改めて、また初めて昼の光の中で見る超VIPルームは美しかった。電燈の光の下で見ても素晴らしい場所ではあるが、陽光の下では同じ空間であるのに別の場所と思えるほど顔色が違う。ニトロに与えられた区画以外には古めかしい宮殿のように廊下はなく、部屋の次には部屋が続いており、その部屋々々がまるでグラデーションを描くように表情を変えていくのだ。ニトロは、夜のうちにはその変化を見取ることはなかった。一度目はクレイジー・プリンセスと、二度目はセスカニアンのプリンセスと対面するという心境があったにせよ、それでも彼の目はここの魅力の半分も知らなかった。
しかし、それはきっと、それこそを狙う設計のために。
このアデムメデスに名高い豪華な超VIPルームは、部屋それだけで客をもてなすのである。月の下では景色の持つ空気が統一されるのに、太陽の下では手品のように多種多彩な仕掛けをもって人の目を大いに喜ばせてくれるのだ。質素な部屋の次に重厚な装飾が来ることはなく、しかし、一つ部屋を抜けると確実に変化のある部屋が現れ、例えその変化の正体を掴みかねたとしても、また次の部屋に入ると先の部屋の変化が後を追って理解できる。急激なテーマの変化に戸惑うことがあっても、思い返せば確実にテーマの変貌を予兆させるデザインが前後の部屋に存在する巧妙なデザイン。微に入り細を穿つ演出。だが、それらはくどくなく、どこにいてもくつろぐことができる。半年をここで過ごそうとも、部屋と調度品の織り成す瀟洒な空間に飽きが来ることはないだろう。
感嘆の吐息を幾度も漏らしながらニトロは覚えのある広い部屋を抜け――バーはどこにいったのか、消えていた――やがて、淡い色彩の華麗な部屋に辿り着いた。
その部屋には大きな窓があり、朗らかな昼の光が射し込んでいて、陽光に温もる花の香りが漂っていた。外を見ると窓ガラスの先には空しかない。本来真正面にあるはずの王都の街並みが消されているのだ。特殊なガラスであることは容易に窺い知れた。
だが、それよりも――
「……」
ニトロには、鼻をくすぐり続ける甘く可憐な、それでいて頑強な芳香が不思議だった。
「よく眠れたかな?」
部屋の中央に置かれた白い大理石製のテーブルに、マードールはいた。広い背もたれのある美しい椅子に座る彼女は、王女の威厳を示すように顔を固めている。
「殿下のお陰を持ちまして」
反射的に畏まったニトロは、畏まって返事をした後、ふとそこでも違和を覚えた。
「さあ、席に着かれるがよい」
マードールは長方形をしたテーブルの短辺の一方――つまり自分とは対岸にあたる席をニトロに勧めた。テーブルには大きめのブーケが飾られている。メインとなっているのは『レヴドシムエル』という慎ましく黄色い薔薇。部屋の色彩には調和しているが……
「昼食は、まだだったかな?」
「はい」
席に着いたニトロはピピンが当たり前のように部屋の隅に立っているのを一瞥し、ハラキリが長方形の長辺の――ちょうど自分と王女の中間に腰を落ち着けるのを見ながら答えた。
「そろそろ食べようか、と」
「そうか」
マードールは硬い口振りでうなずき、その途端、コメカミを強張らせたように見えた。
「では、お好きな品を頼まれよ。貴殿の好みに合わせたい」
固い口調にも増して、彼女の表情は石のように冷ややかである。それはそれで貫禄といかめしさを彼女に与え、やはり彼女は凛々しい王女の姿をこちらに示しているのだとも思えるが……いいや。ニトロは内心、ある別の判断を下していた。
「それでは遠慮なく」
ならば、と、ニトロはそう言ってポケットから携帯端末を取り出した。
「――どうした?」
注文を口に出さぬニトロをしかめ面で見つめ、マードールが問う。
端末のモニターで芍薬が『承諾』とうなずくのを傍目に、ニトロは努めて動きを小さくしている彼女に言った。
「少々特別な注文をしましたので」
「サプライズですか」
ふいにハラキリが口を挟んできた。それはまるで、『特別な注文』という言葉に対して目に不安の影を差したマードールに代わって応えるようだった。
ニトロは、しかしハラキリに肩を軽くすくめてみせるだけで、すぐに話題を変えた。
ハラキリは何か問いを重ねたい様子であったが、それも不自然だと判断したのだろう、ニトロの持ち出した話題に快く応じた。
