上に、どんな危険を前にしようと、二人、息の合った連携を可能とするマスターとA.I.の信頼関係が(同時にA.I.とのコンビネーションを可能とするニトロの実力と共に)この上ない脚光を浴びた。
 ローカルテレビ局のA.I.情報専門番組のスタッフは以前から次期王のA.I.に関心を寄せていたらしく、これまでのイベント関係者等ニトロと芍薬の交流を見聞きした人間への地道な取材を元にした特別番組を作っていた。元よりニッチな番組であり、スポンサーとの兼ね合いで打ち切り直前であったため無念のお蔵入りの可能性もあったそうだが、これが絶好の機会と急遽放送し、何の宣伝もなかったというのにそれは主要テレビ局を足元にするほどの反響を呼んだ。
 ニトロ・ポルカトと芍薬への関心の渦は、狂騒と言っていいものであっただろう。
 いつしか芍薬とニトロとの良好な関係は、『人とA.I.の理想形』とまで讃えられていたのである。
 ……冷静に考えれば、いかに祭の最中とはいえ、ニトロ・ポルカトの持ち上げられっぷりは異常なものがあった。
 ――されど、冷静に鑑みれば、それは異常というよりもある意味で当然の成り行きでもあった。
 普段、ニトロ・ポルカトはメディアへの露出が少ない。彼がそれを望まず、彼の『恋人』もそれを尊重しようというために。
 しかし、当然、次期女王の夫候補である彼の情報を求める欲求は平時より常に高かった。ロイヤルファミリーには公人の面も多々ある。ニトロ・ポルカトという人間それ自体が興味の対象になるのは避けられぬことであり、通常であれば「我らの王に相応しいかどうかの選定のためにも」それなりの扱いを受けるものだ。ただし彼は優等生であり、ゴシップメーカーの側面もなかった。英才と言えなくも合格点には及ぶ学力があり、家庭環境にも問題はない(問題はないどころか、家庭環境のみに関して言えば超問題児を輩出し続ける現王家よりも信頼感がある)。その上、その気になれば絶大な影響力を行使できる『ティディアの恋人』の座にありながら増長することもなく、いつまで経っても彼は善良な常識人だ。そのため『ワイドショー系ニュースソース』としての価値は低く、それ故に、これまでは王家広報からもたらされる情報だけでも一定の満足が世に行き渡っていた。
 ――が、だとしても、やはり潜在的な飢えはあったのである。
 そして、今、飢えた耳目の前には食べ放題の『ニトロ・ポルカト』がいる。存在と活躍を知られながらも表には出ていなかった『戦乙女しゃくやく』までもいる。それどころか! これまでにない彼の“顔”が派手に披露されている。そうやって彼は――「我らの王に相応しいかどうかの選定のためにも」――その飢えの何もかもを満たす活躍を見せつけてくれている!
 なれば閉じられた蓋の下で燻っていた火種がようやく得られた酸素を貪欲に消費し、勢い猛烈に爆発するのは極自然なことであったのである。
 他方、その狂騒の裏で、もう一人の主役は王城で地味な公務に励んでいた。
 そして沈黙を破った『主役』とは反対に、主催者は未だに沈黙を守り続けていた。
 当初はそれも一興と受け入れられていた“沈黙”もさすがに不満を呼び始めていた――が、高まる不満も、面白いことに憤懣とまではならなかった。その理由は単純である。確実な“はけ口”があったのだ。
 王女は今夜、シェルリントン・タワーで姉に代わって定例会見を行う。その時には何かを告げることだろう!
 であれば、今はミリュウ姫の沈黙にじらされながら、うずうずと舌なめずりをしていればいいのである。その時を楽しみに、うずうずと身悶えていれば良いのである。
 それに、厳密に言えば、主催者は全く沈黙しているわけでもない。本人としては沈黙を守りつつも、劣勢極まるプカマペ教団のサイトは更新され続けていた。
 ニトロ・ポルカトと芍薬に信徒が倒されていく度、信徒のプロフィールがサイトに掲載されていた。信徒らにはいずれも『安っぽい』悲劇的なエピソードが添えられており、本来は安っぽいなりにも悲劇を背負う信徒を無慈悲に殺すニトロの“悪魔性”を強調するつもりであったのだろう。が、今となってはその安っぽさも、信徒らの『死』を悼むニトロ・ポルカトの姿勢を――哀れなほどに裏目にも――尊敬すべきものとして補強していた。そう、それは、戦いの後の祈りの後に読むことでまた、物悲しくも充足する活劇をより楽しむためのエッセンスとして『ショー』を盛り上げていたのである。
 それから忘れてならないのは、動画ページの中央、くにの各地の祈りを受けて次第に心音を大きくしていく動画だった。
 そこに映る何かの影。
 それは、教団の切り札であるのだろう。おそらくは『破滅神徒』なのであろう。皆は胸を躍らせる。あの『烙印』にも関係するらしいそれは、ニトロ・ポルカトとその戦乙女を相手にしても、きっと二人を苦しめられるくらいには強力であるのだろう!
