― 後日譚 ―
その夜、芍薬は言う。
「頑張ッタ、主様ハ頑張ッタヨ。
『家族水入ラズ』、主様ハチャント守リキッタヨ」

 芍薬が、ティディアが夕方に緊急会見を開くという情報を掴んだのは、奴の風邪が完治した翌朝だった。
「それで、ハラキリは何て?」
「コチラヲニトロ様ニ、ト」
 そして会見まであと三時間という時……
 路上駐車スペースに停まる、フロントガラス以外の窓を全てスモークで塗り潰したレンタル飛行車スカイカーの中にニトロはいた。
 ダッシュボードのモニターにはA.I.の肖像シェイプが二つ並んでいる。
 片方は紅葉を柄にしたキモノを着る、長い黒髪を真っ直ぐおろした少女だ。上品なたたずまいに柔和な顔を乗せ、隣のA.I.に書状のようなものを渡している。
 それを受け取る黒髪をポニーテールにしたユカタ姿の少女は、随分緊張した様子で背を伸ばしていた。
 男前ともいえるクールな顔立ち、八頭身で、バストの大きいモデルといった風体の芍薬は、見た目だけで比べれば撫子の姉に見える。だが実際は撫子が芍薬の『母』であり、そして芍薬は撫子に全く頭が上がらない。データを受け取る様子もどこか恭しかった。
 前に芍薬は『撫子オカシラガ目標ナンダ』と言っていた。
 同時に、『アレデ結構怖インダヨ』とも。
 両者が並ぶ姿を見る度に笑いたくなるニトロは、そのお陰で心身を縛りつける緊張を幾分和らげてもらっていた。友人から借りた『戦闘服』の中で硬くなっていた体が、少しだけ緩んでいく。
「芍薬、それは?」
 ニトロは芍薬に、受け取ったデータの確認を促した。
「――セキュリティ情報ダヨ。会見場ノ見取リ図、人・物ノ配置、警備ノ装備、タイムスケジュールモアルネ」
 それはトップシークレットの情報だった。これがあれば、警備の隙を突くことも可能になろう。当然、誰もが手に入れられるものではない。
 だが、ニトロにはそれだけでは不十分だった。芍薬が口を閉じたのに慌てて撫子に訊ねる。
「あれ、それだけ? ハラキリは戻ってこないのか?」
 友人は昨夜遅くにティディアに呼び出され、城に泊まったという。
 今朝ティディアの会見の情報を受け、今月末――奴の誕生日にそれが行われるとすっかり油断しきっていたニトロは驚愕して助けを彼に求め、そこで『敵』に先手を打たれていたことを知った。
 痛恨の事実にニトロは愕然として一度は絶望に伏したが、ありがたいことにハラキリはちゃんとフォローをしてくれていた。
 ニトロは戦友にめいを残された撫子から世話を受け、先刻、韋駄天とアンドロイドが自宅に運んできたこの『戦闘服』やその他『道具』を貸してもらった。そして、次に連絡があるまでこの場で待てと、そう告げられた。
 その『次の連絡』で送られてきたのが、トップシークレットのセキュリティ情報だった。
 しかし、ハラキリはセキュリティ情報をくれただけで他にどうするとも言ってこない。てっきり後で彼と合流するものだと思っていたのだが……
 まさか、助力はこれで終わりなのだろうか。
 顔面を引きつらせんばかりに不安を表しているニトロに、撫子は柔らかな口調で答えた。
「ハラキリハティディア様ノ御依頼ヲ受ケ、警備ノ一員トシテ参加シテイマス」
 ニトロは眉間に深い深い皺を寄せた。
「……あちら側に回るってこと? それとも、中から崩してくれるってこと?」
 恐る恐る確かめてくるニトロに、撫子は微笑んだ。
「芍薬、説明ヲ」
「御意!」
 撫子に促された芍薬が、語気も強く返事をする。
「タイムスケジュールニ、追加情報ガアルヨ」
「追加情報?」
 おうむ返しに訊ねるマスターに、芍薬はうなずいて言う。
「主様ガ通ル『ルート』ガ指定サレテル。ソコヲ通過スル指定時間モ、行動モ。全テココニアル通リニスルヨウニッテ。
 ハラキリ殿ハ、バカ姫ガ『宣言』ヲ行ウ時刻ノ直前カラ、ヴィタトティータイムニ入ルソウダヨ」
「……そっか、ちゃんと味方はしてくれるのか」
 安堵して、ニトロは撫子を見た。撫子は何も言わず、ただ微笑を浮かべてそこにいる。肯定も否定もしない。だがその表情から意図をちゃんと測れるように。
「でもちょっと気に食わないな。それってヴィタさんと高みの見物と洒落込みますってことだろ? もっとほら、しっかり警備を乱してくれるとかさ、そういうことはしてくれないの?」
 口を尖らせるニトロに、撫子は何も言わず、ただ微笑を浮かべてそこにいた。肯定も否定もしない。だがその表情から意図をちゃんと測れるように。
「……」
 ニトロは頭を掻いた。
 まあ、『戦闘服』や必要な『道具』を貸してくれて、その上こんな機密情報もくれてヴィタまで実質抑えてくれるのだから、これ以上彼に頼るのは甘え過ぎというものか。
「……分かった。それじゃあ、ハラキリにお礼を言っておいて。ありがとう、撫子も」
 撫子は深々とニトロに辞儀じぎをした。
