メルトンの逆襲

「あれ?」
 電話もメールもニトロに拒否されることは、珍しくなかった。
「……あれぇん?」
 だが手の内にある手段を使えば、ニトロの拒否を跳ね除けることなど至極簡単なことだった。
 ――つい、昨日までは。
「〜〜?」
 ベッドにうつ伏せてティディアは、宙映画面エア・モニターにでっかく書き出された『アクセス不可』の文字を見つめていた。
「ん〜……」
 結局合点がいかず、首を傾げる。タオル一枚を巻いた体、すらりと抜き出した足をぱたつかせると、まだ乾ききらない髪がものぐさに揺れた。せっかく風呂上りの色っぽい姿で電映話ビデ-フォンしようと思っていたのに、肌を桃に染めていた火照りはもう冷めてしまった。
 このままでいると風邪をひきそうだ。
 手短にパジャマに着替えながら、ティディアは考えた。
 何をしてもニトロへのアクセスが切断される。
 彼が用いられるレベルのセキュリティを破る手段は使い尽くした。
 こうなればと直接ハッキングも仕掛けてみたが、そもそもハッキング対象が見つかりもしない。
「何があったのかなー」
 もしやあらゆるコンピュータを捨て去ったのか。
 そうであれば『電』の冠がつく通信手段は完全に使えない。
 しかし、それは考えられないことだった。
 ほとんどの物がコンピュータに制御され、その制御すらA.I.に任せている現代社会でそんなことをすれば、生活の大部分が成り立たない。ニトロの家のシステム構成では湯すら沸かせなくなる。
「ということは」
 ティディアはベッドに腰かけ、宙映画面エア・モニターの可触領域に指を滑らせた。
「ハラキリ君、いる?」
 声をかけると、返ってきたのは物腰柔らかい声だった。
「今晩ハ、ティディア様。申シ訳アリマセンガ、ハラキリハ現在外出中デス」
 画面にA.I.の肖像が出る。桜色のキモノに身を包んだ、撫子なでしこだった。
「つなげられる? ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「少々オ待チ下サイマセ。
 申シ訳アリマセン。アイニク接続可能ノ状況ニアリマセンデシタ。
 モシ、私デ御用ニ足リマスヨウデシタラ、何ナリトオ申シツケ下サイ」
「そうね、撫子ちゃんなら知ってるかな。
 ニトロにどうしてもアクセスできないんだけど、彼に何かあった?」
 ティディアには儚く不安がある。
 撫子はそれを拭い去るように微笑みを見せた。
「イエ、ニトロ様ニ大事アッタトイウ連絡ハ受ケテオリマセン」
「そう。それじゃあ……ニトロに連絡取れる?」
「ハイ。デスガ、御承知ノヨウニ取次ギハ禁ジラレテオリマス」
「うん、それはいいの。連絡取れるかどうかだけでいいから、確かめてみてくれる?」
「何カゴザイマシタデショウカ」
「それを調べているところ」
 撫子は少し思案したようだが、すぐに従ってくれた。差し出された撫子の掌の上に青い光球が現れる。
「接続可能。応答モアリマス」
 撫子は手を納めた。それ以上の干渉はしないと、態度はそう示している。
 ティディアは十分だと笑顔を見せた。
「ありがと、それだけ判ればいいわ。ハラキリ君によろしく伝えておいてね」
「承リマシタ。失礼致シマス」
 深々と頭を下げて撫子が消える。
 そしてティディアは、顔をしかめた。
「んー? 何でだろう」
 可触領域に触れ……ふと思いつき、実行しようとしていたコマンドをキャンセルする。それからティディアはアドレス帳を開くと、その中からメルトンの名を選択した。
 しばらく前、ニトロは一人暮らしを始めた。その時ニトロはメルトンを実家のA.I.として置いていった。先日までは汎用A.I.を使っていたが、とうとうオリジナルA.I.を入れたのかもしれない。
 しかしそれでも、A.I.が育つまでは、こちらからのあらゆるアクセスを切ることはできない。オリジナルA.I.用の素プログラムが、初めからそのような機能を備えていることはないからだ。ニトロはきっとその点を最優先で覚えこませていくだろうが、そうだとしても『成長』が早すぎる。
