3−a へ

 ミッドサファー・ストリートは不穏な空気に包まれていた。
 そこかしこで疑念と当惑の声が上がる中、黒い集団が動く。脚を動かしているのかどうかも判らない不思議な動きで列が作られる。七人七列、加えて、それらを背後に従えるように一人。全員同じような背格好で、直立不動。
 この場にあるモニター全てが乗っ取られていく最中の行動だ。集団は俄然注目を集めた。
「いい加減にどかねぇと轢き殺すぞ!」
 集団に足止めを食らい、クラクションを鳴らし続ける先頭車のドライバーが甲高い声で怒鳴った。我慢の限界を超えたとばかりに真っ赤な顔で、これまで浴びせていた罵声を脅しに変えて叫び続ける。わずかに、車が動き出していた。
 それでも集団は動かない。
 黒い集団の、一人前面に立つ者が手を差し上げた。
 その手にはラミラス星の黒透岩ドニストの珠を連ねた――ペンダント、だろうか。数珠にも見えるが、そうであるらしい。銀色のペンダント・トップがある。一際大きなペオニア・ラクティフローラの花が、その掌で輝いている。
「――!」
 ペンダントを掲げたその者が何かを言った。
 瞬間、クラクションよりも大きな爆音が鳴った。
 罵声は一瞬にして止んでいた。ドライバーはエンジンが爆発したことで作動したジェルバッグを不自然な格好で受けたために、後頭部をピラーにぶつけて気絶していた。
 悲鳴がミッドサファー・ストリートを切り裂いた。
 ペンダントを掲げた者がまた何かを言う。クラクションを鳴らしていた他の車のエンジンからも火が噴き出した。
 混乱の度が増していく。
 その中で静寂を守る集団はいよいよ存在感を増していく。
 ペンダントを掲げていた者が手を合わせ、祈りの姿勢を取った。
「聞け」
 全てのモニターが乗っ取られたように、全てのスピーカーが乗っ取られていた。
「我が名はアリン。我は神官。プカマペ様の愛波動の下、御使い羊を率いる山羊使い様の覚醒がために使わされた下僕しもべなり」
 声は乱れていた。女の声であることは分かる。だが、それは複数の女性の声が無理矢理一つにまとめられた合成音だった。耳障りなほどに聞きづらい。
「見よ」
 火を吹いたエンジンがもうもうと煙を吐き出す中、モニターの映像が変わった。
 ――どうやら、そこはどこか地下鉄のプラットホームであるらしい。
「終末の日、プカマペ様の御身を糧に新たな神世界を産み出す宿命の太母、神聖至高なる女神をしいする者への神罰を」
 アリンと名乗った神官の背後に、最前列の中から一人進み出て跪く。
 最前列の残り六人のうち五人が進み出て、跪いた仲間を押さえ込むように、手首を取り、肩を抑え、頭を押さえる。
 残った一人はそれらをアリンと挟み、神官と同じ姿勢を取って何かを唱え始めた。
 そして、まるでコーラス隊が増えていくように前列から後列へと残りの集団も詠唱を始めていく。
「讃えよ」
 ソプラノもなく抑揚乏しいうたの中、アリンの声が厳かに響いた。
「プカマペ様の御業を」

 芍薬との通話を切ったニトロは携帯電話をポケットにしまい、一つ息を吐いた。
(……まずかったかな)
 アンドロイドの購入。しかもジジ家特製品。高い買い物だ。ティディアから逃れた後の生活資金や大学生活の諸費用、場合によっては海外脱出の資金のことを考えると貯金はできるだけ残しておくに越したことはないのだが――
(いや)
 ニトロはもう一つ息を吐いた。
 悪い癖だ、と、胸に沸いてきていた貧乏性を振り払う。
 アンドロイドの購入。確かに高い買い物だが無駄遣いではない。芍薬があんなに喜んでいたのに、今更躊躇うのはマスターとして情けないとも思う。何より、それくらいで芍薬への感謝が示せるなら――値をつけることの決してできないものを贈れるなら、むしろ格安だ。
(うん)
 値段交渉次第と条件付けてはおいたが、こうなったら家の二軒や三軒買える値段だろうとハラキリから譲ってもらおう。ローンだって組んでやる。
