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 通う高校の最寄りのファミリーレストラン『ギルドランド』の個室で、ハラキリ・ジジはおよそ一週間ぶりに会った親友の土産話に相槌を打っていた。
 窓の外、六月も目前に、目に見えぬ季節の移ろいを目に見せてくれる街路樹は昨夜からの雨でしっとりと濡れそぼり、深緑の先に新緑がまだらに散る枝葉は、晴れるであろう明日に向けてうなだれながらもじっと力を蓄えている。
 今日は気温も低く、衣替え直前の制服でも過ごしやすい。気候に合わせた空調はやはり快適な室温を保ち、しかしその中で、ハラキリとテーブルを挟みそこにあるカップと並んで一際熱を放っていたニトロは、やがて結びの言葉で話を締めると一気に疲れたように肩を落とした。
「はぁ、そういうことでしたか」
 アデムメデス最古の歴史を誇るグランパルカの香り高いコーヒーを一口含み、ハラキリは笑った。
「夜も激しく『プロレスごっこ』……確かに、まるきり嘘ではありませんね」
「お陰でまぁぁぁた全国規模の誤解が増えたよ」
 外の街路樹の葉と同じくうなだれるニトロに、ハラキリは無慈悲に告げた。
「国際規模、ですよ。全星系連星ユニオリスタの情報網にもしっかり流れてますから」
「ハラキリ」
「何でしょう」
「そういうことは考えないようにしているんだ。お願いですから察してください」
「そうですか。お察しします」
 その言葉とは裏腹に、ハラキリはニトロの本当に気持ちが解っているのか疑わしい態度でズゾッと音を立ててコーヒーをすする。彼の脳裡には、王女と電話を通じて言葉を交わした日の昼間、ビル壁の大型モニターに生中継されていたシゼモ発の映像が蘇っていた。
 それを見た時、電話で聞いた話の流れからは想像していなかった二人の――おそらくは自分やヴィタだけに判る――微妙な距離感に思わず失笑してしまったものだった。何かあったのだろうことは容易に想像がついたが、ティディアに直接訊いてみても珍しく凹んだ様子で『失敗しちゃった。全部裏目にひっくりかえっちゃったわー』と彼女は言うばかり。
 しかしここでニトロの側からも話を聞いて、ようやく、合点がいった。
 なるほどそりゃあそうなるわ。
 全くあのバカ姫、実に彼女らしくない。どえらいタイミングで本物の馬鹿になってどうするつもりなのだろう。
「……しかし、おひいさんもタフというかしぶといというか……気絶明けの朝からあんなに元気に『情報操作』をしてたんですねぇ」
「タフでもしぶといんでもなくて、ただの厚顔無恥だよ。頭のネジも心の歯車も何もかもがみっともなく緩んでんだアイツは」
 視線を上向けて、どこか他人事のように言ったハラキリのセリフを吐き捨てるように修正し、テーブルに両肘をついていたニトロは腕を組んで椅子の背もたれに体重をかけ、深く嘆息をついた。
「ころっころ態度を変えるし、性懲りもなく襲い掛かってくるし……少しでも見直した俺が激しく阿呆だった。あんのド痴女、もう何っにも信じてやらねぇ」
「おや、それはお姫さんのことをいくらかは信じていたということですか?」
「単なる言葉のアヤ」
「そうですか」
 やはり他人事のようにハラキリはうなずくと、二杯目のコーヒーとセットで頼んだチョコレートケーキにフォークを通し、その一欠片を口に運んだ。
 さすがにハラキリの態度にニトロの表情に不満が表れる。ニトロは責めるような眼差しをハラキリに向けたが、当のハラキリは飄々として動じない。
 それよりも、
(それにしても……)
 ハラキリは何かを諦めたように小さなため息をついてカプチーノを飲むニトロを眺めながら、ティディアへの悪口を垂れる彼の口には今でさえ怒りが滲んでいるというのに、その翌日はシゼモでの仕事中よくも彼女と揃いの『けっこんゆびわ』をし通していたものだと、甘くほろ苦いチョコレートケーキを溶かす口の中で、彼の律儀さにこっそりと苦笑していた。
 まあ、実に彼らしいと言えばそうだが、とはいえそこに突っ込めばふて腐れられるだけだろう。
 ハラキリはケーキの後にコーヒーを喉に流し、話の展開がてら、気になっていたことをニトロに尋ねた。
「それで、オーナーさんはどうなりました?」