 興奮と不満と期待が入り混じり、渦を巻いていた。
 もし演者が正しい流れから外れれば、演者を一気に飲み込み、二度と浮上できぬ水底にまで連れて行く大渦が、祭の熱が作る激しい上昇気流に生み出された雷雲と共にアデムメデスを包み込んでいた。
 星は回り、太陽は巡る。
 夕闇の迫る王都には、しとしとと雨が降り出していた。

 日没を迎えた地域の各所では、大勢の『プカマペ教徒』が祈りの言葉を唱えていた。小雨とはいえ雨の中、それでも人出は凄まじく、祈りの大合唱は活き活きとくにを賑やかしていた。
プカマペ様よプルカマルペラ
 我らが導神よプルカマルペロ
 我にティディア様の御加護をア・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
 我らはティディア様を讃えますアー・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア――>
 しかし、その祈りは、今や当初の意義とはかけ離れた意味を帯びている。
 この祈りには、ニトロ・ポルカトを――女神ティディアを堕落させる悪魔を排斥しようという真の意図があった。それを解っている者は解っていたであろう。されど教団の祈りは真の意図を大きく離れた。祈りを唱える皆の声は、明るい。祈りの指導に立つ信徒らには未だ悪魔を打ち倒すことを願う底光りする怒気がある。それなのに、復唱する教徒達の声にはそれがない。以前には信徒に引きずられて沈んだ声もあったのに、その聞く影すらもなく、詠唱する教徒の声の全ては悪魔が女神と共にもたらすであろう栄光の日々への期待となっている。
 中には、もちろん、抵抗を続ける『マニア』達もいる。だが、それは異端である。狂信的な『伝説のティディア・マニア』が始めた祈りの中にあって、本来真の教徒であるはずの狂信的な『マニア』達はもはや完全に異端視されている。これは一体何の悪い冗談であろう。
<プルカマルペラ
 プルカマルペロ
 ア・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
 アー・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア――>
 シェルリントン・タワーの王家控え室。化粧台の椅子に座り、執事に髪を梳かれながらミリュウが見つめるのは、鏡の右上隅に表示されるテレビ画面。そこには、スライレンドの王立公園の大広場で開かれている大祈祭が映っていた。
 音楽祭等様々な催し物も開かれる有名な広場は、雨降る中でも大勢の人で埋め尽くされている。
<プルカマルペラ
 プルカマルペロ
 ア・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
 アー・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア――>
 広場の西端で跪く十人の信徒が説法の後に三度唱え、その背後で大集団を作る教徒らが三度復唱し――そこで終わるはずだった祈りの言葉は、しかし続けられた。
この人にティディア様の御加護をクゥ・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
 この人らはティディア様を讃えますゥグ・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア
 誰かが唱えた。
 会に集まっていた大勢の教徒達が驚きざわめく。
<クゥ・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
 ゥグ・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア>
 もう一度、誰かが唱える。すると、それに続けて大勢の教徒達も同じ祈りを唱えた。
 そして、歓声が沸き起こる。
 誰が率先して唱えたのか……それは、判りきったことだった。
「大当たり」
 ミリュウはつぶやく。
 セイラも見た。
 ミリュウの視線の先、カメラがクローズアップした『教徒』の存在。
 その男は十人の信徒達から最も離れた場所、広場の東端に位置する東屋にいた。
 広場の辺縁にはコンサートなどで使われる大型宙映画面ヒュージ・エア・モニターがあり、そこにニトロ・ポルカトとその戦乙女が映し出される。画面の中、ローブを脱ぎ捨てた主役は周囲の目と歓声を集めている――が、人々がそれを取り囲むことはない。むしろ歓迎しながらもさっさと離れていっている。解っているのだ、これから何が起こるか。解っているから、速やかに離れているのだ。
 ニトロ・ポルカトの周辺から群集が割れていき、信徒達の側からも群集が割れていく。それはまるで海が割れていくようであった。むき出しとなった海の底は、やがて中央で繋がる。数十秒のうちに、東端から西端にかけ、黄道に沿って作られたかのように長方形型の舞台が完成した。互いに短辺を背にして対峙する両者の激突を今か今かと待つ人々が、分かたれた海の飛沫となって潮騒を昂ぶらせている。
「パティ、凄いわ」
 ミリュウが振り返ると、パトネトは小さくはにかんだ。
 ミリュウの隣に控えるセイラも振り向きうなずく。テーブルにモバイルを置き、それを操作しつつ傍に映した宙映画面エア・モニターを“ながら見”にする幼い王子は、朝の段階で昼の舞台になるのはウェジィだろう、夕はスライレンドだろうと、ニトロ・ポルカトの出現地をことごとく当てていたことへの感心を一身に受け、はにかんだ顔をさらに輝かせる。