 三つ目の吐息は、決意と決断のもの。
 腹を括ってニトロは目を上げ……すると、急に眼前の風景が目に突き刺さってきた。
 ――ケルゲ公園の地下。
 地を掘りいて作られたプラットホームが並行に何本も伸びている。三番線の端に立つニトロの吐息を空調の流れがいずこかに運んでいく。半袖のシャツを一枚重ねていても少し肌寒い。換気されているのに息が詰まるのは、密閉式のプラットホーム・ゲートが生む閉塞感のためだろうか。
 特別快速が出たばかりの三・四番線には人が僅かに残るばかりだ。
 線路を挟んだ両隣には、次の電車待ちの客が多くいる。
 左右の雑踏が賑わえば賑わうほど、ニトロの立つプラットホームだけ、地中にぽつんと取り残されているような物悲しさを蓄えていく。
 何故か普段は感じもしない感傷が胸に芽生えたことに、ニトロは戸惑った。戸惑ううちに、ふと、二番線から視線を感じて目をそちらへ転じた。
「……」
 そこには、ついさっき別れを告げたばかりのクレイグがいた。
 ニトロは人相隠しのためのキャップを目深に被り、人目を避けて端までやってきていた。人目を避ける必要のない友人は、こちらに合わせてエスカレーターから離れた場所までわざわざやってきたらしい。
 クレイグはニトロが自分に気づいたことを悟るや、喉に手を当てた。
 どうやら、カラオケで張り切り過ぎたと言っているようだ。
 ニトロは耳に手を当てて、肩をすくめた。
 音痴のお陰で耳が痛い、とからかう。
 するとクレイグは怒ったような顔をして、こちらを指差し、マイクを差し出すジェスチャーをしてから、もう一度指差してくる。
 お前はもっと歌え、ノリが悪い! と怒られたニトロはキャップを取って「ごめん」と頭を下げ、素早くキャップを被り直した。
 クレイグは笑っていた。ニトロも笑った。
 クレイグが、右の前腕を示して掻く。
 ケルゲ公園で待ち合わせをしていた折に、先についていたニトロとクレイグが二人して体験したこと。
 ニトロは左腕を示し、掻いた。
 ぼうっとしていた十分間。ニトロは左腕を二箇所、クレイグは右腕を一箇所、モスキートに刺されてとても痒い思いをした。それで遅刻してきた友人達に不平を言うと、カラオケでジュースを奢ってもらえた。
 ラッキーだったな、と互いにサムアップしてみせる。
 再び、ニトロは笑い、クレイグも肩を揺らした。
 と、クレイグが左に目を走らせた。
 ニトロも右に目を向けた。
 静かな地鳴りのような音を立て、二番線に電車が入ってきた。
 先頭車両がゆっくりと、クレイグの姿を隠していく。
 ホームゲートが開く音がし、車両のドアが開く音が続いた。
 電車に乗り込んだクレイグは三番線側のドアに歩を進めると、窓越しにニトロへまたなと手を振った。
 ニトロもまたなと手を振り返す。
 やおら電車が動き出す。プラットホームを出てすぐのトンネルに入る直前、クレイグが携帯電話を取り出しているのが見えた。その顔は充実に染まっていて……ニトロは、少し安心した。
 失恋したばかりの彼を元気付ける意味もあった今日の集まり。音頭を取った女友達ミーシャに「ハラキリが無理ならお前は絶対来い」と言われていたこともあるが……どうやら、自分も彼の力になれたらしい。
(来られて良かった)
 身辺事情により友人達と確約を結べない身としては、今日の集まりに参加できた幸運を心から喜びたい。
 ニトロは感傷を呼び起こすプラットホームを眺めながら、微笑んだ。
(……ティディアにも、ちょっと感謝しないとな)
 遊んでいる合間にインターネットを覗いたら、『ニトロ・ポルカト』はまだ王城にいるらしいとの見方が多数を占めていた。夕方まで王城の周りには人が多く残っていたという。城から出た形跡も見当たらないことから、もしかしたら本日からしばらく城を預かるミリュウ姫と懇談するのかもしれない――というコメンテーターの予想が、ATVのワイドショーのアーカイブに残ってもいた。
