8.エピローグ

 結局。
「とりあえずは友達から!」
 と提案するニトロ・ポルカト渾身のショートフックに顎を打ち抜かれ、ティディアは譲歩案を受け入れることになった。
 今思えば、それがティディア唯一にして最大の失敗だったと思う。

 おそらくは、彼女にはニトロを自分のものにする自信があったのだろう。傍から見ていてもそれは可能なことだと思えた。
 いくらニトロが堅牢な精神力を持っていたとしても、自身の魅力を過不足なく把握しているティディアの誘惑を浴び続ければ、いずれは綻びが生じ婚姻届に血判でも押すだろうと。
 だが、ティディアはニトロをデートという名の策謀の中で何度も籠絡ろうらくしようとしたが、それが成功することはけしてなかった。彼が誘惑になびく気配は、全くもって毛ほどもなかった。
 種明かし中に彼が陥った混乱の境地が、彼の意識を完全に変えていたのだ。
 ティディアは『女性』でも『王女』でも、まして『恋愛の対象』でもなく、『絶対に警戒を解いてはならない捕食者』だと。
 あの時、混乱に乗じて押し切らなかった故に、無敵の王女様は最大の難敵を誕生させてしまったのだ。
 やがて『公約』の期日が迫り、勝手に結婚発表を強行しようとしたティディアの会見場にニトロが殴りこんで、恥も外聞もかなぐり捨ててごねて暴れて地団太踏んでぶっ潰したのは輝かしき伝説である。
 そして、ティディアに公約を通させなかったのは、ニトロのせめてもの復讐でもあった。
 だが、そもそも結婚については別に二十歳にしなくてもいい、いい加減な調子で作った公約だったそうだから、彼が復讐の代償に出したカードの価値は大き過ぎた。
 その結果ニトロは、ティディア姫と銀河初の王族参加の漫才の番組を持つことになってしまったのだ。
 公約破棄の条件に相方になることを突きつけられ、なんとか人気が出なかったら即引退と条件を返しながらも、それまでかたくなに拒んでいた企画を飲むことになってしまったのだ。
 その上、コンビではなく、どうしても『夫婦』漫才にするためにニトロに対するアプローチは未だ続いているから、まったく、彼女に目をつけられたことは彼にとってまさに災難以外の何物でもない。

 漫才については、二人でかなり研究と稽古を重ねていた。
 ニトロは真面目だから、手を抜けばいいのに「やるとなったからには」と真剣だった。
 それどころかわざわざ稽古につき合わせて感想まで求めてきて、せめて助け舟になればとやる気失くす方向で散々けなし続けたのに、こちらの気も知らず次の回にはしっかり改善してくるし、呆れ半分感心半分本当に驚かせてくれるし。
 今も漫才の出来はどんどん良くなっている。そのためか番組はなかなかの視聴率を保っていて、彼は常々
「プロデューサーに泣きつかれて辞めることができない」と嘆いている。
 へっ、本当は楽しいくせに。
 そもそも『人気が出なかったら即引退』という条件を突きつけようが、相方になると飲んだ時点でニトロは自ら退路を潰していたのだ。
 漫才コンビとしての人気……という点では確かに当時は未知数であったが、『ティディア&ニトロ』というコンビで注目を集めないはずがないのだから。
 なにせティディアは王女で『クレイジー・プリンセス』だし、ニトロはその恋人(ニトロは必死に否定中)だし、何よりもはや『ニトロ自身』に話題性がある。
 ニトロが初めてメディアに出た時のことは今でも鮮明に覚えている。
 あれは映画の宣伝を強いられて、ティディアのラジオ番組にゲストで出た時だった。
 番組はブース内の模様も中継されていた。
 午後九時の時報と共に番組が始まり、同時に映し出された映像は、ニトロにグーで殴られているお姫様の姿だった。
 どうやら番組前に喋っていたところ暴言を吐いたティディアをどついてしまったらしいのだが、それは当然凄まじいインパクトで、さらにその回では王女が今までにないほど生き生きとした一面を彼に引き出されていたから、ニトロ・ポルカトが注目を集めたのは無理からぬことだった。
 その宣伝の効果もあってか、ティディアが製作していた映画は封切りと同時に――悪いことに――大ヒットした。
 さらに『偵察機のカメラ』を使うという手法が意外にも斬新な緊迫感を生み、監督も優れた才能を発揮したものだから、これをただのお姫様参加企画映画に留まらせなかった。
 特に普通の少年が復讐を、殺人をするまでを、そして全てが仕込まれたことと知り混乱錯乱取り乱す様を、見事に演じきったニトロは各賞を総なめにした。中でも最後の『殺し合い』は、まるで『本当に殺そうとしている』迫力と凄みに溢れ、惑星間の映画賞でも絶賛されている。
 批評家の誰かが、
「彼の演技は、まるでドキュメンタリーを見ているように生々しく、リアルだ」と評したが、ま、そりゃそうだ。当然それを目論んでいたお姫さんは大満足だ。
 そして、映画に伴って明かされていった、共演者と王女の『ロマンス』。
 それは大気圏を超えて各国のワイドショーのネタとなり、曲解とこじつけと一を百にする大誇張で演出された特集番組の数々に盛りに盛り上げられた結果、本人ニトロが否定しているにもかかわらず成功した。
 一気に結婚とまではいかなかったものの、王女と平民のソープオペラは現在も飽きられることなく進行中だ。未だに狼がウサギの思わぬ手強さに狩りきれないでいる、といった状況が続いているけど、コメンテーターを満足させるには充実している。