 世間(また、ある有名なブックメーカー)では、昼も夕も地味な書類作業に勤しむ王女の膝元、王城が次の出現地だと最も予想されていた。次点はニトロ・ポルカトが『隊長』と会話していたこともあり、ドロシーズサークル。三番手に第二王位継承者を最も挑発する意味合いのあるロディアーナ宮殿。夕に関してのみ、シェルリントン・タワー前も多くの人気を集めていた。もし、朝の段階からパトネトが賭けに最小金額で参加したとして、配当金を昼・夕と転がしていたら、それだけで四人家族でちょっと豪華な食事を楽しむことができている。そしてさらに一財産作りたいと思うのならば、食事を我慢してこの後の戦いは『教団の勝利』に賭けるべきだろう。
 パトネトは姉らと自分の間にある宙映画面エア・モニターで、こちらへ振り向いたままの二人と共に現場の様子を見つめた。
 信徒五人が膝を突いて賛美歌を歌うように祈り出している。残り五人のうち二人が神水ネクタールを飲み、肥大した体を祈る五人の盾として身構え、もう二人が槍を携える半人半馬の騎士となり、最後の一人が炎の獅子と電光の狼を現す。
 一方、ニトロ・ポルカトは覆面を被り、文字通り何でも切り裂く恐ろしいナイフを両手に構えている。芍薬は『クノゥイチニンポー』と称して頭上に“雀蜂”の一群を飛ばし、さらに袖の中から手品のように現した小型のアンドロイド二体――“戦雛いくさびな”と呼んだそれらを前面に配置した。その二体は男女一組で、夫婦のようであり、男は黒の、女は赤のキモノを着ている。それぞれ刀と長刀を構えており、白い紐を頭に巻き、同じく白い紐を肩と背に回す不思議な結わえ方をして長い袖を短くまとめていた。
 両陣営のどちらにも、初お披露目の戦力があった。
 しかし観客の支持を得ているのは明らかにニトロ・ポルカトとその戦乙女だった。
 二人の人気に加え、目に珍しい異国のエッセンスが支持を拡大させている。
 戦いの口火が切られた。
 果たして“雀蜂”と“戦雛”を芍薬がどのように操作するのか。また、ニトロ・ポルカトはどのように危険なアクションを成功させるのか。芍薬と共にどのようなコンビネーションで魅せてくれるのか。
 大きな期待と共に、安堵にも似た信頼感が次期王と戦乙女にはあった。
 が、それでも、少しでも“失敗”しようものなら、ニトロ・ポルカトもただではすまないであろう緊張感は残っていた。
 ニトロ・ポルカトと激突した半人半馬の振るった槍が、あの恐ろしいナイフの片方を半身から切り落としたのだ
 教団側の一本先取。ニトロ・ポルカトの攻撃力が半減し、驚愕の声がその場を埋め尽くす。
 ニトロ・ポルカトは一度退いた。彼を守るために芍薬が強引に敵を引きつけ、一時半人半馬二人を一度に相手する。さすがに分が悪く、芍薬が馬の蹴り足に体勢を崩される。そこに槍が迫り、しかし芍薬は辛うじて槍を脇に通してかわしきる。そこに炎の獅子と電光の狼が襲いかかった!――久々に生まれた次期王達の劣勢にどよめきが増す。
 パトネトは――
 信徒達に組み込んだのは自信のある戦闘用プログラムであるものの、この時点で敗北を悟っていた。
 資料から推測した以上に、芍薬は戦闘に長けている。
 その上、実戦派とでも言うのだろうか、ニトロ・ポルカトも一度戦闘となれば練習時以上のパフォーマンスを発揮する。退いたと見せたニトロ・ポルカトは、退いたのではない。素早く、速やかにベストポジションに移っただけだ。そこで彼は振りかぶり、折られたナイフを渾身の力で投げつけていた。その先には、劣勢の中、機を見て芍薬が“強風の扇”を振るい押し込んだ炎の獅子がいた。とはいえ獅子に実体はなく、ナイフの柄は当然のように獅子の体内を素通りする。素通りし、獅子を挟んで射線上にいた獅子と狼の使い手に猛然と向かう――が、使い手の信徒はこともなげに投げつけられたナイフを掴み取った。無論、こんな手は利かぬという挑発を込めて――それが失敗だった
<カトン・オニビ!>
 芍薬の声が響く。
 と、同時に、信徒の手にあるナイフが……いや、そこに括りつけられていた物が弾け、轟音と共に凄まじい火球が生まれた。信徒に逃れる術はない。火に飲まれた信徒は声を発する間もなく崩れ落ち、燃えながら体を地に横たえた。赤い炎が信徒を焼いていき、それが、やがて青白い炎に取って代わられる。
 その間にもニトロ・ポルカトは新たに伸縮式の警棒を携え、舞台を縦横無尽に動いていた。彼の動きは無駄のように見えても決して一つの無駄もない。俯瞰で見れば、『彼という要素』が“戦場の形態”を決定付けていることが分かるであろう。自ら攻撃を加えながら敵を引きつけ、あるは押し込み、そのマスターに合わせて動く芍薬が、敵勢を殺ぎ、小戦力である雀蜂と戦雛をうまく使いながら多対二を二対二――さらには一対二とまで数的優位の状況を作り出していることにも気づけるだろう。
 パトネトは、信徒に積んだ思考ルーチンの特性を誰より知っているからこそ、完全に先が見えていた。
 信徒は、動き回るニトロ・ポルカトを追わざるを得ない。無視すればナイフが迫るということもあるが、そもそも戦闘用プログラムと並走している思考ルーチン――ニトロ・ポルカトへの戦闘指揮を全面的に任された以降も、取り外しては意味がなくなってしまうため現在も『信徒』の基幹として用いている『姉の意思』――それが、どうしてもニトロ・ポルカトを無視するという選択肢を取れないのだ。芍薬は優秀だ。既に、それも完璧に見抜かれている。この後も信徒達は芍薬の思い通りに動かされ、雀蜂に、戦雛に、そして芍薬とニトロ・ポルカトの手にかかり――炎の獅子と電光の狼が素晴らしい連携で同時に屠られた……次々と倒れていくだろう。