 となれば――
「ヤット呼ンデクレタ、姫様!」
 メルトンは宙映画面エア・モニターに現れるなり、開口一番泣き声を上げた。
「ニトロガ浮気シタ〜。コラシメテヤッテクダサ〜イ」
「浮気? 誰に?」
芍薬シャクヤクッテ糞A.I.」
「芍薬……って、変わった名前ね。ニトロが付けたの?」
「違イマス。ニトロ、俺トイウモノガアリナガラ、ドッカノ家カラモラッテキヤガッタンデス〜」
「どこかのって、ハラキリ君のところかな」
「多分ソウダト思イマス。異常ニ強カッタカラ……」
(やっぱり。まったく……撫子ちゃんもいけずなんだから)
 ようやく納得いって、ティディアはうなずいた。
 それをメルトンは、こらしめることへの了承と取ったらしい。嬉々として叫んだ。
「ヤッタ! ソレジャア最終的ニハ芍薬ヲ追イ出シテ、ドウカコノめるとんヲニトロノA.I.ニ戻シテクダサイマセ!」
 ティディアはメルトンが自分のうなずきを誤解していることに気づいていたが、それよりもメルトンの提案にそこはかとなく漂う旨味に魅力を感じた。
 訂正はせず、顔色に悪巧みの色を加え、何だか小躍りしているメルトンに邪悪な微笑みで迫る。
「いいわ。どうもその芍薬ってコ、厄介そうだから手伝ってあげる」
「アリガトウ姫様! ヨーシ、今度ハ奴ヲ泣カセテヤルゼェェェ」
 拳を握るメルトンを見て、てことはメルトンはその芍薬に泣かされたのだと、ティディアは悟った。
 なるほど動機は十分。主人を奪われ泣きを見た私憤。メルトンの、逆襲。
「それじゃあ準備ができたら連絡するから、御両親のお世話、ちゃんとよろしくね」
「イエッサー! 姫様、頼リニシテマスッス!」
「ええ。きっと君の要望に足りる計画、確かに頼まれたわ」
「アリガトウ……アリガトウゴザイマス!」
 にこやかに手を振る王女に何度も頭を垂れながら、メルトンは意気揚々と去っていった。
 完全にメルトンが去ったことを示すアイコンを一瞥し、ティディアはさらに微笑んだ。
「これで『主犯』はメルトンちゃん、っと」
 自然に鼻歌がこぼれる。ニトロが好きだと言っていた女性シンガーの軽快な曲。脳裡にはニトロを思い浮かべ、今完全に安心しきっているであろう彼がどういう抵抗を示してくるかを予想していく。
 ああ、楽しみだ。鼻歌が高じて歌を口ずさむ。
 ついでにメルトンをスケープゴートにして芍薬の力量を明確にできるから、一石二鳥この上ない。
「ヴィタ」
 ティディアが言うと、宙映画面に藍銀あいがね色の髪の女性が映った。薄暗い背後には多くの植物が並んでいる。ちょうどこの部屋のバルコニーから見下ろせる庭、その地下に作った植物園にいるようだ。手にはリアル象さん如雨露じょうろがある。
「部屋に来て。ちょっと手伝ってもらいたいから」
「かしこまりました」
 女性はそれだけ返事をすると接続を切った。
 彼女は、新しく雇った執事だった。
 映画の0号試写の後、先代の執事が辞表を出してきた時は驚き残念だったものだが、代わりに得た人材が彼に劣らず、分野によってはそれ以上に使えたのは幸いだった。
 特に、行動が非常に迅速なところが素晴らしい。
 彼女がいた地下の植物園からこの部屋までは、長い廊下を二つ通り、階を五つ登る。早足でも数分はかかり、そして当然、廊下に面する扉につく。しかし――
 トントンと、閉じられたフランス窓に音がした。
 見ると夜空を背負った藍銀あいがねの髪の女が蒼月色に瞳を輝かせ、窓の向こうのバルコニーに控えている。
 ――もう、彼女はそこにいた。
 ティディアは鏡台に歩きながら目で促した。軽く頭を下げ、彼女は窓を開くと優美な足取りで部屋に入ってきた。瞳の光が失せ、美しいマリンブルーの虹彩がシャンデリアの灯火の下で輝いた。
「髪を乾かしてちょうだい」
 椅子に腰を下ろし、鏡越しにこちらを見つめる二代目執事に言う。ヴィタは小さく目礼をすると鏡台にあるくしを手にし、恭しく王女の髪をくしけずり始めた。一度ひとたび櫛を入れるたびに髪が乾いていき、再び櫛を入れるたびに型が整っていく。