 それから芍薬に向き直る。芍薬はまたピンと背筋を張った。
「芍薬。立派ニナッタワネ。ニトロ様カラ貴方ノコト、良ク言ッテ頂ク度ニ嬉シク思ッテイルワ」
「ソンナ……あたしナンカ、マダマダダヨ」
 照れ臭そうにうつむく芍薬に、撫子はまるで本当の母親のような、慈愛に満ちた笑顔を見せた。
「コレカラモニトロ様ノタメ、シッカリ頑張リナサイ」
 そう言うと、撫子は再びニトロに頭を下げ、そしてモニターから姿を消した。
 芍薬は嬉しそうにはにかんでいたが、ふとニトロがにこにこと笑っていることに気づくや恥ずかしそうに頭を掻いた。
「誉メラレチャッタ」
 ニトロはうなずいた。
 それ以上は必要ない。芍薬が誉められたことは、自分も嬉しい。
「気合ガモット入ッタヨ」
「そりゃ頼もしいな」
「早速打チ合ワセシヨウ、主様」
「ああ」
 芍薬の張り切り具合に笑っていると、モニターにハラキリが寄越したタイムスケジュールが現れた。そこには警備に配布された綿密なスケジュールと、そこに併記する形で赤で書かれたニトロ用のスケジュールがある。
 ニトロは先刻まで、会見場にハラキリと芍薬が乗っ取った警備アンドロイドと共に殴りこむつもりだった。だがこれに従えば、最後に『立ち入り禁止の新郎(予定)ニトロ・ポルカト』を押し留めようとする警備の壁を破るだけでいいようだ。
 いや、それも十分に大変なことではあるが、何だか今日は体の内で燃えたぎる正体不明のエネルギーを感じるし、最後の壁にも芍薬が乗っ取るのにおあつらえ向きのアンドロイドがいる。
 固くならず、つまらないミスをせず、全力を出し切れば会見場に入り込むことはけして不可能ではないだろう。
 そして戦場に一歩でも入りさえすれば、後は敵将との一騎打ちに持ち込める。
「……バカハ、解ッテルダロウネ」
 ふいに、ニトロの腕時計にスケジュールを簡潔にまとめたデータを送りながら、芍薬が言った。
「俺が来るって?」
「ソレモダケド、ハラキリ殿ノ『裏切リ』モ」
 芍薬の神妙な面持ちに、ニトロは押し黙った。
 それは、正しいだろう。
 ティディアがこれくらいのことを読めぬはずがない。だがそれでもハラキリを警備に招き、そしてこちらには何も邪魔を差し向けてこないということは――
「最後の壁くらい自力で抜けないと邪魔する資格はない、とでも思ってるんじゃないかな」
 忌々しげにニトロが言うと、芍薬はうなずいた。
「ダロウネ。随分勝手ナ言イ草ダケド」
 あるいは、結婚宣言の会見を面白くするためのイベント……くらいにしか思っていないかもしれない。
 もしかしたら、そのために、わざわざセキュリティにハラキリが指定できる隙を作らせておいたのかもしれない。
 だとすれば……
 だとすれば必ず、必ず後悔させてやる。
 会見を盛り上げる面白イベントが起きる、その希望だけは叶えてやろう。
 だが奴の馬鹿げた『公約』はゴミ箱行きだ。
 決して、絶対に、断じて!
『私、ニトロにプロポーズされました! オッケーです! 誕生日に婚姻届、二人で出しに行くから皆ついてこーい!』
 とかもう何でもいいけど結婚を確定させるような言葉は吐かせやしない!!
「あー、何だか俺も気合が入ってきたっ」
 そしてこれは、そう、これまでの大迷惑への復讐にもなる。
 あの有言実行のティディア姫に挫折を、例えそれが小さな挫折だとしても確かに味わわせてやる、せめてもの復讐に。
 『19:00』
 モニターの中にある自分用のスケジュールの最後、赤い花丸に囲われている黄金の時刻が異様に目を引く。
 それを睨み、はたと過剰に漲る力に体が硬くなっていることに気づいたニトロは、気を落ち着かせるように深く息を吐いた。
「……芍薬」
「何ダイ?」
「来月の、結婚記念日」
 それがニトロの両親の記念日のことを言っていると悟って、ユカタの袖にタスキをかけた芍薬は凛としてうなずいた。
「父さん、母さん、芍薬と、俺……と、ついでにメルトン。
 家族水入らずで、楽しく過ごせるようにしないとね」
 芍薬は、力強くうなずいた。
 ニトロは時計を一瞥した。
 会見場へ突撃するための、最初の行動を起こす時間が迫ってきている。
 ハラキリの指定したルートの出発地点に立ち、指定された時間で行動することもできなければ、明日はない。
 飛行車スカイカーのエンジンがかかり、上昇を始めた。視界が360度拓け、車が向きを変えていく。フロントガラスの中に、王都一の摩天楼で一際ひときわ傲然と天にそびえる運命の塔――シェルリントン・タワーが入り込んでくる。
 これから決戦の時まで長丁場だ。
「よし」
 己の未来を定める場をしっかりと目に焼きつけ、ニトロは今一度心を引き締めた。
「芍薬、行こう」
「承諾!」

そして、8

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