「……」
 パトネトは二人の女性を見た。彼の目に映るのは、半人半馬の一人が腕を落とされている様を無感動に見つめる姉と、姉の姿をした“機械”が壊される度に泣きそうになっている心優しい執事。
「順調だよ」
 パトネトは言った。
 突然の発言、それも自戦力が削られた直後のセリフにセイラが戸惑う。ミリュウは感情の動きを表さない――いや、たった一つの感情だけ見せて、他の感情を見せてくれない。
「輸送も完了した。『破滅神徒』のプログラムも、調整完了」
 トン、とモバイルのキーを押す。するとミリュウの体に一瞬変化があった。セイラはパトネトを見ていたため気づけなかったが、ミリュウ自身は、
「綺麗ね」
 パトネトの言葉を受け、鏡に向き直って“それ”を確認し、うっとりとしてつぶやいた。
「?」
 セイラが振り返った時には、ミリュウの変化は消えていた。
「何が、でしょう?」
 と、セイラが事態を掴めず、しかし次第に嫌な予感に胸を掻き毟られながら問う。
「……」
 ミリュウは鏡越しにセイラの不安を見ながらも、口を閉ざしていた。
『最後の手』は――セイラはひどく心配したに決まっているから――反対したに決まっているから――いいえ、セイラだけでなくてパトネトにも……言っていない。
 鏡にはセイラの、答えのないことにさらに不安を募らせる顔がある。ミリュウはそれをぼんやりと眺めながら、
「フレア、サイトを」
 要請に、今は部屋付きのA.I.として振舞っているフレアが応え、エア・モニターの数を一つ増やしてそれを鏡の横に表示した。画面に映されたのはプカマペ教団のサイトであり、動画配信のページだった。
「これは」
 セイラが思わずつぶやく。
 動画ページには、今、たった一つの映像しかない。いつもは中継されていた各地の祈りの様子も、現在進行形の――雀蜂に追われた半人半馬の一人がニトロ・ポルカトと戦雛らの刃にかかって屠られている――戦闘も配信されていない。
 そのページにあるのは、鼓動を打つ、一体の石像であった。
 これまで闇に隠されていた像は今、ライトに照らされ、大理石であろうか、真っ白な体を神々しく輝かせている。裸身をワンピース型の羅衣で包んでいる姿は、古代の神像に倣ったデザインであるのだろう。
「ティディア様?」
 セイラの言葉通り、石像は『女神』を模して作られたものであった。だが、顔はない。それでも耳や頭部の作りに髪型、胸下まで届く深い襟ぐりから覗く乳房の形や腰つきといった体のラインだけでそれがティディアだと伝わってくる造形美を持つ像であった。
 それほどの美術的技量のある像なのに、どうして顔がないのか――セイラが疑問に思っていると、映像の下部に字幕が流れ出した。スライレンドで捧げられていた賛美歌のような祈りが一巡し、再び初めから謳われ出している。どうやら字幕はスライレンドの祈りの文言を訳したものであるらしい。曰く『誰にもその尊顔は描けない。その尊顔は、女神がこの世に光臨せしその時にのみ見ることの叶う。女神を信じ、悪魔を滅し、大いなる時を迎えた者だけがその目に光を浴びることの叶う』
 神像は、震えていた。
 涙を流すように震えていた。
 その背に美しい翼が現れる。石の身でありながら、映像で見るだけでもその柔らかさを知ることのできる大白鳥の翼。
「綺麗です」
 セイラは我知らず、言っていた。
 パトネト王子が精魂込めて作り上げたそれは、姉への愛情が迸っているかのように、本当に美しい。
 やがて神像が動き出し、突然、飛翔した。
<――――――!!!>
 スライレンドの映像を映すエア・モニターから、音割れを起こすほどの大音声が轟いた。
 驚き、セイラがそちらを見ると、半人半馬のもう一人が芍薬により胸を貫かれ、祈る五人の盾となっていた信徒の片割れがニトロ・ポルカトにアキレス腱を断たれて転び、そこに二体の戦雛が襲いかかる――その背後では、どういうことだろうか、傷を受けたわけでもないのに祈る五人から淡く青白い炎が立ち昇り始めていて……違う、そんなことで皆が驚いているわけではない。
 ニトロ・ポルカトと芍薬も驚いたように上空を見つめている。
 カメラが動き、それを捉える。
「ああ」
 セイラは驚きの声を上げた。
 サイトの画面から飛び去った女神像が、そこに浮かんでいた。
 身の丈は5mほどであろうか。大きな翼をはためかせ、白い石の肌を持つ顔の無い女神の偶像が光臨する。雨粒を彗星の尾のように輝かせながら、地に降り立つ。
 戦闘部隊の中で唯一生き残っていた神水の信徒も膝を突き、祈り出した。その体には雀蜂の群がまとわりついていて、その信徒もまた青白い炎を帯び、まるでその炎で雀蜂どもを道連れにしようと燃え出している。
 祈りの声が一段高くなった。
 ニトロ・ポルカトは唖然として、口を開けている。
 女神像は拳を振り上げていた。その間合いは、ニトロ・ポルカト、芍薬、どちらも捉えられる位置にある。慌ててニトロ・ポルカトと芍薬が後退した。すると女神が急に向きを変えて拳を振り下ろし――さらに拳のその指の付け根からそれぞれ腕が五本現れ拳を握り! そうして狙われた戦雛の男性型が、流石に巨大な拳と五つのサポート拳からは逃げ切れずに潰される。
<シーーーン・ばーーーーつ!>
 女神像が叫んだ。まるでミリュウとティディアと無数の金切り声を混ぜ合わせたような音を、口のない女神像は全身から発するようにして大気を揺らした。
 そして翼を一度はためかせ、わずかに宙に浮き、
<しーーーん・ヴァーーーーツ!!>
 ニトロ・ポルカトに襲いかかる!