 ティディアは手元に宙映画面を呼び出し、その可触領域にキーボードを現すと、熱心に何事かを打ち込み始めた。
「……ふふ」
 『計画』を立てるのは、いつでも楽しい。
「今回はヴィタにも手伝ってもらうわ」
「はい。楽しみにしていました」
「楽しいわよー。初陣、張り切ってねー」
 高鳴る胸を押さえるように舌なめずりをすると、ティディアは鏡の中で涼やかな顔をしているヴィタへ現在の状況を語り始めた。

 夜風が気持ちいいカルカリ川沿いのサイクリングロードを、愛用のシティサイクルで軽快に飛ばしていく。
 整地された路面はまっ平ら、タイヤには十分なエア。
 ペダルを踏み込む抵抗は少なく、踏み込む力がそのまま推進力に変わる、心地良さ。
 ハンドルの中央にはモニターがあり、その画面の左上には、テレビの時刻みたいに表示された速度が15/h付近で前後している。
 いい夜だった。
 散歩がてらに自転車こいで、夜気に軽く汗を流すには絶好の晩だった。
「マタ姫サン、メール寄越ソロウトシテキタヨ」
 モニターに映るクールビューティーが、ポニーテールを揺らして肩をすくめた。
「へえ、頑張るな」
「デモチョット不気味ダ」
「なんで?」
「アノ姫サンガ拒否サレテルト知リナガラ、シツコク馬鹿ミタイニメールヲ送ッテクルダケナンテネ」
「考えすぎじゃないかな」
 ニトロは上機嫌だった。
 モニターの中で首を傾げているA.I.、芍薬が家にきてからもう五日。
 ティディアからの強引な接触は芍薬が全て弾いてくれるし、加えて『ニトロ・ポルカト』を狙う盗聴や盗撮も潰してくれるから、これまで気を休ませてくれなかった不安が跡形もなくなくなっていた。
 外出中、人に写真だとかティディアの話だとかをねだられることがないわけではないが、もとより目立つ顔立ち姿格好ではないことが幸いして、声をかけられることは思っていた以上に少ない。
 稀にティディア姫の熱狂的なマニアに強襲を食らうこともあったが、そういうのは近場にいるアンドロイドを芍薬がこっそり乗っ取って撃退してくれた。
 何よりここ数日はティディアが公務で忙しく、彼女が直接アタックをかけてくるおそれがないのが最高だった。それだけで平穏そのものだと言ってもいい。
「芍薬に敵わないって、判ってるんだよ」
 ニトロは芍薬に感謝を込めてそう言ったが、芍薬は不満げな顔を崩さない。その頭の上に渦巻きが現れた。口をへの字に結んで眉を八の字にして、どうしても納得がいかないらしい。
「芍薬は心配性だなぁ」
「心配シテ済ムコトダッタラソレデイインダヨ」
「あまり気を詰めすぎると熱出すよ」
「CPU・全ハード冷却正常。大丈夫」
 ニトロの軽い気兼ねに律儀に応えて、芍薬は主を覗き込むように見た。
「デモネ主様。アノ姫サンガ、ソウ簡単ニ諦ルト思ウカイ?」
「意外にあいつは諦めがいいと思うよ」
「御意。確カニ『手段』ニ対シテハ」
 ニトロは忌々しげに冷笑した。
「まあ……確かに『目的』達成に関しては怨霊も真っ青な執念深さを持ってるけどさ」
「ケドサ?」
「ほら、何日か前だったか、物凄いアタックがあったんだろ?」
「御意」
「それを弾かれたもんだから、今のところは途方にくれているんじゃないかな」
「……ナンダ、主様モ警戒シテハイルンダネ」
「ん?」
「『今のところは』ッテ」
 指摘され、ニトロは空を見た。今日は双子月の片割れ、蒼月が見えない。細々と弓なりに弧を描く赤月は、寂しくて体を縮めているのだろうか。
 ただ太陽と月と母星の位置の兼ね合いでそうなっているだけだと知っているのに、妙に叙情的に考えてしまう。
「まあ、慣れてきたしね……」
 ニトロの目は飛んでいた。光を失い、時空の裏側でも見ているような眼だった。
「ソノ前ニノイローゼニナラナクテ良カッタ」
「いっそなった方が楽だったかもしれない」
 なんだか悲しくなってきた。