それからしばらくニトロとハラキリは『劣り姫の変』について、まるで世間話をするように語り合った。互いの見解を交換しながら、ミリュウ姫が仕掛けてきそうなことをクレイジー・プリンセスの過去の事例からいくつか想定しあってもみる。それをマードールは微笑むことなく、されど意識は完全に二人の話に夢中になっているような様子で聞き続けていた。
二人の話はやがてクロノウォレスにいるティディアの話題へと移っていき、
「『渡航中のレポート』を見て驚いたよ」
ニトロが言うと、ハラキリは笑った。
「母ですか?」
「何で話に出てきたんだ?」
公式レポートには王女と前駐クロノウォレス大使(現クロムン&シーザーズ金属加工研究所特別顧問)との会談が記載されており、そこに『ラン・ジジが随行リストにないのはどういうことかと先方に責められました』という前大使の言葉があったのだ。
「芍薬に聞いてません?」
「そこらの
ハラキリはああとうなずき、
「ニトロ君は、クロノウォレスが独立する前に起こった『呪物』絡みの事変については?」
「前は王制で、悪政凄まじく、革命を起こされて王族は皆々追放された。しかしそれが呪物を拾って舞い戻ってきた。たかが数十の
「答案用紙では丸です」
「ありがとう。で?」
「で、その事変の渦中に母と父も身を置いてまして」
「え!?」
ニトロは目を丸くした。さすがに驚かずにはいられなかった。
「で、その暴走を止めるのに母と父も一役買いまして」
「ええ!?」
さらに驚愕し、ニトロはお目々もぱっちりにハラキリを凝視した。
ニトロの脳裏に、ティディアが向かうにあたって調べたアデムメデスとクロノウォレスの記録が蘇る。
王制を廃し新たな民主制国家として承認されたかの星の復興を助けるため、
「でも、そんな記述はどこにもなかったぞ?」
事変は結局、
ハラキリは軽く肩をすくめ、
「単純なことです。書かれてないだけですよ」
「……ああ」
言われて見れば、それは確かにそうだろう。歴史の教科書に戦に勝利した指揮官の名が書かれていても、その戦で最も働いた兵の名が記されることはなかなかないものだ。
「けれど『協力国』――にはアデムメデスの名が一番に記されていたでしょう?」
「……ああ、全星系連星の次に書かれてたね」
「父は一兵卒に過ぎませんでしたし、母も公に名が記されることを特に嫌いましたし、何より、戦場の混乱と言いますか、込み入った事情も絡んだようですからね。ですので、クロノウォレスができる最大の敬意は、つまりそういうことです。
まあ、一番に名を上げられたことには、もちろん事変後の復興のためにアデムメデスの多大な協力がいち早くあった――という理由も含まれているんですがねえ。あの国はあの事変の影響もあって『王制』に未だアレルギーみたいなものがありますから、うちだけですよ、王族で式典に招待されているのは」
後半はセスカニアン王室の人間への――マードールの今回の行動の背景への――軽い当てこすりもあるのだろうが……しかしそんなことは、正直どうでもいい。
ニトロは呆気に取られていた。
前大使は、ハラキリの母のたっての希望で、彼女が私的に一足先に向かうのだと先方に説明することでようやく難を逃れたと笑っていた。何故そこまで言われるのかと思っていたが、事情を知ればそりゃあ当然というものだろう。きっと、クロノウォレスの“上層部”にも知己がいるはずだ。
「ジジ家はなんていうか……凄いな、色々と」
「そうですか?」
「お前だって呪物の暴走を止めたんだろ? 二代にわたって、サラブレッドみたいなもんじゃないか」
「拙者が関わった『暴走』はレベルも最下位、ただのトラブル程度に過ぎません。そのように言われるほどではありませんよ」
「でも、事実だろう?」
素直なニトロの感心の眼差しを受け、ハラキリはそれ以上の否定は謙遜ではなく嫌味になりそうだと言葉を飲み、
「そう言われれば、そうですね」
一つうなずきを挟み、少々面白くなさそうな目を向けているマードールに一瞥をくれた後、
「ジジ家は呪物に妙な縁があるのかもしれません」
と、笑った。
「特にお前はな」
するとニトロにそう返され、ハラキリは眉根を寄せた。
「? 何故です?」
「それが両親の出会いだったんだろ? なら、呪物がなければハラキリ・ジジはいなかったんじゃないか」
「……はあ」
ハラキリは生返事にも似た声をニトロに返し、直後、苦笑した。
「ニトロ君は恥ずかしいことを平気で言いますねえ。やはり、お父上に似ている」