「けっこう、いい勝負ができると思うよ」
 どのような素材を用いているのか、石としか見えないのに瞬時に軟化した髪を逆立て、その髪先からレーザーを撃つ女神像の一から十までを作り上げた王子――齢7にして恐ろしい才能を開花させるパトネト・フォン・アデムメデス・ロディアーナが自慢げに言う。
 セイラは圧倒され、いつになく力強い王子の声に目を引かれ……と、そこで彼が手に非常に薄く作られた、簡素なベルトタイプの青い首飾りチョーカーを持っていることに気がついた。
「それは?」
 セイラに問われたパトネトは椅子から降り、
「最後の演出」
 と笑顔で言ったところで、ふと笑顔を消し、怪訝そうに眉根を寄せた。
「……お姉ちゃん」
 セイラはパトネトの目を見、悪寒を感じて慌てて振り向いた。
「それ、何?」
 パトネトに問われたミリュウは、いつの間にか、弟の持つものと同じチョーカーを手にしていた。
 セイラは、恐ろしい予感がしてならず、パトネトの問いに続け、パトネトすら知らない物の存在への問いを投げかけた。
「ミリュウ様、それは!?」
 思いがけず、セイラの声は悲鳴となっていた。
 ミリュウは既に邪魔にならないよう髪をまとめていて、セイラの問いに答えるより早く、また彼女の執事がそれを止めようとする間もなく、青い――あのニトロ・ポルカトの左手に刻まれた紋様と同じ色のチョーカーを着け終えた。
 セイラの心臓が、何故だろう! 最悪の光景を見たとばかりに止まりそうになる。
 鏡を見る王女は、よく見れば喉に当たる部分に花の印があるチョーカーが似合うかどうかを確認するようにしながら、ようやくセイラの問いに答えた。
「最後の演出よ」
 セイラは、鏡に映る主の笑顔を見て、凍りついていた。鏡に映る自分の顔は蒼白となっている。
「パトネト様!」
 彼女は王子に振り返った。
 幼い王子は事の急転についてきているようではあるが、大きな反応は示していない。
「一体、どのようなことを!?」
「チョーカーと、ニトロ……ポルカトの『烙印』は、連動しているの」
「それで!?」
 セイラのいつにない勢いに身を引きながら、それでもパトネトは懸命に答える。
「『破滅神徒』の命を、烙印を通して悪魔に注ぐ。――つまりね、二人分の命は一つの肉体には収まらない」
「ええ、それで?」
「だから、肉体が堪えられずに崩壊する。そういう『毒』が仕込まれている、そういう設定」
 セイラは眩暈を覚えていた。
 止まりそうになっていた心臓が、一転、血管を破りそうなほどに早鐘を打つ。蒼白となった顔に色は戻っていないのに、コメカミが熱くなる。
「……ミリュウ様」
 セイラは、振り返った。
 そして、鏡に映る、皮膚と一体化しているように見えるほど薄いチョーカーを撫でる主人の微笑を見て、震える。
 彼女は、ようやく知った。ようやく知ることができた。
 主人の……大切なミリュウ様のその微笑みの正体。
 それは死臭のする笑みであった。
 そしてその笑みは、ニトロ・ポルカトへ死を告げる臭いを放っているのではない
 彼女はようやく解った。
 主人の本当の望みが、究極的にはどのような形を求めていたのかを。
「ミリュウ様!」
 セイラは手を伸ばした。
「取っちゃだめ」
 主人の首に巻きつく青いチョーカーに執事の指が触れる寸前、パトネトがいつになく厳しい声で――いいや、セイラが初めて聞く鋭い声で彼女を止めた。
「……お姉ちゃん。僕の設計を流用したんでしょ?」
 何か思い当たることがあるのだろう弟の問いに、ミリュウはいつまでも答えない。が、その沈黙は肯定を意味していた。
「……なら、それを外せるのは、一人しかいないよ」
 セイラは見た。チョーカーには留め具らしい部品が見えず、かつ生地と肌の接する箇所が癒着するように隙間を持っていないことを。これは……『皮膚と一体化しているように見える』――ではない、本当に一体化しているのだ。そして、直後、その姿がぶれ、ぶれた景色に周囲の光が吸い込まれるように見えた後、王子の生み出したチョーカーは、王子の意図にないものを抱えて姿を隠してしまった。
 セイラは、しばし呼吸をするのを忘れていた。
 脂汗が額に滲み、あまりの恐怖に膝が震える。
「……なりません」
 辛うじて、やっと、怒気を込めて彼女は言うことができた。
 だが、側近の叱責を受けてもミリュウは満足そうに鏡に映る自身を見つめている。
 セイラは何の反応も返さぬ主人の肩を背後から掴み、叫んだ。
「なりません、ミリュウ様!」
 それでもミリュウは応えない。
 セイラはミリュウを揺さぶり、怒りでもなんでもいい、なんでもいいから自分に――ニトロ・ポルカトではなく自分に感情を向けさせようとした。
「お答えください、ミリュウ様!」
 だが、ミリュウは応えてくれない。
 セイラの双眸から大粒の涙が溢れ出す。
「何故ですか! 何故、そのようなことを!」
 セイラの爪がミリュウの肌に食い込む。鏡に映る王女は、痛みすら感じなくなったように暗い目をしている。暗いのに、とても安らかな希望に満ちた瞳をしている。
「何故、あなたが死なねばならないのですか!」
 とうとう、セイラは決定的な言葉を投げかけた。
「……お姉様のためよ」
 ミリュウが、やっと口を開いた。
「お姉様は、わたしの命を以てお目をお醒ましになるの」
「いいえ!」
 しかし、セイラは即座に否定した。
「違います! それはティディア様のためではありません。お目をお醒ましになる? そうかもしれません。ですが、ミリュウ様、それは、そんなことより全てはあなたのためでしょう!?」
 セイラは、解っていたのだ。それくらいのことは。解っていながら、
「あなたは『自分のため』――ご自分の苦しみを消し去るために……!」