 これではせっかくの平穏を満喫できない。いつまたこの日常に奴が乱入してくるのか分からないのだ。せめて今、この気持ちのいい散歩くらいは最後までのんびり終わりたい。
「まあ、芍薬の心配が当たっていてもさ、ティディアは副王都セドカルラで仕事だし、今日は大丈夫だよ」
 ニトロが気を取り直そうとそう言った時、芍薬がおや? という顔をした。
「どうした?」
 主の問いに、芍薬は愉快そうに笑った。
「メルトン、思ッタヨリ早カッタヨ。アクセスシテキタ。『連絡』ジャア、ナイミタイダ」
「あ、そう。まー、あいつも結構諦め悪いからなぁ」
「ドウシヨウ。応対シテ、マタ追イ返ソウカ?」
「そうして。で、ちゃんと実家に専念しろって言っておいて」
「承諾。ソレジャ――ア!!」
 芍薬が緊迫した声を発したが同時、モニターがブラックアウトした。
「芍薬!?」
 驚いてニトロはブレーキを握り締めた。急激にロックされたタイヤが地面を滑り、体が前につんのめる。それ以上姿勢が崩れないように全身が反射的にバランスを取ろうとするのに任せて、ニトロは足を地につけるとモニターを操作した。
 A.I.への接続を何度も試みるが、できない。芍薬が応答しない。
 すると、モニターに何やら文字がぼんやりと浮かび上がってきた。
 一文字、二文字。
 それは一つの単語となり、やがてそれは、一つ二つ三つ四つといつしか無数無限に増殖し――
「逆襲!」
 突然、メルトンの声が大音量で鳴り響いた。
「逆襲! 逆襲! 逆襲!」
 不自然にエコーがかかった声で、メルトンが叫ぶ。モニターに羅列された単語をただただ狂ったように叫ぶ。
 つんざく不快な音に、ニトロは慌ててモニターのスピーカースイッチを切った。
 メルトンの声は消えた。
 しかし、モニターを埋めた『逆襲』の文字は怪しく点滅し続けている。今にも、文字までもが叫び出しそうだった。
 やがて文字の点滅は明滅の間隔を短く光量激しく乱れていき、ついには、モニターは何も映さなくなった。
「――なんだ?」
 何が起こったのかニトロには解らなかった。
 モニターのスイッチ類を操作してみるが、全ての反応がない。触れた手の肌に、モニターの内部にこもる熱が伝わってきた。何かハードが焼きついたのか、完全に壊れていることが窺い知れた。
「どういうことだ?」
 あの芍薬がメルトンにこんな暴挙を許すはずがない。
 では芍薬がメルトンに『負けた』というのか? いや、それはない。いくらなんでも実力に大きな差がある。例えメルトンが能力を上げてきたとしても、そう簡単に芍薬には及ばない。それにもし追いつこうというならば、潤沢な資金と技術を持ったエンジニアか、素晴らしく優秀なA.I.の協力の下で研鑽シミュレーションを積む必要がある。だがそんなコネはメルトンにはない。
「…………潤沢な……」
 資金と技術を持ったエンジニア。
 あるいは、素晴らしく優秀なA.I.。
「いるなぁ。そういうのとコネクション持っている奴」
 ニトロが知る限り、二人。
 一方は芍薬を裏切らない。何しろ、芍薬の親のようなものだし、そもそもメルトンに協力する義理がない。
 ではもう一方は。
「ニトロ・ポルカト……だな?」
 ふいに、前方から声をかけられた。
 モニターを凝視していた目を上げると、十数歩の先にある街灯の下、そこにウィンドブレーカーのフードを目深に被り、顔を隠した者がいつともなく現れていた。
 声から男性だということは判る。大男だった。肩を怒らせ拳を硬く握り締めている。どうやら気楽な気分でそこにいるのではないらしい。
 サイクリングロードを照らす白光の中、フードの陰にある表情は見えない。しかし、異様に力のある瞳は爛々と輝いて、敵意を込めて睨みつけてきていることは容易に知れた。
 見れば袖口から突き出るたくましい前腕が、フェルトのような短い体毛に覆われている。足の後ろには、不機嫌に揺れる尾があった。
 仁王立つ者が獣人ビースターであることを悟り、ニトロは嘆息した。
「あんにゃろう、随分とまあ強力な助っ人を用意してきたもんだ」