「チェックアウトする時に会ったけど、その時にはもう挙動不審だったよ」
「挙動不審ですか」
「顔色も悪かったな。別人みたいにオドオドして、何だか見ていて可哀想になるくらいでさ。だから見送りの挨拶もクレイグの従兄さんが」
 言うニトロの眉にはかすかな翳りがあり、それが王女の叱責を受けたロセリアに気をかけているためのものであることは明白だった。
 ハラキリはニトロのお人好しっぷりにも内心苦笑を重ねながら、しかしそれを顔にはおくびにも出さず、
「お姫さん、一体何を言ったんです?」
「本人に聞いてくれ」
「知らないんですか?」
「企業秘密とか言ってやがった」
 ハラキリは思わず苦笑を顔に出すところだった。よもや自分が彼女に言った言葉がニトロを経由して返されるとは……。実に一本取られた気分だ。これは、きっと彼女の『計算の内』であったことだろう。
「……まあ、何を言ったのかは知らないけど、どういうことを考えて言ったのかは解ってるけど……」
 カプチーノを一口のみ、カップを口から離し、手元のそれに目を落としたまま言うニトロのセリフに、ハラキリは、お? と眉をはねた。
「というと?」
「『ホテル・ウォゼット』に取材が殺到しているのは知ってるだろ?」
「ええ」
「今までのオーナーだったら、きっとあちこちで派手に『自慢話』をしているよ」
 ハラキリは鼻を鳴らし、うなずいた。
「取材を受けたのは王立放送局の、一度のみ。それ以降は取材拒否を貫いている。Webサイトにも『王女とその恋人』のプライベートを暴くコメントは皆無――ニトロ君の意見が正しいのであれば、現在のオーナーの姿勢は正反対ですね」
「すぐに全てが変わるわけじゃないだろうけどね。でもそこは間違いなく、変わったみたいだ」
「しかし、いかにあけすけに君とのことを騙る王女様のこととはいえ、そのプライベートを明かさないのはホテルとしては正しいでしょう」
「うん。正しいと、俺も思う」
 ニトロの声には複雑な感情がこもっていた。
 ハラキリはそれとなく彼をジッと見つめ、
「……クレイグ君からは?」
「ん?」
 ハラキリが急に話を展開させてきたことにニトロは一瞬戸惑ったが、胸中にある名君だか暗君だか分からないバカへの自分でも掴みきれない……強いて言うなれば『困惑』を脇に置いておけるならと、それに応えた。
「礼を言われたよ」
 そして、ニトロはおかしそうに片笑みを浮かべ、
「そういや、クレイグも戸惑ってるみたいだったな。従兄さんも驚いているそうだよ。ホテル・ウォゼットの変化の兆しに」
「そうですか」
 コーヒーを飲むハラキリは、今度は他人事のようではなく、不思議と身を入れた口調で言った。
「それは良かったですね。ニトロ君も、頼みを聞いた甲斐があったでしょう?」
 問われ、ニトロはまた複雑な思いを感じながらも、うなずいた。
「まあね。だけどもうこりごりだ」
 答えるニトロは肩をすくめ、その顔にはほとほと疲れた薄笑いが刻まれている。それが妙にツボに入り、ハラキリはくっくっと肩を揺らした。
 ニトロも、意外なところでハラキリのウケを取れたことに妙に満足感を覚え、笑った。
「――ところで」
 やおら、まだ残る笑いに声を揺らして、ハラキリが言った。
「来月末、ボルトラガルト温泉郷に行きませんか?」
 それは、東の大陸にある有名な温泉リゾートの名だった。
 ニトロは来月末の予定が空欄であることを思い出すや了解を返そうとしたが――ふと、その脳裡に一つの関連性が閃き、いいよと開きかけていた口を歪めた。
「なあ、ハラキリ」
「はい」
「誰の発案だ?」
「もちろん、お姫さんです」
 悪びれの欠片もなくハラキリに答えられ、ニトロはため息をついた。
 そう。来月末といえば、その温泉リゾートのある領の隣領へティディアが公務で行くことになっている。
「お前ねぇ、この流れで俺が行くと答えると思ったか?」
「無念にも温泉を逃してしまった友達の頼み、ということではいかがでしょう」
 ハラキリはここぞとばかりに真面目な顔で言った。
 ニトロは半眼でハラキリを見つめていたが、やがてもう一度ため息をつくと、その頬に微笑みを浮かべた。
「いいや。絶対に、お断りだ」

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