 それを解っていながら、主人の苦しみを和らげる手立てすら考えつけずにここまで来てしまった。ニトロ・ポルカトへ理不尽な攻撃がされることを黙認し、それどころか――そう、それどころか心の奥底では、あのニトロ・ポルカトが主人の苦しみを壊してくれることに淡く期待を寄せて……そうしてここまで来させてしまった! 主人のことを言えた義理ではない。自分勝手で、あまりに愚かな己への怒りがセイラの胸を焼く。
「そのために死を選ぶなど、そのために彼を利用してまで死のうとするなど、それは卑劣にして恥知らずな卑怯者の行うことです!」
 今更――と、自分をも責めながらのセイラの声は怒りの涙に震え、しかし怒りよりも強いミリュウを思い留まらせたい一心が言葉を搾り出す。
「ミリュウ様、おやめ下さい。そんなことはなりません、今ならまだ「いいえ」
 ミリュウの静かな声が、セイラを抑え込んだ。
 彼女の声はとても強く、そして恐ろしく冷たく、なのに、異様に熱い。
「もう間に合わない。とっくの昔に、もう、間に合わなくなっていたの」
 ミリュウは微笑んでいた。不気味に、少女の死体が突然幸せそうに笑顔を浮かべたかのように、笑っていた。
「それにね、これでわたしはあのニトロ・ポルカトに勝てるのよ?」
 その一方で、セイラには、主の声が泣き笑いに震えているように聞こえてならなかった。
「……何故ですか。何故、何が、あなたをそこまで思いつめさせるのです。ニトロ・ポルカトですか? とっくの昔に?……彼が何を、彼が、一体あなたにとって何だというのですか」
 ミリュウは答えない。ただ、微笑む。
 セイラは、ミリュウを背後から抱きしめた。七つの頃からお世話をしてきた優しくて努力家の王女。誰が貶めようと誰よりも誇らしい主人。誰よりも大切なかぞく
「お願いです、ミリュウ様。ならば、どうか私を頼ってください。一言命じるだけでいいのです。そうすれば、あの人の好い彼のことです。私の手からは逃れられないでしょう。それであなたは勝てるのです」
 自分が何を言っているのか、セイラは理解していた。どれほど浅ましいことを提案しているのか、はっきりと理解していた。
 執事の本気は、王女に伝わる。
 しかし応えはない。沈黙があり、周りからは、女神像がニトロ・ポルカトと戦う音が聞こえてくる。ニトロ・ポルカトの活躍に沸く歓声が聞こえてくる。
 やおら、ミリュウは、そっとセイラの頭に手を触れた。
「あなたは……わたしの傍にいて。それだけでいいの」
 セイラは弾かれたように顔を上げた。
 鏡越しに主と向き合い、見つめ合う。
 何秒、何十秒、瞳で語り合っただろうか……やがてセイラは絶望したように目を伏せ、その後、一歩退くと深々と頭を垂れた。
「…………ねえ、パティ」
 セイラは部屋を出て行った。ドアの閉まる音が頭の中で反響している。もう何を捨ててもいいと覚悟していたのに、その覚悟の追いつかないほどに痛烈な喪失感を味わいながら、ミリュウは鏡越しにじっとそこに佇んでいる弟へ声をかけた。
「あなたも、いいのよ?」
 パトネトは首を振る。首を振って、椅子に座り直し、モバイルを相手に何かを始める。
 弟の可愛い指がキーを打つ音が、異常なまでに静かな部屋に響き渡る。
 ミリュウはそれ以上――恐ろしくて――弟の姿を見ていることができず、目を鏡の中の自分に戻した。チョーカーはその機能を発揮し、この目で見ることはできない。が、触れると確かにそこにある。チョーカーに触れた指先から不思議と安心感が伝わってきて、空しくも、心安らぐ。
「……」
 エア・モニターは未だ戦闘を伝えている。
「…………」
 弟が一から十まで作った――信徒とは違いわたしの息のかかっていない女神像は、これまでで最もニトロ・ポルカトとその戦乙女を苦しめている。
 ……弟は、大きい。
 あんなに小さな体をしているのにとてつもなく大きくて、すぐにでもわたしを潰してしまいそうだ。
「ッ――」
 ミリュウは唇を噛んだ。血が滲んだ。だが、痛みは足りない。こんなわたしにずっと協力してくれて、今でも残ってくれている大好きな弟をそんな風に考えてしまう自分が憎くて、
「――ありがとう」
 やっとのことで搾り出された姉の声を、パトネトは静かに受け止めうなずいていた。
 しかし、弟の決意に満ちたその横顔を、きつく瞼を閉じたミリュウが見ることはなかった。

..▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

 ミリュウは、夢を見る。
 瞼を閉じて、現を見る。
 ――わたしは……弱い。
 弱くて、脆い。
 脆くて、醜い。
 わたしは王女には相応しくない。
 だけど、わたしはお姉様の妹だから。
 誰も代わりにはなれない、お姉様の一番の妹だから、わたしは王女なのだ。
 お姉様は誰をも愛しながら、本当は誰をも愛さない。
 わたしもお姉様に利用されている。お姉様を助ける王女として。お姉様のためになる駒として。愛されながら、愛されていない。愛されていないのに、愛されている。
 本当には誰も心に近寄らせないお姉様。
 やがて、真実、女神となろうお姉様。
 そんな貴女に最も近づくことを唯一許された存在だから、わたしは王女に相応しいのだ。
 そう思っていた。
 そう信じていた。
 そうしてわたしは『わたし』でいられた。
 だけど、もう、そうは思えない。
 そのはずだった世界は、もう、そう在ってはくれない。
 ニトロ・ポルカト。
 恋人、夫とは名ばかりに、ただティディア姫の最も近くにいるだけの気に入りの従者となるはずだった男。
 ただ、ロディアーナ朝歴代最高の女王の従者としてのみ戴冠を許される王となるはずだった男。
 ニトロ・ポルカト!