昨夜の『カエルの子はカエル』の話を蒸し返されて、しかもそれが、今の発言を鑑みれば反論のできない指摘だったがためにニトロはただ「う」とうめいた。
マードールが小さく笑い、そしてすぐに顔をしかめて黙り込む。注意を引かれたニトロが視線を向けると、彼女は気づき、虚勢を張るように胸を張った。
「それにしても遅いですね」
と、そこにハラキリが――またも、まるでニトロの注意をひきつけようとしているように口を出した。
「一体何を注文したんです?」
ニトロはハラキリに目を戻し、にやりと口元を歪めてみせ、
「ちょっと我儘な客になってみたのさ」
「?」
ニトロの応えにハラキリの眉根に『?』が刻まれる。マードールも、その硬い表情に動きはないが、同様の思いであるようだった。
「ソノ我儘ガ叶ッタヨ」
ハラキリとマードールの疑問に答える声が、ニトロのポケットの中から響いた。
直後、部屋のドアがノックされ、ニトロがそれに応えた。
「どうぞ」
ドアを開き、ウェイター服に身を包んだアンドロイドがワゴンを押して入ってきた。ワゴンの上には大きな果物かごがあり、様々な果物がこんもりと盛られていた。特徴的であったのは柿の数が目立つことと、そして種類は樹木に生る実に限られていることだった。
かごがニトロの前に置かれ、ワゴンの下部に納められていた食器がやはり彼の前に重ねられる。
アンドロイドは一礼をし、ワゴンを押して去っていった。
ドアが静かに閉まるのを尻目にウェットティッシュで手を拭くニトロを、皆が見つめていた。
「さて」
ニトロは立ち上がった。その手には曇りの一つもない果物ナイフがある。
「親愛なるセスカニアンの姫君に、我がアデムメデス自慢の果物をご賞味いただきましょう。僭越ながら、私めが調理をさせていただきます」
どこかおどけた調子でニトロは言い、丸々と肥った柿を手に取った。ヘタを素早く抉り取り、
「こちらはカッドメル特産の夏柿です。風味豊かで糖度が高く、人気も高くてなかなか手に入らないのですが――さすがはホテル・ベラドンナ、素早く用意してくれました」
語りながら、ニトロはすらすらと皮を剥いていく。その手慣れた様子にマードールが思わず見惚れ、途切れることなく薄く受け皿の上に落ちては巻き積まれていく皮の様子にハラキリが感心の目を向ける。
「二日酔いには、柿が良いと聞きます」
と、そこにニトロが言った。
ぎくりとマードールの顔が固まり、その反動で、とても頭が痛そうに彼女は顔をしかめた。
「即効性の『酔い止め』を飲まないのは、折角の二日酔いだから?」
にこやかにニトロは言う。手元では皿に置かれた剥き柿が八等分されていく。
さらにもう一つ柿を取り、同じように手早く切り分けたニトロは切り身の一つに銀製の楊枝を挿し、二つの皿を手にすると、まずマードールの下へ向かった。
「それも今後一生に一度も味わえるかどうか分からないから……というところでしょうか」
コトリと皿を置かれ、言われたマードールは降参とばかりに吐息をついた。アルコールの臭いがした。きっとあれから、しこたま飲んだのだろう。
「よく分かったな」
マードールの瞳に会釈を返し、ニトロは身を翻した。歩き出しながら、
「その薔薇は食卓に向きません。料理の香りを台無しにしてしまいかねないこのフラワーアレンジメントは明らかなミスです。しかし超VIPルームの担当者がこんなミスをするはずがありません――もちろん、頼まれない限りは」
ニトロはハラキリの前に、もう一つの皿を置いた。
「この花がこの場に相応しくないことは殿下もご承知でしょうが、しかしそれでも置かれているのは、あえて、でしょう。となれば考えられる理由は何らかの演出か、臭い消し。――ハラキリからアルコールの臭いはしていましたから、正直、意味はなかったかと」
席に戻り、ニトロはにこりと笑って、
「アシュリーは当然そこにも考えをめぐらしていたでしょう。なのに、やっぱり、あえて、ハラキリを使いに出した。
願いを受け入れる際には使者を立てる……でしたね、セスカニアン王室のしきたりは。“それゆえに『渡り』は栄光もたらす使いとなる”。そしてこれは、それを起源にしてセスカニアンの一般的な礼儀そのものにもなっていると」
ニトロはぽかんとしているマードールに笑みを向け、
「それならピピンさんを寄越せばよかったのに」
「君を無闇に驚かせないためですよ」
答えたのはハラキリだった。
ニトロは彼に目をやり、