 城を出る方法は、ティディアが提案してくれたものだ。
 また一つ『トップシークレット』を知らされるはめにはなったものの、流石はお忍びの達人といったところか。彼女の言った通りに、うまく事が運んでいる。
(……それにしても)
 今日のティディアの様子は少々おかしかった――彼は、そう思い返した。
 殊勝と言うか大人しいと言うか、バカな格好とバカな発言と無駄な誘惑は相変わらずだったものの、それでもやはりおかしかった。特に、あんな風に諦めながら説得をしてくるとは思いもよらなかったことだ。
 どうせ何かを企んでいるのだろう。
 が、しかしあの行為を布石にする企みとは一体なんだろうか。
 ニトロがそこまで思考を始めた時、三番線ホームゲートのランプが灯った。
 60秒後に電車が到着するという合図だ。
 ニトロはそこで一端思考を止めた。気づけば、人の数が増えている。目立たぬよううつむき加減にホームゲートの開閉部へ歩いていくと、ふいに、ホームに悲鳴がこだました。
「!?」
 女性の悲鳴だった。
 ニトロは反響する悲鳴の元へ目を向けた。
 すると、彼は同じ三番線のホームにいる人間が皆、こちらに目を向けていることに気づいた。こちら――正確には自分から五歩分離れたところにいるスーツ姿の女性。悲鳴を上げたのは彼女であったらしい。口を押さえる彼女は目を見開き、他の者も同じような顔で、悲鳴を上げずとも声を失って立ち尽くしている。一様に、もはや悲鳴の主を通り越して『こちら』を凝視している。
「……」
 ニトロは、初めは『ニトロ・ポルカト』だとバレたのかと思った。悲鳴にも似た歓声を浴びた経験があるというのがその理由だが、しかし彼は、すぐにそれを自意識過剰だったと苦く悟らされることとなった。
(違う)
 悲鳴の理由は、決して『ニトロ・ポルカト』への歓声などでは断じてない。
 ニトロは一秒ごとに、それに対する理解を深めていっていた。
「……」
 視界の後方から、視野に白い影が入り込んできている。
 ニトロは人々の視線が――三・四番線だけでなく、他の全てのプラットホームからの視線が、己の後方に向けられていることに気づいた。
 やがて、ざわめきが生まれる。
 やがて、ざわめきが成長していく。
 皆、当惑と困惑と、混乱を顔に表していた。一人が小さく声を出すと、次の者はそれより大きな声を上げる。それは連鎖していく内に叫びを導き、そしてプラットホームはパニックに陥った。
「何だあれは!」
 意味のない悲鳴に混じって、意味のある疑問がニトロの耳を叩く。
 ニトロも知りたかった。
 すぐ隣にいる『人影』。
 ホームゲートの向こう、後方から線路を歩いてきた巨大な人影
「お報せいたします」
 ポーンと、電子音が鳴り、次いで女性の声でアナウンスが流れる。
「只今、三番線、フットリア行快速電車は、線路の異常を感知したため運行を見合わせております。大変ご迷惑をおかけいたしますが――」
(いいボケじゃないか)
 ニトロは胸中にそう呟きを漏らし、くすぐられたツッコミ心を静かに治めた。
 その『異常』はここにあるだろうジスカルラ鉄道株式会社!――とか、防犯カメラは張りぼてか!――とか、警備アンドロイドは夜食でも摂ってるのかい!?――とか。
 言いたいことは山ほどあれど、ニトロは口を真一文字に結び、すぐ隣に並ぶモノを横目に捉え続けていた。
 慌てふためく客達が、脚をもつれさせながら地上へと駆け逃げていく。昇りエスカレーターのみならず、降りエスカレーターにも人が殺到して悲鳴と怒号が入り混じる。
「……」
 だが、周囲が混乱すればするほど、ニトロは不思議と精神が落ち着いていくのを感じていた。
 呼吸を整え、ゆっくりとそちらへ振り返る。
「――わぉ」
 そこには、やはり『巨人』がいた。

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