 お姉様はもはや女神ではない。お姉様はお前を愛したことで、女神には、永遠になれなくなった。全てに向けられ全てを見通すはずの瞳は特別な眼差しを産んでしまった。特別な眼差しにわたしは映らない。皆と同じように。全てはお前に注がれている。お前は未だ知らないのだろう、お前はわたしから『私』をも奪ったことを!
 誰もが等しく女神に見守られているからこそ――その中で唯一女神に傍に近づけるからこそ、わたしは王女たるに相応しかった。そうでなければわたしは、もう、王女ではいられない。
 王女に相応しくないのであれば、第二王位継承権の座にあるわたしは何だと言うのか?
 ただ、ただただ神に見捨てられた方がどんなにましなことだったろう。
 クレイジー・プリンセスの傍にいる『優等生』。
 クレイジー・プリンセスの傍にある『歯止め』。
 今となれば、なんと笑えない冗談か。
 これからどうあろうとわたしは後塵を拝す。
 どうしたって補助となる。
 ニトロ・ポルカトの後ろにいる『優等生』。
 ニトロ・ポルカトの後ろにある『歯止め』。
 お姉様の補助であればどんなに嬉しいことだろう。だが、違う。もう違うのだ。わたしは、例えお姉様に見捨てられてもわたしに残るはずだった存在理由すら、これまでわたしの心を支えていた唯一の存在理由すら……ニトロ・ポルカト! お前に奪われてしまった。
 スライレンドを救った勇者。
 クレイジー・プリンセスを激烈に抑止し抱き止められる男。
 敵のみならず観客ごと『劣り姫の変』を掌に乗せられる実力者。
 笑えるだろう?
 ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナなどという名の安全弁が『ニトロ・ポルカト』に比してどれほどのものだと言うのか。補助として後ろにあっても、それは無いに等しいものではないか。比喩ではなく、実際に、無いに等しい……わたしと無はイコールで結ばれている。
 ――ああ。
 わたしは……
 わたしの女神様を奪い去られ、存在理由も亡くして、一体どうすればいいのだろう。
 とうとうセイラにも去られた今となっては……もう……

 ……こわい。

 怖い。
 怖いのです、お姉様。
 わたしは王女であるわたしが怖いのです。
 貴女の妹であるわたしが怖いのです。
 パトネトの姉であるわたしが怖いのです。
 わたしは『わたし』が何より怖いのです!
 どうかお傍に寄らせてください。
 ニトロ・ポルカトに奪われてしまったその場所にまた座らせてください。
 どうかわたしに……ニトロ・ポルカトではなくわたしに、その温かな眼差しをください。
 お姉様――
 あの独り過ごした宮殿の夜が、わたしを包み込んで寒いのです。

..▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽






 クロノウォレスでの公務を終え、クロノウォレス国民の盛大な見送りを受けて次の目的地へ出立したティディアは、星間航空機スターシップの部屋で甘く作らせたミルクティーを飲んでいた。
 アデムメデスからの往路とは違い、この船にはもう随行者はいない。クロノウォレス政府の招待を受けた随行者達はあと二週間かの国に留まり、その後に先方がアデムメデスまで送り届けてくれる。
(さて……)
 その二週間後に帰星する彼・彼女らは、その時、一体どのようなアデムメデスを見ることになるであろうか。
 ティディアの手にはヴィタが寝る間も休む間も惜しみ嬉々として作った『レポート』がある。また彼女の前には宙映画面エア・モニターがあり、そこには星間通信が届けるアデムメデスの様子がある。時差を生じて届けられる映像は、日没を迎えた地域の各地で開かれている教団の祈りを伝えている。それがまた、その祈りの意味が、その意義が、ニトロに完全に変質させられてしまったことを彼女に報せている。
 ――本当に、彼は大きくなった。
 私以外の人間を、それも個々人のみならず数え切れない人数を相手にしても彼はその魅力をいかんなく発揮している。感嘆すべき成長の結実を堂々と美しく描き、彼の軌跡を知るこの胸をときめかせてくれる。複雑に
 そして、
「――芍薬ちゃんたら、またとんでもない体を手に入れたのねー」
「相当な技術者の手による物のようです。ハラキリ様経由の他はありませんから、ひょっとしたら神技の民ドワーフの手による物、だとしたら完品をあれほどおおっぴらにはしないでしょうから……あの『戦闘服』と同じく試供品といった物かもしれません」
 ティディアに応え、彼女の背後に立つヴィタが珍しく饒舌に言う。さらに、
「しかしいくらボディのスペックが良くても、操縦するA.I.が悪ければどうしようもありません。芍薬様の実力は知っていましたが、今回私はその評価がまだ低かったことを思い知らされました。特に『クノゥイチニンポー』という演出がいい! あれはまさに必殺技です、燃えてしまいます、私は雷蜘蛛というのが気に入りました、おぞましくも美しく蜘蛛の足のように広がる雷撃の術、見応えもあります、また声に出すことでフェイントにもなる、実際に実戦中に一度言うだけ言って何もしないということがありました、しかも横からニトロ様が『直殴り!』と引き継ぐ洒落た連携、ハッタリを平然と利かせる度胸もさることながらそれをされては考慮すべきパターンが膨大に増えてしまって対応に苦慮します、虚実双方でバランスも良い、地球ちたま日本にちほんの話はヘンテコなものが多かったものですがこれは実に実用的で格好のよろしいものですね、既に子ども達が真似をしています」