「それからハラキリが『アシュリー』が呼んでるって言ったのに、迎えたのは『マードール殿下』だったのもおかしかったかな」
「昨日の調子とも違いすぎたし?」
今度はマードールが応える。
ニトロは彼女に目を戻し、
「ついでにツッコめば――バレッバレですよ、アシュリー。二日酔いの苦悶を誤魔化し切れてません」
ニトロは笑った。脳裡には、二日酔いに苦しむ両親を介抱した記憶がある。
「『初代料理長の三層ドリア』とか『ヴァンベルグ牛のビッグチーズハンバーガー』とか、ホテル・ベラドンナ名物を頼まれたらどうするつもりだったんです?」
彼に言われたマードールは気分悪そうに「う」とうめいた。もし本当に頼まれていたら、彼女はトイレに駆け込むはめになっていたかもしれない。
「……いただく」
どこかしょぼんとした様子でそう言って、ニトロのさらなる“ツッコミ”から逃れるように彼女は柿を口にした。――口にして、頬をほころばせた。
それを目にしたニトロは目を細め、それから部屋の隅に視線を飛ばした。
「ピピンさんも、一緒に食べましょうよ」
ピピンは軽く会釈を返してきた。それは断りの会釈であったが、
「樹木に生る実は聖なるかな」
すかさずニトロはそう言った。彼の手にはリンゴがある。ピピンの尖った耳が、ぴくりと動いた。ニトロはさらに言う。
「偉大なる母、大いなる森林の恵みを分かつ、それすなわち、共に
セスカニアンの人間は樹木になる実を好む――その理由を端的に示す神話の文言を語られては、ピピンは降参する他なかった。何故ならそれを言われた上で断るということは、すなわち『共に生く』ことを拒否することになる。もちろん語られた言葉に何か呪術的な意味合いがあるわけではなく、そう言われたところで断ることに禁忌があるわけでもない。しかし『次代のアデムメデス王』と良好な関係を築きたい主人との兼ね合いを見ればその言葉が持つ力は絶大だ。そして、それを踏まえた上で、あの少年は語っている。
だが、降参したというのに、ピピンはそれでも二の足を踏んでいた。
マードールを窺い、主人のうなずきを得てもまだ足は鈍い。
(ああ、そうか)
そこでニトロは、ようやくピピンを躊躇わせるものの正体に気がついた。強引に事を進めて悪いことをした――と思うと同時にフォローの手管を探し、
「ここはアデムメデスで、俺はアデムメデスの人間です」
ピピンは、はっとしてニトロを見た。その表情、そしてそのガラス製の眼球の奥に、ニトロは彼女の“双眸”を見た気がした。
「そして。この昼食の席を任されたのは、アデムメデスの習慣に生きる者です」
そこからは洒落めかせてニトロは言った。
「さあ、このニトロ・ポルカトのフルーツパーティーに、アシュリー様とピピン様、ご両名をご招待いたしましょう」
主人の設けた席に座る事を善しとしない従者は、ここでそのセスカニアンの習慣から解かれた。この瞬間からこの席の主催はニトロに移り、かつ、その招待を受けたにも関わらず主人を差し置いて拒否を、躊躇いを返せば、それは主人の不名誉となる。
ピピンは初めて笑顔を見せた。従者として慎んでいた笑みではなく、おそらくはそれが彼女自身の笑顔なのだろう。柔らかな笑顔で一礼した彼女は、ちょうどハラキリの向かいに座った。
――と、その時、テーブル上の花のブーケが宙に浮いた。
ピピンの
もはや役目を失くした花束はふわりふわりと最後の香りの尾を引いて、別室に移っていく。
それを見届けたところで、
「何を食べますか?」
質問したニトロは手に持っていたリンゴを置くと自然と柿に伸ばし、要望通りにヘタを抉り取ろうとして――
「?ッ!??」
驚きのあまり彼は思わず柿を取り落とした。さらに危うくナイフで指を抉りそうになって「うわぅを!?」と顔を引きつらせる。いや、その顔を引きつらせているのは、何よりもピピンが主人の頬を緩ませた柿を食べたいということを声も言葉もなく理解させられていたことにあった。
「ほら、無闇に驚いた」
マードールが『アシュリー』の口調で、コメカミを押さえながら苦しそうに言う。ニトロのリアクションが面白かったのだろう、笑いを堪えようとして堪えきれずに肩を震わせ、そのため頭痛が増して悶えているらしい。
「そういう
「そりゃ慣れればそうだろうけどねっ」
飄々としたハラキリの指摘に言い返しつつ、ニトロはテーブルに落とした柿を自分のものとすることにしようとしてやっぱりピピンのものにしていやだからおうおおう?