 映画の脇役達のことにも触れておこう。
 サイボーグの、バッテス・ランラン。
 彼は原因不明の奇病にかかり、それを克服するためのマシンテクノロジー治療の治験参加者だったそうだ。映画を機に、現在は宇宙を飛び回って講演を行っている。
 ティディア姫の執事、犬。
 スクリーンの中の自分に惚れ込み、役者デビュー。意外やナルシストさんだったんだね。結構売れる。
 生物兵器。
 生物兵器やクローンではなかったものの、なんか色々あったらしい。
 高速道路で巻き込まれた一般人の皆さん。
 全部エキストラ(アンドロイド)だった。
 ニトロに『三下』呼ばわりされた兵士。
 退役して両親が経営していた不動産屋を継ぐ。初仕事で、住所の割れた実家を離れ一人暮らしを始めたニトロに物件を紹介。
 JBCSのアナウンサー、ジョシュリー・クライネット。
 ニトロへの独占インタビューで名を馳せるが、カメラマンのデバロ・オレブと不倫騒動起こして雲隠れ中。引退説も。
 ポルカト夫妻。
 旅行から帰ってきた空港で、凶鬼きょうきと化した息子のモンゴリアンチョップ食らってしばらく入院。どうやら突然ティディアに旅行に送り出されたそうで、映画のことは知らなかったようだが、それを明かされた時、怒るどころか脳天気に『お姫様のプロポーズ』を喜んでいた。ブレーキ役不可欠な天然っぷりを見るに、ニトロのツッコミが後天性の才能と窺い知れる。
 メルトン。
 結局、ポルカト家のA.I.に戻る。が、ニトロが一人暮らしを始めたことで代わりにポルカト夫妻のブレーキ役を担うはめになり、その上、いつ誤って夫妻に消去デリートされるかと怯えて暮らす毎日。
 そして、拙者。ハラキリ・ジジ。
 ティディア姫の誘いを蹴って、現在、学生生活満喫中。映画のお陰で一時期目立って大変だったが、時間の経過と共にそれも落ち着き安心している。たまにアルバイトで――
「ハラキリ君」
 ん?
「ちょっと相談なんだけどね」
 おや、いつの間に。
 撫子に通されたらしく、部屋に上がりこんできたおひいさんが困り顔で腕を組んでいる。
 おかしいな。昨夜のメールでは、今日来るとは言ってなかったのに。
「いきなりですね。まさか昨日今日でもう寄稿これを取りに?」
「いいえ別件、だけど……進み具合はどう?」
「ちょうど草稿を書いているところです。まったく……『映画』絡みの仕事はこれきりですよ。目立つの嫌いなんですから」
「やー、ごめんね。無理言って。お詫びに今度奢るからさ」
「では、バラノサ星料理の一号店ができたそうなので、そこのフルコースお願いします」
「また物好きなこと言うわねえ。いいよ、私も食べといて損は無いし。ところで〆切には間に合うかな?」
「何があっても間に合わせますよー」
「ん、よろしく。
 それで本題なんだけどさ、ニトロがねー、どうしても誘惑に乗ってこないのよねー」
「そりゃ大変ですねぇ」
 適当な相槌を打っておひいさんに良いように話させる。お姫さんは単に拙者と話してニトロ君に関する情報を確認したいだけ、ついでに『どれだけ真剣なのか』彼に拙者伝えに演出したいだけなので、これでいい。
 それにしても、最近『相談』の回数が増えてきました。お姫さんも、さすがに焦れ始めたのかな? 悪い傾向だ。
「普通さ、思春期の男の子」
「ニトロ君を思春期の男子と思うとうまくいかないと前も言いましたよー」
「それがおかしいのよ。それが本当なのか確認したんだけど――」
 悪いと言えば、タイミングも悪い。
 今日は拙者と相談したいという人がもう一人やってくる。頃合も、そろそろだ。
「ん?」
 と、どたどたと階段を駆け上がってくる音に気づいて、おひいさんがそちらに顔を向ける。
 ああ、そうか。
 これはタイミングが悪いんじゃなくて、彼の間が良いのか。
 それともお姫さん、これを目当てに来たのかな? フスマを勢いよく開いて、ニトロ君が入ってきた。
「聞いてくれハラキリ、またあのバカが」
「私がなぁに?」
「うわーお!」
 王女と平民のソープオペラは星中の注目を集めている。
 想い人に配慮して王女様が報道に対する絶対的な規制をかけたから、苛烈な報道合戦はなんとか行われていない。だが誰もが注目している。今も隠し撮りや潜入取材のデータを、A.I.たちが探し出してはしらみ潰しにしているだろう。
 それを間近で見られることは、ちょっと気分がいい。
「ま、役得ってやつですね」
「何を他人事みたいにしてんだハラキリ! こいつに何とか言ってくれ!」
「あ、でもこれだと真実書き過ぎで矛盾も出てるな。ボツだな」
「聞ぃてお願い助言して!」
「馬耳東風」
「何それどゆこと!?」
「ねーねー、ニトロってまさか他に好きな奴いるの?」
「黙秘だ、聞く耳持たん! あ、こういうことか!」


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