 ヴィタが非常に活き活きとして早口に言う。
 ティディアは、星間通信が伝える賑やかなアデムメデスを見る執事の瞳が――その涼やかなマリンブルーの瞳が赤く変色してしまうんじゃないかというほど熱を帯びていることを見ずとも容易に想像できて、思わず笑ってしまった。
「何か?」
「言うまでもなく、楽しそうね」
「楽しいどころではありません。私はティディア様の執事になって良かったと心の底から思っています。そうでなければ、この『ショー』を本物の緊張感と意味を含めて観ることはできませんでしたから」
「そう言ってもらえると、雇い主としては光栄ねー」
 実にヴィタらしい応えにティディアはくつくつと喉を鳴らし、
「ニトロはどう?」
「ニトロ様も実に素晴らしい。確かにニトロ様はあの戦闘服の助けを大いに借りています。しかし、いくら服がよかろうと中身が伴わねばただ立派な木偶人形にすぎません、が、ニトロ様には素晴らしい説得力があります。ニトロ・ポルカトだから実現可能なのだと。ニトロ・ポルカトだから実現可能なことを実際にやってみせているのだと。私は一人の人間の努力が実を結ぶ光景を見られてとても幸福です。とはいえこれは私の立場だからこそ言えることです。客観的に立って評するならば、何より、戦闘服やナイフなどの装備の優秀さがかすむほどに、ニトロ・ポルカトとその戦乙女の連携が素晴らしいことを挙げなくてはならないでしょう。お二人のコンビネーションは芸術的です。これほどに息の合ったコンビネーションはこの二人にしかできない、そう観客に確信させます。
 そして純粋に――
 強い、と」
「強さ、も、王の資質に求められるものね」
「はい。勇敢さ、決断力、判断力、現状認識力なども含め、今後、ニトロ様をこの点から貶めることは誰にもできないでしょう。もしそれをすれば、その者の認識力が疑われるだけです」
「それじゃあ」
 レポートの一文を――ニトロへの賞賛のコメントの抜粋を目に止め、ヴィタの熱の入りっぷりと共に反芻し、ティディアは頬に熱を覚えながら微笑む。まだ見ぬ彼の雄姿をまとめた映像へ想像を巡らせながら、
「本当に受けているのね」
「とても好意的で、時に熱狂的です。普段が温厚な方ですから、ギャップも手伝っているのでしょう。実際、ニトロ様は、戦闘の中にあっても『ニトロ・ポルカト』として様になっていますから」
「ヴィタも惚れちゃいそうなくらい?」
 ティディアは少しの冗談を示したのだが、
「ティディア様が惚れ直しそうなくらいに」
 逆に手酷く返され、唇を尖らせる。
「やー……ニトロが今、私のことをどう思っているかぐらい解っているくせに」
「ティディア様の煩悶を観られる唯一の観客――という意味でも、私は執事になれて本当に良かった」
「……いけずねぇ」
 涼やかな容姿を持つヴィタの涼しげな声にティディアは苦く笑い、目を落とした。そこには妹に関する各種の報告がある。彼女は特に子細に作らせたその部分を普段よりずっと遅い速度で黙読し、眉間を緊張の色で染め、もう一度――今度はニトロに『どうかしてる』と言われた普段の速度で読み返す。
 ふいに、エア・モニターの映像が切り替わった。手元では何の操作もしていない。それはこのチャンネルの配信元がカメラを切り替えたためであった。
 目を上げて見てみれば、スライレンドで、戦闘が始まっていた。
 ヴィタが吐息を漏らし、
「失礼いたします」
 と、若干気もそぞろな心地を声に表しながら、ティディアの髪を手にした櫛で梳き始める。
「……」
 ティディアは髪を梳かれながら、唇を引き結んでいた。
 心に深い爪痕を残す失態の地の片翼……あの『赤と青の魔女』が暴れ回った土地。
 そこで、再び彼は、戦っていた。
 ティディアの胸が締めつけられる。
「……」
 これは『ショー』だ。
 だが、断じて、これは『ショー』などではない。
 なのに全ては『ショー』として成立している。――ニトロが、そう成立させてみせている
「……ミリュウの完敗ね」
「今のところは」
「帰るまでに持ちそうもない」
「はい、今のところは」
 何かを期待しているようなヴィタの口振りに困ったように笑い、ティディアは彼女の手が止まったところでミルクティーを飲み干し、そして空のカップと共にレポートを収めた板晶画面ボードスクリーンを脇の小卓に置いた。
 カップとレポート、それらを載せた小卓ごと側に控えていたアンドロイドが運び去っていく。それに合わせて本格的に髪を整え始めた執事に、ティディアは確認した。
「航行はスケジュール通りに?」
 ティディアを乗せる船は、順調に進んでいる。もう少しすれば光を追い越し出して、そうなれば星間通信も一時途絶える。
 ヴィタは主人の髪をまとめながら、少し勿体無さそうに、
「予定通りです」
 ティディアはニトロと芍薬の手により『妹』の一体が倒されていくのを傍目に、深く息を吐いた。覚悟は、決めている。どんな結末が待っていようと受け入れる。足掻かないことが私の『罰』だ。どんな最悪な結末が訪れようと誰を責めることもない。全ては私が背負う。ただ、彼が、あの人が、私がそれを背負うことを許してくれるのならだけど……
 ――ティディアは、大きく息を吸った。
 そして、言葉を待つように手を止めている執事へ、うなずきを返す。
「よろしい」

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