大凶:蛇足編

(『2016おみくじ 大凶』の直後)

 若葉の匂い立つユノミを手に、ぼうっとしていたハラキリに撫子が言った。
「ティディア様カラオ電話デス」
「おひいさん?」
 まだ7時だ。早いということはないが、相手のことを考えれば少し不自然に思える。
(今朝はニトロ君にちょっかいかけてないんですかね)
 ほろ苦いグリーンティーを啜り、ぽりぽりと茶請けの野菜菓子を齧る。
「イカガナサイマスカ?」
「……」
 撫子の作った糖を纏うゴボウチップスを咀嚼し、口に残る甘みを茶で洗い流す。
「繋げて」
 眼前に宙映画面エア・モニターが表れ、そこに『音声オンリー』と出たのを見て、ハラキリはまた奇妙に思った。
「遅い」
 接続されるや否やスピーカーを震わせた華やかなその声は不満を隠さない。それは人に直接悪感情あくかんじょうを注ぐ力を持ち、例えその声の主のことを知らなかったとしても不安、あるいは恐怖を励起されずにはいられない声である。
 ハラキリは悠々と応えた。
「ちょっと用を足してたものですから」
「トイレにいようが何してようが、私からの電話に即応しないのは馬鹿か間抜けだけよ?」
「では馬鹿で間抜けとご記憶ください」
 すると笑い声が――どこか苦しげに――肩を揺らして笑う声が聞こえた。そして、
「おはよう。早くにごめんね」
「いいえ。で、何用ですか」
「お願いがあるの」
 面倒な予感がした。
「お断りします」
 ハラキリが言うと、間があり、今度は不機嫌な声が戻ってきた。
「何故?」
「安請け合いは身を滅ぼすものです。それが偉大なるティディア様からのものであろうとも、馬鹿か間抜けでなければそんなことはできません」
 また笑い声が起こった。耳を澄ませてそれを聞いたハラキリは相手の体に損傷があることを確信した。目をモニターの隅にやると、そこに座す小さな撫子が同意を示す。
 なるほど、だから『音声オンリー』か。
 彼女は言ってくる。
「それじゃあね、ハラキリ君。依頼をするわ」
「聞きましょう」
「ニトロをディナーに誘って欲しいの」
「お断りします」
「何故?」
「拙者には荷が重い、と思ったものですから」
「何故?」
「では何故、誘いたいのですか?」
「決まっているじゃない」
「ええ、決まっています。であれば何故、自ら誘わないのですか」
「それも決まっているでしょ? 断られるからよ」
「と仰いますが、断られたところで無理矢理付き合わせていたことが以前にも何度か。ええ、もちろんご記憶頂いているでしょうが、その度に『救出の依頼』を受けたものでした」
 沈黙が降りる。
 ハラキリは茶を啜る。
「ハラキリ君は、私を怒らせるのが本当に怖くないのね」
 不機嫌な声。しかしどこか面白そうであり、それに……何だろうか? 初めから思っていたが、その裏地には妙な艶があるような気がする。ハラキリは応じた。
「怖くないと言えば嘘になりますね、お姫さん」
 肩をすくめ、吐息混じりに続ける。
「貴女を敵に回すのは、やはり面倒ですから」
「どこまでが本音かしら」
「ご随意に。しかし拙者はニトロ君の友達であるようですから、そう簡単には売れないんですよ」
「売ることが可能な時点で不誠実な友達よねえ」
「それでもお姫さんを怒らせるより、彼の方が怖い」
 三度笑い声。
 しかしその笑い声は先の二度とは性質が違う。ハラキリは茶を啜り、
「で、彼に何をしたんです?」
 笑い声がぴたりと止まった。
「どうやら手酷い反撃を食らったようですから、それなりのことをしたのでしょう?」
「……ちょっとね、調子に乗り過ぎちゃった」
「ふむ?」
「正直死ぬと思ったけれど、それでも生きている自分にますます自信を持ったわ。やー、人体ってあんな角度にも曲がるのねー」
「ふむ」
 さて、一体どんなお仕置きを食らったのだろうか? きっと『馬鹿力』が発揮されていたに違いない。映像は……残っていたとしても独占されて見ることはできまい。ただ相当なダメージを負ったことは間違いない。おそらく、現在も治療中のはずだ。
「ならば、余計に依頼は受けません。彼が誘いを受けるはずがないでしょう? 今日の今日でも当然『罠』を疑ってかかりますよ」
「そこを何とかなだめすかして機嫌を取って、連れて来て欲しいのよ」
「つまり調子に乗り過ぎた分、彼の機嫌を取りたいと」
「そ♪」
 ハラキリは茶を啜った。
 渋面で、ジンジャーの砂糖菓子を齧る。甘さの裏にぴりりと辛い。
「7桁」
 と、ティディアが言った。ハラキリは苦笑した。
「太っ腹なことで」
「それだけの仕事だと思っているわ」