「……ちょっとした仕返しですか?」
『同時進行する二つの理解』のどちらに従えばいいのか分からなくなったニトロは、思考を整頓する間を取るように、ピピンを小さく睨んだ。ピピンは素知らぬ素振りで首を傾げる。
「…………」
ニトロは一度目をつぶり、一つ大きく息を吸った。思案顔で肩を落とし、それからピピンを改めて見る。
「嫌いなものはありますか?」
牛や豚肉と理解できる。が、ベジタリアンではないらしい。つまり獣肉を好まず、鳥料理はむしろ好きだとまで一瞬で――それこそ元から知っていたように――知る。
「アデムメデスは初めてですか?」
肯と理解できる。
「どうです? 結構、いい星だと思うんですが」
肯と理解できる。
その最中にニトロはかごから柿を取り上げ、八等分にしていた。ついでに無意識の内に瑞々しいブドウの房を手に取り、それがピピンの意思を受けてのものだと気づいて苦笑する。
「なるほど」
先ほどのハラキリの指摘は間違いだと、ニトロは思った。これは『操られているような』気がしてくるどころではない。まさに『操られている』ようだ。
「セスカニアン王室の秘密主義のルーツが良く分かりました」
ともすれば皮肉になるであろうセリフではあったが、ニトロにその意図はなく、屈託のない彼の反応にピピンは微笑んだ。
ニトロは彼女の要望に従い小振りだが重量感のあるブドウの粒を五つ、柿に添えて彼女の前に皿を運んだ。
ありがとう――と、理解する。
「どうしたしまして」
と、応える。
早速柿を齧ったピピンの頬がほころび、美味しい――と理解して、ニトロはまるでその果実を作った者のように微笑んだ。
「もう慣れたのか?」
彼の様子を見て、そう言ったのはマードールだった。
「まだですよ。慣れてはきましたが」
「慣れ出すのだって早いよ。お兄ちゃんだってもう少しかかったのに」
アシュリーの口調で――頭痛を招かぬように声を張らず――続けられた言葉に促されてハラキリを見ると、彼は肯定のうなずきを返した。
ニトロは、なんとも言えぬ複雑な苦笑いを浮かべ、
「まあ、イベント会場では次々変わる事態に追いついていかないといけませんからね。そりゃ
少しだけ嘆息を吐いて、ニトロはマードールの皿に目をやった。柿はあと二切れ。次の要望を窺う眼差しにマードールが応える。
「他の、お勧めは?」
「どれも特級品ですが……」
ニトロは淡い黄緑色の球を手に取った。水分の凝縮した重みを感じながら、言う。
「およそ一年、氷室で保存されることで甘味と旨味を増すティグヲンの『眠り姫』はいかがでしょう」
梨を手に品種名と特徴を暗唱するニトロを目に、マードールは思わず想像してしまった。
料理好きな父と園芸好きの母を持つこの少年は、もしかしたら、小さな店でも構えてこんな風に客に接する愛想の良いシェフとして生きていたのかもしれない。そうでなくても商品知識豊かな営業マンとして――と、もはや消失している穏やかな彼の
「水分も豊富で、美味しいですよ」
ニトロがマードールの笑みに応じて微笑む。
セスカニアンの王女は、少年の笑顔に深い憧憬にも似た感傷を覚えながら、しかし口元には笑みを刻んで答えた。
「うん、それを頂戴」