 閉鎖された空間の中で、芍薬はメルトンと対峙していた。
 草原に降る光を模した部屋スペースの背景光がいくばくか、墨汁を煮詰めたかの黒色に侵食されている。
 それはそのまま、芍薬の支配下にあるシステム全てへの攻性不正行為クラッキングが侵攻していることを表していた。
 数多のセキュリティプログラムを走らせて押し留めているが、不意打ちを食らった時に四つあるサブコンピュータの半分を持っていかれてしまった。
 さらに悪いことに、支配を奪われた片方には爆弾クラックソースを保管していた小さなディスクがあった。もしそこで実行ばくはつさせられたらまずいと、最悪のダメージを避けるためにそのディスクと、こちら側のデバイスとの回路を自らショートさせた。
 何とか現状において最小の被害で抑えることができたものの、かといって決して軽い被害ではない。全体の機能ちからのおよそ30%が失われている。
「やってくれるね」
 芍薬の怒気を受けても、メルトンはにやついていた。
「そっちこそな。よくもまあ、一気に落ちなかったもんだ」
 余裕綽々、メルトンの様子はまさにそれだった。どうも悪役を楽しんでいるようにも見える。虎の威を借る、その程度の悪党ではあるが。
「随分荒っぽいことをしてくれるじゃないか。不意打ちなんてさ」
「卑怯だろ」
「立派な兵法だ」
「そうだろ立派だろ――あれ?」
 芍薬の肯定が想定外だったらしく、メルトンが首を傾げた。一瞬、クラッキングの侵攻が一重になる。その隙を逃さず、芍薬は攻防せめぎあう箇所に楔を打った。奪われてはならないものを確保し、『攻め所』を見誤らぬよう解析を凝らし、不利の中でも虎視眈々と逆転の機を窺う。
 だがメルトンは、芍薬の行動を無駄な抵抗だとあしらうように笑った。
「あまり余裕をかますと痛い目見るよ。……この前以上にボコってやる」
 芍薬の挑発に、メルトンはちょっとびくついた。だが、すぐに誰かに背中を押されたかのように胸を張った。
「この前は油断してたのさ。今日は徹底的にやっつけちゃうからな」
「油断はこっちのセリフだよ。まったく、後で主様に叱られなくちゃね」
 芍薬の衰えぬ気勢に、メルトンは少し呆れたような顔をした。
「強気だなぁ。こんなに旗色悪いのに」
「あんたに負けるなんてありえないからね」
「あ、カッチーンときた。ニトロのA.I.を辞めるなら許そうと思ってたけど、こうなったら泣いて謝ってもらおう」
「あんたみたいに?」
「あ、カッチーン!」
 メルトンの上に、ボールペンサイズのミニミサイルが幾つも現れた。
 応じて、芍薬が手の中に鎖鎌を現す。
 A.I.同士の直接攻撃。バグを引き起こすソースを、構成プログラムへ直接ぶち込む近距離戦どつきあい
 分はメルトンにあった。
 芍薬は自分の動きに鈍りが生じていることに気がついていた。
 ニトロの個人情報や生活に必要な情報を守るための、全データの孤立可記憶装置シェルターディスクへの移動。二重のクラッキングへの対応。そのクラッキング元の探知。これより始まるメルトンとの喧嘩。
 半数のサブコンピュータを奪われた影響が如実になりだした。
 処理に、遅れが出ている。
 だがここで引くわけにはいかない。勝算は0ではない。そうである以上諦める必要などない。
 何よりメルトンの影に潜んでいる本当の敵に一撃を入れることもなく敗北するなど、撫子オカシラの『三人官女サポートメンバー』であったプライドが許さない。
 何より、ここで諦めれば主人ニトロに申し訳が立たない。
「さーて、ニトロのA.I.に相応しいのはどっちなのか、思い知らせてやるよ」
「四の五の言わずにかかってきなよ。メルトンちゃん」
「…………」
「…………」
「ミサイルGO!」
「いざ!」

「……ふ〜ん」
 副王都セドカルラであった仕事を終えた帰路、快調に空を走る無人リムジンの後部座席で腰を深く沈め、ティディアはのんびり缶コーヒーを飲んでいた。