「それなら手法を省みたらいかがです。そもそも論として比重がおかしくはありませんか。正攻法としては普通にデートに誘うとか、親交を深める程度のやり取りをするとか――いや、そういう手も使ってはいましたね――しかし、実際問題、そういったものの方がメインにあるべきでしょう」
「んー、でもねー、ニトロを愛するが故にちょっと一所懸命になっちゃうのよ。全ては愛の表現、ちょっと行き過ぎたとしてもそれは彼を深く愛するが故。ハラキリ君。誤解しないでね? 私は彼が憎いわけじゃないの」
 お姫様がさらに大演説をぶちそうなところをハラキリは遮る。
「よもや我が天上の花にして聡明なる『希代の王女』ともあろうお方が被告席で見苦しくわめくDV野郎と同レベルなんてことがありますまいと、拙者、卑賤の身ながら一臣民として確信しております」
「あっはっは、ハラキリ君には敵わないわねー」
 機嫌の良い声は相手の笑顔と、今度は一方で微かな苛立ちを伝えてくる。ハラキリは茶を啜る。
「でも、ニトロは可愛いわ」
「そうですか」
「私はね、ハラキリ君、真剣なのよ
 嘲笑と皮肉を覚えるが、それは相手もそうだろう。
 反面、真剣だというのも部分的には真実であろう。――だからこそ、彼は言う。
「貴女は非道い人ですね」
 それに返事はない。だが、通信機の向こうの顔は見るまでもなく分かる。
 ハラキリは茶を啜った。
 と、モニターの隅の撫子が目を引いた。そちらを見る、と、宙映画面エア・モニターの表示が変わる。映し出されたのは教室の監視カメラの映像。ニトロ・ポルカトが、独り、真っ青な顔で頭を抱えている。
「……」
 ハラキリはスティック状のサツマイモ菓子を、音を立てて噛み折る。
 そして彼はうなずいた。
「まあ、いいでしょう」
 この判断が友にとって良いのか、悪いのか、微妙なところだとは思う。が、これほど衝撃を受けた彼の心を何か“良いこと”で埋めなければならないとも思う。
「その代わり、本日はもう決して彼に悪ふざけをしないこと。これが条件です」
「ええ、ニトロがハラキリ・ジジという味方がいるって実感する程度のことしかしないわ」
「……」
 ハラキリは冷笑を浮かべた。
「本当に、お姫さんは非道い人です」
 朗らかな笑い声が返ってきた。ハラキリは南国大蕪カベンデッシの砂糖菓子を齧り、
「それで、店はどこです?」
「『ルセタ』なんてどう?」
 シェルリントン・タワーのハイスカイラウンジにあるジビエ料理店。一ツ星ながら未来の五ツ星店として既に話題である。――しかし、
「そりゃ悪手です。あのビルには因縁がある」
「ついでにその悪印象も、良い記憶で上書きしておきたいなーって」
「欲深き者は欲にかつえて満たされることなし」
「やだ。聖典の文句なんて、耳が痛いわ」
「言って拙者も歯が浮くってもんです」
「ふふ。
 じゃ、トライデント・センターの『ウン・ェミルレニェロ・ウゥ』」
「ドレスコードがあります」
「制服でいいじゃない」
「つまり放課後そのまま連れて行けと」
「どうせ家には帰りたがらないわ」
「結局何をしたんです」
「ひーみーつ♪」
「まあ、ニトロ君に聞けばいいことですけどね」
 そう言いつつ、ハラキリは考える。ジスカルラ港から王座洋スロウンを臨むトライデント・センターはデートスポットとして人気があり、そこから望む夜景も、湾を往く船の輝きも実にロマンチックだ。が、そんなことより『ウン・ェミルレニェロ・ウゥ』――セスカニアンこくのシーフードである。料理好きの父を持つ友人は異星の高級料理には心を動かされるかもしれない。それにあの辺りなら“逃走路”が豊富であるし、その他説得材料も色々と。
「どう?」
「いいでしょう。しかし失敗の可能性が高いことは現時点でご了承願います。その上で頭金として三割。残りは成功報酬で。それでも宜し――」
 みなまで言うより先にティディアが言う。
「了解。
 契約書は?」
「口で十分。ただしたがえば金輪際お姫さんからの依頼は受けませんので」
「はーい。それじゃあこっちのスケジュールを送るから――くれぐれもよろしくね、ハラキリ・ジジ君」
「ご期待にえるよう、尽力致します」
 そこで通話は切られた。
 イチマツ人形型のアンドロイドがやってきて、ユノミに新しい茶を注ぐ。
「ヨロシイノデスカ?」
「断るのが筋だったんだろうがね」
「ハラキリ様ガニトロ様ヲ励セバ、ソレガ『正攻法』ト存ジマス」
「……」
 熱い茶を用心して啜り、ハラキリは画面越しに友を見る。
 彼は虚ろな瞳でひたすら一点を見つめている。
「それもまた、荷が重い」
 模索、未熟、逡巡――そういったものへの自嘲か、あるいはただの苦笑か。
 複雑な笑みを浮かべるマスターに、撫子はただ静かに頭を垂れた。

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