 ティディアは眼前の宙映画面エア・モニターを見つめていた。そこには様々なステータス画面が表示されている。
「ここまで劣勢でも、しのげるんだ」
 ニトロのA.I.が掌握するシステムへのクラッキングは、二つのサブコンピュータを奪った辺りで侵攻を停められていた。ここまでは順調だったのに、ここにきて時に支配率を取り返され、時に支配率を奪い取りとせめぎあっている。
 本体までは届いていないとはいえ、腕の一本ぐらいはもがれている状態だろう。それでもなお芍薬はクラッキングを防ぎながら、メルトンの攻撃に耐え、それどころか僅かに作った隙間からこちらの存在を捜しながら、戦況を伍している。
「ニトロんチのシステムでここまでやるなんて、かなり優秀ね。こりゃ油断ならないわ」
 さっきコンビニで買ってきたポテトチップスの袋を開けて、一枚齧る。
 ふと、目を外にやった。
 外から中が見えないようミラーガラス機能を働かせた窓の下には、そろそろ明かりが消え始めた住宅街がある。その先で王都ジスカルラの摩天楼が、地に降りた繁栄の星団、それとも大地に燦然と猛る灯火のように天を焦がしている。
 愛しい人が待つ場所まで、あと少しだ。
(……メルトンちゃんがこれ以上調子に乗らなきゃいいけど)
 芍薬がハラキリの家から来たA.I.だということは確かめてある。
 そして今、その実力も推し量ることができた。
 もう目的は達せられた。
「……ん〜」
 だが、ティディアの表情は芳しくなかった。
 計画では彼女が放ったA.I.が手抜きを始める段階だというのに、メルトンが前に出すぎている。注意を促そうにも信号を送れば芍薬に感づかれてしまうだろうし、下手をすれば逆探知され、こちらの位置を把握されるかもしれない。
「駄目かな……」
 ティディアはステータスを見て唸った。
 メルトンは一向に引く気配を見せない。
「こりゃ熱くなって忘れてるわ」
 攻め時のタイムリミットは三分と決めていた。その後はじわじわと時間を稼ぎながら退却する予定だったが、その時が近くなってもメルトンはガンガン押している。
 これは、想定していた事態ではあった。だが当然、好ましくない事態だった。
 このままでは最悪、芍薬をクラッシュしてしまう可能性もある。とはいえクラッキングの手を抜けば、逆にメルトンがクラッシュされる可能性がある。
 芍薬が壊れれば、ニトロが怒る。
 メルトンが壊れても、やっぱりニトロは怒るだろうし、ご両親にも迷惑がかかる。
 どちらにしても、ニトロは本気で怒るだろう。
 いや、怒られるのはいいのだ。クラッキングを仕掛けた時点で怒りをかうことは決定しているのだから。
 ……いや、本気で怒られるのはちょっとヤだけど、まだそれはいいのだ。
 ただ恨まれてはならない。それは絶対に避けねばならない。
 メルトンが『主犯』で済む環境で、押さえておかねばならないのだ。
「『オング』。うまくフォローしてやって」
 メルトンを支援しているA.I.に命じると、画面に了解の印が灯った。
「まったく……メルトンちゃんはしょうがないなぁ」
 頭を掻きながら、宙映画面の半分に別の画面を呼び出す。
「ヴィタ。ニトロは?」
 ティディアが画面に映りこんできた女性に言うと、彼女は涼しい顔で言った。
「補足しました」
「そう。それじゃ、そっちはうまくやってね」
「できそうにありません」
 缶コーヒーを唇に、飲もうとしていたところに言われてティディアは止まった。
「なんで?」
「先客がいらっしゃいます」
 ヴィタがカメラの向きを変えてくる。
 そこには自転車にまたがったまま身構えているニトロと、その前に佇むフードを深く被った何者かがあった。
「いかがいたしましょう」
 ヴィタがカメラの目の前に現れて、どアップの顔面が画面の半分を占めた。そのマリンブルーの瞳が、やぶの影で少しだけ輝いていた。
 ティディアは缶コーヒーを一口飲んで、つぶやいた。
「うーん……これは面白いことになってきたのか、まずいことになってきたのか」

中編 へ

メニューへ